all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2/10 JALのシステム改悪 c/w 楽天トラブル

あの日から一年経ってしまうことを何らかの形で整理するために、家人と一緒に白井良明さんのライブに行くことに決めたのは去年の9/3の事だった。

 

良明さんは2017年にプロ生活45周年、ムーンライダーズ加入40周年となるダブル・アニヴァーサリー・イヤーを迎えられて、ソロを出したり、ライブハウスサーキットをされたりの大活躍で、旧年9/3には、金沢はもっきりやでファンの集いも催されたのだった。

septiembreokbj.hatenablog.com

MOONRIDERS FAMILY TRUSTに入っているので会員向け先行予約でチケットはさくっと押さえられ、それに合わせて飛行機とホテルのセットもの、「JAL楽パック」を楽天トラベルで予約したのだった。45日前以前の予約だと、(まともなホテル2泊3日分+JALの往復チケット)×2人で6万円強。これは安い。

もちろん「おとなび」が使える歳になってしまっている私どもとしては、これを主軸に考えるという途も無くはないのだが、使用日の一月前にならないと買えない(オレ、忘れっぽいんで日が決まってるのは苦手なんだ...)、馬鹿みたいに混んでいる金沢駅の緑の窓口に行列しなければならない(このまえ一時間攻撃を喰らった...)、22000円x2=44000円はいいとしてJAL楽パックとの差額からするとホテル予算が一泊5千円/人になり出張と同じかそれ以下のレベルになってしまう(ビジネスじゃないんだ、メモリアルトリップなんだ、匂いが染みついて取れないバスルームとか、ボコボコのベッドとか、そういうのはゴメンだ)、などなどでやはりJAL楽パックしかないだろうという結論になったのだ。

(おとなびはコレを見よ)

tickets.jr-odekake.net

ちなみに、予約を取り終わってずいぶん経った頃に上記WEBを別の用事で見直したところ、2/12は「おとなび」の期間外だということが判明。無駄に頭を使ったとみるか、自分の中の費用対効果の物差しおよび物事の優先順位の再確認をする機会を得たとみるか。ま、後者ということにしておく。

 

 

さてさて、そのような訳で、アタシと家人は楽天トラベルが販売するJAL楽パックを使って2/12に浅草公会堂で催される白井良明さんのライブを見るために東京に赴くのであるけれども、そのためには何しろ小松空港に行って、飛行機に乗らなければならない。

どうやって小松空港まで行くか。普段ならまったく気にならないこの設問も、この一週間はまったく異なる意味合いを持ち、最悪往路のJALチケットを放棄してでも(そして片道分の北陸新幹線の代金を追加で支払うことになってでも)東京に向かうという後退不能な絶対防衛線的な覚悟を固めるまでに至っていた。

幸い、雪もやみ、幹線道の通行も確保されており、家の雪山から車を掘り返して表通りまで出ることも目処が立ち、最大の問題は解決される見通しが立ったのが昨日のことだった。予定通り、明日は小松から飛行機に乗れる。よかった。

そしてワインバーグの法則が発動するのであった。

ジェラルド・ワインバーグ - Wikipedia

ルウディーのルタバガ法則
第一番の問題を取り除くと、第二番が昇進する。

 はっはっはっ、その通り。

 

今回昇格した二番目の問題は、JALのタッチ&ゴーというサービスが何をどうやっても使えるようにならないという事だった。

see this!

travel.rakuten.co.jp登録したスマホがあれば、カウンターにもよらずにチェックインできるという便利なサービスで、コレ無しで飛行機に乗るというのはもう考えられない。使い始めて何年になるだろうか。

ただこれを使うには一つ儀式があって、JALの予約サイトから「タッチ&ゴー」の選択をしなければならない。というわけで、ブラウザを開き予約を選んで指定をしようとしたところ、予約が見つからないという自体に直面したのであった。

無い、無いではないか。

 

落ち着いてサイトを眺めれば、「JALからの予約」、「JALパックの予約」、「その他のツアーの予約」と区分を選んでから表示するように変わっている。JAL楽パックは「その他のツアーの予約」かと諒解し、そのタブに切り替えるのだがそこにも予約は表示されない。そこで日時、便名、予約番号、搭乗者氏名をわざわざ入力し(※)、検索ボタンを押下すると、よかった予約が表示される。

※以前は、こんな手間は必要なかった。楽天JAL MILAGE BANKの会員番号を登録すると、JALサイトでは何も言わずに表示されていたのだ。

 

なんとレベルの低いことで喜んでいるのだとあきれる事なかれ。IT屋であるところのアタシは、一見完璧に見えるシステムにも実は深いクレバスが幾つも潜んでおり、それに落ちると、場合によってはカフカの審判よりも理不尽な目にあうということを経験上熟知しているのだ。完璧に見えるシステムのほうが、いざというときにはサポート窓口が高飛車だったりするということも。うちのシステムに問題なんかありません、そんな話聞いたこともありません、お客さん失礼ですけどクレーマーですか?録音してますよ。

そういう調子の担当に当たって、不具合の再現確認を向こうがやり始めると一時間などあっという間に飛んでしまう。そう言う奴に限って、事実をねじ曲げる事を延々と繰り返すのだ。なおこの場合のシステムはITシステムに限らない、本義の意味のシステムで、販売プロセスやサポートフローなどが発狂しているというのも含まれる。それがために、二度とASUSの製品は買わないと決めている。

いや、またドリフトした。

 

さて、予約が表示されたので「タッチ&ゴー」の指定をしようとすると、いつも見慣れたボタンが画面上に存在していない!またか、またなのか、またクレバスなのか?

そこから一時間、ああでもない、こうでもないとJAL楽天トラベルの間を行ったり来たりしながら格闘してみたのだが、何をどうやっても状況が変わらない。ようやく諦める決心をして、担当者につながるまでに待ち時間も含めて22秒ごとに10円がかかるJALの電話サポートに連絡を取ることにする。回線がつながってから担当者がアサインされるまで待たされること10分(ということはそれだけで三百円か!!!!)、ようやく登場した担当者に縷々説明をすると、あきれる他ない事実が判明。

  1. 他社経由のツアー申し込みは、スマホ経由のタッチ&ゴーは出来ない。だからボタンが無い。
  2. これは昨年11月のシステム改修によるもので仕様と理解している。
  3. お客様からの苦情があるのは承知しているがあしからずご了解いただきたい。

またかよ、クレバスだよ。

ただし普通のクレバスと趣が異なるのは、事象を認めるまでの異例の早さと、それとセットの間髪を入れない謝り方だ。普通この手の話は、問題があることを認めないし、事象は理解したと言っても最後まで謝らない。ということは、すでに大量に指摘が発生しており、かつ仕様と言い切って免責事項の説明をし始めると大いにもめるという知見が共有され、窓口にさっさと認めて謝れという指示が降りてきているとしか思えない。でなきゃああも逡巡も無く謝れるものか*1。謝られたということに対してではなく、簡単に謝らざるを得ないという状況になっていることにimpressされたアタシであったので、「せめてWEBにはきちんと説明をするようにクレームしておくから応対レポートには必ず残しておいてね」とジェントルに電話を切ったのだが、そのあとでこの一連のやりとりには不思議な違和感があることに気がついた。

もちろんちょっと考えられないシステム改悪である。サービス仕様を変えるなんて。しかしそこに違和感がある。なんとなれば発注者側の顧客(今回はJAL)の担当者が以前の仕様(サービスレベル)を墨守するしてことにこだわるのが(そして費用が膨れ続けてITベンダーが泣かされるのが)過去によく見てきた話であって、特にBtoCやBtoBtoCのカスタマー向けの顔を持っているシステムの改変というときにはほぼ間違いなくそれが起きる(それが良いとは言ってないので誤解無きよう)。しかし今回に限っては、仕様変更やむなし、後退なし、という企業の態度が伝わってきた(ような気がした)。なぜなのだろう。そもそもこの改悪はどこのベンダーがやったのだろう。

それを明らかにするために、「JAL システム ベンダー」でググると、すぐに答えが見つかるのだった。

 

itpro.nikkeibp.co.jp

itpro.nikkeibp.co.jp

ああ、コレなのですね。

現行システムのうち、米IBM製のメインフレーム上で稼働している予約・発券・チェックイン処理などを、スペインのアマデウスが提供するクラウドサービス「Altea(アルテア)」へ移行する。

自前システムを捨てて、有り物のクラウドサービスに移行する、引っ越し先にないものはサービスダウンでもあきらめる。

ビジネスのロジックとしては、判る。自分もその局面なら同じ判断をするだろうな。でも、それと同時に周知の手配をこれでもかという位に準備するだろうな。一度あきれたお客さんは、中々同じレベルの顧客ロイヤリティにもどってくれないからだ。

 

二年ほど前だから、JALが復活して顧客の方を向いた良い会社になったと言われ出したあとの事だ。金沢に帰るために羽田の出発ゲート前でClass Jの空席待ち受付が始まるのを待ってたアタシはなんだか嫌なものをみた。受付のシステムを「偉い人」に説明するための社員さんの一群がやってきて、機材到着遅れでいらいらしながら待っている我々を尻目に、楽しそうに語らい、笑い、説明の出来に満足の意を表明した「偉い人」をアテンドしながら去って行ったのだ。約10分の出来事だった。その間、彼らはすでに30分遅れてイライラしている我々の方を一切見ることはなく(それも忝さから目をそらすのでは無く、まったく目に入らないという様子で)、社内のオフィスで打ち合わせをするように語らい、笑っていたのだった。幾分大きめな声で、いつ乗れるんだとカウンターのスタッフに問い詰めていた人もいたのだけどね。ああ、JALJALのまんまだなあと、そのときに痛感したのだ。「稲森」さんがいくら立派なことを言っても、JALJALなのだ。

 

そのような事を思い出したところで、本稿はいつものごとく唐突に終わる。システムの仕様ってのは永遠に変わらないものじゃないし、実現するのに馬鹿みたいな金がかかることになってあきらめるのもごく普通のことだ。ただ、それをきちんと告知できないというのは全然違う次元にある。サポートの応対マニュアルを書き直している暇があったら、さっさとWEBのコンテンツをもっと親切にすべきだ。当たり前のことができない会社は、きっとまた危機に陥るであろう。悪口?いやいや、素直な気持ち。

 

 

では明日の小松空港行きに向けて車の発掘をしよう。「何とかなりそう」と「何とかなった」の間には無限の距離があり、それを飛び越えるには実行が必要なのだ。

夕方までには、なんとか。

 

 

 

(追記)

と、与太話を書き飛ばして、車が出せるように雪をどかして室内に戻ってきたら、なんだかJALからメールが届いていたのだった。何だろう、まさかアタシの心を読んだわけでもあるまいに等とドキドキしながら開封してみると、うーむという内容が。かいつまむとこんな感じ。

  1. 小松発便の搭乗前日のお客様にお知らせします。
  2. 小松空港サクララウンジは昨年12月から改装に入っていて、3月まで使えません。
  3. ついては飲食店で利用できるチケットをお渡しするのでチェックインカウンターにお声がけください。

 ラウンジが使えるステータスなので、告知のメールを送ってきたのだと思う。思うのだが、なんだか釈然としない感じ。

調べると

【お詫び】改修工事に伴う小松空港サクララウンジの閉鎖について - JAL

というページは用意されているのだけど、ここページ自体がラウンジ案内ページに行かないと見つからない。あ、あと171124_kmq.htmlというページのhtmlリソース名で探すとfacebookからもリンクしてたね、まあその位しか露出していないのだ。

(ちなみにkmqは小松空港のコードね)

 

...保育園がうるさいから反対などと暴れた「世田谷区」のゴミと同じようなレベルの難癖の付け方かしらと思わなくもないけど、でもねもうちょっと情報提供は何とかして欲しいと思うのですよ。たとえ前日でもメールがくるのは助かる。知らずに行って、手荷物検査を過ぎた後で(つまり飲食店に戻れなくなった状況で)ラウンジが無くなったことが判ったら、大暴れをすること必定であって、それはアタシにとっても、JAL職員にとっても、間違いなく不幸なことである。それが避けられたのは確かにベターだ。しかしそんな重要な情報(アタシにとってはね)、直前のメール一発で済まされてはかなわないのだ。もしこのメールを読み飛ばしていたら、と思うと幸せな気持ちにはなれない。

などと考えると、何度もしつこく送ってくる搭乗のリマインドメールに記載されているのがありがたいのだが、しかしそうはなっていない。ラウンジを使えない人にはそもそも知らせたくないのだろうな、という意図が透けて見える。正確には、リマインドメールの文面を条件によってモディファイする機能がないために、必要な人への情報伝達の確度向上と、必要ない人をあえて刺激することのリスクを比較して、後者を取ったのだろうな、と。いや、そんな面倒なこと考えてないかな。個別に送ればいいや、みたいなノリだったのかな。

等などが脳内を去来して、なんだか釈然としない感じと相成ったのだった。

 

よくまあ、ぐだぐだ書くねえ。自分でもあきれるやら、あわれになるやら。

 

*1:みなさんご承知の通り、サポート窓口は謝ること一つとっても自分の意思では行えないのだよね。勝手に謝ったら会社が謝ったことになってしまうから。まあ、そりゃそうだ

2/7 スゴい雪、自宅で仕事

今近来まれにみる降雪量に麻痺している金沢市であるが、どうやら56豪雪(昭和56年に当地を襲った豪雪)以来というレベルに達したらしい。早速平成30年豪雪 - Wikipediaなどというのも出来ている。

しかも昭和56年とは異なり、冬は雪が降り積もるものだという常識も、供えも、もちろん対応ノウハウも散逸している平成30年であれば、都市機能のマヒの具合は昭和56年の比ではない。なんとなれば、そのときに学校が閉鎖されたという記憶が無いのに対して、今回は小中学校、高校も休校が続出しているようである。

www3.nhk.or.jp

記録的な大雪の影響を受け石川県の多くの小中学校が7日の休校を決めています。
これまでに休校を決めたのは、小松市、加賀市、能美市、野々市市、羽咋市、かほく市、津幡町、中能登町それに川北町のすべての公立の小中学校と高校の115校です。
このほか▽金沢市の42の小中学校、▽白山市の20の小中学校でも休校を決めています。

 

かく言うアタシもオフィスに行かずに、自宅で作業をしている。バスは辛うじて走っているのだけれど、幹線道まで出るのが大変なのだ。これでも市内均一料金区間内なのだが(ご存じない方向けに補足しておくと、金沢市内のバス市内均一料金区間は市の面積に比して驚くほど狭い)、表通りまで出るための苦労は只ならぬものがある。昨日はどうにもならない用事があってオフィスに出向いたのだが、途中で雪にはまり込んで動けなくなっている(遭難したともいうな)老人を助けたり、スタックしてしまった車の後ろを押したり、融雪装置からの水がたまって突然出現した深さ15cmくらいの池を避けるために大幅に回り道をしたり(道路一本が丸々池になっていたのだ)、普段なら5分の道が30分にもなってしまったのだ。可能なら引きこもるに限る。

 

そうして、家の前の雪を除けたり、コーヒーを入れたり、パスタをゆでたり、もちろん仕事をしたりして、そのうちに疲れたのでネットをブラウズしていたら、アレアレと思う記事に出会ってしまったので備忘録を残すものである。

(ここまでだらだら書いてようやく本題なのか、というのは我ながらアレだなあと思う。そしてそれは亡き息子にそっくりである。いや、息子がアタシにそっくりなのか)

 

www.recruit-ms.co.jp 

企業には現業、管理、経営の三階層があるとして、このコラムは、現業→管理→経営の順に階梯を上がっていくという日本的雇用・労働慣行を暗黙の前提としている。人材育成・研修をなりわいとするリクルートマネジメントソリューションズとしては、人事部、総務部が社内で人材を育成する事に意義を感じる様に、手を変え品を変え、あおり続けなければならぬのだろうが、しかし経営人材の候補者プールを社内に作って、それを計画的にメンテしていくというのはホントに可能な話なのかね(修辞的疑問文)。

経営人材に必要な正しい資質(Right Stuffだね)が万古不易のものなら、遠い将来のために時間をかけて人物を絞り込んでいく事が不可能だとは言わない(極めて難しいだろうが)。しかし、30年前にエレガントな経営者と、いまこの瞬間にエレガントな経営者は、同じ資質の発露としてエレガントな経営者となった/であるのだろうか?大いに疑問である。いや、可能だと断言する立場の人たちが多数いらっしゃるのはもちろん判っている。しかしそんな事が可能なのだとしたら、なぜ軍でやっているように、士官と下士官を分けることをしないのだろう?同じスタートライン(実際には入社時に色分けがされているようだが)から始めるなど無駄ではないか。選抜して、育てられるというのであれば、それを突き詰めた軍のまねをすれば良い。

 

ところがリクルートマネジメントソリューションズさんにおかれては、物差しが万古不易だとすら言わず、しかし経営人材の選抜と教育を行うべきだと説いている。さあ、その超絶ロジック(ロジック?)を眺めていこう。

第1のステップは、ゴール設定である。自社の目指すビジョンや経営戦略に照らして、「どのような経営人材が」「いつまでに「」何人必要なのか」といった5W1Hを明確にしなければならない。例えば、海外でのM&Aによって成長することを決めている企業の経営者は、海外を飛び回りタフな交渉をする必要があり、体力があることが必須だ。そのため、新入社員から候補者を選抜し、若い経営者を輩出しようとする傾向がある。

すごい、こんなゴール設定、何年持つのだ?中期経営戦略に合致する経営人材のプールを作るなんてこと、本気で言ってるのか?だめだ面白すぎる。もうちょっと引用しよう。

第2のステップは、候補となる人材の選抜である。全社共通の基準を用いて人材の評価を行い、候補者をリストアップする。もし社内に十分な候補者が見当たらない場合には、社外からの人材調達(中途採用)も考えなくてはならないだろう。 

ふむふむ、そうだよね、社内に居なかったら外部から連れてこなきゃならないよね。

だがしかし。

第3のステップは、候補人材の育成だ。手段としては選抜研修が行われることが多い。従来はマーケティングやアカウンティングといった経営に必要となるリテラシーを学ぶことが多かったが、ここ数年は単なるお勉強で終わらせず、実際に事業上の課題を設定したり新たなビジネスを構想するといった実践型の研修が主流となっている。また、研修実施だけで終わらせず、チャレンジングなプロジェクトへのアサインメントや他部門・他事業へのローテーション、海外現地法人への出向といった、候補者の成長につながる異動・配置を継続して行うことが重要である。ちなみに、異なる事業や地域への異動・配置、職種転換は、人材の環境適応力や学習能力を見極めるという「ロードテスト」の意味合いも兼ねている。

え、せっかく外部から連れてきた人も教育(と篩い分け)のプロセスに乗せちゃうの?頭おかしくない?いや、おかしいです。滅多に断言しませんが、これは断言します。頭おかしい。だったら最初からゴールに合致した人間を外部から取れよ。

そして更にひねりは続き、万古不易ではない事を一旦は認める。

もう1つ、経営人材育成の実行を難しくしているもの、それは「不確実性」である。経営人材育成には「将来の」活躍を期待した先行投資の面がある。若いうちから選抜しようとすればするほど、経営人材としてのポテンシャルを見極めることは難しい。本当にその人材のポテンシャルに賭けていいのかどうか分からないなかで、現場の反発があっても異動やローテーションをすべきか。そもそも、「VUCAの時代」(VUCA=Volatility〈変動性〉、Uncertainty〈不確実性〉、Complexity〈複雑性〉、 Ambiguity〈曖昧性〉)といわれるように環境変化が激しい昨今、一度決めた経営人材像が10年後も通用するものなのかどうかも分からない。ここに難しさがある。これは、組織のなかからイノベーションを起こそうというときに直面する難しさと本質的には同じである。つまり、「不確実性が高いなかで資源動員をする」という決断をしなくてはならない。

ああ、そうですか?イノベーションの困難さと同型の問題だと?で?

企業風土や価値観とのコンフリクトを超えて、また不確実性があるなかで資源動員の意思決定をするのは経営者の役割である。そもそも、将来の経営者を育てるのは現在の経営者の責務であり、人事に一任して経営者は報告を聞くだけでは、うまくいくはずもないだろう。さらに、経営者自身が多くの時間を経営人材育成に費やすことで、その重要性が社内にも伝播していく。「経営人材育成を成功させるためには、経営者のコミットメントが必要」だといわれる(図表3)のはこのためである。

はあ、経営者がコミットメントすれば良いのですか?しかしそう書いたそばから、人事起点で経営人材育成を進めることはできるという節が続く。

経営人材育成には経営者のコミットメントが不可欠なのだが、かといって人事は受け身で待っている必要はない。ある企業の人事マネジャーは、グローバル化・テクノロジーの進歩のなか、現経営層が経営判断をしていては勝ち残ることができないと考え、膨大な事実に立脚した提言を経営層に対して行った。退職も覚悟で現経営層にNOを突きつけたのだ。その必死の訴えが認められ、戦略的な経営人材育成を進めた結果、いまでは経営層のほとんどが入れ替わっている。極端な例だと思われるかもしれないが、この例から伝わるのは、人事から経営者を動かし、経営人材育成を進めることもできるという事実だ。

 

そしてこの記事はこう結ばれている。

以上、経営人材育成がなかなか進んでいない状況を「分かっちゃいるけど、やりきれない」と表現して、その要因を考察してきた。ただ、こう言っては元も子もないが、阻害要因や「壁」に目を向けて分かった気になるのではなく、いかに愚直に行動するかに尽きるともいえる。取材した日立製作所でも、グループ会社で40代の社長誕生という大胆な人事が実現したのは、人事が各所に根回しをして合意をとりつけるなど、まさに泥臭く行動した結果であった。

「成功事例を探すだけで何もしないのはもうやめて、そろそろ動き出そう」と思われている人事担当の皆さまにとって、少しでも本特集が参考になれば幸いである。

 

てやんでえ(なにいってやんでえ、の略)。そこらの野太鼓だって、もうちっとうまく座を持たせるぜ。

 

まとめます。

人材育成・研修セントリズムな人たちからすると、リクルートマネジメントソリューションズさんの言ってることは正しいように見えるのかもしれません。でも、そうじゃない立場からすると、これは仕事を作り出すための仕事にしか見えません。いやもっと悪い。人事、総務のような社内官僚が思い上がると大体会社は傾きます。仕事が欲しいからと言って、よその会社に混乱の種をまくような記事をかくというのは、やはり品のないことだと思います。まあリクルートですから、品を求めても仕方ないのですが、しかし品がないと思われる事による損が判らないからこれを書いている訳で、少なくとも頭が良いとは思われません。なんという矛盾。研修屋さんなのに。

そしてこんな馬鹿記事を支えに制度提案をしてくるような人事や総務がいたら(うちにはいない事を期待しますが)、経営サイドの末席に座っている私などはどんな顔をして話を聞くのだろうかと想像してみるのですが、まったく頭に浮かんできません。鬼のような顔でしょうか、能面でしょうか、それともにこやかに応対をするでしょうか。どれもありそうで、どれでもなさそうです。

経営とは隙あらば局所最適を図ろうとする「賢い」人々を使って、組織全体に資する最適化を行うことだ、という定義もあります(というか、いま自分で定義した)。そうすると、そんな人事を使いこなしてこそ経営ということなんでしょうけど、うーん、やっぱりこんな記事に乗せられた提案が出てきたら、難しい顔をしちゃうな。どうしてそうなっちゃうのよ、とか。

そうか、難しい顔をするんだ!

2/5 金沢市の家庭ゴミ有料化:補遺 次の市長選

septiembreokbj.hatenablog.com

 

の冒頭においた伏線の回収を忘れてたので、それについて触れておきたい。

 

非常に奇妙な街頭演説との遭遇が本シリーズの発端だった。なぜ彼らは支援ではなく制度の廃止を訴えたのか、それはとても奇妙な主張であり、その理由は大きな謎だった。この謎はゴミ問題を調べていく中で最後まで解決しなかったし、クリアな根拠も発見できなかったのだが、しかし或る心証がアタシのうちに徐々に形成され、最後には多分こうなのではないかという妄想に結実した。

 

結論から言えば、本件をバネにして次回の市長選挙市民派市長の擁立、当選を目論むという大きな絵図があるように思われる、アタシの妄想では。

制度の当否とは関係なく、市長および市役所の「丁寧な説明を拒む態度」というイメージはメディアの後押し(※1)などもあって浸透していると思われ(※2)、かつ地域コミュニティにゴミ処理の末端を代行させようという方針については実質的な承認を経ていない(※3)状態にあっては、今なお火種はくすぶっており、一旦ことあれば(事を起こせば)大炎上が可能な状況であり、仕掛け次第で十分に乱戦がありうると見ている。

※1 金沢市 ゴミ有料化 で検索すると毎日新聞の記事が多数見つかり、一貫して市側が対話を拒否しているかのような印象を受ける。

※2 これは周りの人に聞きまくって集めた心証。ただし年齢、その他に偏りはあるので、あくまでも「と思われ」。

※3 地域コミュニティーにどのような負荷が発生するのかという役務範囲を明言していないよね(特に、状況次第で何が起きるのかロードマップを語ってないよね)。

  

元々山野氏は、山出氏の市政が長期化した事の反動として当選したのであって、彼自身の政策などが積極的に評価されたのではないという認識。次の選挙も、辞職に至るまでの経緯での自民党の動きが鼻につき、そのイメージが対抗馬の下沢氏に憑いてしまったため判官贔屓の流れもできて、無党派層の票を総ざらいしての当選だった。

つまり山野氏自身が信任された選挙は一度もないというのがアタシの見るところで、自らが蒔いた種の正否を問われる次回は、今までとは状況が違うのだ。

 

そんな山野市長にタイプが似ているのが、武雄市の市長になり世論を二分し、ツタヤが公立図書館を食い物にする道を開き、知事選に挑み、破れ、CCCの子会社の役員になった樋渡氏だ。そして、その樋渡氏と対談した山野市長のblogのテンションは高い。

ameblo.jp

 

その樋渡氏が武雄市に作ったFACEBOOK 課も廃止されて久しい。

j-town.net

 

武雄市であった公立病院民営化と同じレベルでの炎上となるかは諸団体の頑張り次第だが、そこまで届きかねない火種が今回仕込まれたと見るし、諸団体もそのつもりなのだろうというのがアタシの妄想である。

次回の市長選は刮目してみるべし。現市長、市民派団体擁立の対抗候補、そして前回の雪辱を狙う自民党系の三派激突の選挙戦となるであろう。

…妄想だけど(逃げてるなあ)。

 

2/7 追記

樋渡氏が佐賀県知事選に敗れてからのことは真面目にウオッチしてなかったんだけど(見るとアレがアレするから)、今回のことでwikipediaを見てみたら、何というか本格的にアレになっていて、ううむ、大丈夫かねと思ったりするよ。武雄市のときにアレコレやったことの評価というのは外部の人にはよくわからない部分があるが(※)、しかしその後の移ろいを見ていると、武雄市でのことも芯がある話ではなかったんじゃなかろうかと思えるね。

※とはいえ図書館の件はホントにアレだとおもう。金沢でもアレを導入したいという事を言い出す奴がいたら、それこそ「市民派団体」とでも組んで反対するよ、という勢い。そのくらい、アレはアレだな。

樋渡啓祐 - Wikipedia

そして氏の最新の活動が「一般社団法人全国空き家バンク推進機構」。

ここのサイトは見に行っても何も書かれておらず、?な気持ちになるので、代わりに読み筋を示してくれているサイトを紹介しておく。

akiya-text.com 

さて、どうなるのでしょう。しかしこんなのもあったりして...。

「全国空き家バンク推進機構」なんていう商標出願があったよ

 

2/2 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その4)

いよいよ最終回(予定)の第4回。大体ブロックは積んだはずなので、あとはさらっとまとめられるはず。自分を信じて!

 

 

3.さて、なぜ制度がもめたのだろう?

  

septiembreokbj.hatenablog.com

前回(その3)、収入の使い道に関する情報を新聞(日経および北國新聞)に頼ったのは、金沢市のWEBサイトに情報が掲載されていなかったからだ。ちょっと信じられない。少なくともアタシが見る範囲では、金沢市のサイトには、収益をどのように使うのかを説明したページも、資料も一切見当たらないのである。

 

先に紹介した岩手県の検討資料では、手数料を取る事自体は問題無いとしつつ、最後に以下を記している。

しかし、家庭ごみ有料化は住民に新たな負担を求めることになり、これまで税収によりごみ処理が行われてきた事実から、税の二重取りという批判は、当然、考えられる。有料化の目的を明確にしたうえで、手数料の使途を透明化し、ごみ発生抑制やリサイクルの推進などを中心とした施策に充てることが住民の理解を得る上で重要と考えられる
(強調は筆者)

これが普通のセンスだと思う。しかるに金沢市は使途を説明する資料を公開しておらず、新聞が曖昧に伝えるのみである。

 

四の五の書くのが面倒になってきたので、他の自治体の情報をもって語らしめることにする。

(札幌市)

https://www.city.sapporo.jp/seiso/keikaku/slim_report/documents/slim_report_20_009.pdf

京都市

http://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/cmsfiles/contents/0000000/179/24syunyunotukaimichi.pdf

 

これらの使途を見ると、ああ負のインセンティブとして集められたお金であるけれども確実に市民の生活環境の向上に用いられているなあ、という感想が素直に持てるのではないかと思う。何のために使うのかが事前に判っていれば、金沢市における制度導入ももっとスムーズに行えたと考える。

なぜ今制度を導入する必要があるのかという事、そして集められたお金が本当に有効に使われるという事、それら2点の説明をなぜ金沢市は行えなかったのか、そして未だに行っていないのか。考え方はいくつかある。

  1. 別の目的に使いたいお金があって、それを集めるために国がやれと言っている家庭ゴミ収集の有料化がちょうどよい言い訳になる、などという真実は口が裂けても言えないから。かもしれない。
  2. 国がやれと言うから仕方なく始めたのであって、内在的な理由は自分たちの内部に無い、などという真実は口が裂けても言えないから。かもしれない。
  3. 市役所側としてはずっと有料化をやりたかったのだけど、前の市長の時には、まずは他の施策を試して選択肢がないことを明確にしてからだと釘をさされ、それが新市長に代わってからは色々と説明が楽になったので、いまのうちに制度を通してしまえという流れになり、実際には家庭ゴミが減ってきているのに無理に通してしまって、しかも有料化自体が目的だったので、収入の使途をどうするかまで煮詰めていなかったので使途の説明も出来ない、などという真実は口が裂けても言えないから。かもしれない。

以上はもちろん妄想であって、実際の金沢市がそのようなずさんな事をしているとは考えられない。しかし

  • 金沢市役所は、市民に対して、市民が行政を理解・判断するための観点から必要な包括的な情報(少なくとも断片に分断されていない情報)を提供する事が、今日的な行政において必須かつ優先度:高の仕事だということを理解していないかもしれない。

という可能性は大いにあるのではないかと考えている。決して悪意では無く、常識のずれとして。

例えば、金沢市において家庭ゴミの年間処理費用は市民一人当たりいくらかだろうか?今回の制度について考えようと思ったとき、袋代として徴収されるお金は、その年間処理費用の何%なのだろうかということがまずは意識に上るはずだ。しかし、そのような数字は公開されていないのである。

金沢市の隣にある、(さまざまな施設を自前で持たず、他の自治体によりかかり、市としてのメリットだけを享受しているいびつな市である)野々市市ですら野々市市 ごみ・リサイクルで小学生に対して情報を公開している。それによれば8600円/人年とのこと。 

 実は金沢市の市民一人あたりの年間家庭ゴミ処理費用が8629円、市全体で年間40億の費用が発生していることをアタシは知っている。どうやって?それは共産党所属の市議会議員、みよみよのBLOGを見たから。

miyomiyo.jcpweb.net

40億/年の経費 一人当たり 8629円/年 

こんな当たり前の数字を、しかるべき場所でしかるべき人が突っ込まないと数字が出てこないというのはどういうことなのだろう。しかもこの数字、直接費のみなのか、それとも他の数字が乗っているのかが全く判らない。例えば施設の償却費はどうなっているのか、ゴミ処理時に発電した電力を売ったお金はどこに行っているのか。

kumanomorio.comなどから、2015年度には8.7億円が入っていることが辛うじて一市民のアタシにも、判る。しかしこの売電費用の行き先は判らないままだ。

 

その代わりに、この記事は更にいくつかのげんなりする事も教えてくれる。

一つは(その3)で触れた「二重取り」について、普通に考えると問題ないという件。これについて金沢市市長が理解できないことを発言しているのが判ってしまった。

また、市長が自ら赴いた説明会で、家庭ごみ有料化の手数料収入はゴミ処理費用に当てないと明言していたことについても尋ねたところ、手数料収入は環境政策に資する形で地域に還元することを主としており、結果として、議会でも議論されている税金の二重取りを避けるため、とのこと。

金沢市には論を整理する能力が無いのか、それともすべて判った上で使いたい用途にお金を使うためにあえて能力が無いふりをしているのか。いずれにせよ理解しがたい。

そしてもう一つ。

まず、委員会で森尾委員が市内2箇所の焼却施設の売電収入を尋ねた経緯は、市が進めている家庭ごみ有料化の説明会で、ゴミ焼却施設から売電によって市が得ている収入も説明すべきという観点から。

委員会で市議が聞かないと(問い詰めないと)売電収入が判らないの?そしてその事について市議会議員自身が突っ込みを入れないの?もしや質問をして情報を入手するという事自身が金沢では市議会議員の特権になっているの?

いや、よほど難しい情報ならともかく、他の自治体では当たり前にWEBに掲載されている情報が、金沢ではあえて問わないと得られないとは。

 

 

書いていて相当に悲しくなってきたが、このようにして1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の3番目、

さらに2.が原因となっているのか(つまり2.の問題を市も理解しているのか)、制度の手続き部分の周知に比して、制度の正統性の説明が非常に雑というか粗略になっている。「知らしむべからず、よらしむべし」という言葉をふと思い出してしまう。

にたどり着いてしまった。金沢市は、自分たちがやろうとしていることも、やったことも、情報開示ができていないのだ。家庭ゴミ処理の有料化について調べただけで、これである。叩けばホコリはもっと出るだろう。

 

そして特権を通じて得た情報をBLOGで公開する市議会議員、古くさすぎてめまいがする。情報が広がれば、それをつかって良い考えも、行動も生まれてくる。結局のところ確率の問題なのだから、何よりも情報を一人でも多くの人の目にさらすのが最優先なのではないのか?ITが人類(大きく出たな!)にもたらした最も大きな価値は、情報の配布、収集のコストを桁違いに変えてしまったことだ。その結果、くだらない特権も、愚かな因習も、だんだんと風化しつつあるのだ。確かにFAKE NEWSという問題も最近クローズアップされているが、だからこそ役所は責任をもって情報をさらけ出さなければならないのだし、周りはそれを促進させなければならないはずだ。

いや、彼らも最初はより多くの人に情報を広めようという善意からBLOGを始めたのだと信じたい。しかし、彼らの善意に頼らなければ情報が得られないのだとしたら、それは持続可能な情報公開ではない。市役所が情報を出せるように、制度や職員のマインドを変えていくことが、市議会議員の仕事であるし、それなくして多くの人が参加する「市」はあり得ない。参加とは、参加する人が自ら考えることを抜きでは成り立たないのだ。考えるための燃料である情報が手に入らないなんて。

(これ以上続けると、とんでもない事を書きそうだね)

 

ただ、これだけはいえる。あまさず情報が公開されていたら、もうちょっとすんなり制度は始まったはずだし、収入の使途も歓迎されるものになっていたはずだし、毎日新聞が跋扈することも無かったはずだ。そしてもしかしたら、今後のゴミ処理施設のあり方やその費用の手当(積み立て)など、将来に関する議論まで深められかもしれなかったのだ。なんという壮絶な無駄だろう。 

 

近江町で奇妙な街頭演説を耳にしてしまった結果、ずいぶんと遠いところまで来てしまった。アタシはなんだかとても野蛮なところに住んでいたのだなという気持ちである。

そして最終章、結論4に向かおう。

 

 

 

4.市民という言葉は誰を指すのだろう?

長々と続けた今回のエントリで、何度も市民という言葉を使った。様々な文脈で使われる多義的な言葉なのは承知しているが、本件における市民とは金沢市からパブリックサービスを受ける対象(※)であるので、「金沢市住民基本台帳に登録しているもの」が適切な対象であろう。

とはいえ何度も言うが、 「市」とは市民が参画し、維持するものである。行政は市民の委託を受けて代執行している存在に過ぎず、どこまで行っても(たとえば一人ひとりは無力に見えても)、市民が市を支えるのである。ゴミの減量は市が悩むことだ、と言い放つような者が市民であるという事は、心情において首肯しかねる。せめてその「市民」が多額の税金を納めて他の市民を潤わせている人物であることを期待する。

つまり、住民票を移動させずに金沢市に居を構えるものは、市民ではないということである。(その3)において京都市の条例を紹介したが、これをよく読むと京都市の厳しさが伝わってくる。彼らは市民と滞在者を区別して条例を作っているのである。おお、京都、まったくもって「ぶぶ漬け食うていきなはれ」である。

 

さて、その住民票であるが総務省|住民基本台帳等|住所の異動届は正しく行われていますか?

お住まいの市区町村で、行政サービスを確実に受けられるようにするため、入学・就職・転勤等に伴う引越し等により住所を移した方は、速やかに住民票の住所変更の届出を行って下さい。 

とあるとおり、異動した場合にはさっさと住民票を移さなければならない(一応罰則規定もある)。理由はいろいろあるが、行政サービスのフリーライドは許さないという事も確実にある。

さて、学都を名乗る金沢であって多くの学生が居住している訳だが、彼らの何%がゴミ処理の費用を払っているのだろうか。それ以外にも、住民票を能登においたまま、金沢に居を構えている若い人は少なくないという事を耳にすることもある。地元の「人口」を減らしたくないなどの理由なのだそうだが。しかし、その税金はどこに行くのだ。そして我々の税金はどこに行くのだ。

 

だからチェックを厳しくしろ等のHowを述べるつもりはない。そうではなくて、ネットで見かけた本件に関する意見(や意見の表明に関する報道)は、どこを見ても

私は勘弁して(そしてその変形の、この人たちは勘弁してあげて)

か、

必要なら仕方ないじゃ無いか

の二種類で、そもそも ゴミ処理ということを市と、市民と、業者と、滞在者がどのように按分すべきなのかという視点での意見が見当たらなかったことに困ってしまっているという気持ちを記録に残しておきたいのだ。問題の構図も整理せずに、答えだけが出てくるなんてどうかしている。そう思うでしょう?

そして1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の4番目、

本件を更に大きな枠組みで見つめ直したときに、「市民」とは誰かという事を抜きにしてゴミ処理の話をして良いのだろうかという問題に行き当たってしまった。ただしこれは金沢市だけの問題ではないと思う。

にたどり付くのであった。

 

フィニーッシュ!! 

ここまで目を通された方はお疲れ様でした(知り合いの多くも途中で脱落しているものと思われる。そもそも当人が苦しい)。

今後は題材を選んで書くので何卒ご寛恕ください。

 

 

  

付録1:「市民派」よ、甦れ

 (その3)で市民派を揶揄することをアレコレ書いた。それは、市民派と名乗る以上は市民の利益を考えるべきところを、自分の都合(理屈も無しに語ることは基本的に自分の都合か宗教だ)を市民派の看板で語るからで、市民という集団全体をしょって利益誘導するなら、それは立派な市民派だ。そんな人を揶揄しようとは、いくらアタシでも思わない。それは意義のあることだと考えるよ。

 

そして今回の件から判るのは、金沢には市民派がいなかったということであって、それもアタシを鬱々とさせる。市民とは弱者のことでは無いのだよ。いや、弱者を守れというのは立派なことだ。それを市民派という看板でやるなということなのだ。昔あった貧民党ってのはいい名前だと思うのだけど、それだとマズイのか。だったら最近の時勢にあった、しかも対象をジャストに表す看板を立ててやれば良いのであって、何しろ市民という言葉をこれ以上汚さないで欲しい。

その結果が、今回の議論の低調さだ、と言ったらあまりにも乱暴か。しかし市民派という人たちにアタシやアタシの周りのひとはうんざりしており、どんなに良さそうなことを言っていても、そこにいっちょ乗っかるかという気には到底なれない。オレンジ果汁1%、あとは混ぜ物というのをオレンジジュースと呼ぶかという話であって、もしそういうのを見つけたら、アタシはソレを売っている人間を信用することはない。そういうことだ。

 

しかしこれだけ書いておきながら、全き意味での市民派が甦ることを期待する気持ちがアタシの中にはある(そもそも居たことがあるのだろうか、などという事を問うてはならない)。市民すべての益になることを考えて行動し、それが本当であることを常に証続けるという人がいたら、是非ご助力申し上げたいという、そのような気持ちがある。

現実逃避というなかれ、夢想というなかれ。もちろん、暇つぶしともいうなかれ。

アタシは前進が見たいのだ。

2/2 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その3.1)

(その3)に事実誤認があったので訂正する。

septiembreokbj.hatenablog.com

自宅に戻って北國新聞を読み直したら、目にフィルターがかかっていたことが判明した。

なお、2/2の北國新聞記事では、

収入は新しく作られた基金に納められ、そこからゴミ処理支援をする町会活動に対する補助としてのみ支出される

とあり、一年前の状況から幾分修正されたようにもみえるが、金沢市自身はなんらの発表も行っていない。

 

 

2/2付けの北國新聞一面の記事から正確に引用すると以下のとおりである。

指定袋による収益を年間2億円程度と見込んでおり、特定の基金に積み立て、地域コミュニティーの醸成に関わる事業に限って活用する

 

おお、なんという底抜けなことを。地域コミュニティーの醸成とはなにか。未だに市のWEBサイトには直接的な何らの情報も公開されておらず、想像するしかない状態なのだが、多分この「特定の基金」に該当するものは

金沢市の基金の設置及び管理に関する条例

にある

地域コミュニティ活性化基金

地域におけるコミュニティの充実と市民協働の推進を図り、良好な地域社会の維持及び形成に資するため。

だと思われる。

しかし地域コミュニティ基金だとすると、その適用範囲はhttp://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/10913/6/29zyourei.pdfであって、ゴミ清掃に関わるものだと思われない。

なんというか、本当に「お金に色は付いていない」と思っているのだろうか?

手数料収入であるが故に裁判に勝ったということの意義を理解しているのだろか?

 

想像を含めての事なので、軽々に断じる訳にはいかないが、もし本当にそうなら、現在の市長は、補助機関である副市長以下の金沢市役所を用いて地方行政を行う執行機関として何か不足するところがあるのではないかと思慮する。

 

 

2/2 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その3)

 

さて、奇妙な街頭演説にインスパイアされて始まった...何だろう、コレ、雑感かねえ...もいよいよ佳境、今回の施策に感じる捻れ感の根源を(可能な範囲で)を探る回となる。しがらみもあるので、なるべくマイルドなトーンで進めたいと思う(大人だし)。

 

 

2.制度の整合性はどうだろう?

 

ものには根拠があり、地方行政の場合なら先ず法律であり、次は条例である。その条例は

http://www.soumu.go.jp/main_content/000451015.pdfで説明されるとおり、首長または議員から提出された条例案が議会で可決されることによって成立するものであって、つまりその行政単位固有の都合(や意志)が反映されたものである。簡単なことを難しく言って話を混乱させようとしている?いやいや。国の法律を受けて、それを実施するための条例を策定するときに、国の指示の実現に加えて、何かのwillが挿入される事がありうるし、現にあるということを、先ずは明記しておきたいのである。

 

では、今回の金沢市の家庭ゴミ処理の有料化の根拠を、順番にたどっていこう。まずは根拠法。これは「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(昭和45年法律第137号)で、この法律を受けて自治体は条例を策定する(時期にはばらつきがあり、金沢市の対応は昭和53年である)。その「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の目的は以下のとおり。

廃棄物の排出を抑制し、及び廃棄物の適正な分別、保管、収集、運搬、再生、処分等の処理をし、並びに生活環境を清潔にすることにより、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ること

 

そして平成三年の「平成3年法律第95号」によって同法が改正。これを受けて厚生省から環境省_廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一部改正について(依命通知)が出る。

金沢市もこれに対応するため平成四年に条例の改定を行い、現在の構成の根幹が定まることになる。

金沢市廃棄物の減量化及び適正処理等に関する条例

そしてその条例に改正を行い、家庭ゴミ有料化制度(この変な日本語は金沢市の言い回しそのままだからね。為念)を実施するための法的な根拠が整えられたのが昨年である。

 

ところでこの条例は、

廃棄物の発生の抑制及び再利用の促進による廃棄物の減量化を推進し、廃棄物を適正に処理し、並びに地域の清潔を保持することにより、資源の有効な利用、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図り、もって本市の豊かで快適な環境の形成に寄与することを目的とする

ものなのだそうだ(強調は筆者)。「もって~する」構文は官公庁作文の王道だが(民業では使わないね)、普通の書き方をすればこういうことになるだろうか。

(目的)

本市の豊かで快適な環境の形成に寄与することを目的として、

(手段)

廃棄物の減量化を推進し、並びに地域の清潔を保持することにより、

(目標)

生活環境の保全および公衆衛生の向上を図る。

 

※なお、目標と手段が逆順になっているのは読み下しの都合によるもので、目的→目標→手段のハイアラーキーが曲がったと言っている訳では無い。為念。

   

冒頭述べたとおり、条例にはその行政単位固有の都合や意志が入ってくる。そしてはそれは他の自治体の条例と比べることで見えてくる筈だ。実は環境省が都合の良いモノを用意している。

環境省_都道府県・政令市における廃棄物・リサイクルに関する条例等

(しかしリンク切れが多い。表題文字列で検索すると一応見つかるのだけど、一度作ったらURLは変えないで欲しい。REIKI-BASE導入で切り替わったのだと思うけど、旧URL→新URLへのトランスレーションをREIKI-BASEでサポートして欲しかった)

 

たとえば札幌市の ○札幌市廃棄物の減量及び処理に関する条例 と比べてみよう。もう冒頭の目的から違っている。

金沢市

(目的)

第1条 この条例は、廃棄物の発生の抑制及び再利用の促進による廃棄物の減量化を推進し、廃棄物を適正に処理し、並びに地域の清潔を保持することにより、資源の有効な利用、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図り、もって本市の豊かで快適な環境の形成に寄与することを目的とする。

(札幌市)

(目的)
第1条 この条例は、再利用の促進等による廃棄物の減量を推進するとともに、廃棄物を適正に処理し、あわせて地域の清潔を保持することにより、資源が循環して利用される社会の形成、清潔な生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図り、もって市民の健康で快適な生活を確保することを目的とする。

 

大元の法律、http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=345AC0000000137 では、

第一条 この法律は、廃棄物の排出を抑制し、及び廃棄物の適正な分別、保管、収集、運搬、再生、処分等の処理をし、並びに生活環境を清潔にすることにより、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ることを目的とする。

となっており、条例を作る時に金沢的な「環境派」と札幌的な「市民派」に分かれたことが見て取れる...というのは実は間違いで、ランダムに20個サンプリングしたところ、「環境派」はゼロであった(中には岐阜市のように、根拠法の実施のために条例を定める、というハードコアな前文もちらほらあったが)。つまり、豊かな環境に資する(では市民はどこへ?)ための条例は極めて希なのだ。なにゆえかは知らねど、金沢市はかなり特殊な意識の自治体だと言えるだろう。

 

そして、その特殊な意識は条例の各所に暗い影を落としている。例えば札幌市なら、市民に様々な責務を求める(以下は札幌市条例からの抜粋)。

(市民の責務)
第5条 市民は、廃棄物の発生を抑制するとともに、再利用の可能な物の分別、再生品の使用、不用品の活用等により再利用を図らなければならない。
2 市民は、その家庭廃棄物を生活環境の保全上支障のない方法でなるべく自ら処分(再生することを含む。附則第3項を除き、以下同じ。)すること等により、廃棄物の減量に努めなければならない。
3 市民は、廃棄物の減量及び適正な処理に関し市の施策に協力しなければならない。
 
第4節 市民の役割
(自主的活動への参加)
第24条 市民は、集団資源回収等の再利用を促進するための自主的な活動に参加すること等により、廃棄物の減量及び資源の有効利用に努めなければならない。
(商品の選択)
第25条 市民は、商品を購入するに当たっては、当該商品の内容及び包装、容器等が廃棄物となった場合を勘案し、廃棄物の減量及び環境の保全に配慮した商品を選択するよう努めなければならない。
 
(排出日時等の遵守義務)
第31条 土地又は建物の占有者(占有者がない場合は、当該土地又は建物の管理者とする。以下「占有者等」という。)は、自ら処分できない一般廃棄物を排出しようとするときは、市の定める排出日時、排出場所、排出方法等を遵守しなければならない。
2 前項の排出場所のうち、市が家庭廃棄物を定期的に収集するための家庭廃棄物の一時的な排出場所(以下「ごみステーション」という。)の位置は、別に定めるところにより、ごみステーションを利用しようとする市民が、市長と協議の上、定めるものとする。
3 自ら処分できない家庭廃棄物をごみステーションに排出しようとする者は、当該家庭廃棄物を市の定める排出方法により各別の容器等に収納して排出しなければならない。この場合において、当該家庭廃棄物が汚水を含むときは、汚水の流出のおそれがなくなるよう脱水等の処理をした後に排出しなければならない。
4 ごみステーションを利用する者は、市が行う家庭廃棄物の収集後は当該ごみステーションを清潔にしておかなければならない。

 

しかし、それは当然であって、「自らが参画し、より良くしていく」という自覚なくして「市民の健康で快適な生活を確保」はあり得ず、そのためには責務の達成というイベントが必要だからである。しかるに金沢市の条例ではこのとおりである。

(市民の責務)
第5条 市民は、相互に協力し、廃棄物の減量化及び適正な処理を図るとともに、地域の清潔の保持に努めなければならない。
(相互協力)
第7条 市長、市民、事業者及び地域団体等は、廃棄物の減量化及び適正な処理並びに地域の清潔の保持に関して、相互に協力し、連携しなければならない。

とてもではないが、市民が参画し、自覚を育むという方針には見えない。「本市の豊かで快適な環境の形成」について尽くせと言っているだけである。さらにそれに追い打ちを掛ける暗いネタがある。有料化で得た手数料の使途である。

例えば日経新聞ではこのように報じられていた。

www.nikkei.com

20年の東京五輪を控え、訪日外国人観光客らが増えるため、街並みの景観保全や魅力向上に取り組む。

...

ゴミ袋の販売収入から経費を差し引いた金額(年間2億円)を新たに創設する基金に毎年積み立てる。地域コミュニティーの活性化やゴミの減量などの活動支援に充てる。

観光客に対する金沢市の魅力を高めるため、公共施設や街路などを夜間にライトアップする。イタリア、スペイン、フランスに対して金沢の魅力を重点的に情報発信し、誘客につなげる。

  

何度も繰り返すが、本制度は確かに金沢市の条例との整合的だし、立て付けも標準、先に述べた「なぜ今やるべきか」という点に目をつぶれば、特に問題のない制度であるように見える。しかし、そもそも金沢市の条例は全国的にも特殊な(そして、内容的に遅れている)ものである。通常であれば市民生活の向上のためにゴミ処理があり、それをリファインするための有料化なのである。それが全く異なった意味を持ちかねないという危険性を、金沢市の条例は根本に有している。

現に上記で日経の報じる所のうち、強調部分について首肯できる市民はどのくらいいるのだろう。なにゆえにゴミ袋からの収益が観光客や地域コミュニティの活性化に使われなければならないのか。それこそ手数料ではなくて税金になっていしまう。

お金に色は付いていないから何にでも使える、という市長の言をあちこちのBLOGで見かけた。さすがにそのような馬鹿な発言を行うほど蒙昧でもあるまいと思い引用は控えるが、しかしそう思われても仕方がないような何かがあったのではと思わせる日経報道であり、そのような条例の作りである。

 

ということで、1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の2番目、

2.しかし本件を接ぎ木した元々の条例に筋悪の感がある。その条例の大枠に引きずられて、収入の使途が曲がってしまっている可能性がある。

にたどり着く。

 

なお、2/2の北國新聞記事では、

収入は新しく作られた基金に納められ、そこからゴミ処理支援をする町会活動に対する補助としてのみ支出される

とあり、一年前の状況から幾分修正されたようにもみえるが、金沢市自身はなんらの発表も行っていない。

役人というのは法律や条令に書かれていることを墨守するようにしつけられているので(そうじゃなければ困る)、墨守しつつその隙間をぬって「固有の事情の実現」を図る。そしてそれに乗っかる(野合する)議員もいる。本件はそのような隙間になりかねないところがあり、それについて懸念を持つのである。大げさか?しかし、京都市ように、明確な意図を持ち、それを実現するために必要な定義をきちんと行っている条例を見た上で、もう一度金沢の条例を眺めても同じことが言えるだろうか。

ということで、ゴミ処理のトップランナーといわれる京都市の条例を紹介する。

http://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/cmsfiles/contents/0000180/180454/joubun.pdf

(前文)
ここ京都では、緑豊かな山々、清らかな流れなどの恵まれた自然の中、ものを大切にするしまつの心、門掃き、打ち水などが受け継がれ、清潔で環境にやさしく美しいまちが築かれてきた。また、本市は、気候変動に関する国際連合枠組み条約の京都議定書が採択された都市として、事業者、市民などとの協働により、環境保全のための取組を先駆的に推進してきた。
しかしながら、環境問題と密接に関連する大量廃棄型の社会経済システムは、環境の保全と物質の健全な循環に重大な影響を及ぼしている。
このような状況において、本市が持続可能な都市として発展していくためには、先人から受け継いだ伝統と進取の気風を生かして、廃棄物の発生の抑制とものの再使用や再生利用を推進することにより、環境にやさしい事業活動と暮らし方への更なる転換を図っていく必要がある。
ここに、本市は、市民などとの協働により、環境保全の取組を更に進め、天然資源の有効利用及び環境負荷ができる限り低減される循環型社会の形成等が不可欠であると認識し、この条例を制定する。
 
(目的)
第一条 この条例は、廃棄物の発生の抑制、再使用および再生利用(以下「発生抑制等」という。)の促進による廃棄物の減量、廃棄物の適正な処理並びに生活環境の清潔の保持(以下「廃棄物の減量等」という。)を図るために必要な事項を定めることにより、循環型社会(循環型社会形成推進基本法第二条第一項に規定する循環型社会をいう。)の形成、会的な生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図るとともに、国際文化観光都市としての良好な都市環境の育成に資することを目的とする。

京都については色々思う所はあるが(本当に色々思うが)、このような前文および目的をちゃんと書けるというのは流石としか言いようがない。

  

山出保氏はたしかに見識を持った立派な市長であり立派な市政を行ったと思う。例えば

kumanomorio.comで、

しかし、全国市長会の会長を務められた山出元市長が、どういう気持ちでごみ行政にかかわられたか。20年前の分別の徹底指導が象徴的に市民の記憶に刻まれている。町会、婦人会に職員が入って行って住民とひざを突き合わせ、一緒になってその施策を進められた。その気概は、やはりトップの姿勢と、本気の分別徹底による資源化、減量化の目的が明確化され、しっかりと共有されていたからではないか。また、全国市長会の長でありながらも、金沢の市民感情と市の状況を冷静に見極めていたから、大きく旗を振ることもなく金沢エコネット等の活動を通じごみ減量化に努められたのではないか。(エコネットが市長が変わりなぜ解散させられたのか、との質問も本日の会場から飛び出していた)

とあるのはその通り。しかし、その条例は市長が立派な見識を持たなければ役人や議員が良いように穴を利用する類いのものであって、そのような市長を期待しなければならない条例を維持し続けるというのはあまりに楽観的に過ぎる。

 

ということで、今回もゴールにたどり着けなかった。もう一回で終わりたいなあ。

次回(最終回予定)は、金沢市の態度に対する考察となる。

割と中っ腹なのである。

 

 

 

付録1:なぜ、いま、有料化だったのか

前回の最後に、

さて、ホントに喫緊の課題なのだろうか。そこの説明がなされてない(※)というところに瑕疵をみる。アタシはWhyの共有(もしくは共有できないことの共有)が合意形成の根幹だと思う立場であるので。

それに、もしかしたら実はそれほど喫緊の話なのではなく、何となくやるべきかもという空気があったのではないか、そんな妄想をかき立てるネタが無いわけでもないのである。

とヒキを入れたが、これの回収を忘れていた(うまく本文の流れに入れられなかったとも言う)。

実は環境省が有料化せよとプレッシャーを掛けているのだ。

環境省_一般廃棄物処理有料化の手引き

これをみて情報提供だと思うような人は、よもやおられるまい。国としての目標を達成するために、各自治体はさっさと制度を導入せよと背中からナイフを突きつけているのだ。

だから今現在のゴミの量がどうかというのはあまり本質なのではない。市が根拠を曖昧にしているのも、市長の歯切れの悪い答弁をするのも、多分それが故だと妄想する(それら答弁の数々はいとも簡単に見つかるのでわざわざ引用しない)。

金沢市民で時間のある方は市長などの答弁をぜひ検索されたい。共産党の市議会議員がBLOGなどやっておられるのですぐに見つかる。

 

 

付録2:制度の建て付けに関する補足

 

家庭ゴミ有料化制度(ああ、気持ち悪い)の建て付けは特段変なものではなく、廃棄物の減量化のために妥当なものである事は既に述べた。

septiembreokbj.hatenablog.com

市民派団体とやらが「アホみたいに高いゴミ袋」などの主張を繰り返しているが、先行事例の料金と比較して決して高くないこと、先行事例の効果に対して何らの否定もしていないことからして、あくまで発言者個人の価値観(むしろ予断か)に基づくモノでしかないことは自明である。そしてそれを毎日新聞が繰り返し報道することでフレームアップするという、なにやらどこかで見たような状況が展開されており、なるほどこのようにして言論の形成は阻害されていくのだなと、悪い意味で貴重な体験をすることとなった。つまりゲンナリである。誰かちゃんと説明してやれよ。市民派団体にはWEBを検索して資料を集めて論を整理できる奴は一人もいないというのか?それともワザとそうしているのか?(もし後者なら、その目的は何か?)

 

いやになっちゃう「税金の二重取り」という難癖については、実はすでに地裁レベルで判例がでている。しかも金沢市において。この問題について岩手県が検討した資料が非常に良く纏まっているので紹介する。

「ごみ処理有料化の法的根拠」(岩手県資料)

http://www2.pref.iwate.jp/~hp0315/ippai/kenkyu/081212-2/dai-1/siryo-7.pdf

ごみ処理は市町村の責務であるが、一方で家庭ごみの処理を求める住民に対するサービスの提供であり、そのサービスの量に応じて住民から手数料を徴収することは、地方自治法に定める手数料の規定に反しないと考えられる。

 判例、通達などを総合的に勘案した結論が上記のものである。

(なお、小学校、中学校向けの説明だと、

ゴミの有料化について、税金との二重取りとの声があります。具体的に、有料... - Yahoo!知恵袋のベストアンサーになってるのが判りやすくて良かった。これで判らないなら、気持ちおよび能力のいずれかまたは両方が無いのだろう)

 

であるので、「税金の二重取り」と主張する向きは、上記のロジックを攻撃する主張を作成して裁判を起こすのがよいのであるが、今のところ金沢地裁に提訴があったという報道はない。それとも訴額が大きくなるまで待つのだろうか?本当に市民のための活動なら、訴額の大小によらず、さっさと訴訟を始めるべきだろう。裁判を維持できるのであれば。(そして、裁判が出来ない主張だと判っていてグズグズ言っているのだとしたら、それはデマであり、市民派なのではなく「市民」の敵でしかない)

 

困窮者からも費用を取るのかということについては、まだ先例がないので何とも言えないが、条例を受けての規則、金沢市廃棄物の減量化及び適正処理に関する規則には

(廃棄物処理手数料の減免の申請)

第12条 条例第35条の規定により手数料の減免を受けようとする者は、廃棄物処理手数料減免申請書(様式第4号)を市長に提出しなければならない。

が定義されており、

(廃棄物処理手数料の減免)

第35条 市長は、天災、火災その他の理由により特に必要があると認めるときは、第34条第1項に規定する手数料を減免することができる。

(平14条例63・一部改正)

にあるところの「その他の理由により特に必要があると認めるとき」に基づく適用を求めてまずは申請を行うべきであって、それを試さずして「年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」等の主張を繰り返すのは特定の意図があると言わざるをえない。

(また、そのような報道を繰り返す毎日新聞において同様である。制度の詳細を調査して記事を書いているのか、まったくもって疑わしい)

年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」「
年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」
年金生活は苦しいのに、行政はお金を取るばかり。生活実態を知ってほしい」

 

以上のとおりであるので、制度自体の建て付けは現状見えている範囲からすると妥当であると言わざるをえない。

という説明は自分自身にも向けられており、ゴミを減らす(分別を強化する、過剰包装があるものは避ける)という行為と、それを主体的に実施するということの意義を自主的に学習しているということなのである。

前進!前進!

 

 

 

付録3:自ら参画する意志のないものを市民というのか?

みよみよのBLOGから抜粋。

miyomiyo.jcpweb.net

③市民:限られた資源を賢く使う。環境のためにごみを減らす、繰り返し使うのは大事。

であり、それは、自治体が知恵をしぼるのが役割

負担を増やしてごみを減らすのは自治体の役割ではない。

ごみ有料化とごみを減らすことを無理やり結びつけないでほしい。

 

 「市」とは市民が参画し、維持するものである。行政は市民の委託を受けて代執行している存在に過ぎず、どこまで行っても(たとえば一人ひとりは無力に見えても)、市民が市を支えなければならない。

さて、このようなクレクレ君は市民なのだろうか。しかし金沢市の条例の立て方だとすると、このような「市民」が出てくるのは必然なのかもしれない。

 

2/1 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その2)

続き物にして良いとなれば気も楽になる。加えて、今日は出張で都内泊なればやることもなく(まるで普段はあるようだが、少なくとも家事はある)、のびのびと続きが書けるというものである...他のサスペンド中のものは?という自問には耳を塞ぎつつ。

 

 

1.制度の趣旨および立て付けはどうだろう?

まず事実関係の整理から。市が提供する説明を出発点にする。

家庭ごみ有料化制度(平成30年2月1日開始)

 

冒頭の文章で、本制度の必要性が述べられている。これを抜粋して整理してみよう(強調は筆者)。

近年、家庭ごみの排出量は、ほぼ横ばいで推移しており、また、資源化率も非常に低い水準にあります

  ⇒ ①. 根拠(固有の事情)

家庭ごみ有料化制度は、先行導入自治体で減量化・資源化に一定の効果が認められており生ごみの堆肥化や古紙回収などと組み合わせて実施することで、市民や事業者の環境意識が高まり、ごみの減量化や資源化率の向上に相乗効果が期待できます。

  ⇒ ②.根拠(先行事例)

 

この制度を導入することにより、費用負担の公平性の確保が図られ、ごみの減量に伴うごみ処理経費の削減をはじめ、今後建て替えが予定される東部環境エネルギーセンターの建設費の削減や戸室新保埋立場の延命化など、将来世代への負担軽減に資するとともに、過剰包装等に対する消費者の意識が高まることにより、販売者や生産者の意識改革にもつながります

  ⇒ ③.メリットの提示

 

事業系廃棄物の処理手数料の見直しや事業所等への指導強化に取り組むなど、事業系廃棄物の更なる減量化・資源化にも努めていきます

  ⇒ ④.コミットメント

 

 さあ、要旨をコンデンスしてみよう。以下のようになるだろうか。

  1. 評価指標家庭ゴミの排出量を減らしたいし、明確に低い資源化率も向上させたいです。
  2. (ところで)有償化を行うと減量や資源リサイクルが進むという結果が先行自治体で出ています(から、決して根拠の無い事じゃないよ)。
  3. (それをやると)費用負担の公平性の確保が図られ将来世代への負担軽減と販売者や生産者の意識改革も行われます(から、みんなに資するよ)。
  4. (もちろん我々も)事業系廃棄物の更なる減量化・資源化に努めるよ。

  

家庭ゴミを減らしたい、資源化率も上げたいというのは、願望としては判る。そうなると良いよね、世界は平和だと良いよね、みんな幸せだと良いよね。ところでそれは優先度:高の問題なのだろうか。それが判らない。「数字的なインパクト」を適切に述べて、解決しようとしている問題の規模を議論のテーブルに載せるべきなのだけど、しかし金沢市は残念ながらそのような配慮(情報開示)を行っておらず、優先度が判然としないままである。優先度?そう優先度。行政の有限のリソースを使って対応すべき問題のうち、本件が喫緊であるという根拠が欲しい。
仮に家庭ゴミの削減/リサイクルが優先度:高の問題だとしたとき、どうやると達成できるのだろう。考えられるパスはおおよそ以下の通り。

  1. 可燃ゴミの分別徹底による、他科目への振り替え。たとえば当家の流行である「可能な限り、廃プラや雑紙(ざつがみ)に振り分ける」などが正にソレ。
    この手間を実施するための(負の)インセンティブがゴミ処分料で、それは確かに効くだろうし、即効性もあるだろう。何しろ当家がその根拠の一つだ。
  2. 「市民」が過剰包装を拒否することによる、ゴミの根源的な削減。ゴミ処分料を負のインセンティブとして市民が「上流への転嫁」を行うことを期待するものだ。先行事例の分析では、これも確かに期待できるそうだが、しかし時間はかかるとのこと。まあそうだろう。
  3. 生ゴミの堆肥化による再資源化への取り組み。この手法は各家庭への負担が発生する(設備を買わなきゃならない)事よりも、一律実施とはいかない(みんながみんな、場所があるとは限らない)事の方が問題だ。ゴミ処分料とのバランスによっては設備の購入が合理的になりうるが、設置できない(設置できたとしてもニオイなどを回避するための十分な距離が取れない)などになると、ゴミ処理の大原則である「公平な負担」が毀損されてしまう。

まとめれば、1.および2.については効果が出せそうと言うのが先行事例の結論。たとえばこのような研究もある。

 

[ごみ処理の有料化に関する調査報告]

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180131234141.pdf?id=ART0008218197

 

これに限らず ”ゴミ処理 有料化 効果 研究”  で検索すると、それなりに研究も、メタアナリシスも見つかる。効果があるということについては大体一致している。二、三年後に慣れによるリバウンド(ゴミの量が戻る)の有無については意見が分かれているが、有ります派も意識付けの問題なので上手く施策を考えろ、程度のトーンでリバウンドがあるからダメだということは言っていない。

余談だが、上記と全く異なる結論のレポートを見つけた。

http://www.k-shin.org/wordpress/wp-content/uploads/2016/11/thesis_current_1.pdf

しかも上掲の[ごみ処理の有料化に関する調査報告]を引用しつつ、恣意的な仮定をおいて、全く異なる結論に持っていくというのは...アタシの書いてる散文と同じ程度の粗雑さだ。どうなのよ、経済新人会。

 

対して3.については、気持ちは分かるが実際には無理だろうという感じ。「家庭生ごみ堆肥化モデル事業」というキーワードで検索すると様々な自治体の取り組みの結果が見つかるが、歯切れが悪いか、さもなければサッパリと諦めているかの二通りである。なぜ歯切れが悪いかというと、作った堆肥の出口が見つからない事に加えて、費用がかなりかかる事が挙げられる。「再資源化」という枠組みで生ゴミの減量を図るのは無理があるのでは、というのが所感である。生ゴミの質量の80%が水分だというのは運ぶにも、燃やすにも負荷が大きすぎるというのは判る。「生ゴミからの脱水」(による重量の削減および燃焼効率の向上)に絞って、みんなが到達可能な目標と手段を設定するのが現実解ではないかと思う。

 

ということで、1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の1番目、

  1. 制度の趣旨、特にスタートポイントは心情的には理解できなくもない。しかしソレを行うべきかという判断をする根拠が示されていない
    先行事例を調べたところ、制度自体は一般的なもので費用も全国平均程度。であるので、制度の出発点である「ゴミを減らしたい」が 本当に 金沢市にとって喫緊の課題なのだとしたら、それほどの悪手なのだとは思われない。

が導出される。

 

さて、ホントに喫緊の課題なのだろうか。そこの説明がなされてない(※)というところに瑕疵をみる。アタシはWhyの共有(もしくは共有できないことの共有)が合意形成の根幹だと思う立場であるので。

それに、もしかしたら実はそれほど喫緊の話なのではなく、何となくやるべきかもという空気があったのではないか、そんな妄想をかき立てるネタが無いわけでもないのである。

次回は、その妄想のネタを含む法的な背景や、他の自治体との差違を軸に、金沢市の家庭ゴミ処理の有料化について理解を深めていった経緯を記す。

※一旦は空気を振動させたのかも知れないが、その記録は公開されていない。

  

 

いや、(その3)も半分以上出来てるんで、サクッとアップしますよ?

明日の帰りの電車で完成させるのです。新幹線で東京、金沢が近くなったとはいえ、二時間半もあるのだから、何とかなるのです。多分。