all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2/22 あ、ニャンニャンニャンの日だ。

東京へ一泊二日の出張の筈が、一昨日から始まった風邪が悪化。本日のメインイベントであった某件会議へは、自宅からテレカンファレンスで参加。場の雰囲気をリアルに把握したかったのだが致し方なし。夜中に三回も着替えるような汗をかいてるようでは、今夜の宿の大塚のビジネスホテルで客死しかねない。

 

会議終了後は布団でうたた寝。汗が冷えて目を覚ましたので、昨年末のリフォームで新装なった風呂を昼間から沸かして体を強制的に温めることに。風呂では0011ナポレオンソロの劇伴集を聴きつつネット。本日が222であることをようやく思い出し、猫画像と猫動画にしばし惑溺。

家人も息子もネコアレルギーであるので(あったので)、当家にいまだネコは居ないのだけど、これで家人もいなくなりワタシが最後の一人になるようであれば、迷わずご来臨いただこうという決意を新たにする。

 

そしてfacebookアカウントの削除と、blogの再開。

白井良明さんを観に行った浅草ツアーは楽しかったが、いろんなことを楽しんではいけないという制約が自分に掛かっている事を再確認。つまり2/13に帰ってきてからは、「楽しむべからず」に障ったことによる抑うつ状態で七転八倒しており、割合に正気に戻ったのが一昨日のことだ。いやそんな一時的な事じゃない、ずっとおかしかったね、認めよう。

理性があるものは矛盾によりおかしくなる。その事を最初に学んだのは多分小学校二年の時で、スピーディというロボットの話からだ。もしかしたらプログラマになりたい気持ちのタネもこの辺りで植えられたのかもしれないが、まずは矛盾の話だ。

ワタシにおける矛盾は、不可逆な分岐点を一年前に過ぎているにも関わらず、なお「日常」を継続しよう、修復しようとしたところに始まる。「日常」の真似が上手くなればなるほど、不在が浮かび上がってくるのは道理で、何となればワタシの「日常」は、息子がいて成り立つという定義だからだ。

そして、これは公理なので論証は不要なのだが、迎えが来るまで、ワタシ達はきちんと暮らしていかなければならない。つまり矛盾を是として、抑うつ状態にはまり込んでいる訳にはいかない。

だから「日常」の維持を諦めて、ワタシ達が維持できる範囲に世界を狭めて、その中で正気を保って行こう。すごくつまらない余生のような気もするし、何という恩知らずな態度だろうとも思う。だけどね、迎えが来るまでは持ちこたえなければならないのだ。

 

と、書いてて突如気がつく、これは宗教の考え方ではないか。メシアの再臨を待つもののロジックと同型だ。(さっきから公理と書いていたのは、図らずも大当たり。公理で無い宗教などあるものか)

メシアの再臨、英語で書くと "The Messiah will come again"。Roy Buchananの曲のタイトルである。最初に聴いたのはクロスオーバーイレブンだから、多分中学二年生ごろではないか。

www.youtube.comなぜメサイアが再びやってくるのにこんなに悲しげな曲なのか。当時は判らなかったが、曲の冒頭に入っているつぶやきを読めば(聴く力はないなあ)腑には落ちる。

lyrics.wikia.comメサイアとは、もう一度やってきて欲しいけど、二度とやってくる事が無いものの象徴なのだね(※)。

再びやってくる筈がないものを待ち続ける、そのうちに話に尾ひれが付いたり、来ないのを誰かのせいにして、宗教は大きく転がったり、分かれたりしながら進む。でも出発点は、メサイアが去ってしまってあとに残された者の悲しさにある。

まさか自分がそれを理解する日が来るとは思わなかったが、ワタシには判る。判る様になってしまった。母方の実家が大型宗教法人関連で、人の集まりとしての宗教を身近で見ていなければ、万が一くらいには、その方向に流されていたかもしれないという事も。しかし、それも今日のイシューではない。問題は、どうやって悲しさを抱えたまま、しかも正気を保ったうえで(誰かに悲しさを預けてしまわない、という事ももちろん含む)、メサイアを待つかということだ。

※いつか来るならこんな曲にしないぜ。もちろんそんな事は抜きにして、これはホントに名曲、名演だと思う。初出が1972年、上のは1976年のセルフカバー版。二回やったのは良い曲だと本人も思ってるからだし、この曲を紹介する時にはみんな76年版を使う。ワタシもそうした。

  

持ちこたえられる範囲で持ちこたえるために世界を縮めるという、ずっと避けていた結論をようやく受容したのがこの2,3日のことだった。そうしてfacebookのアカウントを削除し、blogにはお詫びを正式に掲載して、タイトルも変えた。

これから、すごくつまらない、サビシイ生活が始まる。正しくは、ずっとそこに控えていた、つまらない、サビシイ生活と向かいあっていく。しかし、だからこそメサイアの再来を待つことができるのだと思う。うーむ、本当に宗教の人のようだ。いや、オイシイものも食べるし、ビジネスも貪欲に進めるし、自転車にも乗るし、七つの大罪はきっと続くよ。でも、変わってしまったことを認める日が来てしまった。もう心の底からに楽しくなることはないし、この悲しさがうまる事はない。

 

でも、もしかしたら。ちっちゃくて、茶色い、猫が一緒に寝てくれて、そして朝に顔を舐めて起こしてくれるのだとしたら。もしかしたら。 

 

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2/22にようやく帰ってきた。なんと言っても今日はニャンニャンニャンである。猫ネタが無ければ終われないではないか。

 

ネコ飼いたい。