all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2/2 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その4)

いよいよ最終回(予定)の第4回。大体ブロックは積んだはずなので、あとはさらっとまとめられるはず。自分を信じて!

 

 

3.さて、なぜ制度がもめたのだろう?

  

septiembreokbj.hatenablog.com

前回(その3)、収入の使い道に関する情報を新聞(日経および北國新聞)に頼ったのは、金沢市のWEBサイトに情報が掲載されていなかったからだ。ちょっと信じられない。少なくともアタシが見る範囲では、金沢市のサイトには、収益をどのように使うのかを説明したページも、資料も一切見当たらないのである。

 

先に紹介した岩手県の検討資料では、手数料を取る事自体は問題無いとしつつ、最後に以下を記している。

しかし、家庭ごみ有料化は住民に新たな負担を求めることになり、これまで税収によりごみ処理が行われてきた事実から、税の二重取りという批判は、当然、考えられる。有料化の目的を明確にしたうえで、手数料の使途を透明化し、ごみ発生抑制やリサイクルの推進などを中心とした施策に充てることが住民の理解を得る上で重要と考えられる
(強調は筆者)

これが普通のセンスだと思う。しかるに金沢市は使途を説明する資料を公開しておらず、新聞が曖昧に伝えるのみである。

 

四の五の書くのが面倒になってきたので、他の自治体の情報をもって語らしめることにする。

(札幌市)

https://www.city.sapporo.jp/seiso/keikaku/slim_report/documents/slim_report_20_009.pdf

京都市

http://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/cmsfiles/contents/0000000/179/24syunyunotukaimichi.pdf

 

これらの使途を見ると、ああ負のインセンティブとして集められたお金であるけれども確実に市民の生活環境の向上に用いられているなあ、という感想が素直に持てるのではないかと思う。何のために使うのかが事前に判っていれば、金沢市における制度導入ももっとスムーズに行えたと考える。

なぜ今制度を導入する必要があるのかという事、そして集められたお金が本当に有効に使われるという事、それら2点の説明をなぜ金沢市は行えなかったのか、そして未だに行っていないのか。考え方はいくつかある。

  1. 別の目的に使いたいお金があって、それを集めるために国がやれと言っている家庭ゴミ収集の有料化がちょうどよい言い訳になる、などという真実は口が裂けても言えないから。かもしれない。
  2. 国がやれと言うから仕方なく始めたのであって、内在的な理由は自分たちの内部に無い、などという真実は口が裂けても言えないから。かもしれない。
  3. 市役所側としてはずっと有料化をやりたかったのだけど、前の市長の時には、まずは他の施策を試して選択肢がないことを明確にしてからだと釘をさされ、それが新市長に代わってからは色々と説明が楽になったので、いまのうちに制度を通してしまえという流れになり、実際には家庭ゴミが減ってきているのに無理に通してしまって、しかも有料化自体が目的だったので、収入の使途をどうするかまで煮詰めていなかったので使途の説明も出来ない、などという真実は口が裂けても言えないから。かもしれない。

以上はもちろん妄想であって、実際の金沢市がそのようなずさんな事をしているとは考えられない。しかし

  • 金沢市役所は、市民に対して、市民が行政を理解・判断するための観点から必要な包括的な情報(少なくとも断片に分断されていない情報)を提供する事が、今日的な行政において必須かつ優先度:高の仕事だということを理解していないかもしれない。

という可能性は大いにあるのではないかと考えている。決して悪意では無く、常識のずれとして。

例えば、金沢市において家庭ゴミの年間処理費用は市民一人当たりいくらかだろうか?今回の制度について考えようと思ったとき、袋代として徴収されるお金は、その年間処理費用の何%なのだろうかということがまずは意識に上るはずだ。しかし、そのような数字は公開されていないのである。

金沢市の隣にある、(さまざまな施設を自前で持たず、他の自治体によりかかり、市としてのメリットだけを享受しているいびつな市である)野々市市ですら野々市市 ごみ・リサイクルで小学生に対して情報を公開している。それによれば8600円/人年とのこと。 

 実は金沢市の市民一人あたりの年間家庭ゴミ処理費用が8629円、市全体で年間40億の費用が発生していることをアタシは知っている。どうやって?それは共産党所属の市議会議員、みよみよのBLOGを見たから。

miyomiyo.jcpweb.net

40億/年の経費 一人当たり 8629円/年 

こんな当たり前の数字を、しかるべき場所でしかるべき人が突っ込まないと数字が出てこないというのはどういうことなのだろう。しかもこの数字、直接費のみなのか、それとも他の数字が乗っているのかが全く判らない。例えば施設の償却費はどうなっているのか、ゴミ処理時に発電した電力を売ったお金はどこに行っているのか。

kumanomorio.comなどから、2015年度には8.7億円が入っていることが辛うじて一市民のアタシにも、判る。しかしこの売電費用の行き先は判らないままだ。

 

その代わりに、この記事は更にいくつかのげんなりする事も教えてくれる。

一つは(その3)で触れた「二重取り」について、普通に考えると問題ないという件。これについて金沢市市長が理解できないことを発言しているのが判ってしまった。

また、市長が自ら赴いた説明会で、家庭ごみ有料化の手数料収入はゴミ処理費用に当てないと明言していたことについても尋ねたところ、手数料収入は環境政策に資する形で地域に還元することを主としており、結果として、議会でも議論されている税金の二重取りを避けるため、とのこと。

金沢市には論を整理する能力が無いのか、それともすべて判った上で使いたい用途にお金を使うためにあえて能力が無いふりをしているのか。いずれにせよ理解しがたい。

そしてもう一つ。

まず、委員会で森尾委員が市内2箇所の焼却施設の売電収入を尋ねた経緯は、市が進めている家庭ごみ有料化の説明会で、ゴミ焼却施設から売電によって市が得ている収入も説明すべきという観点から。

委員会で市議が聞かないと(問い詰めないと)売電収入が判らないの?そしてその事について市議会議員自身が突っ込みを入れないの?もしや質問をして情報を入手するという事自身が金沢では市議会議員の特権になっているの?

いや、よほど難しい情報ならともかく、他の自治体では当たり前にWEBに掲載されている情報が、金沢ではあえて問わないと得られないとは。

 

 

書いていて相当に悲しくなってきたが、このようにして1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の3番目、

さらに2.が原因となっているのか(つまり2.の問題を市も理解しているのか)、制度の手続き部分の周知に比して、制度の正統性の説明が非常に雑というか粗略になっている。「知らしむべからず、よらしむべし」という言葉をふと思い出してしまう。

にたどり着いてしまった。金沢市は、自分たちがやろうとしていることも、やったことも、情報開示ができていないのだ。家庭ゴミ処理の有料化について調べただけで、これである。叩けばホコリはもっと出るだろう。

 

そして特権を通じて得た情報をBLOGで公開する市議会議員、古くさすぎてめまいがする。情報が広がれば、それをつかって良い考えも、行動も生まれてくる。結局のところ確率の問題なのだから、何よりも情報を一人でも多くの人の目にさらすのが最優先なのではないのか?ITが人類(大きく出たな!)にもたらした最も大きな価値は、情報の配布、収集のコストを桁違いに変えてしまったことだ。その結果、くだらない特権も、愚かな因習も、だんだんと風化しつつあるのだ。確かにFAKE NEWSという問題も最近クローズアップされているが、だからこそ役所は責任をもって情報をさらけ出さなければならないのだし、周りはそれを促進させなければならないはずだ。

いや、彼らも最初はより多くの人に情報を広めようという善意からBLOGを始めたのだと信じたい。しかし、彼らの善意に頼らなければ情報が得られないのだとしたら、それは持続可能な情報公開ではない。市役所が情報を出せるように、制度や職員のマインドを変えていくことが、市議会議員の仕事であるし、それなくして多くの人が参加する「市」はあり得ない。参加とは、参加する人が自ら考えることを抜きでは成り立たないのだ。考えるための燃料である情報が手に入らないなんて。

(これ以上続けると、とんでもない事を書きそうだね)

 

ただ、これだけはいえる。あまさず情報が公開されていたら、もうちょっとすんなり制度は始まったはずだし、収入の使途も歓迎されるものになっていたはずだし、毎日新聞が跋扈することも無かったはずだ。そしてもしかしたら、今後のゴミ処理施設のあり方やその費用の手当(積み立て)など、将来に関する議論まで深められかもしれなかったのだ。なんという壮絶な無駄だろう。 

 

近江町で奇妙な街頭演説を耳にしてしまった結果、ずいぶんと遠いところまで来てしまった。アタシはなんだかとても野蛮なところに住んでいたのだなという気持ちである。

そして最終章、結論4に向かおう。

 

 

 

4.市民という言葉は誰を指すのだろう?

長々と続けた今回のエントリで、何度も市民という言葉を使った。様々な文脈で使われる多義的な言葉なのは承知しているが、本件における市民とは金沢市からパブリックサービスを受ける対象(※)であるので、「金沢市住民基本台帳に登録しているもの」が適切な対象であろう。

とはいえ何度も言うが、 「市」とは市民が参画し、維持するものである。行政は市民の委託を受けて代執行している存在に過ぎず、どこまで行っても(たとえば一人ひとりは無力に見えても)、市民が市を支えるのである。ゴミの減量は市が悩むことだ、と言い放つような者が市民であるという事は、心情において首肯しかねる。せめてその「市民」が多額の税金を納めて他の市民を潤わせている人物であることを期待する。

つまり、住民票を移動させずに金沢市に居を構えるものは、市民ではないということである。(その3)において京都市の条例を紹介したが、これをよく読むと京都市の厳しさが伝わってくる。彼らは市民と滞在者を区別して条例を作っているのである。おお、京都、まったくもって「ぶぶ漬け食うていきなはれ」である。

 

さて、その住民票であるが総務省|住民基本台帳等|住所の異動届は正しく行われていますか?

お住まいの市区町村で、行政サービスを確実に受けられるようにするため、入学・就職・転勤等に伴う引越し等により住所を移した方は、速やかに住民票の住所変更の届出を行って下さい。 

とあるとおり、異動した場合にはさっさと住民票を移さなければならない(一応罰則規定もある)。理由はいろいろあるが、行政サービスのフリーライドは許さないという事も確実にある。

さて、学都を名乗る金沢であって多くの学生が居住している訳だが、彼らの何%がゴミ処理の費用を払っているのだろうか。それ以外にも、住民票を能登においたまま、金沢に居を構えている若い人は少なくないという事を耳にすることもある。地元の「人口」を減らしたくないなどの理由なのだそうだが。しかし、その税金はどこに行くのだ。そして我々の税金はどこに行くのだ。

 

だからチェックを厳しくしろ等のHowを述べるつもりはない。そうではなくて、ネットで見かけた本件に関する意見(や意見の表明に関する報道)は、どこを見ても

私は勘弁して(そしてその変形の、この人たちは勘弁してあげて)

か、

必要なら仕方ないじゃ無いか

の二種類で、そもそも ゴミ処理ということを市と、市民と、業者と、滞在者がどのように按分すべきなのかという視点での意見が見当たらなかったことに困ってしまっているという気持ちを記録に残しておきたいのだ。問題の構図も整理せずに、答えだけが出てくるなんてどうかしている。そう思うでしょう?

そして1/28 金沢市の家庭ゴミ処理の有料化によせて(その1) で述べた結論の4番目、

本件を更に大きな枠組みで見つめ直したときに、「市民」とは誰かという事を抜きにしてゴミ処理の話をして良いのだろうかという問題に行き当たってしまった。ただしこれは金沢市だけの問題ではないと思う。

にたどり付くのであった。

 

フィニーッシュ!! 

ここまで目を通された方はお疲れ様でした(知り合いの多くも途中で脱落しているものと思われる。そもそも当人が苦しい)。

今後は題材を選んで書くので何卒ご寛恕ください。

 

 

  

付録1:「市民派」よ、甦れ

 (その3)で市民派を揶揄することをアレコレ書いた。それは、市民派と名乗る以上は市民の利益を考えるべきところを、自分の都合(理屈も無しに語ることは基本的に自分の都合か宗教だ)を市民派の看板で語るからで、市民という集団全体をしょって利益誘導するなら、それは立派な市民派だ。そんな人を揶揄しようとは、いくらアタシでも思わない。それは意義のあることだと考えるよ。

 

そして今回の件から判るのは、金沢には市民派がいなかったということであって、それもアタシを鬱々とさせる。市民とは弱者のことでは無いのだよ。いや、弱者を守れというのは立派なことだ。それを市民派という看板でやるなということなのだ。昔あった貧民党ってのはいい名前だと思うのだけど、それだとマズイのか。だったら最近の時勢にあった、しかも対象をジャストに表す看板を立ててやれば良いのであって、何しろ市民という言葉をこれ以上汚さないで欲しい。

その結果が、今回の議論の低調さだ、と言ったらあまりにも乱暴か。しかし市民派という人たちにアタシやアタシの周りのひとはうんざりしており、どんなに良さそうなことを言っていても、そこにいっちょ乗っかるかという気には到底なれない。オレンジ果汁1%、あとは混ぜ物というのをオレンジジュースと呼ぶかという話であって、もしそういうのを見つけたら、アタシはソレを売っている人間を信用することはない。そういうことだ。

 

しかしこれだけ書いておきながら、全き意味での市民派が甦ることを期待する気持ちがアタシの中にはある(そもそも居たことがあるのだろうか、などという事を問うてはならない)。市民すべての益になることを考えて行動し、それが本当であることを常に証続けるという人がいたら、是非ご助力申し上げたいという、そのような気持ちがある。

現実逃避というなかれ、夢想というなかれ。もちろん、暇つぶしともいうなかれ。

アタシは前進が見たいのだ。