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記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1)

当家がある金沢市では、来る2/1から家庭ゴミ(可燃)を捨てるに際しては有償の専用ゴミ袋を使用せねばならない仕儀となった。というか、すでに昨年2月に決定しており、一年間の周知期間を経て、いよいよ施行となるのである。
どうやってゴミを減量化するのか、当家においても研究に余念がないのであるが(例えばティッシュペーパーの箱はバラせば雑紙として古紙回収にだせる→可燃ゴミの量としては削減できる、など)、それらの成果発表はいずれまた。今回書きたいことは、家庭ゴミ有料化の意義の再確認だ。
 
有料化決定の報が流れたのは家人ともども外界からの刺激にまったく反応できなくなっていた時期で、その後も実施手順の周知のつたなさに憤るのにかまけて、そもそもリーズナブルな制度設計なのかということをきちんと考えていなかった。45リットルゴミ袋が45円てのは高いな、とか小学生のような感想しか持てていなかったのだ。いや、武蔵が辻の近江町側バス停(※)で、社会福祉法人の代表と名乗るひとの奇妙な街頭演説と出会わなかったら、変わらずに小児的な不満をブツブツこぼしていただけかもしれない。

※武蔵が辻は近江町側も、エムザ側もいつも誰かが何かについて声を張り上げているような気がする。金沢のスピーカーズコーナーと言っても良いと思う。日本の言論は守られているなあと思うことしきりである。

Speakers' Corner - Wikipedia

 

その奇妙な演説の趣旨はこんな感じだった。

  1. ゴミ処理が有料化される。
  2. うちを含めて、社会福祉法人はみんなギリギリの運営をしており、この負担増は耐えがたい。
  3. だからゴミ処理有料化には反対だ。

 

1.はFACTだ。問題ない。2.は...施設によるだろうとは思うが、少なくとも演説をしている人のところは苦しいのだろう。「みんな」がFACTなのか、事実の摘示が必要だと思うが、そこは百歩譲っても良い。問題は3.のconclusionだ。なぜ、そうなる?社会福祉法人の減免措置を求める、というのが筋なのではないか?

制度全体を論難するにはあまりにも薄弱な根拠だ。本当に奇妙な、論理が破綻している街頭演説だった。ゴミ処理有料化に対する自分なりの意見を整理せざるを得ないな、と思わせるほどに。そして調べ物が始まってしまったのだった。今回はその結果報告ということになる。
 

なお、今回はいつにも増して長いエントリになる可能性があるため、オチを隠したまま右に左に蛇行するいつものスタイルをまげて、最初に結論を述べる、仕事っぽい感じで行く(プライベートの作文なので嫌なのだが)。その結論は、こんな感じ。

  1. 制度の趣旨、特にスタートポイントは心情的には理解できなくもない。しかしソレを行うべきかという判断をする根拠が示されていない
    先行事例を調べたところ、制度自体は一般的なもので費用も全国平均程度。であるので、制度の出発点である「ゴミを減らしたい」が 本当に 金沢市にとって喫緊の課題なのだとしたら、それほどの悪手なのだとは思われない。
  2. しかし本件を接ぎ木した元々の条例に筋悪の感がある。その条例の大枠に引きずられて、収入の使途が曲がってしまっている可能性がある。
  3. さらに2.が原因となっているのか(つまり2.の問題を市も理解しているのか)、制度の手続き部分の周知に比して、制度の正統性の説明が非常に雑というか粗略になっている。「知らしむべからず、よらしむべし」という言葉をふと思い出してしまう。
  4. 本件を更に大きな枠組みで見つめ直したときに、「市民」とは誰かという事を抜きにしてゴミ処理の話をして良いのだろうかという問題に行き当たってしまった。ただしこれは金沢市だけの問題ではないと思う。

  

 

では、それら結論がどのような経緯で導き出されたのか、一緒になぞってもらおう。

 

...と書き始めたら、本当に長大になってしまった。申し訳無いが続き物になる。

誰に対してわびているかというと、...誰だろう?