all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

1/14 オーディオ再生環境のリフォームに関する備忘録(その1)

うちのアチコチには大小様々なオーディオセットが陣取っている。と書くと偉そうだな。しかし「オーディオ」や「ステレオ」の意味するところは「音響」や「立体」に過ぎないのであって、それが再生機器に対するシニフィアンでもあるというのは無理がある。機器をポイントし、かつ英語表記にしても通じる範囲である「ステレオセット」、「ハイファイシステム」、「オーディオセット」あたりから自分なりのタームを選ぶのが妥当なのであって、とすると自分の感覚としては矢張りオーディオセットといわざるを得ない。実物がどのくらい偉そうかというのはさておき。いや、むしろ実物がハイファイか否かというところに自分でも疑義があるが故に。

 

余談だが、こんな名前のパン屋さんがあるそうである。

www.signifiantsignifie.com

子細にWEBを眺めたが、店名の由来は記されていなかった。ただアタシの思うところの世田谷っぽくはある。世田谷的とは何か、もちろん諸兄の想像通りのことなのだが、それについてはまた別途。何しろ本題に戻す。

 

リフォーム前のオーディオセットの配置は、a.居間、b.図書室(と呼ばれる本棚メインの部屋)、c.寝室、そしてd.キッチンとe.インナーガレージの計五カ所。なぜガレージなのかと言えば、そこで三本ローラーを運用しており、乗っている最中に音が無いとサビシイから。

リフォーム後の配置予定は、a.居間、b.図書室、c.寝室はそのままにして、キッチンは居間からの音がダイレクトに聴けるようになったので除去、ただし新しい風呂にスピーカーとアップが内蔵されているのでd.風呂向けの音源は必要、そして潰したインナーガレージから玄関にローラー台が引っ越したため、オーディオセットもe.玄関に移動するとして、設置数の増減は無し。

 

今回から何回かに分けてポストするエントリは、これらで聴きたい曲をどうやって聴くか、そしてそのためにどのような構成としたかに関する備忘録である。記録を残しておかないと、本当に忘れてしまいかねないのだ、最近は。

ちなみに今回のリニューアルまでは、a.居間、b.図書室はPCからUSB DACを介しての楽曲ファイル再生(手持ちのCD約2000枚をリッピングし、データをNASで統一管理)、c.寝室ではCD、d.キッチン、e.ガレージではiPod Classicの生き残りを音源としていた。つまり場所によっては聴きたい曲がすぐに聴けない状況にあったのである。随分といろんなものを棚上げにしていたのだなあ、とつくづく思う。

 

先に結末を記しておけば、各所のオーディオセットは以下のレイアウトに落ち着いた。

  1. a.居間:Volumio2が動作するRaspberry Pi+USB DAC+プリメインアンプ+スピーカー
  2. b.図書室:パイオニアのN-70A+プリメインアンプ+スピーカー
  3. c.寝室:Volumio2が動作するRaspberry Pi+USB DAC+プリメインアンプ+スピーカー
  4. d.風呂:Volumio2が動作するRaspberry Pi+I2S DAC+風呂内蔵セット
  5. e.玄関:Volumio2が動作するRaspberry Pi+USB DAC+(雑誌の付録の)パワーアンプ+(雑誌の付録ではない)スピーカー

※アンプとスピーカーの凝り具合は、b > a > c >> e。dは同一線上にない。N-70Aのみ実名を挙げたのは、その問題点をあとで取り上げるため。

そしてRaspberry Pi およびN-70A のコントロールのため、家中のAndroid端末に BubbleUPnPというソフトがインストールされ、音源データを格納するNASはHDDが三年の安全期間を過ぎたので更新された上でSambaアクセスからUPnP/DLNAアクセスに移行した。

では、それらがなぜ行われるに至ったかをダラダラと書き連ねていこう。

 

というあたりで息切れをする。次回は要件整理、までかな。設計のところにたどり着く前に、きっとまた息切れがする予定。あ、もちろん漢字の話は忘れてませんとも。それからタベログなどの投稿型レイティングサイト(という仮面をかぶったパブリシティサイト)における「言論の自由」に関する意見表明のことも。

 

 

最後に、本日もっともよかったアルバムを(もちろん買ったものだよ)。

(曲としての)Edo Riverが聴きたくなって、 しかしいつも通りでは面白くない気もしたので、そうだトリビュート盤があるじゃないか、と仮想的な棚から引っ張り出してみた。結果、カーネーションの曲の良さを再認識すると共に、オリジナルではない、自前曲ではない事による自由さというのを堪能したのだった。例えば岡村ちゃん岡村ちゃんであることがより強調されつつ、しかも尚カーネーションであるという奇跡の密度。このアルバムは、ほぼそんな感じで、トリビュート盤のありようとしては飛び抜けて高いところにいると思う。今日、ようやく本アルバムと歯車が噛み合ったので記すものなり。

…いや、森高さんは持ち歌でしたね。しかしあの驚異の変わらなさは何だろう。

 

そして、直江さんと岡村ちゃんのまさかの対談。

natalie.mu

お好きな人には冒頭の写真だけでたまらない感じ。もちろんワタシもたまりません。

  

 

では、再生環境リフォームの話の続きは明日にでも!

...誰が読んでいるのだ(誰か読んでいるのか?)、というBLOGの締めくくりとしてどうだろう、とは思っているのだが...