septiembreokbj’s blog

記録と備忘録、および手掛かり。

承前

またも間があいてしまった。
何をしていたかというと、Amazon Primeが推薦してくる幼女戦記をつい固めて見てしまったり(見始めた途端に「世界最大の肉挽き器」こと西部戦線塹壕戦、またもシンクロニシティだよ。しかしコレと言い、Fate Zeroと言い、自己投影がしやすいのでつい色んな事を考えてしまうね)、君も連れて行ったことが有るあずま寿しが閉店されるというので二人で通ったり、掃除をしたり、洗濯をしたり、食器を洗ったり、まあ気が向いたらご飯も作ったり、ぼちぼちギターの練習をしたり、スピーカーのネットワークの配線をやりなおしたり(エンクロージャーを変えたら低音から中音がスゴク良くなって、しかしその結果として2番目の問題が1番目に昇格することになって...ってのはワインバーグの法則どおりだけど...効率が2dbくらい上だったツイーターの暴れっぷりが一層際立つようになってしまい、それをなだめるためにツイーターの手前にアッテネータを入れてみたり、そのマウンターを作るのに盛り上がったり)、模様替えをしたり、模様替えをしたり、模様替えをしたり、つまり普通の生活をしているフリをしながら君がいない君のお誕生月を耐えていたのでした。枝振りの良い木を本気で物色したりとか(心が安らぐよね)、ささいな事で激高したり鬱に入ったりするので飲みに出るのを控えたりとか、信号を無視して交差点に突っ込んできた北鉄バスに轢かれかけたときには心底シメタと思ったりとか、そのようなダークゾーンもなんとか抜けつつあるようで、ようやく続きが書ける。
 
 
さて、「ワタシ達はアレのように巨大で、厳密で、場合によっては人がシぬ物や事には向いてないのではないか。戦略思考が足りないのも、セオリーを無視するのも、(ワタシ達の組織論に)何か根本的に足りないところがあるのではないか」という事へと戻っていこう。
 
最初に変だなと思ったのは、学校を卒業して入った会社の入社式だった。1988年の4月1日のことだ。その日は横浜に季節外れの小雪がちらつき、日本大通りのそばにある開港記念会館には200人余り(ちなみにその翌年は400人に迫る勢いだったらしい。時代だなあと思うね)の新入社員が全員集められていた(と、ここまで書けば判る人には判る。戸塚の不夜城と恐れられた某重電系のソフトウェア事業所に多くのソルジャーを送り込む同グループのソフトウェア専業会社、それがボクが初めて働いた会社だ)。会場では三ヶ月間の新人研修期間を一緒に過ごすクラスの編成も発表され、昼食をそのクラスごとに分かれて取る事になった、その時のことだ。
そこここから聞こえてくるのは、ハジメマシテの挨拶とこれから始まる研修への不安だった。不安?何が?まったく理解できなかったのを鮮明に覚えている。ほとんどの人はソフトウェアを作る仕事のために雇われたはずで、その人達が研修に不安というのは何を言っているのだろう。だってプログラム書けるんだろ?何かアヤシイところがあるなら内定が出てからの間に自分で勉強するのだよね。もしやこの会社の新人研修には鬼でもでるの?それとも仕事としてのプログラミングということの厳しさを怖れているの?それなら判る。でもねえ。
新人研修が始まると、程なく背景が見えてきた。驚くべき事にプログラムを書いたことがあるのは全体の1/3程度、あとはコンピュータを使ったことがある理系の人が1/3、そして実は初めてコンピュータに触るのです(何と言っても1988年だからね)という文系の人が1/3。たしかにその頃は情報系の学科も限られていたし、200余名の全員がプログラミング経験者である筈はない。それは確かにボクの思慮の足りぬところであった。不安だと思う人も出てくるかもね。でも物には限度があるぜ?あいつも、こいつも、このあと本物のプログラム書くの?そういうのが少なからずいた。会社ってスゴイ思い上がりをするのだねと思ったよ。これを何とかするっていうのだから。そしてもっと驚いた事には、コンピューターが判らない、プログラムが書けないと困っている人達が、しかし会社員ライフに対しては何らの不安を持っていない(すくなくとも表明していない)のだった。えーとボクタチは、直接または間接にソフトウェアを作る仕事のために、ソフトウェアを作る会社に雇用されたのだぜ。決してゲマインシャフト的な共同体に加入した訳ではないのだぜ。雇う側も、雇われる側も、なんだか倒錯していないかね。
 
しかし、実際にはどうにかしているのは、すくなくともメンシェビキ(※)なのはボクの方だった。会社が求めているのは会社と絆(またも社名のヒントが...)を持ってくれる人だし、従業員側も会社と一体になりたくて仕方がない人が多数派だった。もちろん出世に興味がある人は一杯いて、すでに研修中からマウンティング(という便利な言葉はまだ人口に膾炙していなかったね)が始まっていたのだけれど、それはあくまでも会社の中での序列の問題であって、市場における高いプライスが自分につくようにする、という話ではなかったんだ。そもそも会社の外に労働市場があるということを考えている人はほぼ居なかった。これは1992年に次の会社に移るまでの5年間で一貫していた。その会社で辞める人が居なかった訳じゃ無い。むしろ他業種の会社よりも離職率は高かった筈だ。でも、自分の値段が幾らになるのか、しがらみがない状態で自分がどんな風に評価されるのかを気にしている人は、最後まで極めて少数だった。なんだかとても不思議だったよ。ボクはプログラマという仕事についたのだけど(そして最初の雇い主がその会社だったのだけど)、彼らはその『会社』に就職したんだね。でも一生その会社と寄り添っていくの?ホントに?怖くならない?退屈しない?
ボリシェビキ、メンシェビキという言葉の意味が腑に落ちたのは、トロツキーの自伝を読んでからだ。これ、未だに多くの人が政治的な立場の事だと誤解している。でもトロツキー(そしてレーニン)は、Us と Them 程度の意味に加えて、そのどちらが正しいか(優勢か)という事を言いたいだけなんだ。で、すごーく粗野な事に多数派が常に正しいという前提が彼らにはあるので、多数派(ボリシェビキ)は常に正しく、少数派(メンシェビキ)は常に間違っているというトートロジーのような言説になるんだ。もちろんUsがボリシェビキ
 
前にも書いたけど、これは伝え損なったことを伝えるための手紙なので、長くなっちゃうのは諦めてほしい。そのうえで纏めると、最初に勤め始めたときから、多くの人の会社というものに対する関わり方が、ボクには何だかとても奇妙に見えたということなんだ。プログラマという仕事で一生食べていくと学生のときに決めたから特にそう思ったのかも知れないけど、会社と結婚するような就職の仕方と、そこから発生する諸々の出来事に共感も、納得もできなかったのだね。いまだと共感は出来ないけど一定の理解はできる。もちろん肉挽き機にアレコレ突っ込んだからだ。
 
 
また自分の話を少し(少し?)する。
藤田デンに救われてから3年後、君の生物学上の祖父は営んでいた画廊を潰して3年間の失踪に入り、その結果としてボクは小学校卒業直前の3ヶ月と中学校の3年間とそこから先のさらに何年かを貧乏のうちに過ごすことになる。どの程度の貧乏かというのは多くは語らないけど、家に執行官がきて動産の差し押さえをしたのは見たことだけは記しておく。差押物件標目票って昔はホントに赤紙で、それを貼ってくんだ。最近は赤紙でもないし、物に直接貼らない、しかもほとんどの家財道具は差し押さえ禁止なのだそうだ。これまた桑海之変で、いまとなっては二重の意味で貴重な体験だ。おや、また脱線した。
ともあれ、そのような訳で十代から二十代の前半にかけての主要な問題はお金だった。何しろお金が無かった。だからチートもしつつ何とか日々の糊口を凌いだ。どうやって生きてたのか今となっては良く判らないところがホントにいっぱいある。一つには221さんのお陰ということがあるのだけど、それだけでは説明が付かない部分も多い。
それでもなんとか最終学年にたどり着いたので(途中で二回も留年したけど!!)、ボクの才能なら一生食いっぱぐれないでしょうという観点で選んだ...もちろん面白かったからでもあるけど...プログラマという仕事で食っていくことを決め、就職先を選び、出席日数もゴニョゴニョして学校も卒業し、入った会社では普通のお給金と普通ではあり得ない残業手当を手にして(200時間オーバーが何ヶ月も続き、それが全部支払われたという奇跡のような時代)、学生時代につくった不義理もなんとか整理して、そして昭和も終わったころ、突然お金というものが良く判らなくなった。いや、もともと良く判ってなかったのだろうね。
お給金が入るそばから溶けていくような使い方をそれから何年かやった。いまでもお金の使い方は決して慎ましくないけど、そのときはお金に仕返しをするような使い方をしてた。当時は最後の無頼派プログラマと名乗っていたのだけど、それはヒロポンをつかってたということではなくて、プログラマとしては合格、人間としては(多分会社員としても)失格、という意味だ。プログラマとしての活動が評価され、そこから得たお金が人間を失格させるために使われるという生活をしていたのだね。そしてあるとき、大きなゲップが一つ出て、それまでの生活が突然いやになった。このままじゃ才能が枯渇しちゃうな、一生プログラマやってけないな、と。
プログラマのコアは考えること、つまり要求から問題を抽出・抽象化をすることと、問題を解くモデルを構築することと、そのモデルが要求に適合することを証明乃至は説明することだ(だから予め用意されている仕様書をプログラムに変換する仕事をプログラマと呼んではならない。あれはコーダというのだ)。ボクはプログラマとして一生気楽に暮らしていくつもりであったので(何しろ若くて怖い物知らずであり、大概のひとは能力的に下だと思ってたからね)、もっと頭が回ってくれなきゃ困るし、現状に満足してさび付くのはもっと困る。無頼派だの破滅型だの言いつつも、計算機(※)関連の知識の獲得は続けていたのだけど、それだけでは問題を抽出・抽象化する能力は向上しない。計算機は問題を解く道具だけど、その解かれるべき問題をはっきりさせるには計算機の知識だけでは当然に足りない。計算機とその周辺以外、むしろ全然関係ないことを肉挽き機に投入するリミットが来てるのといよいよ向き合うかね、そういう気分になったのだった。
※昭和のうちにプログラマに成ったワタクシ共は、コンピューターなどとは申しませぬ、計算機と呼ぶのです。


それでも、すぐに会社を変わる判断をした訳じゃ無い。その会社の中で個人として立っていく途を探ろうとしてたんだけど(別に仕事内容にも、待遇にも、不満があったわけじゃ無いからね)、岩井克人の『ベニスの商人資本論』を会社の昼休みに読んでいるときに何かがブチッといった。あー、この会社にいても、結局管理職にしか成れないんだろうな(なんという暴言)、この本にあるみたいな鮮やかな立論も、整理も求められないし、評価されないんだろうな、と。
 

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%95%86%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A9%E4%BA%95-%E5%85%8B%E4%BA%BA/dp/448008004X

 

なぜ岩井克人を読んでいたかと言えば、自分が振り回されたお金というものを判りたかったからなんだけど(もちろんナニワ金融道も併読してたけど)、その結果として勤め先を変える最後の一押しをされることになったのにはちょっとビックリした。


それから数年後、その岩井克人の『資本主義を語る』という本に掲載されているインタビュー『「法人」と日本資本主義』』を読んだときに、勤め始めてからずっと違和感を感じていること(これは移った先の会社でも、頻度は減りこそすれ、同じく感じていた事)がちょっと判ったような気がした。
 

Amazon | 資本主義を語る (ちくま学芸文庫) | 岩井 克人 | 資本主義論 通販

 

 

個人とそれをつなぐ契約(※)の集合としての「法人」というのは、ボクの思っている会社の像にジャストだったのだけど、それは日本的ではなかったのだね。なるほど。でも雇用契約っていうじゃない、会社って主体が何かは一先ずおいておいて、会社と契約した個人が契約の範囲で働くのだと思ってたんだ。小学校(いや、中学校だったか、とにかく義務教育の範囲)でそのように習ったよ。きっと君もそう教わった筈だ。だから新入社員に対して「いっしょに会社を盛り立てていこう」とか、「稼いでくれよ」などのメッセージが出てくるのは話者の個人的な見解であって(もっと酷くいえば、単に気分を述べているだけであって)、具体的に何を委託するのか等は双方誤解の無いように明確に説明していくのだろうと学生の時には思ってたんだけど、実際会社に勤めてみるとそんな事にはなってないし、そこを変えていこうという意欲を感じることもなかった。ああ、成る程、と。ワタシ達は契約の無い世界に住んでいたのね、と。すべてのものがべたっと融合した、生物都市のようなところにいたのだなあ、と。でもそれは新しい世界じゃない。
※契約と書くとキツい感じがするみたいね。でも双務的(って17才にはピンとこないか。双務的/片務的でググってみよう)な契約なんだよ?それでもツライかね。だとしたら以後で契約と目にしたら、心の中で「お互いの約束」と読み替えてみて。
 
プログラマ極左主義と言われそうだけど、すべての組織は目的のための手段だとかたく信じている者としては(官庁だって国という存在を存続させるための手段に過ぎないし)、組織は目的とゴールを掲げなきゃならないし、その実現方針も明示しなけりゃならないし、そこに参画している人はそれらゴール、方針を認めたうえで組織固有の目的に資する約束をした個人でなけりゃならないと思ってたのですよ。ったって、そんなムズカシイ話じゃなくって、ソフトウェアを作る事が組織として必要なら、プログラマプログラマとして雇用するというだけのこと。総合職にプログラマの芸を仕込むってんじゃないですよ、程の事です。それの範囲で雇用契約を結ぶのが、平たくいやあプロフェッショナルな従業員(みんな気安く社員というけど、社員ってそんな意味じゃないからね)ということでしょう。この辺りは21世紀に入って職種別のキャリアパスという概念が一般化されていきているので、ずいぶん風通しが良くなってきつつはあるのだけど、それでも多くの会社の新人採用は職種別採用じゃないから、あら何だかなあというのは大きく変わっていない(その辺りと通底する話として、日本だと大学で取ったタイトルが求職に対してあまり効果を持たないというのもある。あれはやっぱり世界的には不思議なんだそうだ。そうだよね)。会社は目的を追求するし、個人は会社が変わっても困らないプロフェッショナルになる。それがごく普通のことであって、日本的な会社のあり方というのは社会が成熟するまでの一時的なもの、過渡現象だと思ってたんだけど、しかしどうやらそれは局所解として安定状態にあるということを、1998年にこの本を読んで初めて理解したのでした。もっと早く判れよって。バカでした。総括します。ボクは西欧中心的な進歩史観に毒されて、現実を丹念に見ることが出来ていませんでした。
会社と、社員と、従業員が、家的な結合をするのが一般的だとすると、たしかに就職したときの違和感も納得です。会社を辞めるときの、課長の恨みがましい目も良く判ります。あれは「オレの顔を潰しやがって」だけでは無かったのですね(顔を潰したのも勿論大きいとは思うけど)。前の会社を辞めて約5年、ようやく事象と認識が噛み合ったのでした。境目のない、ベッタリとくっつき合った世界は自然に終わることは無い、それがイヤなら世界を変えろ、革命だ。...ちょっと威勢が良すぎるね。でも塹壕戦みたいな過重労働(昨今の言い方だとブラックな労働環境ね)の根源は、実はこの辺りにあるのではとも思ったんだ。幸せに暮らすということと、個人として成立するということはスゴク近い事なのだろうと。そのための一番判りやすい道がプロになることなので、革命の第一歩というのはプロを養成することなんだ。それは2017年の今でも続けている。会社と一体化するな、流通可能なプロになれ、というのをね。時々立派に成長した人が他所の会社を変わっちゃう等イターイ事もあるんだけど、それはウチに魅力が無かったということで仕方がない。それよりも革命だよ。
 
ではプロになる事を求められない個人は、組織のなかでどのように育っていくのだろう。気にならない?話の進行上、ぜひ気になって欲しい。ほら気になってきたでしょ?1998年当時はまだハッキリしなかったんだけど、最近の認識は、組織と一体化を果たそうとする、です。その中において、自分の意志と組織の意志を混同させながら、組織内の階梯を上昇することを志向するのだと思ってます。アチコチのステキな会社さんの状況をウォッチし続けた結果、そういう見解に達しました。ここが「巨大で、厳密なもの」への適合性を低下させる主な原因だとみてます。優秀かどうかじゃない。組織の目的と自分の意志の見分けが付かない人が放し飼いされてるのが不安定要因の一番なのだと。
 
 
<ようやく纏め(仮)。言い訳はしないわ。でもツカレタから乱暴に纏めるわ>
なぜ組織のなかで、個人が想像力を発揮したり、組織の目的に反した行為を成すことができたりするのか?その第一歩は、やる側も、やられる側も、組織において意志を持つ者と意志を実現する者は本来峻別されているということを曖昧にしている所にある。別の(ムゴい)言い方をすると、社員と従業員の区別ということを教えてないから(教えるのを拒否する超自然的な「日本の力」があるや否やはここでは問題にしない)。
例えば、どのような役割・権能・責任で組織に参画するのかを、雇用契約時も含めて明確にされる事が少ない。目的のために組織構造を決めて、責任範囲を分割して、という中に込められる組織自体の「意志」が、それに従事する人と契約を結ぶという事を通じて顕現されていないという事だ。そういえばtodoばかりが語られて、Whyが語られないというトップ講話をアチコチで耳にする。それもまた「意志」の不在だ。そして「意志」が不在の結果、適否を計られることのない個人の意志が組織のなかを漂うことになっちゃう。これが20世紀終わりからの一貫した気分です。
 
中小企業のサイズなら形式を整備しなくても、「意志」の源泉である社長(代表者)が適時目を光らせて、実施すべき「意志」にノイズが入らないようにメンテしていくという人治もアリだけど、でもそれより組織が大きくなってしまったらどうしよう。もちろん何らかの仕掛けは用意しなきゃならないのだけど、そのもっと手前に、なぜここにいるのか・参画しているのか、ということに対して基本合意を形成するのが絶対に必要。Howの前に必ずWhyあり。神無き国であれば、根本となる約束を人間と人間のあいだで面倒がらずに結ぶしかないのです。そういうマインドが無いところでいくら監査をやっても、なぜだか不思議な事件・事故が発生して、その原因である人物にヒアリングを行うと「だってイイって思ったんだもん」という趣旨の返事が返ってきたりするのです。適否を計られることのない個人の意志!!リアルで良くある話であってとても悲しい。ああ、世界を革命せねば。
 
プロセスの欠如とか、アセッサの不足とか、そういうHowの話ではなくて、もっと手前のマインドセットの問題から始まってる。そこを苗床にして、個人として組織と関われない(組織の外において自己を流通させることができない)人達が、自分と組織の見境を無くして、自分の意志を組織に拡散させていく。そういう構造だというのが就職以来ずっと(しかし細々と)考えていることの結論。そんな状態になっちゃったら、組織が目的とするところを実現するなんて不可能だよね。中小企業サイズなら「意志」を人治的に適用していくのも出来るだろうけど、それより大きいサイズだと...。
今のところの処方箋としては、契約(約束)を明確にする、組織に埋没しないプロフェッショナルとしての個人(組織の外部というものを理解し、出て行ける個人)を育てる、個人の意志を組織に反映させたのなら社員になれと説教をする(なんとリアルな!)、等々の発生の機序を押さえる処置を講じた上で、監査プロセスを必要なレベルで設定していくしかないかな。こういうメンテをしていかないと会社(組織)って発散しちゃうのです。どうですか、大人は面倒でしょう?面倒なんです。疲れました...。
 
 
 
一応約束は果たした、よね。
であるので、次回からはもっと軽いことを書く予定。たとえばずさんな言葉遣いをあげつらうとか(ファシズムってこの世の全ての悪の名前のことのように言われているけど、それってどうかな、という話。右も左もどうでもいいけど、言葉は考えて使えよな、と)。
 
 
あ、それから最後に。組織に埋没しない個人はプロフェッショナルとして屹立するのが一つの方法だよ、と述べており、かつ一生プログラマとして食っていくという決心をした事も上で告白したとおり。しかし/では、おまえの現在の仕事は何なのか、と君に聞かれそうなので先回りして答えておく。ボクは今現在でもプログラマのプロフェッショナルであるのだけれども、プログラミングの対象が計算機ではなくて組織や事業やそれにまつわる制度等というものに変わったのだと理解して欲しい。いまだに「最後の文芸派プログラマ」と自称して羞じないよ(いや、ハズカシイだろ、厨二かよ)。

 

では、また。