all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2017/07/07

なかなか面白い。
石川県に住んでる人的な面白さとしては、これって気多大社とおんなじ手口じゃん、というところ。神社本庁、なんにも学習してやがらねえ、裁判になったろうに、とか。

金沢市に住んでいる人的な面白さとしては、最近美術館などによって賑わっているあたりにある神社の宮司が、神社本庁で偉くなったという事を自らお披露目していた事につながるところ。3,4年まえかな。某氏(隠しても無駄か)の演奏を聴きに行ったら社務所の方にそういう張り紙がしてあったのですよ。ふーん、わざわざ言わなくちゃいけないんだ、大変だね、とか。

さわりがあるから妄言もほどほどにだけど、別表神社に対してしめつけ、というよりは直轄化をはかろうとするルサンチマン神社本庁に横溢してるからかしらと思っちゃったよ。神社本庁とはいえ、中身はそれぞれ所属の神社がある人達(おお、医師会みたいだ...また危険なことを)。大きなところは憎かろうと。憎かろうというのが差し障りがあるなら、事情の衝突もあるだろうと。
人間的な、あまりに人間的な!! と勝手に合点して備忘録としては完了。

でもね、なぜその人(達)は、それをしなければならないのか、という事は常に考える必要があるのです。そうじゃないと起きている事象は意図の結果の作用なのか、それとも意図に関係の無い副次的ものなのかということの見極めが出来なくなっちゃう。本件はね、憎いのよ、というのを感じさせようという記事の故なのかも知れないけど、そういう感じに読めてしまった。なんたって気多大社の例を見てるからねえ(冒頭に戻る)。

 

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