septiembreokbj’s blog

記録と備忘録、および手掛かり。

1/17 Intermezzo

決して更なる逃避ではなく、本当にIntermezzo。最近続いている、興味が無い人にはツライ話題の息抜きとしてのエントリ。というか、いつもの「不可思議な繋がりによる不思議な気持ち」が本日も発生したので(以後、この状況をIt makes me wonder、IMMWと記す)、忘れないうちに、その備忘録を。

 

会社でお昼を食べる

→食事のお供にWEBをブラウズする

→「出井さん」に関するタノシイまとめを発見する。

matome.naver.jp 

丹念に情報をひろってあり、その情報をしてストーリーを語らしめるという、まとめというよりはドキュメンタリーのようなポスト。労作という言葉だけでは済まされない、センスのある記事となっている。アタシには無理だけど、こういうのが書けるのはウラヤマシイ。

 

さて「出井さん」(いでいさん)である。「出井さん」といえばSONYを更地まで誘導する線路を敷設し(本人はクォンタムリープ(※)させるつもりだったらしいが)、あわやの所までおいつめた、それはそれでスゴイ人である。

※「出井さん」はクオンタムリープという言葉が好きらしく、後に作った経営コンサル会社の商号もこれ。ところでquantum leapという言葉のカタカナ表記は、2文字目を[オ/ォ/ア/ァ]のいずれにすべきか気になったりしませんか?勿論アタシは気になる方です。そこでググったところ、https://ideaisaac2.blogspot.jp/2010/03/kwontamu-or-kwantamu-for-quantum.htmlというBLOGを発見。適切な訳語があるのだからカタカナにするなんて考えた事無かったから始まる中々良いエントリだなと思い、周辺調査をすると、

https://ideaisaac2.blogspot.jp/2018/01/old-building-of-my-alma-mater-became.html

の内容から、ご出身が至ってご近所であることが判明。ヲヲ、IMMW。結論的には「クォンタム」で行こうと決めました。なお「出井さん」的には「クオンタム」です。

 

  

アタシが「出井さん」に注目するようになったきっかけは、1995年に出版された「ソニー自叙伝」という本への違和感にある。創業50周年記念の社内誌を一般向けに仕立て直したものなのだが、振り返っての自慢ばかりで、この先も同じ50年があるような気分に退廃の兆しを感じたのだ。最後の章には大賀、出井(ああ、ついに敬称略になってしまった)のメッセージがあるが、それとて成功者の驕り満載で、一回やけどして学習するのだろうなという感想しかなかった。いや、その前の社長就任時のメッセージ、「デジタル・ドリーム・キッズ」がすでに気持ち悪かったな。自分の中に「夢」も「子供」もいない人の言いそうなことで、そんなのがSONYのCEOになっちゃったのかと暗澹たる気持ちになったな。だから「出井さん」の事はずっと気にしていた。どうするのだろう、どうしていくのだろう、と。

結果は上掲のまとめサイトにあるとおりで、とても無残なことの連続だった。SONYは今も尚そのときの傷を抱えているのだろうけれど、少なくとも「どうやればSONYを潰せるか」というスタディに成功したはずで、最近の復調はその学習の成果に基づくモノなのではと思う(そう思いたい)。

 

そんな「出井さん」ネタにシミジミとしつつ、ゲンナリとしつつ昼食を終え、では気分転換に器楽曲でも聴きながら次の企画の構想でも練るかと、BGMの選択をした。選んだのは「Brahms, Johannes  :  3 Intermezzi  Op.117」。クリエイティブな午後に向けての間奏曲である。いいじゃないか。

曲の背景が知りたくなり、解説を検索してみる。もちろん見つかる。インターネットは偉大である。みんなが情報を乗せたくなる・発信したくなるという観点において。

ブラームス: Brahms, Johannes/3つの間奏曲| 3 Intermezzi ピアノ曲事典 | ピティナ・ピアノホームページ

ブラームス/Brahms,Johannes ピアノ曲事典 | ピティナ・ピアノホームページ

なるほど。

 

ところでこのサイト、ヘッダを見ると「PTNA(ピティナ) ピアノを弾く!聴く!学ぶ!」とある。ピアノに関する何らかの団体のようである。どんな趣旨の集まりなのだろうか、と[協会概要]のページに移動してみると…。

www.piano.or.jp

まったくもってIMMWな事である。そしてそれはとてもメデタイことなのである。なんとなれば、自分の想像力がこのようにIMMWを引き起こせるとは思えず(想像していない事が起きるからIMMWなのだ)、それは世界が自分の妄想だとはとても思えないという事に繋がり、つまるところ世界は自分と独立して存在しているのだと言う感覚をもたらしてくれているのだから。

そしてIMMWを容易に引き起こす場としても、インターネットは誠に偉大な存在である。Vivaインターネット。

 

Intermezzo、終了。

 

 

追記

実は「ソニー自叙伝」は駄本であるが故に、まだ本棚の中に納められている。成功の連続で50周年を迎えたとき、驕った人がどのくらい馬鹿な事を言い出すのかという得がたい記録として、「ソニー自叙伝」には未だに大いに価値があると思うのである。その価値を生かすために、まずは社業を大いに成功させて思い上がらなければ。

1/15 オーディオ再生環境のリフォームに関する備忘録(その2)

昨日に引き続き、オーディオ再生環境のリフォームに関する備忘録。本日はリフォームに当たっての要件整理の経緯を。

 

とはいえ、いきなり要件が出てくるのもはしたない。その手前に基本的な方針があり、それを踏まえての要件整理でなければならないのは諸賢もご承知のとおり。アタシの場合、「レッツハイエンド!」という積もりは全く無くて、「現実的なコストの範囲で、聞きたいものを聞きたいときに聞きたいように聞く」が基本方針となる。

「現実的なコスト」という言葉をもう少しブレイクダウンすれば、たとえば五年スパンでハードウェア交換をするとして年平均投入額を年収の1~2%程度とする、等の数値目標に置換されることになる。人はオーディオのハードウェアのみに生きるに非ず。コンテンツにお金を使うのがむしろ本丸なのだし(アーティストにお金が流れないというのは、長期的には破滅しか待っていない)、趣味と実益がないまぜになっている自転車だって結局継続的にお金がかかるのだ。もちろんオイシイ物も食べたいし、お酒だって飲みたい。その他にも、もっと、もっと。

それぞれ継続したい複数のサブジェクトで有限なリソース(お金)の奪い合いをする以上、持続可能な線を想定することは不可欠だ。「現実的なコスト」の趣旨とはそういうことだ。

そして「聞きたいものを聞きたいときに聞きたいように聞く」は、こう言い換えてもいい。「聞きたいと思った曲を、思いついたその瞬間に、家中のあらゆる場所で、それなりの音質で聞きたい」

音楽に仕えるのではなくて、自分の生活に音楽をまとわせたいという事なのだ。その基本方針を踏まえて要件の整理を行った。

 

 

要件整理その1:音源の決定

この機に有料ストリーミングサービス(SpotifyAmazon Music Unlimitedなど)を使うということも考えたが、以下の理由から踏み切ることができなかった。

  1.  有料ストリーミングサービスは、再生デバイスの縛りがイマイチ厳しい(まあ、そりゃそういう気がする)。ハードウェアへの投資はできる限り避けたく、Raspberry Piなどの安価なLinux系コンピュータ/デバイスを使えないのは困る。
    …これは完全に当方の思い込みによる誤解で、後述のOpenHome化のためにアレコレ調べたところ、VolumioでSpotifyやTIDALを扱うためのPluginを紹介するエントリが数多く見つかった。つまり想定のハードウェア環境を用いるための障壁は、調査と実施のコストに集約されるのだね。しかし本当に困るのは、二番目の理由だ(二つ理由を挙げて、二番目が重要だという展開になっているのは、書いていて気がついたのだが、まるで花森安治のようだ。もちろん内容的にそんな立派なことは書いていないのだが)。
  2. 不可逆圧縮の音源は避けたい。上記の有料ストリーミングサービスは320kbpsとは言え不可逆圧縮。利便性に引きずられて、a.居間、b.図書室の(自分にしては)高めのオーディオセットのメイン音源が不可逆圧縮になるのは困る。何度も聞いた曲が違う音になるのも勿論嫌だし、何度も聴いた曲であっても、まだ発見することがあるのではないかという気がしており、その機会が奪われる(可能性がある)のも困る。TIDALが日本で正式にサービスされていればまた話が変わってくるのだが。(いや、それでも買うべきコンテンツは買うだろう。お布施を払わずして音楽の存続無し!)

 

ということで、手持ちの2000枚程度のCDをApple Lossless Audio Codec(略称:ALAC)でリッピングしたデータを主たる音源として継続運用することを基本とする(※)。別に有料ストリーミングサービスを今後も相手にしないと決めた訳ではなくて、むしろコンテンツを購入するためのショーケースとして、本件リニューアルの次の改修では追加する気満々なのである。

※振り返ってみれば、よく2000枚もリッピングしたものだ。しかも実は二回やっているのだ。2004年にiPoderになった瞬間に始めた初回のリッピングでは、物を考えずにAACでやってしまっていたのだ。どうかしていると思う。

ちなみにALACなのは昔iPoderだった名残であって、Appleワールドでは可逆圧縮はALAC一択だったのだ。ALACがオープン規格に変わり、ライセンス料が不要になった時にはホッとした。その結果、多くのデバイスでALACがサポートされるようになり、ワタシはめでたくiPoderを卒業することができたのだった(リフォーム前には、まだその名残があった訳なのだが)。

 

  

 

要件整理その2:運用形態

さて約2000枚のCDに由来するALACデータを、継続して主たる音源として扱うことにした。これがどの位のサイズになるかというと約600Gバイトである。よって個別のHDDに格納するのは現実的ではなく、リニューアル前もNAS(Samba)に置いて集中管理を行なっていた。しかしSambaにアクセスできるものはPCなどに限られる(N-70AもOKだが)。新たな運用拠点であるd.風呂やe.玄関にもPCを配置するというのは、見栄え、機器費用、操作性、運用の手間、いずれの観点からみてもどうかしている。一箇所に集中して管理される音源、そしてオーディオセット毎に配される(リーズナブルな)再生装置が必要だ。

そして付け加えるなら、情報を生産しない局面でPCを使うことに対して非常に抵抗があるのだ。これは各種ソフトウェア開発で禄を食んではや30年という経験からの見解。PCの万能さ、それに反比例する面倒くささというのは、PCが情報をcreateするためのツールであるという一点において止揚されるものであって(なんかスゴいこと言い出してるナ)、情報をconsumeするだけならPCに頼らずともスマフォやタブレットをインタフェース(=コントローラー)にすればよいのである。もちろんアタシはそうする。1つのコントローラー、マルチなオーディオセット!

  

その要件を満たす(ちょっと古い)解がこれである。

Digital Living Network Alliance - Wikipedia

DLNAとは音声や動画を再生する機器が、ネットワークを通じてどのような規約で連携すれば良いかを定めたものだ。いつも頼りにするWikipediaであるのだが、本件に関してはまともな説明が載せられていない。仕方が無いので備忘録を書くのに必要な範囲でDLNAの説明を行ってみる。

 

まずは「図解、これがDLNA1.5だ」という絵を描いてみた。

f:id:septiembreokbj:20180115220936p:plain

図中では「音源データ」となっているが、これが動画であっても同じである。コンテンツを管理するDMS、それと通信して再生処理実務を受け持つDMR、それらに指示を出して再生処理全体の制御を行うDMC、それら3つの要素でDLNA1.5は構成される。この三つの要素が揃うと、ネットワーク経由で各種コンテンツ再生が制御、実行できるようになるのだ。

 

ところで「要素」と微妙な言い回しをしたのには理由がある。これらは規約通りに振る舞う「何か」であって、まず間違いなくソフトウェアで構成されるのだけれども、そのソフトウェアを実行するハードウェアが分離可能かどうかはケースバイケースだからである。

例えば図中に示したとおり、DMCはスマフォで実行されている(人影の隣のアレは、スマフォのアイコンです)。一般にDMCはソフトウェアの形で提供され、好きなハードウェア(スマフォなり、PCなり)にインストールして利用することになる。対してDMSやDMRはソフトウェア単体の場合もあれば、ハードウェアと一体型の製品として提供されることもある。そして意外なものがDMRとしての機能を提供していたりする。Amazon Fire TV(※)やChrome CastなどもDMRとして動作するのだ。あまり言われてないことだが。

※しかし、ALACを理解しないという重大な問題がこいつにはある。

同様に、最近のNASはほぼDMSとして振る舞うことができる。Network Attached Storage(NAS)とは言うモノの、単にネットワーク上でファイル共有するだけではなく、各種のサービスを提供するのが一般的になっているのだ。

 

 ところでDLNAに(ちょっと古い)という修飾をつけたのは、今は機能的な上位互換であるOpenHomeという規格があるからである。平易な説明は例えばここなど。なぜDLNAがFuckであるかまでを含めて、過不足なくまとめておられる。

kotonohanoana.com

(いやー、スゴいなー、勉強になるなー、と上記を起点にサイトの中をあさっていたら、あら、こちらプロの方なのですね。なんと気前のよい情報の公開っぷり。今回、本当に助かりました)

 

であるのだけれども、

  1. N-70AがDLNAまでしかサポートしておらず、ソフトウェアアップデートの目が低そうなこと(オープン規格をつかった企画のセンスが弱い日本メーカーで、そのうえ生産中止機種だから…)。
  2. NASもNETGEARなのでOpenHomeサーバーのパッケージが用意されていないこと(※)。

NASを買うときにSynologyとどちらにしようか迷ったのだが、質実剛健!とNETGEARを選んだのが裏目に出た。Synologyは家庭内サーバーのプラットフォーム的な発展を遂げていて、本件サーバー(ソフト)も何種類かパッケージが提供されている。READYNAS OS向けのMinimServerのパッケージを見つけたときには小躍りしたのだが、よく見ると当家のやつはサポート対象外。どうもある時期にREADYNAS OSは見切りをつけられてしまった模様。Oh、やはり駄目なのだね。

 

などの制約から、当家では一足飛びにOpenHomeに行けないのである(※)。それにDMR、DMCに何を選ぶかで実際には相当使い勝手が上下するという情報もあるので、まずはDLNAレベルにして、追々OpenHome化を企むのが当家においては現実解であると思われる。

DLNAでは物足りないとなったときには、N-70AとNASそれぞれにLinux Boxをくっつけて、そこでOpenHome対応を吸収させるという解決策は想定しているのだが。いや、もしかしたらNASはNETGEARからSynologyに乗り換えるかな?しかしそんな金が…。

 

 

 

まとめれば「OpenHomeへの将来的な移行を低廉に可能としつつ、まずはDLNA1.5に従った形でデータの保存、再生、制御を運用していくこと」を要件とする(というか、した)。もちろんその要件を受けて実現方法を設計するのも自分なのであるが。

 

という辺りで本日は力尽き申した。続きは明日(か、明後日)くらいに。

 

 

 

で、最近恒例化してきた、本日の一枚的なもの。 

昨日の一枚から細い糸がつながっていて、それはカヴァーということ。といってもBrazilをやってるよ、というシンプルな話ではなくて、もうちょっとこじれている。

人の曲でも構わずやるというのはロックの人には割合に珍しいのだけど、その珍しい人(バンド)に例えばSantanaがいる。カヴァーばかりのアルバムを出したのもそうだけど、実は昔からマイルスをやってみたり、ジョビンをやってみたりしていたのだ。そう、今日の一枚はカヴァーされた側のほう。ジョビンがStone Flowerを出したのは70年。サンタナがカヴァーしたのがキャラバンサライだから72年。面白い辺りを狙ったなサンタナ、と思いつつ、でもカヴァーしたくなった気持ちもなんとなくわかる。キャラバンサライの流れの中にはまり過ぎているのだ。

その表題曲を含む本アルバム(アルバムタイトルもStone Flower)、ジョビンのなかでも一、二を争う出来ではないか、と思う。まさかそんなところから歌い出すなんて、と聞いている側をくらっとさせるBrazilにしても、ジョビン以外には出来ないであろう軽みにあふれている。さすが空港に名前を残す男は違うぜ。

未聴の人は損をしていると言っても過言ではない、そのように断言する自分にためらいを感じさせない一枚。アマゾンのレビューも全員星5つという、まあちょっとあり得ない状態。それを聞き直すチャンスに恵まれた今日は、(幾分なりとも)よい日なのだと記録に残しておこう。

1/14 オーディオ再生環境のリフォームに関する備忘録(その1)

うちのアチコチには大小様々なオーディオセットが陣取っている。と書くと偉そうだな。しかし「オーディオ」や「ステレオ」の意味するところは「音響」や「立体」に過ぎないのであって、それが再生機器に対するシニフィアンでもあるというのは無理がある。機器をポイントし、かつ英語表記にしても通じる範囲である「ステレオセット」、「ハイファイシステム」、「オーディオセット」あたりから自分なりのタームを選ぶのが妥当なのであって、とすると自分の感覚としては矢張りオーディオセットといわざるを得ない。実物がどのくらい偉そうかというのはさておき。いや、むしろ実物がハイファイか否かというところに自分でも疑義があるが故に。

 

余談だが、こんな名前のパン屋さんがあるそうである。

www.signifiantsignifie.com

子細にWEBを眺めたが、店名の由来は記されていなかった。ただアタシの思うところの世田谷っぽくはある。世田谷的とは何か、もちろん諸兄の想像通りのことなのだが、それについてはまた別途。何しろ本題に戻す。

 

リフォーム前のオーディオセットの配置は、a.居間、b.図書室(と呼ばれる本棚メインの部屋)、c.寝室、そしてd.キッチンとe.インナーガレージの計五カ所。なぜガレージなのかと言えば、そこで三本ローラーを運用しており、乗っている最中に音が無いとサビシイから。

リフォーム後の配置予定は、a.居間、b.図書室、c.寝室はそのままにして、キッチンは居間からの音がダイレクトに聞けるようになったので除去、ただし新しい風呂にスピーカーとアップが内蔵されているのでd.風呂向けの音源は必要、そして潰したインナーガレージから玄関にローラー台が引っ越したため、オーディオセットもe.玄関に移動するとして、設置数の増減は無し。

 

今回から何回かに分けてポストするエントリは、これらで聴きたい曲をどうやって聞くか、そしてそのためにどのような構成としたかに関する備忘録である。記録を残しておかないと、本当に忘れてしまいかねないのだ、最近は。

ちなみに今回のリニューアルまでは、a.居間、b.図書室はPCからUSB DACを介しての楽曲ファイル再生(手持ちのCD約2000枚をリッピングし、データをNASで統一管理)、c.寝室ではCD、d.キッチン、e.ガレージではiPod Classicの生き残りを音源としていた。つまり場所によっては聴きたい曲がすぐに聴けない状況にあったのである。随分といろんなものを棚上げにしていたのだなあ、とつくづく思う。

 

先に結末を記しておけば、各所のオーディオセットは以下のレイアウトに落ち着いた。

  1. a.居間:Volumio2が動作するRaspberry Pi+USB DAC+プリメインアンプ+スピーカー
  2. b.図書室:パイオニアのN-70A+プリメインアンプ+スピーカー
  3. c.寝室:Volumio2が動作するRaspberry Pi+USB DAC+プリメインアンプ+スピーカー
  4. d.風呂:Volumio2が動作するRaspberry Pi+I2S DAC+風呂内蔵セット
  5. e.玄関:Volumio2が動作するRaspberry Pi+USB DAC+(雑誌の付録の)パワーアンプ+(雑誌の付録ではない)スピーカー

※アンプとスピーカーの凝り具合は、b > a > c >> e。dは同一線上にない。N-70Aのみ実名を挙げたのは、その問題点をあとで取り上げるため。

そしてRaspberry Pi およびN-70A のコントロールのため、家中のAndroid端末に BubbleUPnPというソフトがインストールされ、音源データを格納するNASはHDDが三年の安全期間を過ぎたので更新された上でSambaアクセスからUPnP/DLNAアクセスに移行した。

では、それらがなぜ行われるに至ったかをダラダラと書き連ねていこう。

 

というあたりで息切れをする。次回は要件整理、までかな。設計のところにたどり着く前に、きっとまた息切れがする予定。あ、もちろん漢字の話は忘れてませんとも。それからタベログなどの投稿型レイティングサイト(という仮面をかぶったパブリシティサイト)における「言論の自由」に関する意見表明のことも。

 

 

最後に、本日もっともよかったアルバムを(もちろん買ったものだよ)。

(曲としての)Edo Riverが聴きたくなって、 しかしいつも通りでは面白くない気もしたので、そうだトリビュート盤があるじゃないか、と仮想的な棚から引っ張り出してみた。結果、カーネーションの曲の良さを再認識すると共に、オリジナルではない、自前曲ではない事による自由さというのを堪能したのだった。例えば岡村ちゃん岡村ちゃんであることがより強調されつつ、しかも尚カーネーションであるという奇跡の密度。このアルバムは、ほぼそんな感じで、トリビュート盤のありようとしては飛び抜けて高いところにいると思う。今日、ようやく本アルバムと歯車が噛み合ったので記すものなり。

…いや、森高さんは持ち歌でしたね。しかしあの驚異の変わらなさは何だろう。

 

そして、直江さんと岡村ちゃんのまさかの対談。

natalie.mu

お好きな人には冒頭の写真だけでたまらない感じ。もちろんワタシもたまりません。

  

 

では、再生環境リフォームの話の続きは明日にでも!

...誰が読んでいるのだ(誰か読んでいるのか?)、というBLOGの締めくくりとしてどうだろう、とは思っているのだが...

1/5 アレコレ、そしてBlondie

旧年12/29から本年1/5に至るまで外出は計4回、しかもすべて家人の車に同乗するもので、旧年12/28に帰宅した以降は自力での外出がない、ほぼ引き籠もりの休暇を過ごしている。もちろん外に出る力が無いからなのだけど、アレをやったら出よう、コレを済ませたら行こう、と条件をつけてるのも大きい。クリアしたら結局夜になってしまうからなのだね。

(ちなみに家人は職場の一回性の大イベントの為に1/2から仕事をしており、お留守番モードなのが拍車を掛けたのだという気もする。家事は気合いを入れると際限なくリソースを投入できるから...)

それが昨1/5にはついに外出することを得たのは、片付けという名の新居セッティングがようやく細部まで落ち着いたから。

解呪、もしくは浄化の完了。

 

そして「社会復帰のステップは小刻みに」という(今思いついた)格言のとおり、近所のスーパーマーケットまで行く事にしたのが19時も過ぎたころだった。残った雪が凍った路面をペンギンのように歩き、暁町のニュー三久に向かったのだね。

仕事始めは定時で帰る人が多いのか、それともワタシと同じくまだ休みにしている人が多いのか、20時前のスーパーマーケットは相当に閑散としており、そこに半額のシールを貼られた売れ残りのかまぼこや伊達巻きが小山くらいには積まれているのを見ると、なかなか迫るものがある。そこに、これから夕食の準備をするというのだという風情の母子の買い物客などがからみ、ああ来なきゃ良かったな、と言う気持ちが頭をよぎったりする。正直ツライ。

墓場のようなスーパーマーケットと、そこだけ色が付いたように明るい何組かの母子買い物客。アタシは墓場組だ。

 

気を取り直して、食べるもの及び1/4の実験の続きをするためのストロング系缶チューハイを買い求めて帰宅。本日の缶チューハイはasahiのもの。

まずは缶チューハイを摂取。ストロングゼロと同じ効能が発生。ああ、アルコール依存症を作り出すことを辞さずという商売に、みんな舵を切ってたんだね。4㍑のペットボトル焼酎は、それでも買うときに必要な勇気が濫用の最後の歯止めになっていたかなと思うんだけど、このストロング系の缶チューハイはそれすら感じさせないところが罪深い。ま、日本の未来はすでに他人事なので、自分がアルコール依存症にならなけれはよいのだけどね。

そして夕食の準備をするためにホッピーに切り替え(オイ)、そのままホッピーを飲みつつ一人で夕食。その際に見てたのが、コレダ

 

 

Blondieさんのライブです。なんとコレ、2017年2月の収録らしく、当時71歳のデボラハリーさんを見る事ができるのですが、まったく悪くないパフォーマンスです。怖い物みたさで見始めて、結局最後までつるっと行ってしまいました。

音が聞き取りにくいらしく一部音程を外してるところもあったり、ちょっと声が出づらいところもあったりするのですが、それは何というかシワのようなものであって、それよりも70過ぎてBlondieとして成立しているところに大いなる感銘を受けました。

↓にあるとおり、昔のメンバーはデボラハリー以外はギターのクリススタインのみ。

ブロンディ (バンド) - Wikipedia

でもそれってスゴイことで、2010年代にBlondieをやろうとしたときに必要なリソースを集めたということであって、リユニオン(と書いて同窓会と読む)が目的ではないのですよね。なのでこのライブは、昔日を知るファンには「おお、マジでブロンディじゃん!」、お若い方には「なにこれ、カッコイイ」という反応が期待できる内容になってます。ステージの後方には三つのモニターが配されてて、始まる前はそれがノイズ画面(アナログ放送時代の「砂の嵐」)になってるんだけど、それをみると「ビデオドローム!!」と連想するくらいには思い入れがあるアタシには、「すげ、ブロンディまだカッコイイよ」というパフォーマンスでした。

デボラハリーは中々ご立派な体型におなりなんだけど(婉曲な...)、それをものともしない堂々とした態度(とお召し物)でステージを進行させていき、ついには見ているこっちがソレを気にする己の不明を羞じるという価値観が倒錯する瞬間が訪れるに至って、成る程Reality Distortion Fieldを発動できるか否かがバンドのチャームの有無の中核なのだなと気付かされたのでした。

皆様におかれましても、騙されたと思って是非一時間十一分のこのライブをご覧頂きたく。Amazon Primeに入ってれば只で見られますし。

(あと、顎関節症という言葉を始めて知ったのもデボラハリーさんを通じてでした。それでソロを出した後、お休みに入っちゃったのですよね。森高千里さんのときには、デボラハリーさんみたいだなあ、と思った記憶があります)

  

 

なおビデオドロームはこちら。お若いデボラハリーさんがご覧いただけます。

ストロングゼロ 飲む、もちろん酔う、お酒だもの

箍が外れたらしく、同じ日にもう一つポスト。

最近話題になってしまったストロングゼロを飲みつつ。理由は追々。

 

リードはこれでいいかな?

news.careerconnection.jp  

水無田気流さんの的外れなコメントがタノシイ記事ですが(だって、

誰かに反応してもらわないと自分が存在していないかのような、新しいタイプの孤独感

 なんてのが新しいなんて、「詩人」としてどうなの? と)、

しかし、それは問題ではないのです。問題は「アレって、特別なアルコールなの?他のアルコールと区別しなきゃいけないの?」というところにあります。

 

お酒を飲めば壊れるのは広く知られた話なのですが、それでも何とか世の中が回っているのは、アルコールをどう用いていくかノウハウとして蓄積されているところがあるからです。自制心?いやいや、ノウハウです。ただこれも新たな敵に対しては役に立たない場合もあるので、新型の敵か否かは重要な問題なのです。

であるので、ストロングゼロが固有種として危ないかどうかは大いに興味をそそられます。ほかに固有の酒がヤヴァイというケースというと、例えばアブサンなんかがそうですね。これは

アブサン - Wikipedia

 ↑にあるとおり、ニガヨモギがアカンのだそうです(チェルノブイリとの関係は

ニガヨモギ - Wikipedia

をどうぞ)。強度も去ることながら、混ざり物がダメなのだ、と言うことですね。

 

さてストロングゼロ。実は「アレ(ストロングゼロ)は肝臓を潰すぜ」という言説を何年も前から耳にしていたのだけど、一応(お金を払ってくれるユーザーは)生かさず殺さずだろうということで、製造元がキクものを故意に混ぜてるとか、製造コストを下げるために工程上のリスク判断を逃げているとか、そういうのは薄そうだなあと思っていた。ポッと出のサンガリアが先陣を切った商品ならそういう疑いもあるのだけど、嗜癖する人からお金を頂いて120年にならんとするサントリーなわけで、宿主を倒す方向には向かいにくいだろうとかね。

 むしろ気になるのは体内にアルコールを取り込むまでの機序のほうで、適当な甘さ(と言ってもゼロなんだけど)でつまみなどのバッファを阻害させて、9%で、ロング缶で、というアルコールの破壊力をダイレクトにデリバリするところに問題があるのか、と思慮するものである(ああ、酔ってるなあ)。

ホントに?では、試してみましょう。

  

そのような訳で、自分の体を使ってストロングゼロの効きっぷりを丹念に再確認してみようと飲み始めたわけです。これが今現在の状況。

ところでワタシにおけるストロングゼロとは出張先の宿に戻るときの最後の押さえ選手的な位置付けであって、ストロングゼロを素面から飲み始めるのは個人的には極めて希なのでした。すでにアルコールも、食べ物も足りている状況下における保険的な役割を期待することが専らで(ほら、寝る前にもうちょっとアルコールが足りない、というときに非常に困るでしょ?)、今日の様にゼロの状態からコレを摂取するときに何が起きるのかを、自分はほぼ何も知らないのだね。理想的な被験者と言えなくもないな。

 

そして約一時間でロング缶三本を体内に投入した感想は、「つまみのいらない酒は悪い酒という格言(さっき考えた)のとおり、コレあかんね」。

多くの悪い酒は、その価格の高さによって通常は濫用を避けることが出来るのだけれど、こいつはどうにもならない。なんとなれば安いのだから。ああ、なるほど、確かにダメだわ、これ。ぼーっとしているうちに缶が進む。

 

ちょっと分析的に書きます。

安く、効きやすく、手に入りやすい酒、は地獄への一本道ですが、たしかにストロングゼロはそうでした。

何より安いのは論を待たないですよね。

効きについては、ポイントが二つ。まずはこの果実フレーバー、マジでアカン。食い物が邪魔になる。同程度のアルコール強度のものとしてホッピーがあるけど、ホッピーの場合は食べ物の邪魔をしない。というか普通におなかが空いてきて何か食べることになるので、どこかで胃の容積の奪い合いが発生して呑みが止まる。対してストロングゼロは胃が塞がらず、人間を一個のパイプにしていく感じ。詰まり爽快。

もう一つのポイントは9%という濃度。これも多分罠で、消化器系に負担をかけずにだらだらと流し込み続けられ、アルコールも吸収し続けられる最適濃度なのかも。もうちょっと上のワインだとこうは行かない。最初の一口のパンチはなくても、一定ペースで続けられる(続いてしまう)ので結果的に大量にアルコールを摂取してしまう、絶妙にして最悪の濃さ。

そしてどこでも売っているのもご承知のとおり。

 

まとめます。

酒飲みを生かさず、殺さず、お金を引っ張ることを商売の根幹として120年にならんとする寿屋のリリースしている商品がコレである事に大いに衝撃をうけるものであります。それともストロングゼロを好んで買う人は、そもそも長期的なユーザーにはなり得ないという事なのか知らん。いずれにせよ、awfulな感じ。

アルコールという即効、遅効いずれにおいても強力な毒物と人間が共存できてるのは、その濫用を矯めるためのガードとしての文化があるからで、それがないところにアルコールをブッこむと大体地獄が発生する。典型例はエスキモーね。

アルコールを摂取する文化(ということは、アルコールを使用するためのガイドラインを共有する文化という事だね)が薄れつつある日本は、ストロングゼロを通じてアルコールの恐ろしさと再度対面することになりそうです。福祉としてのストロングゼロ、とか馬鹿な事言ってる人々はもうちょっと物を考えた方が良いでしょう(他国の事例と比較が出来ないのが島国根性という事なのかな)。

 

 

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等々、という(薬物)摂取実験の間に聞いていたのがコレ。

 

あれ、this wheel's on fireってこんなブルージーな感じだったっけ?Music from Big Pinkに入ってるアレはさておき(なぜあのような演奏に?)、Dylanのはアアだし。

熟考しばし。スジバンのカバーの印象が強すぎるんだね。あれも捨てがたいアルバムだけど、一人っきりでストロングゼロに向かいあうにはウエット過ぎる。trust in meとかsea breezesとかthe passengerとか最高にいいんだけど。

 

とまれ、ブライアンオーガーってスタイル優先の鼻につく嫌な奴だという思い込みがあったんだけど(では、なぜCDを買う?まあ、ソレハ色々...)、ストロングゼロによって知覚の扉が開かれた本日、ついにブラインオーガーと邂逅した感じ。もっと生々しかったんだ。すいません、誤解してました。

ストロングゼロを飲んでるだけあって、非常にアレな表現にしかならないけど、それもまた摂取実験の記録ということで。

 

 

 

TOTOの延長保証に驚く

漢字をコード化して扱う話のほうは、説明レベルの設定に悩み、行き詰まるといういつもの展開なので今しばらくお待ちいただきたく。というわけで、これまたいつもの展開、stop gapで生存シグナルを送る。

 

 

本日のネタは、TOTOの延長保証。

 

去年行ったリフォームで水回り一切をリプレースしたのだけど、ああいう機器類(設備類)ってユーザー登録やら延長保証やらがあるのだね、知らなかった。キッチン、風呂、洗面台はトクラス、トイレはTOTOからそれぞれ調達し、トクラス分は棚のレールのクレームをする都合上さっさと登録をしたものの(※)、その辺りで脳内の何かが失われてしまい、TOTO分は越年になってしまっていた。

※非常に丁寧に応対していただき、トクラスに対するloyaltyがますます高まってしまった。トラブルは無い方が良いのは当たり前としても、有事の姿勢によっては評価が以前よりも上がることだってあるのだ。

 

 

そして今日。ぼちぼち社会復帰の準備をするか(一週間近く引きこもって掃除、片付け物に逃避してたのでボケてるのだ)、ということで棚ざらしTOTOの登録を肩慣らしにやってみることにした。TOTOの延長保証はインターネットならとっても簡単よという惹句が手続き用紙に踊っているのだけれど、それに乗せられた結果、いつも通りのbogus storyが繰り広げられることになってしまった。

 

1.ここのサイトはどこだろう?

TOTO延長保証」でググルとサイトが見つかるから、そこから入力しろというステキな指示が配布物に書かれていた。

信じて検索してトップに見つかるのが以下。

延長保証制度のご案内 | お客様サポート | TOTO

 

そこから「インターネットからの申込みはこちら」とある指示に従ってたどり着くのが以下のサイト。

www.hit-bits.com

 

いきなり陽気な気持ちになってしまいます。会社が違うじゃないですか。

ここは

www.dmsjp.co.jpという会社がやってるサイトですね。どうやらTOTOさんは、個人情報やらクレカ情報やらを入力させるサイトをまるっとアウトソースしている様です。

アタシが古いのでしょうが、センシティブな情報を他社サイトで処理させるというのは非常に気持ちが悪い。すごいな、最近の常識はこうなのか?

 

 

2.製品情報が入力出来ない

 

ウオッシュレットと便座、2つ登録しなきゃならないのですが、便座の方がどうやっても入力出来ない。製造番号が間違ってるのだそうです。紙に付いてたQRスマホで読み取って、それをPCのブラウザにコピペで貼り込んでもNG。

配布物に印刷されてる製造番号が認識できないって、番号管理はどうなってるの?よくオンライン登録をやろうという気になったね?

 

 

 

3.クレカの入力がやばい

 

登録出来たウォッシュレットの分だけでも精算しようとクレカ支払いを選んだところ...。

クレカ情報を入れて、認証をしようとしたらアラビア文字のみが表示されるサイトに誘導されました。TOTOの製品を買う人は、アラビア文字がOKな素晴らしい人々なのでしょう。アタシがTOTOを買うのは百年早かったようです。

 

 

もう限界。ここまで来るのに確認シイシイ15分。それをドブに捨てて、五分で手書きを完了させましたことよ。

 

でももっともFUCKだったのは、0番目、すなわち延長保証を始める前にある。

TOTOは製品登録と、延長保証の二つのサービスを提供しているのだけど、何とそれらが一発で完了しないのだ。アタシは製品登録完了後に、そのまま延長保証の申込みに誘導されると信じていた(なんとなれば、同じ製品情報を二回入力するなんてあり得ないと思っていたから)。

ところがTOTO的なITシステムというのはアタシの想像の遙か斜め下を行っていた。

  1. 製品登録と延長保証の申込みは、それぞれで完結している。よって延長保証の際にも住所、氏名、製品名、製品番号を別個に二回入力しなければならない。すなわちFUCKである。
  2. なぜそうなっているかというと、製品登録と延長保証を紐付けるユーザーIDが存在しないから。製品登録が終わっても、ユーザーIDが払いだされないのだ。まったくもってFUCKである。
  3. WEBでの顧客リレーションシップは弊社でも検討したことがあって、その際、ログインをさせるシステムは情報管理のレベルが一段上がってしまうがそんなリスクは取りたくない、だからユーザーIDもパスワードも必要ないシステムにするのだ、という暴論が出た。さすがにそれは本末が転倒してるだろう、ログイン無しで顧客サービスを提供できるのか?もしそんなことをやったら、ちょっとしたことで膨大な入力が必要になるぞ、もの考えて喋れや、このビューロクラットが!、などの議論(というか罵倒)があったのだが、しかし、TOTOのやりかたはまるでそれと同じではないか。甚だしくFUCKである。

まとめます。TOTOさん、きっと大企業病に侵されてて、自分達が責任を取らずに済むことを最大の評価要素としてシステムの設計をしたものと思われます。これだけ縦割り、人任せなシステムは久しぶりです。いいもの見させてもらいました。どんな経緯でこれを公開する判断をしたのか、胸が熱くなりますが(いや目頭か)、その場に居たいとは思いません。

おごるTOTOは久しからず。物を作る力はあったとしても、顧客との永続的な関係を構築するために必要な智恵を出す力が無いのだとしたら、きっとどこかで大きな音を立てて倒れることになるでしょう。いや、中国資本に買われちゃうかな。

 

以上、休みぼけした頭に血が巡ったことですよ。1/9の営業開始までにはなんとかなるかしらね。

明日は家中にちらかっているRaspberry pi(+Volumio2)の調整を行う予定。

漢字の旅

双子の兄(以後、joと記す)が異体字検索に関する研究開発(ソフトウェア)で賞されるというおめでたいことがあったので、その記念に最近の日本語処理というか漢字の扱いについてさらっと説明をしていきたいと思う。

つまり漢字の歴史などには決して触れずに、最近のトピックと、それを実現している技術の話を、なるたけ平易に書いてみようという試みだ。試みであるからにはもちろん失敗する可能性もあるのだが、そこは楽天的に始めてみようと思うのである。なお、今回を始点とする一連のエセー(は、大げさか)におけるワレワレとは、joとワタクシの事を指すので了解されたい。

 

 

まずは漢字の範囲がそれほどコンクリートではないという話から始めよう。と言っても常用漢字がどうしたとか(※)、戸籍統一文字、住基統一文字とは何かといった、範囲の定義のことではない。もっと根源的な、漢字というものが持っている、のがれがたい、ゆらぎのことだ。

※お若い人はご存じないだろうけど、当用漢字というのもあった。当用漢字でググルと、日本の文化が断種される寸前であったというヒドイことが判る。アメリカはねえ、本当にねえ、直線的というか原理主義的というか要するに野蛮でねえ…。 

  

 

joが小学校にあがったばかりのことだ。彼が教科書だかノートだかに書き込んだ名前をみて、彼の両親、祖父、祖母が「そんな漢字はねえなあ。そりゃまちがいだ」と口を揃えたのだ。joの名前は潤、つまり三水に門構え、その中に王と書くのだが、彼はそのとき王の代わりに玉と書いていたのだった。

「誰かがそう教えてくれたンだけど、親でもじいさん、ばあさんでも無かったのだとすると誰がボクに教えてくれたのかねえ。もしかしたら玉の潤がある並行世界から、小学校入学前後でこっちにズレて来ちゃったのかねえ」のちに彼はそのように語っていたのだけれど、宇宙人と並行世界移動は彼定番のDeus ex machinaであって、真剣に取り合うような話ではない証拠だ。今年の11月にnikkeibp.co.jpに掲載されたパブ記事を目にするまで、少なくともワタクシはそのように思っていたのだった。

 

special.nikkeibp.co.jp(パブ記事なのでさっさと消えちゃうかもしれない。念のためにスクリーンショットも載せておく)

 

 

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中内潤氏は中内功氏のご長男であり、中内功氏といえば小学校の終わりごろのワレワレをおそった極私的城山三郎ブームの中でも特にお気に入りの二作、「成算有り」と「価格破壊」のうちの後者のモデルとなった人である。その中内功氏のダイエー帝国が倒れる要因の一つともなった(と巷間言われている)中内潤氏は、名前が同じということもあって(※)jo、ワタクシ共々何となく気になる人物なのであり、だからこそ記事をみた瞬間に気がついた。みなさんはどうだろうか。良く見てみよう。

※ジュンというのは音的には女性の名前であり、それに潤という漢字をあてるのは画数が多くてフェミニンさが足りない、それこれあって男女ともに幾分めずらしい名前だという評価の時代があったのだ。 

  

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玉である。門構えの中は王ではなく、玉なのである。この字は本当にあったのだ。

 

さて、この玉バージョンの潤(以下、玉潤と記す)とはいかなる字なのだろうか。結論から言うと、玉潤はjoが某ソフトで対応した「異体字」というものだ。異体字とは「同じ意味・読み方を持ちながら、表記が異なる文字」のことで、もうちょっと精密に述べるなら以下のようになる。

 

字体 - Wikipedia

字体(じたい)とは、図形を一定の文字体系の一字と視覚的に認識する概念、すなわち文字の骨格となる「抽象的な」概念のことである。

…中略…

文字は、言語と直接結び付いて意味を表すものであり、その結び付いた意味によって字種に分類される。

ひとつの字種に複数の字体が併存していることがある。それら複数の字体はそれぞれ異なる字源から成立している場合もあるし、同じ字源から発生しながらその表現が歴史的・地理的に変化していった結果が固定されている場合もある。

字義、字音が等しい同一の字種でありながら、互いに異なる字体を有する文字を異体字と呼ぶ。異体字のなかで、規範として選ばれている字体を正字と呼ぶ。 

 

一般に字義・字音が同じであり、同じ文脈で交換して使用可能なものを異体字と認定できる。 

  

異体字は単に俗字とは限らず(それなら正字体に統合してしまえばよい)、さまざまな理由により異なる字体を持つに至った文字だ。そして、今現在も書かれているか、少なくとも書き物として残っている「まだシんではいない」文字なのだ。それゆえに生じる揺らぎが異体字である。なにゆえにその文字が 有る のかはさておき。

 

と、無責任にも「さておいて」しまうのはワレワレが工学系だからであって、科学が「何故」を追究するのに対し、工学は「如何にして」を追いかける。甚だしきは、「この公式に従うと結果が非常に良好になる。理由は知らねど」という態度をとり、工学的アプローチとバカにされることすらある(最近そういうのは減ったと思うが、不思議だが本当だという態度はいかにも工学的だと思う)。ある文字とある文字の関係を、一つ一つ根拠を調べて異体字と同定していくのは、まさに「何故」を明らかにする仕事だ。たとえばこのようなリスト 

http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/itaiji_list.jsp

をまとめるために、どれだけの知識、蓄積が求められるのか。とはいえ、それらが世界に流通するためには文字が電子化される必要があり、アカデミックな研究の所産である異体字の関係情報は、ぞんざいにして野蛮な工学系の扱うところになる。

古いjis規格や、それにつけ込んだ外字による「形が出ればいいだろ」の跳梁跋扈(では他人とのデータ交換はどうするのだ、写本時代のソリューションか!)など紆余曲折はあったが、そのルールの理由を問わず、ルールに従った処理の実現に血道を上げる工学系の潔さ(というかバカっぷり)は、最終的に

「つじ かいち」

辻嘉一 - Wikipedia

と「つじ しずお」

辻静雄 - Wikipedia

の名前を、正しく表示することを可能とした。

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のように。

すでにお気づきだと思うが、「辶の点が一つの辻(以下、一点辻と記す)」も異体字なのである。

 

このように潤に対する玉潤、辻に対する一点辻など、ゆずれないものの代表格である人名がようやく計算機…というと年がばれるが…で正しく扱えるようになったのは、この五年以内のことなのである。その背後には1.異体字の関係の整理が進んだこと、2.それらを電子的に表現するルールが定まったこと、そして3.そのルールを実現するためのプログラムが用意され始めてきたこと、の3点がある。joの研究開発はもちろん3番目のものに関するものなのだが、これだけ紙幅を費やしてまだ0番目程度のところまでしか進んでいない。さらっと説明するという約束が反故になるのはいつもの事であって、結局書きたい事を書いてしまうのだ。

次回は2番目、文字を電子的に表現するルールについて、なるべく平易に説明するところから始めたい。(1.はアカデミズムの人が書くべきものであって、工学系の分限を越えるものである)

 

 

追記

http://www.fujitsu.com/downloads/JP/archive/imgjp/group/fri/report/research/2013/no400.pdf

異体字を使うなどもってのほか、漢字を増やすのは良くない、というレポート。ただし眉につばをする必要有り。なんとなれば、著者はITベンダー富士通の利益を優先する立場にあるのであって、上記はすなわちポジションペーパーである。

富士通NEC、日立などのITベンダーは、外字に基づくソリューションで各自治体から金を吸い上げるだけ吸い上げた後、今度は自分達のソフトウェア資産を陳腐化させかねない文字共通基盤(https://www.ipa.go.jp/osc/mj/index.html)にケチをつける方向に来ているのだ。この文字情報基盤こそが異体字を電子的に扱うためのルールなのだ。なぜ陳腐化するかも含めて、詳細は次回で。

ともあれ、自分の名前を正しく表記されるというのは、基本的な権利だとワタクシなどは思うのであるが、富士通においてはそのようなことは埒外なのであろう。浅ましいことである、とだけ述べておく。

 

 

追記2

潤の異体字に関する詳細:

u6f64 (潤) - GlyphWiki

 

辻の異体字に関する詳細:

http://glyphwiki.org/wiki/u8fbb

 

そういや、辻潤という人もいたなあと突如気がつく。狙ったわけでは無いがちゃんと繋がっていくのがオカシイ。相変わらずである。

 

 

追記3

そしてjoが記していた玉潤であるが、その文字がどのようにして登場したのかは未だに不明。ワレワレのような浅学非才のために、異体字版大字源のようなものをどなたか作って下さらないかと切に願う。