all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

9/26 要因と原因

原因とはcause、要因とはfactorの事なり、と学校ではそのように教わったし、こちらもそれで物事を整理してきた。

 

おお、だがしかし、

dictionary.goo.ne.jp

等を見ると、

物事がそうなった主要な原因。「事件の要因を探る」

 

と記されている。これは一体何だろう?

調べてみると、gooのバックエンドである大辞泉に限らずアチコチの辞書でそのように書かれている。何故なのか。ありがたいことに大辞林には言葉の来歴も記載されていた。

物事が生じた、主要な原因。 〔「改訂増補哲学字彙」(1884年)に英語 agent の訳語の一つとして載る〕

 

ほお、1884年ということは、渡来の概念や用語を一式日本語化した建国時の一連の活動の成果ということだね。あの時、様々な言葉が日本語化されたお陰で日本語による教育というのが成り立つようになった(正確には、辺境の島国の母国語であってもそこそこの競争力が成り立つ教育ができるようなった)のであり、とても有意義かつスゴイことであったと思うのだけど、しかし本件についてはどうだろうと思う。

 

というのは、問題解決という技法がいつまでたっても根付かないという問題において、factorとcauseの区別が付いてない人が多いというfactorが識別されるからで、今回要因のことをわざわざ辞書で引いたのも、諸君は要因と原因をどういう意味で使っておるのかね、と説明するためなのであった。そして驚愕した、と。ではfactorとcauseにはどんなラベル(言葉)を使えば良いのか。言葉が定まっていないものを考えることは、非常に面倒だからね。

一つには、原因==causeはそのままとして、因子==factorとして運用するというのがある。でもなんか因子っていやだな。何故だろう?今日は深入りしないけど、何かあるな。まあいいや。

もう一つにはそのままfactor、causeでやるという手だ。でもねえ、横文字入り混じり文って、思考が今一つ咀嚼されてない感じを受ける。これも個人的な偏見だけど。

やっぱり工学系では一般的な用法である、要因==factor、原因==causeで押し通したいのだけど、そうすると辞書との激突は避けられない。これもなあ。

 

結論は無い。JISでこの手の用語一式を定めてくれないかね、と半ば本気で思いつつ終了。

 

追記

最近だと課題という言葉の多義性というか、定義のばらつきに難渋した。これも定義がアレでねえ。まあ、こっちは多義性だからまだイイ。

Hatena Blogを眺めていたら、奇妙な文章に行き当たった。

 血統主義前近代的に見えて、実は極めて近代的なものだ。ドイツで「国民」を創生する過程で生まれた血統主義は近代化を通して日本に入り、さらに植民地を通じて韓国と北朝鮮に入ってきた。国民を定義するだけの意味でしかなかった血統主義を日・韓・朝の人々は頑なに信仰している。

この血統主義って出生地主義と対になる言葉なの?どうもそうは読めない。血統主義って信仰の対象にならないよね。血統を大事にすることを血統主義と言いたいのだろうか(他にも?な記述があるが、それを突っ込むのとレイシストとか論難されそうなので言わない。Viva不自由な言論)。こういうのって非常に気になる。

いくら自分が正しいと思っていても、辞書の定義とぶつかる要因の使い方が気になってしまうワタシとしては、他所様の文章においても、一般的な意味ではないタームの使い方には一々引っかかってしまう訳です。そういうのも差別主義者って言われちゃうんですかね。暮らしづらいことです。