all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

9/10 20周年あれこれ

快晴。ランダムに音楽をかけっぱなしにしながらガレージでエアロバイクなどを解体してたら、

 

世界は1分間に45回転で廻っている 'The World's spinning at 45 r.p.m.'
詞 ⁄ 曲 : 小西康陽

 

が流れてきて、手を止めてしばし聞き入る。

昔は思わなかったけど、これって現実のことじゃないよな、死ぬ間際か、死んじゃった後の、魂の安らぎの曲だよな。ソイレントグリーンで、安楽死をする老人が最後に見る夢(イメージ)のような。そこからランダムプレをとめて、その曲が入ったアルバムであるhappy end of the worldを一枚丸ごと聞き直す。エアロバイクのフライホイールをバラしつつ。

 

ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド - Wikipedia

 

おやまあ、発売からもう20年なのですね。当時もいろいろありつつ人生を過ごしていたなあと振り返ってみるものの、他人の人生を見るようにしか思えなくなっているのは、生殖活動をする時期が過ぎちゃったからでしょう。Viva老化。
そのころはラヴソングだと思ったものが、20年経つとアルバムのタイトルどおり、世界の終わりの幸福な一断面にしか見えなくなっているというのは、時空を超えた良い体験。小西さんはどんなつもりで名前を決めたのかわかんないけど、すごく腑に落ちてます。worldにendが付いたら、happyかどうかは問題じゃないということなんだな、と。

ところでPizzicato Fiveって、いまCDが手に入りにくいのですね。すごーくもてはやされて、そして顧みられなくなる感じって、ポップアート的で趣があるといえばその通りなんだけど、でもAmazonに残されているレビューが

 

hthttps://www.amazon.co.jp/dp/B071KZZXZMtps://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1Z9744OHN7THN/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0000070AA

 

だったりするのはやっぱり無残な感じ。なんだこりゃ。


同じ1997年発売で同様にお世話になったアルバム、OKコンピューターが、

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B071KZZXZM

 

と麗々しく20周年記念盤を出してんのを見たりすると、やはり寂しいものがあります。

大胆な引用が災いしてか、リイシューがしづらいのだ、パーフリもだけどなー、みたいな話を耳にしますが、なんとかクリアして是非網羅的に再カタログしてもらいたいものです。ボックスだとなお嬉しい。評価は棺を覆うて定まるものなので、鑑賞に耐える立派な墓を出して欲しいという気分ですね。


ちなみに個人的にhappy end of the worldで一番くるのはporno 3003。まさに愛のテーマ。そうか、20年か。

無常の一形態。

 

9/7 一つ賢くなる : 人工と人造の違い

こないだ行ったトクラスのショールームで、人工大理石とこちらが口にするたびに、応対してくれたショールームのおねえさん(PC絡みについては9/3を参照)がさりげなく、しかし明確な意思を持って、人造大理石と訂正をかぶせてきていた。正確さを追求するのは良い事なのだけど、その熱意の根源は何処なりしやと思わずにはいられない雰囲気があった。それこそ、今日になってもまだ引っかかっている位の。

 

いつまでも歯に物が挟まったような感じでいるのもなんなので、家を出る前にちょっと調べて見たところ、いきなり答えが見つかった。

人工大理石 - Wikipedia

 

すごい事が書いてある。人工大理石は大理石のように見えるだけのもの。人造大理石は大理石の特性を再現した、大理石に見えるもの。そうだったのかー。そりゃ全力でかぶせてくるわ。

「人工大理石だから、ここ熱い鍋とか置いても大丈夫なんですよね?」

「はい、人造大理石だから熱も安心ですよ」

こんな感じの会話が何度か繰り返されたのは、ワタシの無知ゆえです。すいません、そこはかぶせたくなっちゃいますよね。適当な説明しやがって、と後で突っ込まれるのも嫌でしょうし。

などと書くと、そこで人工と人造の違いを説明してくれても良いのではないか、という声が聞こえてきそうだけど、ワタシはそうは思わない。その手の知識説明をされると、バカにされたと思って逆ギレする奴もいるからだ(ああ、もちろんワタシは違いますが)。であるので、気がつく奴は後で調べろ、違和感を感じるくらいには過剰な正確さで説明してやるからよう、という態度は落とし所として大アリなのではないかと思う。

 

おかげで一つ賢くなったよ。

 

 

もちろん、全ての話に落ちはある。9/3と今回の二度にわたって賞揚したトクラスのおねえさんであるが、見積りを取ったユニットバスのモデルが9月いっぱいでディスコンになる事をその場では教えてくれなかったのだ。ついさっき、工務店さん経由でその情報を入手してちょっと愕然とした。すぐに発注を掛けるから良いんだけど、ボクが詳細見積りを貰ってからグルグルするタイプだったらちょっとやばかったかも。

(それでもトクラスのトータル評価は今の所大きくプラス。使ってみるのが楽しみである)

9/6 ダーウィンが来た ー もしかしたらNHKにお金を払うべき唯一の根拠

ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜 - Wikipedia

 

2006年の放送開始以来今年の1月まで、日曜の夜に家にいるときはほぼ確実に見ていた番組。

 

これを見続けると、人間という生きものは、他の生きものとそれほど違っていない事が判ってくる。求愛行動も、生殖も、育児も、生存戦略も。

みんなが自由意志だと思っている事は、実はかなりの部分がプログラムされた…という言い方が嫌なら、持って生まれたものなのだ。

そのことに納得がいってから、ボクは一段と自由になった。君はその事をこの番組から知識として習得しながら育ったから当たり前に思ったかもしれないけど、ここまで網羅的に人間の動物性(正確には動物との連続性)を丁寧に説明されるというのは、なかなかない事なのだ。あれは動物の番組であると同時に、人間の番組なのだ。

NHKで唯一お金を払うべき番組であるとすら思う。実際、それしか見てなかったしね。

 

 

というわけで、いつNHKを解約すべきかが目下の悩みである。そもそも民放見ないし、ダーウィンが来たを見ることが無い今、NHKにも用がないからだ。

さて、どうしたものだろう。

 

 

追記

いや、木曜20時台の時代劇と言うのも大事なポイントだった。一緒にみた「ちかえもん」は良かったね。

こっちの方も、君が居なくなってから、てんで見る気がおきないのだよ。

 

9/5 月の船

なぜだか、でも無いのだが、SFファンジン(マガジンではないよ)のNo.61が手元にあって、そこに夢枕獏さんの特別寄稿が掲載されている。

節分を入れ込んだ二つの句から始まり、除夜の鐘で結ばれる句まで、都合十六の句からなる、月の船と題されたその作品から、二つばかり引用させていただく。

 

節分や飼うておきたき鬼もあり

青き嘘つきたる唇の真紅

 

二番目の句を読み上げる時、我々つまり私と家人なら真紅にクリムゾンと音をつける。二月に我々の元を去ってしまった鬼が、king crimsonに真紅と漢字を当てていたからだ。月の船は、そのように十六の句のそれぞれが、我々の心持ちや息子の影に重なってくる作品だった。何度もなんども読み返して、いろんな事を思い出したり、想像したりして、挙句にやっぱり泣いた。

 

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何だかグダグダだね。  まとめよう。書き記しておきたかったことは、こうだ。

 

ボクは何を見ても息子/君に繋げちゃう。それは、世界の一部であった君と、君がいなくなってしまったあとものうのうと存在し続ける世界を紐づけて、君の「存在」を延長し続けるというのがボクの役割だから。

その紐付け先の物色、発掘には余念がないのだけど、新たにその依代になる作品を夢枕獏さんが書かれたよ、ということを残しておきたかったのだ。

 

 

追記

九相図の骨相のような気持ちになる日が来るかは判らないけど、無常はよく判った、ような気がする。可能性があることはいつか、どこかで必ず起きるという確率の暴力と、すべては必ず相を変えていくという無常。この二つで世界ができている。そして世界は人間を取り立てて必要とせず、人間がいなくても続いていく。

だからこそ、人間には世界の非人間性に向かい合うための力が必要だ。それが詩情であり、数学であり、そのほかの意味の構築物だ。そのような訳で、夢枕獏さんの作品に邂逅したのはまことにありがたい事だったのだ。

9/3 ありがたい一日

午前は今秋の自宅リフォームに向けて、水回り設備の詳細チョイスなどのため産業展示館と、その近くのトクラスのショールームに行く。家人と二人きりだと二の足を踏むところなんだけど、今日は心強い味方、T田工務店さんがアテンドしてくださるのでまったくもって安心なのである。ありがたや、ありがたや。

すでにT田工務店さん経由で基本パターンの見積りを取っており、費用の大枠については納得済み。本日は老人対応(我々の近い将来のこと)のための仕様詳細の詰めが目的なのだ。例えば浴室の手すりなんかもエクストラで増設するんだけど、その長さの調整とか。ショールームのおねえさん(とPC的には言っちゃいかんのかね、多分そうだろうな。では何て言えばよいのか。スタッフ?しかしスタッフというのはラインと対になる言葉であって、ようするに元々は軍事用語だ。さてそういうのを日常的につかうのはPC的にはどうなのだろう)も巻き込んで、事細かに注文出しをしていく。


いまのうちに老後の心配を消し込もうと思ってるんですよ、何せ二人っきりの暮らしだから。そのような基本的な考え方を、応接してくれたショールームのおねえさん(PC的には...以下、略)に最初に伝えたんだけど、何を言っているのかしら、という雰囲気となって幾分困った。しかしさすがにプロであって、すぐに雰囲気は回収され、こちらの細かな質問にも的確に答えてくれて、約一時間でキッチン、風呂、洗面台の細目を決定することができたのだった。ありがとう、ショールームのおねえさん(PC...以下、略)、そしてもちろんT田工務店さん。
ちなみになぜショールームのおねえさん(PC...以下、略)が冒頭困った感じになったのか、選んでいる途中で気がついた。我々以外のお客さんは、若くて、これから家を立てるという人達ばかりなのだね。確かに老後の対策に来ました、と朗らかに語られても困るかな、とは思う。その後も、洗面台の引き出しについて「手が震えるようになると、逆手で指をひっかけるタイプの引き出しは使いにくいぜ?順手で捕まえられる、普通の取っ手の方がいいんじゃないか」とか、風呂の扉について「ヘルパーさんも入りやすいように、引き戸一択な」とか、下向きな想像力を発揮しつつ家人と相談を続けたのだけど、それらもみんな普通に接していただきました。金沢のトクラスのショールーム、良い感じですよ。受け答えも明快かつ迅速だし。

見積の再作成をお願いして、うわー、つかれたー、と言ってショールームを出たのが丁度12時。あんなに細かく聞かれるとは思ってなかったんだけど、なるほど確かに選ばなきゃ決まらないですよね。そして、問われることによって我々の物差しがまた一段クリアに判ってきましたよ、というのは強がりではなくてホントの気持ち。何しろ、リフォームに向けて更に歩を前に進められたのです。ありがたや、ありがたや。


そこから家に戻って、シャワーをして、家人とともに柿木畠のもっきりやに。今日は「白井良明 The 打ち上げ」。東京でやっている屋形船でのファンイベントを地方でも、と企画された今回。良明さんのトークと旬菜焼はざまさんのあっと驚く料理。

www.facebook.com

ドリンクも各種フリーで。ワタシャ最初から最後まで白ワインをグビグビ飲んでました。ちなみに何故The 打ち上げかと言えば、白井良明musiclife45周年とmoonridersひとり40周年ツアーの打ち上げということだから(ライブはもうちょっと続きます)。

tonpi.net


ありがたすぎて詳細は内緒だけど、1つだけ自慢を。じゃんけん大会に勝ち抜いて、良明さん自筆の生譜面を頂戴した。最初の3回は理詰めで勝って(いや、ホントに)、最後の1回は気合いと運で勝って手に入れた譜面。友人からあずかっている去年の博文さんの犬マスクと共に、ありがたいお宝として末永く大切にします。その打ち上げの終わり掛けに、KYDさんから某件7時頃に集合とお声がけをいただき、寺町の天空の湯でもう一度汗を落とす。なんとなれば、このあと畏れ多い感じの飲みとなるので、汗っぽいまま行きたくなかったから。
そのように精進潔斎...ってすでに酒は飲んでるな、まあ身を清めて19時から東山の、れのん。何があったか詳細は書けないが、ありがたくも畏れ多い2時間半。夢のような、ということはこういうことかと。KYDさん、ありがとうございます。


そのようにありがとうばかりの一日だったのだけど、もちろんこれにはオチがある。翌朝目が覚めると打ち上げで取ってもらった写真が送られてきていて、そこにはスンゴイ太っている自分が写っていたのだった。太った?それもあるけど、たるんでる感じ。ひとなつ引きこもっているとこうなるのかね。大ショックである。
墓守として息子の墓所を守って行くには、このままじゃちとマズイ。体の再建をせねば。そして来年2月に浅草で有る良明さんのライブを、健康な体で見に行かねば。息子も何度か引き回した浅草だ。一周忌の柱にちょうど良い。おとうちゃんやるよ?!みててくんな!

 

つまり9/3は、まとこにありがたい一日でありましたことよ。

9/2 いただきもの

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221さんが帰省(墓参)されたさいに買ってきてくださったもの。名前勝ちです。

さっそくお供えしました。

 

にゃんともすごいですにゃ。

(うわ)

 

 

1/4追記

空き箱になって久しいが、いまだにソレが捨てられない。にゃんとも...。

9/2 秋風吹く

本日は家人が仕事にて、一人きりの土曜となる。午前中は片付け物をして、午後はフラメンコを見るために富山に行くのだ。某バー(いや、パブなのか?看板にはpubとあるね)で久しぶりにお会いしたフラメンコの先生が、北陸のフラメンコの人がみんな集うフェスティバルに出られるというので、そのチケットを買っていたのだ。

 

午前の片付けはまあ順調。不要になった襖を丁寧に解体。中から埃の塊がごろごろ出て来て驚愕する。密室(密閉空間)なのに埃の塊が成長するなんて。最近アレ(ルギー)体質っぽくて困ってるんだけど、こういうのも関係あるのかしら。だったら困るなあ。一式変えようかしら。なお、襖といえば下張りだけど、解体した奴のそれはボール紙。初めて襖を解体したんだけど、まさかボール紙とは。なるほど、そうかな、そうかも。まあ、あたしゃあんまりモノを知らないんで、毎日新鮮な驚きの連続なんですが。

そのようにして、午前は爽やかに過ぎて行った。作業場であるガレージは埃っぽかったけどね。

 

さて、本日のメインである、フラメンコ観戦(戦?)だ。他人様との約束(ライブ、BBQ)が負け続きなんだけど、今日で何としてもストップしたい。誰に会うわけでも無いし、フラメンコフェスティバルの会場まで行って、見て、帰ってくるだけじゃないか。やれるさ。

で、どうやって富山まで行くかなんだけど、まず高速バスがある。これ兼六園下が始発なので、家から歩五分で乗れる。すごく楽に富山まで行けるナイスな手段だ、ボクが金沢、小松空港間の高速バスでパニック障害(PDだね)を起こした前科が無ければね。もう10年以上前の話なんだけど、以来高速バスは基本一人で乗らないことにしてる。うーん。迷った結果、金沢駅まで行って電車に乗ることにする。

さて、13:45発の電車に乗ろうと今まさに家を出ようとしたところで、呪いの電話がルルルとなった。無視しても良かったんだけど、週明けにしがらみを引っ張るのもイヤなので、つい出てしまった。詳細は省くが、そこから面倒な事が発生して、それを終端させるために金沢駅前のオフィスに一旦寄って、等々していたら、最後の保険に取っておいた14:30発の新幹線にもギリギリのところで乗り遅れてしまった。

あああああああああああああああ。

 

駅前に吹いている風は、もう完全に秋風でした。もっと風をあつめようと、またも中央公園へ赴き、秋風を浴びながら二杯のビールを飲んだのでした。

あああああ。