all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2/2 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その3)

 

さて、奇妙な街頭演説にインスパイアされて始まった...何だろう、コレ、雑感かねえ...もいよいよ佳境、今回の施策に感じる捻れ感の根源を(可能な範囲で)を探る回となる。しがらみもあるので、なるべくマイルドなトーンで進めたいと思う(大人だし)。

 

 

2.制度の整合性はどうだろう?

 

ものには根拠があり、地方行政の場合なら先ず法律であり、次は条例である。その条例は

http://www.soumu.go.jp/main_content/000451015.pdfで説明されるとおり、首長または議員から提出された条例案が議会で可決されることによって成立するものであって、つまりその行政単位固有の都合(や意志)が反映されたものである。簡単なことを難しく言って話を混乱させようとしている?いやいや。国の法律を受けて、それを実施するための条例を策定するときに、国の指示の実現に加えて、何かのwillが挿入される事がありうるし、現にあるということを、先ずは明記しておきたいのである。

 

では、今回の金沢市の家庭ゴミ処理の有料化の根拠を、順番にたどっていこう。まずは根拠法。これは「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(昭和45年法律第137号)で、この法律を受けて自治体は条例を策定する(時期にはばらつきがあり、金沢市の対応は昭和53年である)。その「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の目的は以下のとおり。

廃棄物の排出を抑制し、及び廃棄物の適正な分別、保管、収集、運搬、再生、処分等の処理をし、並びに生活環境を清潔にすることにより、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ること

 

そして平成三年の「平成3年法律第95号」によって同法が改正。これを受けて厚生省から環境省_廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一部改正について(依命通知)が出る。

金沢市もこれに対応するため平成四年に条例の改定を行い、現在の構成の根幹が定まることになる。

金沢市廃棄物の減量化及び適正処理等に関する条例

そしてその条例に改正を行い、家庭ゴミ有料化制度(この変な日本語は金沢市の言い回しそのままだからね。為念)を実施するための法的な根拠が整えられたのが昨年である。

 

ところでこの条例は、

廃棄物の発生の抑制及び再利用の促進による廃棄物の減量化を推進し、廃棄物を適正に処理し、並びに地域の清潔を保持することにより、資源の有効な利用、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図り、もって本市の豊かで快適な環境の形成に寄与することを目的とする

ものなのだそうだ(強調は筆者)。「もって~する」構文は官公庁作文の王道だが(民業では使わないね)、普通の書き方をすればこういうことになるだろうか。

(目的)

本市の豊かで快適な環境の形成に寄与することを目的として、

(手段)

廃棄物の減量化を推進し、並びに地域の清潔を保持することにより、

(目標)

生活環境の保全および公衆衛生の向上を図る。

 

※なお、目標と手段が逆順になっているのは読み下しの都合によるもので、目的→目標→手段のハイアラーキーが曲がったと言っている訳では無い。為念。

   

冒頭述べたとおり、条例にはその行政単位固有の都合や意志が入ってくる。そしてはそれは他の自治体の条例と比べることで見えてくる筈だ。実は環境省が都合の良いモノを用意している。

環境省_都道府県・政令市における廃棄物・リサイクルに関する条例等

(しかしリンク切れが多い。表題文字列で検索すると一応見つかるのだけど、一度作ったらURLは変えないで欲しい。REIKI-BASE導入で切り替わったのだと思うけど、旧URL→新URLへのトランスレーションをREIKI-BASEでサポートして欲しかった)

 

たとえば札幌市の ○札幌市廃棄物の減量及び処理に関する条例 と比べてみよう。もう冒頭の目的から違っている。

金沢市

(目的)

第1条 この条例は、廃棄物の発生の抑制及び再利用の促進による廃棄物の減量化を推進し、廃棄物を適正に処理し、並びに地域の清潔を保持することにより、資源の有効な利用、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図り、もって本市の豊かで快適な環境の形成に寄与することを目的とする。

(札幌市)

(目的)
第1条 この条例は、再利用の促進等による廃棄物の減量を推進するとともに、廃棄物を適正に処理し、あわせて地域の清潔を保持することにより、資源が循環して利用される社会の形成、清潔な生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図り、もって市民の健康で快適な生活を確保することを目的とする。

 

大元の法律、http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=345AC0000000137 では、

第一条 この法律は、廃棄物の排出を抑制し、及び廃棄物の適正な分別、保管、収集、運搬、再生、処分等の処理をし、並びに生活環境を清潔にすることにより、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ることを目的とする。

となっており、条例を作る時に金沢的な「環境派」と札幌的な「市民派」に分かれたことが見て取れる...というのは実は間違いで、ランダムに20個サンプリングしたところ、「環境派」はゼロであった(中には岐阜市のように、根拠法の実施のために条例を定める、というハードコアな前文もちらほらあったが)。つまり、豊かな環境に資する(では市民はどこへ?)ための条例は極めて希なのだ。なにゆえかは知らねど、金沢市はかなり特殊な意識の自治体だと言えるだろう。

 

そして、その特殊な意識は条例の各所に暗い影を落としている。例えば札幌市なら、市民に様々な責務を求める(以下は札幌市条例からの抜粋)。

(市民の責務)
第5条 市民は、廃棄物の発生を抑制するとともに、再利用の可能な物の分別、再生品の使用、不用品の活用等により再利用を図らなければならない。
2 市民は、その家庭廃棄物を生活環境の保全上支障のない方法でなるべく自ら処分(再生することを含む。附則第3項を除き、以下同じ。)すること等により、廃棄物の減量に努めなければならない。
3 市民は、廃棄物の減量及び適正な処理に関し市の施策に協力しなければならない。
 
第4節 市民の役割
(自主的活動への参加)
第24条 市民は、集団資源回収等の再利用を促進するための自主的な活動に参加すること等により、廃棄物の減量及び資源の有効利用に努めなければならない。
(商品の選択)
第25条 市民は、商品を購入するに当たっては、当該商品の内容及び包装、容器等が廃棄物となった場合を勘案し、廃棄物の減量及び環境の保全に配慮した商品を選択するよう努めなければならない。
 
(排出日時等の遵守義務)
第31条 土地又は建物の占有者(占有者がない場合は、当該土地又は建物の管理者とする。以下「占有者等」という。)は、自ら処分できない一般廃棄物を排出しようとするときは、市の定める排出日時、排出場所、排出方法等を遵守しなければならない。
2 前項の排出場所のうち、市が家庭廃棄物を定期的に収集するための家庭廃棄物の一時的な排出場所(以下「ごみステーション」という。)の位置は、別に定めるところにより、ごみステーションを利用しようとする市民が、市長と協議の上、定めるものとする。
3 自ら処分できない家庭廃棄物をごみステーションに排出しようとする者は、当該家庭廃棄物を市の定める排出方法により各別の容器等に収納して排出しなければならない。この場合において、当該家庭廃棄物が汚水を含むときは、汚水の流出のおそれがなくなるよう脱水等の処理をした後に排出しなければならない。
4 ごみステーションを利用する者は、市が行う家庭廃棄物の収集後は当該ごみステーションを清潔にしておかなければならない。

 

しかし、それは当然であって、「自らが参画し、より良くしていく」という自覚なくして「市民の健康で快適な生活を確保」はあり得ず、そのためには責務の達成というイベントが必要だからである。しかるに金沢市の条例ではこのとおりである。

(市民の責務)
第5条 市民は、相互に協力し、廃棄物の減量化及び適正な処理を図るとともに、地域の清潔の保持に努めなければならない。
(相互協力)
第7条 市長、市民、事業者及び地域団体等は、廃棄物の減量化及び適正な処理並びに地域の清潔の保持に関して、相互に協力し、連携しなければならない。

とてもではないが、市民が参画し、自覚を育むという方針には見えない。「本市の豊かで快適な環境の形成」について尽くせと言っているだけである。さらにそれに追い打ちを掛ける暗いネタがある。有料化で得た手数料の使途である。

例えば日経新聞ではこのように報じられていた。

www.nikkei.com

20年の東京五輪を控え、訪日外国人観光客らが増えるため、街並みの景観保全や魅力向上に取り組む。

...

ゴミ袋の販売収入から経費を差し引いた金額(年間2億円)を新たに創設する基金に毎年積み立てる。地域コミュニティーの活性化やゴミの減量などの活動支援に充てる。

観光客に対する金沢市の魅力を高めるため、公共施設や街路などを夜間にライトアップする。イタリア、スペイン、フランスに対して金沢の魅力を重点的に情報発信し、誘客につなげる。

  

何度も繰り返すが、本制度は確かに金沢市の条例との整合的だし、立て付けも標準、先に述べた「なぜ今やるべきか」という点に目をつぶれば、特に問題のない制度であるように見える。しかし、そもそも金沢市の条例は全国的にも特殊な(そして、内容的に遅れている)ものである。通常であれば市民生活の向上のためにゴミ処理があり、それをリファインするための有料化なのである。それが全く異なった意味を持ちかねないという危険性を、金沢市の条例は根本に有している。

現に上記で日経の報じる所のうち、強調部分について首肯できる市民はどのくらいいるのだろう。なにゆえにゴミ袋からの収益が観光客や地域コミュニティの活性化に使われなければならないのか。それこそ手数料ではなくて税金になっていしまう。

お金に色は付いていないから何にでも使える、という市長の言をあちこちのBLOGで見かけた。さすがにそのような馬鹿な発言を行うほど蒙昧でもあるまいと思い引用は控えるが、しかしそう思われても仕方がないような何かがあったのではと思わせる日経報道であり、そのような条例の作りである。

 

ということで、1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の2番目、

2.しかし本件を接ぎ木した元々の条例に筋悪の感がある。その条例の大枠に引きずられて、収入の使途が曲がってしまっている可能性がある。

にたどり着く。

 

なお、2/2の北國新聞記事では、

収入は新しく作られた基金に納められ、そこからゴミ処理支援をする町会活動に対する補助としてのみ支出される

とあり、一年前の状況から幾分修正されたようにもみえるが、金沢市自身はなんらの発表も行っていない。

役人というのは法律や条令に書かれていることを墨守するようにしつけられているので(そうじゃなければ困る)、墨守しつつその隙間をぬって「固有の事情の実現」を図る。そしてそれに乗っかる(野合する)議員もいる。本件はそのような隙間になりかねないところがあり、それについて懸念を持つのである。大げさか?しかし、京都市ように、明確な意図を持ち、それを実現するために必要な定義をきちんと行っている条例を見た上で、もう一度金沢の条例を眺めても同じことが言えるだろうか。

ということで、ゴミ処理のトップランナーといわれる京都市の条例を紹介する。

http://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/cmsfiles/contents/0000180/180454/joubun.pdf

(前文)
ここ京都では、緑豊かな山々、清らかな流れなどの恵まれた自然の中、ものを大切にするしまつの心、門掃き、打ち水などが受け継がれ、清潔で環境にやさしく美しいまちが築かれてきた。また、本市は、気候変動に関する国際連合枠組み条約の京都議定書が採択された都市として、事業者、市民などとの協働により、環境保全のための取組を先駆的に推進してきた。
しかしながら、環境問題と密接に関連する大量廃棄型の社会経済システムは、環境の保全と物質の健全な循環に重大な影響を及ぼしている。
このような状況において、本市が持続可能な都市として発展していくためには、先人から受け継いだ伝統と進取の気風を生かして、廃棄物の発生の抑制とものの再使用や再生利用を推進することにより、環境にやさしい事業活動と暮らし方への更なる転換を図っていく必要がある。
ここに、本市は、市民などとの協働により、環境保全の取組を更に進め、天然資源の有効利用及び環境負荷ができる限り低減される循環型社会の形成等が不可欠であると認識し、この条例を制定する。
 
(目的)
第一条 この条例は、廃棄物の発生の抑制、再使用および再生利用(以下「発生抑制等」という。)の促進による廃棄物の減量、廃棄物の適正な処理並びに生活環境の清潔の保持(以下「廃棄物の減量等」という。)を図るために必要な事項を定めることにより、循環型社会(循環型社会形成推進基本法第二条第一項に規定する循環型社会をいう。)の形成、会的な生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図るとともに、国際文化観光都市としての良好な都市環境の育成に資することを目的とする。

京都については色々思う所はあるが(本当に色々思うが)、このような前文および目的をちゃんと書けるというのは流石としか言いようがない。

  

山出保氏はたしかに見識を持った立派な市長であり立派な市政を行ったと思う。例えば

kumanomorio.comで、

しかし、全国市長会の会長を務められた山出元市長が、どういう気持ちでごみ行政にかかわられたか。20年前の分別の徹底指導が象徴的に市民の記憶に刻まれている。町会、婦人会に職員が入って行って住民とひざを突き合わせ、一緒になってその施策を進められた。その気概は、やはりトップの姿勢と、本気の分別徹底による資源化、減量化の目的が明確化され、しっかりと共有されていたからではないか。また、全国市長会の長でありながらも、金沢の市民感情と市の状況を冷静に見極めていたから、大きく旗を振ることもなく金沢エコネット等の活動を通じごみ減量化に努められたのではないか。(エコネットが市長が変わりなぜ解散させられたのか、との質問も本日の会場から飛び出していた)

とあるのはその通り。しかし、その条例は市長が立派な見識を持たなければ役人や議員が良いように穴を利用する類いのものであって、そのような市長を期待しなければならない条例を維持し続けるというのはあまりに楽観的に過ぎる。

 

ということで、今回もゴールにたどり着けなかった。もう一回で終わりたいなあ。

次回(最終回予定)は、金沢市の態度に対する考察となる。

割と中っ腹なのである。

 

 

 

付録1:なぜ、いま、有料化だったのか

前回の最後に、

さて、ホントに喫緊の課題なのだろうか。そこの説明がなされてない(※)というところに瑕疵をみる。アタシはWhyの共有(もしくは共有できないことの共有)が合意形成の根幹だと思う立場であるので。

それに、もしかしたら実はそれほど喫緊の話なのではなく、何となくやるべきかもという空気があったのではないか、そんな妄想をかき立てるネタが無いわけでもないのである。

とヒキを入れたが、これの回収を忘れていた(うまく本文の流れに入れられなかったとも言う)。

実は環境省が有料化せよとプレッシャーを掛けているのだ。

環境省_一般廃棄物処理有料化の手引き

これをみて情報提供だと思うような人は、よもやおられるまい。国としての目標を達成するために、各自治体はさっさと制度を導入せよと背中からナイフを突きつけているのだ。

だから今現在のゴミの量がどうかというのはあまり本質なのではない。市が根拠を曖昧にしているのも、市長の歯切れの悪い答弁をするのも、多分それが故だと妄想する(それら答弁の数々はいとも簡単に見つかるのでわざわざ引用しない)。

金沢市民で時間のある方は市長などの答弁をぜひ検索されたい。共産党の市議会議員がBLOGなどやっておられるのですぐに見つかる。

 

 

付録2:制度の建て付けに関する補足

 

家庭ゴミ有料化制度(ああ、気持ち悪い)の建て付けは特段変なものではなく、廃棄物の減量化のために妥当なものである事は既に述べた。

septiembreokbj.hatenablog.com

市民派団体とやらが「アホみたいに高いゴミ袋」などの主張を繰り返しているが、先行事例の料金と比較して決して高くないこと、先行事例の効果に対して何らの否定もしていないことからして、あくまで発言者個人の価値観(むしろ予断か)に基づくモノでしかないことは自明である。そしてそれを毎日新聞が繰り返し報道することでフレームアップするという、なにやらどこかで見たような状況が展開されており、なるほどこのようにして言論の形成は阻害されていくのだなと、悪い意味で貴重な体験をすることとなった。つまりゲンナリである。誰かちゃんと説明してやれよ。市民派団体にはWEBを検索して資料を集めて論を整理できる奴は一人もいないというのか?それともワザとそうしているのか?(もし後者なら、その目的は何か?)

 

いやになっちゃう「税金の二重取り」という難癖については、実はすでに地裁レベルで判例がでている。しかも金沢市において。この問題について岩手県が検討した資料が非常に良く纏まっているので紹介する。

「ごみ処理有料化の法的根拠」(岩手県資料)

http://www2.pref.iwate.jp/~hp0315/ippai/kenkyu/081212-2/dai-1/siryo-7.pdf

ごみ処理は市町村の責務であるが、一方で家庭ごみの処理を求める住民に対するサービスの提供であり、そのサービスの量に応じて住民から手数料を徴収することは、地方自治法に定める手数料の規定に反しないと考えられる。

 判例、通達などを総合的に勘案した結論が上記のものである。

(なお、小学校、中学校向けの説明だと、

ゴミの有料化について、税金との二重取りとの声があります。具体的に、有料... - Yahoo!知恵袋のベストアンサーになってるのが判りやすくて良かった。これで判らないなら、気持ちおよび能力のいずれかまたは両方が無いのだろう)

 

であるので、「税金の二重取り」と主張する向きは、上記のロジックを攻撃する主張を作成して裁判を起こすのがよいのであるが、今のところ金沢地裁に提訴があったという報道はない。それとも訴額が大きくなるまで待つのだろうか?本当に市民のための活動なら、訴額の大小によらず、さっさと訴訟を始めるべきだろう。裁判を維持できるのであれば。(そして、裁判が出来ない主張だと判っていてグズグズ言っているのだとしたら、それはデマであり、市民派なのではなく「市民」の敵でしかない)

 

困窮者からも費用を取るのかということについては、まだ先例がないので何とも言えないが、条例を受けての規則、金沢市廃棄物の減量化及び適正処理に関する規則には

(廃棄物処理手数料の減免の申請)

第12条 条例第35条の規定により手数料の減免を受けようとする者は、廃棄物処理手数料減免申請書(様式第4号)を市長に提出しなければならない。

が定義されており、

(廃棄物処理手数料の減免)

第35条 市長は、天災、火災その他の理由により特に必要があると認めるときは、第34条第1項に規定する手数料を減免することができる。

(平14条例63・一部改正)

にあるところの「その他の理由により特に必要があると認めるとき」に基づく適用を求めてまずは申請を行うべきであって、それを試さずして「年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」等の主張を繰り返すのは特定の意図があると言わざるをえない。

(また、そのような報道を繰り返す毎日新聞において同様である。制度の詳細を調査して記事を書いているのか、まったくもって疑わしい)

年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」「
年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」
年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」

 

以上のとおりであるので、制度自体の建て付けは現状見えている範囲からすると妥当であると言わざるをえない。

という説明は自分自身にも向けられており、ゴミを減らす(分別を強化する、過剰包装があるものは避ける)という行為と、それを主体的に実施するということの意義を自主的に学習しているということなのである。

前進!前進!

 

 

 

付録3:自ら参画する意志のないものを市民というのか?

みよみよのBLOGから抜粋。

miyomiyo.jcpweb.net

③市民:限られた資源を賢く使う。環境のためにごみを減らす、繰り返し使うのは大事。

であり、それは、自治体が知恵をしぼるのが役割

負担を増やしてごみを減らすのは自治体の役割ではない。

ごみ有料化とごみを減らすことを無理やり結びつけないでほしい。

 

 「市」とは市民が参画し、維持するものである。行政は市民の委託を受けて代執行している存在に過ぎず、どこまで行っても(たとえば一人ひとりは無力に見えても)、市民が市を支えなければならない。

さて、このようなクレクレ君は市民なのだろうか。しかし金沢市の条例の立て方だとすると、このような「市民」が出てくるのは必然なのかもしれない。

 

2/1 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その2)

続き物にして良いとなれば気も楽になる。加えて、今日は出張で都内泊なればやることもなく(まるで普段はあるようだが、少なくとも家事はある)、のびのびと続きが書けるというものである...他のサスペンド中のものは?という自問には耳を塞ぎつつ。

 

 

1.制度の趣旨および立て付けはどうだろう?

まず事実関係の整理から。市が提供する説明を出発点にする。

家庭ごみ有料化制度(平成30年2月1日開始)

 

冒頭の文章で、本制度の必要性が述べられている。これを抜粋して整理してみよう(強調は筆者)。

近年、家庭ごみの排出量は、ほぼ横ばいで推移しており、また、資源化率も非常に低い水準にあります

  ⇒ ①. 根拠(固有の事情)

家庭ごみ有料化制度は、先行導入自治体で減量化・資源化に一定の効果が認められており生ごみの堆肥化や古紙回収などと組み合わせて実施することで、市民や事業者の環境意識が高まり、ごみの減量化や資源化率の向上に相乗効果が期待できます。

  ⇒ ②.根拠(先行事例)

 

この制度を導入することにより、費用負担の公平性の確保が図られ、ごみの減量に伴うごみ処理経費の削減をはじめ、今後建て替えが予定される東部環境エネルギーセンターの建設費の削減や戸室新保埋立場の延命化など、将来世代への負担軽減に資するとともに、過剰包装等に対する消費者の意識が高まることにより、販売者や生産者の意識改革にもつながります

  ⇒ ③.メリットの提示

 

事業系廃棄物の処理手数料の見直しや事業所等への指導強化に取り組むなど、事業系廃棄物の更なる減量化・資源化にも努めていきます

  ⇒ ④.コミットメント

 

 さあ、要旨をコンデンスしてみよう。以下のようになるだろうか。

  1. 評価指標家庭ゴミの排出量を減らしたいし、明確に低い資源化率も向上させたいです。
  2. (ところで)有償化を行うと減量や資源リサイクルが進むという結果が先行自治体で出ています(から、決して根拠の無い事じゃないよ)。
  3. (それをやると)費用負担の公平性の確保が図られ将来世代への負担軽減と販売者や生産者の意識改革も行われます(から、みんなに資するよ)。
  4. (もちろん我々も)事業系廃棄物の更なる減量化・資源化に努めるよ。

  

家庭ゴミを減らしたい、資源化率も上げたいというのは、願望としては判る。そうなると良いよね、世界は平和だと良いよね、みんな幸せだと良いよね。ところでそれは優先度:高の問題なのだろうか。それが判らない。「数字的なインパクト」を適切に述べて、解決しようとしている問題の規模を議論のテーブルに載せるべきなのだけど、しかし金沢市は残念ながらそのような配慮(情報開示)を行っておらず、優先度が判然としないままである。優先度?そう優先度。行政の有限のリソースを使って対応すべき問題のうち、本件が喫緊であるという根拠が欲しい。
仮に家庭ゴミの削減/リサイクルが優先度:高の問題だとしたとき、どうやると達成できるのだろう。考えられるパスはおおよそ以下の通り。

  1. 可燃ゴミの分別徹底による、他科目への振り替え。たとえば当家の流行である「可能な限り、廃プラや雑紙(ざつがみ)に振り分ける」などが正にソレ。
    この手間を実施するための(負の)インセンティブがゴミ処分料で、それは確かに効くだろうし、即効性もあるだろう。何しろ当家がその根拠の一つだ。
  2. 「市民」が過剰包装を拒否することによる、ゴミの根源的な削減。ゴミ処分料を負のインセンティブとして市民が「上流への転嫁」を行うことを期待するものだ。先行事例の分析では、これも確かに期待できるそうだが、しかし時間はかかるとのこと。まあそうだろう。
  3. 生ゴミの堆肥化による再資源化への取り組み。この手法は各家庭への負担が発生する(設備を買わなきゃならない)事よりも、一律実施とはいかない(みんながみんな、場所があるとは限らない)事の方が問題だ。ゴミ処分料とのバランスによっては設備の購入が合理的になりうるが、設置できない(設置できたとしてもニオイなどを回避するための十分な距離が取れない)などになると、ゴミ処理の大原則である「公平な負担」が毀損されてしまう。

まとめれば、1.および2.については効果が出せそうと言うのが先行事例の結論。たとえばこのような研究もある。

 

[ごみ処理の有料化に関する調査報告]

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180131234141.pdf?id=ART0008218197

 

これに限らず ”ゴミ処理 有料化 効果 研究”  で検索すると、それなりに研究も、メタアナリシスも見つかる。効果があるということについては大体一致している。二、三年後に慣れによるリバウンド(ゴミの量が戻る)の有無については意見が分かれているが、有ります派も意識付けの問題なので上手く施策を考えろ、程度のトーンでリバウンドがあるからダメだということは言っていない。

余談だが、上記と全く異なる結論のレポートを見つけた。

http://www.k-shin.org/wordpress/wp-content/uploads/2016/11/thesis_current_1.pdf

しかも上掲の[ごみ処理の有料化に関する調査報告]を引用しつつ、恣意的な仮定をおいて、全く異なる結論に持っていくというのは...アタシの書いてる散文と同じ程度の粗雑さだ。どうなのよ、経済新人会。

 

対して3.については、気持ちは分かるが実際には無理だろうという感じ。「家庭生ごみ堆肥化モデル事業」というキーワードで検索すると様々な自治体の取り組みの結果が見つかるが、歯切れが悪いか、さもなければサッパリと諦めているかの二通りである。なぜ歯切れが悪いかというと、作った堆肥の出口が見つからない事に加えて、費用がかなりかかる事が挙げられる。「再資源化」という枠組みで生ゴミの減量を図るのは無理があるのでは、というのが所感である。生ゴミの質量の80%が水分だというのは運ぶにも、燃やすにも負荷が大きすぎるというのは判る。「生ゴミからの脱水」(による重量の削減および燃焼効率の向上)に絞って、みんなが到達可能な目標と手段を設定するのが現実解ではないかと思う。

 

ということで、1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の1番目、

  1. 制度の趣旨、特にスタートポイントは心情的には理解できなくもない。しかしソレを行うべきかという判断をする根拠が示されていない
    先行事例を調べたところ、制度自体は一般的なもので費用も全国平均程度。であるので、制度の出発点である「ゴミを減らしたい」が 本当に 金沢市にとって喫緊の課題なのだとしたら、それほどの悪手なのだとは思われない。

が導出される。

 

さて、ホントに喫緊の課題なのだろうか。そこの説明がなされてない(※)というところに瑕疵をみる。アタシはWhyの共有(もしくは共有できないことの共有)が合意形成の根幹だと思う立場であるので。

それに、もしかしたら実はそれほど喫緊の話なのではなく、何となくやるべきかもという空気があったのではないか、そんな妄想をかき立てるネタが無いわけでもないのである。

次回は、その妄想のネタを含む法的な背景や、他の自治体との差違を軸に、金沢市の家庭ゴミ処理の有料化について理解を深めていった経緯を記す。

※一旦は空気を振動させたのかも知れないが、その記録は公開されていない。

  

 

いや、(その3)も半分以上出来てるんで、サクッとアップしますよ?

明日の帰りの電車で完成させるのです。新幹線で東京、金沢が近くなったとはいえ、二時間半もあるのだから、何とかなるのです。多分。

1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1)

当家がある金沢市では、来る2/1から家庭ゴミ(可燃)を捨てるに際しては有償の専用ゴミ袋を使用せねばならない仕儀となった。というか、すでに昨年2月に決定しており、一年間の周知期間を経て、いよいよ施行となるのである。
どうやってゴミを減量化するのか、当家においても研究に余念がないのであるが(例えばティッシュペーパーの箱はバラせば雑紙として古紙回収にだせる→可燃ゴミの量としては削減できる、など)、それらの成果発表はいずれまた。今回書きたいことは、家庭ゴミ有料化の意義の再確認だ。
 
有料化決定の報が流れたのは家人ともども外界からの刺激にまったく反応できなくなっていた時期で、その後も実施手順の周知のつたなさに憤るのにかまけて、そもそもリーズナブルな制度設計なのかということをきちんと考えていなかった。45リットルゴミ袋が45円てのは高いな、とか小学生のような感想しか持てていなかったのだ。いや、武蔵が辻の近江町側バス停(※)で、社会福祉法人の代表と名乗るひとの奇妙な街頭演説と出会わなかったら、変わらずに小児的な不満をブツブツこぼしていただけかもしれない。

※武蔵が辻は近江町側も、エムザ側もいつも誰かが何かについて声を張り上げているような気がする。金沢のスピーカーズコーナーと言っても良いと思う。日本の言論は守られているなあと思うことしきりである。

Speakers' Corner - Wikipedia

 

その奇妙な演説の趣旨はこんな感じだった。

  1. ゴミ処理が有料化される。
  2. うちを含めて、社会福祉法人はみんなギリギリの運営をしており、この負担増は耐えがたい。
  3. だからゴミ処理有料化には反対だ。

 

1.はFACTだ。問題ない。2.は...施設によるだろうとは思うが、少なくとも演説をしている人のところは苦しいのだろう。「みんな」がFACTなのか、事実の摘示が必要だと思うが、そこは百歩譲っても良い。問題は3.のconclusionだ。なぜ、そうなる?社会福祉法人の減免措置を求める、というのが筋なのではないか?

制度全体を論難するにはあまりにも薄弱な根拠だ。本当に奇妙な、論理が破綻している街頭演説だった。ゴミ処理有料化に対する自分なりの意見を整理せざるを得ないな、と思わせるほどに。そして調べ物が始まってしまったのだった。今回はその結果報告ということになる。
 

なお、今回はいつにも増して長いエントリになる可能性があるため、オチを隠したまま右に左に蛇行するいつものスタイルをまげて、最初に結論を述べる、仕事っぽい感じで行く(プライベートの作文なので嫌なのだが)。その結論は、こんな感じ。

  1. 制度の趣旨、特にスタートポイントは心情的には理解できなくもない。しかしソレを行うべきかという判断をする根拠が示されていない
    先行事例を調べたところ、制度自体は一般的なもので費用も全国平均程度。であるので、制度の出発点である「ゴミを減らしたい」が 本当に 金沢市にとって喫緊の課題なのだとしたら、それほどの悪手なのだとは思われない。
  2. しかし本件を接ぎ木した元々の条例に筋悪の感がある。その条例の大枠に引きずられて、収入の使途が曲がってしまっている可能性がある。
  3. さらに2.が原因となっているのか(つまり2.の問題を市も理解しているのか)、制度の手続き部分の周知に比して、制度の正統性の説明が非常に雑というか粗略になっている。「知らしむべからず、よらしむべし」という言葉をふと思い出してしまう。
  4. 本件を更に大きな枠組みで見つめ直したときに、「市民」とは誰かという事を抜きにしてゴミ処理の話をして良いのだろうかという問題に行き当たってしまった。ただしこれは金沢市だけの問題ではないと思う。

  

 

では、それら結論がどのような経緯で導き出されたのか、一緒になぞってもらおう。

 

...と書き始めたら、本当に長大になってしまった。申し訳無いが続き物になる。

誰に対してわびているかというと、...誰だろう?

 

1/29 鬱になるということ

2/1から始まる金沢市のゴミ処理有料化について書くつもりだったのだけど(え、他のサスペンド中のネタは?)、今書いとかないといけない気持ちになったので、鬱について書く。

 

 

最近、仕事の関係でネットをブラウズしていたら、中々強烈な、でも本当にその通りというエントリを見つけた。

www.megamouth.info 

結果として、最後まであなたと会社は、彼らを退職させるに至ったワークフローや営業上の問題を知る機会がなくなるし、これを機会にそれらが改善される、ということもなくなってしまう。
あのプログラマは何かこの会社では実現できない理由で退職したのであり、我々のワークフローのせいではないと、あなたは思いたがっているし、実際思い込んでいるからだ。

しかし、退職とその代替人材の確保というコストは確実にあなたの会社の損益に影響を与えている筈である。

 

 Yes、ホントにその通り。そのような事が起きないように、「楽しい営業」さんは厳しく躾けることにしている。彼らは痛覚が鈍いから最初は何が起きているのかわからないのだけど、大丈夫、ずーっと指導を続けるとそのうちプログラマの気持ちがわかるか、それとも営業をやめるかするから。

そのようなヴァイオレントな態度をとるのはもちろん心が痛むのだけど(しかしその痛みは、第三者にまで恐ろしい人だと思われてしまうという自分のパブリックイメージの低下を主たる原因とするのだけど)、プログラマが消耗したら取返しがつかない以上、やることはやらねばならない。そしてもう一つ、誰も助けてくれなかった2003年の自分への埋め合わせも幾分あるような気がしている。詳細は書かないけど、その年に超大型のデスマーチが発生し、それを社内、社外の営業がよってたかって更に加速させて、その結果アタシは鬱で倒れることになったのだった。

 

鬱に至る道は、多くの人が想像するようなシンプルなものではない。そもそも機序も確定していない病だ。過労、各種のストレス、アルコール、日照量(!)などはよく知られているけど、例えばゴールに着くというのがヤヴァイというのを知っているだろうか。病からの回復過程で読んだ本に、奥さんが死んだあと、男手一つで息子さんを育て上げられて、その息子さんが学校を卒業した途端、鬱が発症したという人のエピソードが載っていた。ゴールにたどり着いていきなり全力疾走をやめるだけでも、人間は焼き付くことがあるのだ。だから

鬱の人に共通の特徴として、『プライドが高い』というのがあると感じています。
自己肯定に必要なハードルを下げることができない。

のような妄言を見ると、どうにも血が沸騰する。お前は医者か?何人患者を診たのだ?安全サイドから好き勝手言ってんじゃねえぞ、と。

 

原因はさておき、アタシに起きたことはこうだ。2003年末の休みに入ると同時に身体に不調が発生し、年明けから起きられなくなり、その後四ヶ月は寝たきり、抗うつ剤をとりあえず抜くかとなったのがそれから二年後だった(でもパキシルは合わなかったな。希死念慮が出て、オーバードーズして死ぬかと思った。今は注意事項に書かれてるようだね)。そのおかしくなり始めの正月の写真が、今も部屋の中に飾られているのは皮肉だ。そこにはいなくなってしまった息子の笑っている姿が写っているからだ。いや、またドリフトした。

 

鬱は、しんどい。考える力もなくなるし、感情もどんよりとしたまま固定されてしまう。悪いことばかり考え続けるとか、そういうのですらない。考えられないのに、感情もないのに、嫌な気持ちになったときの脳内物質の状況(焦燥感とか、離人感とか、何をやっても必ず駄目になるという確信とか)だけが再現されるというのは、やってみると判るけど、本当にしんどい。

幸い途中でチェンジした薬は良く効き、4月の終わりくらいまで夜も昼もなく眠り続けた、ように思う。そして眠気が幾分薄れたと思ったころ、思考も、感情も、適切に動作している頭が作り出している 状況 なのだということが突如諒解されたのだった。何らかの理由で頭が止まってしまって、人間としての活動(思考、感情など)が出来なくなる病、つまり頭が悪くなる病なのだという事が、誰がなんと言おうと間違いなのない事実なのだという確信が発生したのだ、本当に突然。そして、そこから回復が始まった。

少しずつ頭が動くようになり、鬱に対する知識を遅まきながら仕入れるのと、「鬱になった自分」の観察をするうちに夏になっていた。そのころには、抗うつ剤も、安定剤も、頭を休める(より正確には、動かそうとする意識的・無意識的な企みの一切をくじく)ためのもので、アレを飲んで頭がぼーっとするというのは当たり前、ぼーっとさせてる間に脳が復旧するのだ、という気持ちになっていた。絶対臥褥の森田療法(これもその時に知った)も、ポイントは頭が動いてしまうのを止めるところにあるのであって、薬の有無は些末な話なのだと体験的に思っている。

と書いて、間違いがあったらやだなと調べたら(でもwikipediaだけど)、なんと最近は森田療法でも薬を使うことがあるそうです。我が意を得たり。

森田療法 - Wikipedia

 

そのうちに会社に戻り、そして社内の様々な部署を転々とし、bogusなsagaをいくつも残すことになるのだけどそれは別の話だ。さて、アタシはなぜこんな話を書いてるのだっけ。

そうそう、それは先に挙げたmegamouthさんがBLOGを閉店されるという記事をアップされたからのだった(読者になって一週間も経っていないというのに)。

www.megamouth.info 

他のエントリを見ると鬱で大変ということが記されており、そうなんだよ、鬱は大変なんだよという連帯を表明するために、このエントリを書きました。そうなった理由は様々、治り方も、その後に残る不可逆な影響(アタシにも、ある)も、やはり様々。でも、みんな大変。

という事で、自分の時にはこうでしたというのを連帯の証として記してみました。

 

まだ鬱になったことがないという人に向けては、ならない方が絶対にいいです、とだけ申し上げておきます。なりそうで心配、という場合には予防薬としてこれを推薦しておきます(〈増補改訂 第2版〉のほう)。

いやな気分よ、さようなら/星和書店

なっちゃってから読んでも間に合いません、少なくとも回復を早めるのに役立ちません。なんとなれば鬱は頭が悪くなる病なので、その最中は本なんか読めないのです...。

 

 

明日こそ金沢市のゴミ処理有料化ネタを何とかアップしたいと思っていますが...。

  

 

 

(1/30 追記)

そのうち「最良のビジネス書もしくは自己啓発書として読む『いやな気分よ、さようなら』」という記事を書くべきという天啓を得る。確かに、そうだ。なんで今まで気がつかなかったんだろう。

1/27 雇用の流動化

ロシアの小話だと思うんだけど、森の中で男二人が追いかける熊から逃れるべく走っていて、その最中に一人が助かったと叫ぶという奴。知らない?

もう一人が、なぜだ、まだ熊は追いかけてきてるぜ、と走りながら問うと、助かったと叫んだ男が、だって俺と熊の間にお前がいるじゃないか、という奴。これを笑い話だと取れる人は、幸せな人だと思う。アタシは全然笑えない。本当にその通りだから。きっとアンディーグローブも笑わない、と思う。

 

そういう訳で、政府の働き方改革の成否如何に関わらず、労働側から選ばれる職場環境を提供するということは、自社が生き残る・発展するために非常に重要なポイントであるという事を常々社内で説いている。

他社と横並びで大丈夫と安心するんじゃ無くて、他社より前にうちが出て、うちが助かるようにすることが本質なのです。国内の労働力が減少する中で生き残るというのは、労働環境においても差異化を実現して、他社よりも魅力的になることなのです。

とかね。

 

  

その中で

www.nikkei.comのような話も始まり、またテレワークに関しても年内に実施促進を目的とした改訂指針を出してくる(調べたんだけどURL忘れた...)流れにあり、要するに会社に人を縛り付けるのではなく、貴重な資源である人にあわせて、会社は働ける環境を用意しなさいという情勢になってるのは間違い模様。

 

 

 

最近参考にさせてもらってるBLOGにも、そういう記事が載っていた。

www.financepensionrealestate.work

ですよねー、という感じ。

  

企業が人を抱え込むことが競争力の源泉であった時代は過ぎ、日本で産業構造の調整が進まない、イノベーションが起きないのは労働流動性が低いからだと言われている。中国に多いというゾンビ企業(大赤字なのに金がジャブジャブ回ってくるから倒れないという企業)になぞらえて言えば、日本は本来はフライトしているはずの人材が残っているために倒れないというゾンビ企業が多すぎる、と個人的には理解している。ブラック企業とはそういうものなのだよね。だから上記のBLOGの内容はホントにその通りだと思う。働いていても幸せになれない企業から逃げやすくする(逃げて構わないということに気づきやすくする)、それはゾンビを再殺するのに必要なことだ。

 

ただし実際に規制下で生存競争を繰り広げている企業サイドからすると、解雇規制の緩和というのがセットにならないと現実味がないのもホントである。従業員の解雇が厳しく制限されているのは、先進国中では日本に固有のことで、たとえばアメリカでは人件費は流動費として計上する(日本の場合は固定費...)。労働側が企業を選ぶ権利を充実させるのは当然として、企業にもそれに対抗する手段がないと、健全な状態にはならないだろうとも思うのだ。それに解雇規制の緩和による流動性の促進がないと、いつまで経っても欲しい席が空かない(※)、ということになりかねない。

※というのは労働者側の視点だね。企業側からすると、新しい席を用意できないという言い方になる。

企業が雇用にためらいを持つのは、景気が悪くなったときに調整が出来ないからだけではない(※1)。その人が本当に給与を払うに足るひとなのか、本当に何年にも渡って能力を維持してくれるのかということに確信が持てないのだ。勢い慎重にならざるを得ない。人は欲しい、でもアンマッチだったときにも、その人の定年まで給与を払い続けなければならないというのは何の罰ゲームなのだと思う(※2)。しかも出て行きたい人は出て行き(流動性の拡大)、定年はどんどんと延長され、きっと最後には公務員を除き定年が無くなるだろう。だとしたら、会社は一度人的な負のスパイラルに入ると、やり直しのチャンスが与えられないまま沈み続けることになってしまう。とてもじゃないけどやってられない。

※1 工場の様な設備産業(IT系でも派遣はそうだな)だと景気対応がメインなのかもしれないけど、出来る奴が何人いるかが勝負だというメインストリームのIT系だと、不況は実は才能を確保する良いチャンスだったりしたのだ。ただし、みんなが投げるときに仕込めというアパホテル的戦略が人口減少局面においても有効かというのは、今後の検証が必要。

 

※2 と書くと、人材の育成は企業の責務だ、などと言い出す奴が出てくるので困る。給与を仲立ちとした労働提供の契約にすぎないのだぜ。能力の開発は、労働側のマターだ。企業が育成をするのは、そうした方が都合が良いからに過ぎず、決して ねばならない 話ではないのだ。

もちろん教育のプログラムは用意している(その方が得だからね)。しかし水飲み場までつれていっても水を飲まない奴はどうすればいいの?特にIT系は毎年水を飲んでいないとすぐに干上がってしまう商売なのだが。

リカレント教育の今後を面白く見ているのも、能力開発は個人の問題だという原則に基づくものだからだ。ついにその事を口にしたな、という感じ。企業に社会の維持までを求めるという日本型の労働のあり方は、さまざまなところから無化されていくだろう。

 

 

まとめれば、産業構造の調整・発展のためにも、少子高齢化への対応のためにも、雇用の流動化が進むのは必須。決して資本家の搾取のためにではなく、労働者を幸福にし、同時に企業が生き残っていくために。

そのため今後の日本では、1.定年制の廃止、2.解雇規制の撤廃に向けた法整備や調整 も 進むと考える。公平性やセーフティーネットなしで解雇規制を外すと地獄がこの世に現れてしまうので、解雇条件や、その際の経済的な手当についても当然に法制化が進むだろう。EUの労働法などがメディアを賑わせ始めるのが、世論形成開始のフラグだと思う。

最近経産省リカレント教育についてアレコレ情報を発信してくるのも、同じコンテクストに思える。雇用が流動化し、労働者が新しい産業に直面したときに発生するインピーダンスミスマッチをどうするか、確かに何とかしなければならない問題だし、文科省は頼むに足らず、というのはすでに見えているし。

septiembreokbj.hatenablog.com

  

(補足)

日本には日本独自の慣習がある、そしてそれは得がたいものであって、日本の競争力の源泉であって(...Oh)、という声も まだ 耳にするけど、過去50年の歴史を振り返ってみれば(もっと長くてもいいけど)、結局のところ「日本の特殊性を放棄する」過程であることが見えてくる筈。特に労働慣行は日本の特殊性が未だに凝縮している典型的な分野で、だからこそこれから急激に 普通 に近づいていくのではないかと見ているのです。何しろ人口減少への対応は待ったなしなので。

そして、波乱が起きるときにはビジネスチャンスがあるだろう、とも期待してるのです。

1/25 HP-A4にみるFostexの凋落っぷりに関する雑感

Hi there!

みんな大好き、HP-A4の記事だよ!

(アクセスを見るとダントツでHP-A4関連の記事が多いのだ。ということで、それにお応えしてもう一つ燃料を入れてみるかー、というエントリである)

 

まずはコレだ。

HP-Aシリーズ Windows用 FOSTEX USB Audio Driver ダウンロード | FOSTEX(フォステクス)

 

ようやく署名を何とかしたよ、と宣もうておる。でもね、

ご注意!!

Windows10 Creators Update以降では、これまでデバイスメーカーが専用で用意していたUSB AUDIO 2.0ドライバーがWindows標準で搭載されました事による問題が生じております。

本来USBオーディオドライバーはデバイスメーカーが用意したドライバーを関連付ける事となっておりましたが、今回のWindows10 Creators Updateによって専用ドライバーがあるにも関わらずWindows標準ドライバーが関連付けられることにより動作に支障が発生しております。この症状はWindous側での挙動になりますため、Windowsにて変更が無い限りメーカードライバーでの対処は困難です。

暫定処置として動作環境の変更で再生が可能と成りますのでご紹介致します。

という説明はどうだろう?

Usb Audio Class 2.0がWindows10 Creators Updateでサポートされた以上、Fostexの独自ドライバが必要となるのはASIOじゃなきゃやだという場合のみだ。もっとはっきり書けば、独自ドライバが必要なのは、DSDをDoP(DSD Audio over PCM Frames)ではなく、ネイティブのまま送りたいという場合にのみだ。

サポートの手間を省きたいのは判るけど(場合の数がサポート現場で効いてくるのは、商売柄よく理解している)、何が何に効くのかということを説明せず、Howのみを書き連ねるというのはこの手の非日用品の説明としてはいかがなものかと思う。スピーカーユニットに標準箱の設計書をつけてる丹念さとギャップがありすぎる。

...それともみんなが夢(幻想)を持てる隙間を作るのが、非実用品のベンダーとしての責務だとでも言うのだろうか。何が何でもFostexドライバを使えという態度は、Windows標準より独自ドライバの方が音がいいぜ、理由は知らないけど、という幻想などを容易に育みそうでげんなりする。

 

もうちょっとすっきりとした、ユーザーを育むような情報提供が出来ないものかね。

とりあえず記す。

 

(1/26追記)

この件に関してはMSも情報を公開している。

https://support.microsoft.com/ja-jp/help/4021854/windows-10-doesn-t-install-specific-drivers-for-usb-audio-devices-on-t

回避手順も開示しており、Fostexの説明もこれを元にしたものであることが判る。

それがさらに悲しみを増す。

 

なぜ、Fostexが回避策を説明しなければならないのだろう?OSベンダーが現象を把握していて回避策も提示しているからそっちを見ろ、で終わりでは無いのだろうか?しかし実際にFostexがやっていることは、MSが公開している手順を屋上屋を架すがごとくクドクドとリライトしたものの公開である。

確かにstep by stepでの操作説明を求めるサービス泥棒の顧客が日本には多くいる。しかしWindowsの操作を知っているべきなのはHP-A4の購入者なのであって、それに対する説明コスト(甚だしきは電話でやるのだ)を他の顧客と分担するというのは奪取なのであり、そしてそれにFostexが加担しているというのはどうなのか。

Fostex自身が責任を持つ範囲(署名付きドライバはさっさと出すべきだし、自社ドライバが入らないという事の意味は説明すべきだ)、顧客が責任を持つ範囲(Windowsの使い方は知っていなければならない)、それらの線引きが間違ったまま商売をしているということにげんなりするのである。

 

ちょうど、そのような特集もあるようだ。

「おもてなし」のウソ:日経ビジネスオンライン

 

この前のTOTOはまた違ったパターンのサービスマインド不全だったが。

septiembreokbj.hatenablog.com

 

と、いつものごとく発散するのだが、Fostexに話を戻せば、システム物(ソフトウェア物)のサポート基準を見直さないと、ほんとにつらいと思う。足りてないんじゃ無くて、力(リソース)を投入するポイントが間違っている。エンジニアリングではなくて企画やマーケの問題。

ああ、それは日本の製造業に今なお多く見られる問題であって、つまりそれが悲しみを呼ぶのだ。

1/25 オーディオ再生環境のリフォームに関する備忘録(その3)

オーディオ再生環境のリフォームに関する備忘録、本日はリフォームに当たっての要件に基づいた設計(というほど大げさでもないが、実現方法の確定だからやはり設計だ)の経緯を。
 
 
と書いておいて寄り道をするのも昨日と同じで、なぜDLNA→OpenHomeの道をたどるのか、どうしてRoonを目指さないのか、という疑問に対する現時点の考えを記しておく。
まずは、Roonとは何か。少々長めだが適切に纏まっている記事に解説をお願いしよう。
(なおこの記事は、前回OpenHomeの解説をリンクした「言の葉の穴」の逆木 一さんによるものであった。なるほど、識者とは検索してよくヒットする人の事なり)

www.phileweb.com

ウィキペディアである項目を調べた時、関連項目から次々に興味のある別の項目へ飛んでは長時間を過ごしてしまった……なんて経験したことがある人もいるだろう。Roonが提供する音楽体験はまさにその感覚に近い。

音源に対するメタ情報(作曲、演奏、などその音源に関する情報)データベースと、そこからリンクされる音源情報のリポジトリ(は、まだ業界用語だな。貯蔵庫ですな)。確かに面白そうである。今聴いている曲と関連を持つ曲を一望できるというのは、神の視点を手に入れるかのようだ。

しかし今回のリフォームは、「現実的なコストの範囲で聴きたいものを聴きたいときに聴きたいように聴く」を満たすためのものなので、「コレも聴きたくなったりしませんか?」というサジェスチョンはもちろん大変に興味深いのだが、しかし自分の中から湧き出てくるものではないので、要件として必須ではないのだ。

 
そしてより重要なもう一つの理由が「現実的なコストの範囲」だ。Roonを全能感をもって使おうとするならTIDAL連携は必須だ(RoonはTIDAL連携ができる)。そしてアタシはアーティストにお金を渡したい(出来ればダイレクトにおひねりを投げたい)というスタンスだから、TIDALを使ったとしても個別購入は続けるだろう。もちろんTIDAL経由でアーティストにお金は流れるのは判っている。その上で、契約範囲・期間に限定されずに、聴きたいものについては、聴きたいときに、聴きたいように聴くという権利をお金を渡して確保したいと思うのである。そうした場合、Roon+TIDALにいくらまで払えるのだろう。
TIDALは日本でサービスを始めておらず、裏技を使って契約せざるを得ない。その事によるリスクは目をつぶるとしても、おひねり代を別途払う想定なら、Roon+TIDALの年間費用は合算で200ドル強が自分の気分だ。しかし現実にはRoon:$119 USD a Year、TIDAL:$19.99 USD a month with lossless High Fidelity sound quality、年間約360ドルとなり、想定とずいぶんずれてしまっている。自宅で仕事をやっているなら360ドルでも高いと思わないのだが、日中は基本的にオフィスにいて、もっぱら人と話しをしているので、この金額では折り合えない。うむむ、もうちょっと様子見をするか、となってしまう。

About TIDAL

support.tidal.com 
まとめれば、いまの自分の生活とRoon(+TIDAL)の費用はまだ折り合わない、というのが今回の結論。状況の変化を待とうということだ。
...もうちょっとコナれてくれないですかね、値段。
 
 
 
さて、今回のメイン、要件の実現(設計)だ。
 
設計その1:DMCの選択
 
自由を何よりも大切にする当家においては、スマフォはAndroid一択であるので、コントローラソフトであるDMCは必然的にBubbleUPnPということになる。
だと端折りすぎだな。選択条件は以下のとおり。
 

  1. もちろん使い勝手などの評判の良いモノ。
  2. OpenHomeにも対応していて欲しい。次のエンハンスの時にコントローラーを切り替えるのはイヤ。
  3. 特定のハードウェアベンダーにロックインされたくない。無料であることや、特定環境での利便性よりも、規格に基づいた中立さを優先する。LUMINやLINNのアプリは(できるなら)避けたい。

 

これに従ってBubbleUPnPを購入したのだ。アタシのスマフォにも、家人のスマフォにも入れた(つまり2ライセンス購入した)。

 

 

設計その2:DMSの選択

 すでにファイル共有のために使っていたNASがDMS機能を提供していたので、そのまま利用することにする。あるものは使うべきだ。正確には記せば、NETGEARのReadynas OSにはUPnP/DLNA対応のサーバーがついてくるので、ひとまずコレにすがることにするものである。

 
ここで

www.iodata.jp

www.dela-audio.comに心が揺れるようであれば山籠りでもして(片眉も剃って)、精進潔斎をしてこねばならないのだが、幸いにもそういうことはなかった。多くは語らないが、こういう商売ってどうなんだろうね。リアルタイム性はないんだからジッタも再送も受け側(DMRなど)のバッファで吸収されちゃうでしょうに。アイソクロナス(※)にデータを垂れ流しているUSB DACの接続とは訳が違うのだ。
そのUSB DACだが、ダイレクトに繋げるよという機能拡張をI/OもMELCOもやっている。これまた理解しがたい展開だ。オーディオセットのすぐ隣にNASを配置したいの?アタシゃ御免だ。たとえSSDであっても、ファンレスであっても、NASなぞはマシンルームにいれば良いのだ。

※再送などのない(つまり取りこぼし御免の)USBのアイソクロナス転送だが、それでもアシンクロナスモードだとDAC側がより高精度なクロックを用意してそれに合わせたフロー制御を行うことができる事は知っている。それにしたって一発勝負の転送なんだから、再送ありのTCP/IPとは話が違う。

ところでアイソクロナス転送のモードの一つにアシンクロナスモードがあるのだけど、もうちょっと整理した名前をつければという気がするのはアタシだけだろうか。あれはハード屋さんのセンスだなあと思うよ。ソフト屋の気分じゃない。

 

 

 

設計その3:DMRの選択

 問題はDMRだ。USB DACとして利用していたパイオニアのN-70Aは、元々がネットワークオーディオプレイヤーであるのでDMRとして扱うことができるのだが(しかし先に述べたとおり、OpenHomeには対応していない…)、その他にはUSB DACが5台あるのみで、DMRを実行する何かが必要となる。もっと平易な言い方をすれば、こうだ。
電源を入れっぱなしにして構わない程度の低消費電力のLinuxBoxと、その上で動作するDMRソフトウェア(できればOpenHomeのレンダラーでもあって欲しい)の組合せは何がベストか?評価指標は1.費用(手持ちのUSB DACへの接続性も費用に換算する)、2.安定性、3.製品の継続性の三点。
その結果、Raspberry Piと、その上で動作するVolumioというディストリビューションを選定した。Raspberry Piはラズパイと発声されるくらいにポピュラーなLinuxハード(ボード)。ストレージにするMicroSDは別途用意するにせよ、その他はオールインワンで売価約5000円は安い。

(本家サイト)

www.raspberrypi.org

(解説サイト)

Raspberry Pi - Wikipedia

 

そしてDMR機能を提供するソフトウェアは、OSとその他ソフトがすでに一体の配布物となっている(ディストリビューション)Volumio。

ただしVolumioはの総体はDMS、DMC、DMRの三機能すべてを含むものであって、その中のDMR部分だけを使おうというのが今回の作戦である。

too muchなのではないか、という突っ込みがありそうだが、いやいや、インストールが楽(バイナリを焼くだけ)、情報が豊富というのは何者にも代えがたい美質だ。

Volumioを作ってる人がその使い方で喜ぶかというのは別として。

 

(本家サイト)

volumio.org 

…WEBを見てみてら、いきなりShine On You Crazy Diamondが目に飛び込んでくる。ああ、ここにもIMMWが。どうしよう、周。いや、おちつけ。

IMMWについてはこちら。

septiembreokbj.hatenablog.com

ともあれ、このVolumioを使うことで、USB DACUPnP/DLNA対応のDMRとして扱うことが出来るようになる。

しかも! 最新のVolumioはupmpdcli をデフォルトで動かしてくれるので(先達は手動で入れたりして大変だったみたいだ、南無)、playlist問題に関しては悩む必要がない。

(upmpdcliについてはこちら)

An UPnP Audio Media Renderer based on MPD

 

playlist問題というのは、ピュアなDMRは自分でプレイリストを持たず、DMCからの指示に従って動くという仕様に起因する問題である。するとDMCが終了したり、スリープしてしまったりしたときに、音楽の再生もまた止まってしまう事になる。この仕様はスマホアプリとの相性が極めて悪い。スマホアプリは隙あらば止まるからである。

Windowsアプリと違って表示されていないアプリはプロセス的には死んでいるので、DMRに指示の出し様などないのだ。Androidはそれでもまだ電池の消費さえ気にしなければやりよう(プログラムの作りよう)はあるが、iOSは最近の改訂で本当にstrictになってしまった。PortFowardingがまともに動かないのってどうだろう。...また、話がそれた)

しかしVolumioの場合、upmpdcliがプレイリストを引き受けてくれるのでplaylist問題に悩まされることはない。その代わりと言っては何だが、プレイリストの転送時間幾分いらっとさせられるのだが、いや、それですむなら安いモノである。N-70Aをちょくに使うとplaylist問題に引っかかりまくりで、そのときに感じたフラストレーションに比べればどうということは無いのである。

 

 

 

ああ、今回で終わらせるつもりだったのだけど、力尽きてしまった。

あともう一回、Volumioの設定のポイントと、補遺を記して完結させたい。

 

 

 

では、最後に今日の一枚を。

  

慶一さんですね。インダストリアルではない金物系の音が聞きたくなって掛けていますが(※)、もちろんそれだけのアルバムではありません。EIGHT MELODIESも、SMILES and TEARS 2010(やくしまるえつこ!)も、その他、全編ああ慶一さんだなあという感じの2枚組。確実にファン向けのアルバムですが、そういうマテリアルを通じて、ファンはアーティストその人への理解を深めていくのです。へー、そうなんだ、とか。

※FF-165WK

FF165WK | FOSTEX(フォステクス)の高音部がひずむのが嫌いで(みんな気にならない?)、Monacor DT-350NFを2Kのクロスオーバーで繋いで使うというなんだか邪道なスピーカーを最近使っているのですが、これが割合に具合が良いのです。で高音の抜けが気になるアルバムを掛けて、アレコレ調整をしています。

ちなみに箱はTDB16ですね。この上にツイータースタンドにマウントしたDT-350NFを乗せている訳です。

 

ところでこれを聞いていたら、去年の10/13に上野洋子さんが金沢蓄音機館でヴォイスパフォーマンスをされて、その会場の一番うしろに慶一さんが座ってらしたのを思い出しました。アタシの席の隣の、隣だったのです。ああ、ほんとに記録に残しておかないと色々ヤヴァい感じです。

(そのときの告知WEB)

www.nightkanazawa.com