all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

5/9 目黒大鳥神社前朝日屋さん(棚卸し:2月の目黒)

書いてなかった期間にあったアレコレの備忘録。

 

二年前に息子と永別したのを筆頭に、過去を振り返ってみれば自分の2月にはお別れが多い。そういう事を思いながら権之助坂を下っていると、ふと当たり前の蕎麦が食べたくなった。偉そうな蕎麦ではなく、街場の、普通だけどしっかりとした真面目な蕎麦だ。そうなると行くところはこの辺りでは一店しかなくて、それは大鳥神社のちょっと手前、目黒通り沿いの朝日屋さんだ。

いつもは権之助坂を右手側から下るのだけど(その方が会社に近い)、朝日屋さんに行くなら普段は通らない左手側だ。幸い11時も過ぎている。急ぎの用もないので、会社に入る前に蕎麦をたぐっていく事にして、目黒川を過ぎた所の横断歩道を使って朝日屋さんの側に渡り歩くこと数分。

 

シャッターが閉まっている。

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5/8 sketch of india. まとめ

2/6のエントリで、インド旅行のまとめは次回でと言ってからなんと90日余りが過ぎていた。

忙しかったからでもあるし*1、まとめ方になやんでいたからでもある。たかだか一週間弱行ってきただけでアレコレ言っていいものだろうかというのもあるし...。

 

とはいえ、何かを語らなきゃいられない位にショックを受けたのも事実なので、あくまでも自分が見聞きした範囲+調べたことにおいての『インド』を残しておこう。ハズカシイのだが致し方ない。後で記憶のねつ造をするよりはマシということで。

 

 

インドに関する印象は2/6のエントリに集約されている。

septiembreokbj.hatenablog.com

結局のところ、みんなやりたいことをやるのだ。自分も含めて。そういうものなのだ。
だから、周りの他人が何をやろうとしているのかはギリギリまで見極めるし、何か隙があればこちらもやりたい事をやる。

 

ニューデリーの路上は人と乗り物が織りなすカオスに見えるけれど、「そういうものなのだ」と現状を一先ず飲み込む力をベースとして、いくつかの原則を適用した結果なのであって、それは決して理解不能なものではない。ワタシはそこにリアリスティックな、そしてギリギリまでリアルを追求するが故に粘っこい、路上文化をみる。

 

『「そういうものなのだ」と現状を一先ず飲み込む力』

 

そして、『そういうものなのだ』という態度は決して路上にとどまるものではなく、遍く社会の原則なのだと見た。貧困とリッチ(人でも、街でも、モノでも)、古さと新しさ、狡猾さと親切さ、その他もろもろのrandomness。これらを『かくあらねばならない』という原理で整理するには、あまりにもインドは通時的にも空間的にも広大かつ複雑に過ぎる。『そういうものなのだ』という態度で一旦は受け止めないと、とてもじゃないけどやっていけない。

 

 

唯一『かくあらねばならない』が適用されていると思ったのは、『インドという国がある』ということについてだ。

広い国土には13億人が住み、多くの言語(その数800超、連邦公用語だけでも22)、多くの宗教*2が入り乱れている。それらの総体を『一つの国』として成り立たせるには、どう考えても『かくあらねばならない』という意志が必要だろう。

 

septiembreokbj.hatenablog.com

で書き漏らしたことがあった。

映画が始まるまでに広告があるのは日本と同じだけど、スマホや清涼飲料の広告の間に、日本ではちょっと考えられないものが混じっていた事に驚いた。空母が、潜水艦が、戦闘機が、そして兵士が次々と登場し、誰がインドを守っているのかという事を伝える力強いイメージのそのムービーは、インド海軍は君を求めている、と締めくくる。インド海軍のリクルート広告が映画館で掛かるのだね。

そして、それら広告が終わり、いよいよ本編かと思われた時に、観客が全員立ち上がり館内にはもっともらしい曲が流れ始める。噂に聞いていた国歌斉唱だ。日本で聞いた時にはあまり本気にしていなかったのだけど(やる事もあるだろう、程度に受け止めていた)、やはりやるのだ!

そのときまでに得ていた各種の刺激や情報を含めて、この瞬間世界が転回したのだった。彼らは本気なのだ。彼らは『かくあらねばならない』ということを、インドという国を実在させることを徹底しようとしているのだ。インド亜大陸という領域とその中の人や文化はリアルだけど、Republic of Indiaは意志に基づくアーティフィシャルな存在なのだね。

『そういうものなのだ』という原則に基づく社会と、それ故に生ずる『かくあらねばならない』という意志の発露としての国家。これって『かくあらねばならない』という原則に基づく社会と、それ故に生ずる『そういうものだ』という無自覚の発露としての国家という本邦の真逆だ。

 

『かくあらねばならない』という縛りの国からの旅行者であるところのワタクシは、デリーの路上で『そういうものなのだ』という態度と出会い、自分にあると思っていた『普遍性』が相対化されるという素晴らしい体験を得た。『そういうものなのだ』という原則であっても世界は回るのだし、そして自分は『かくあらねばならない』という教義*3の徒であったのだな、と。

それと同時にインドにおける『かくあらねばならない』が、日本において長らく不在であったことの理由もなんとなく見当がついてきた*4

差違は偉大なり。

 

 

まとめれば、今回の旅の印象はこうだ。

  • カオス→だがそれがいい
  • 鏡の国への旅→そのおかげで自分が何者なのか、自分がどこにいるのかが更に理解が深まった
  • 『そういうものなのだ』という態度と社会→アタシもこれからはそう言ってみよう。

 そして、また行こう、行かねばと思ったのだった。小松、チェンナイ直通便というとんでもないラインが開設されるという追い風もあるしね。

 

 

追記

PETTAの最後におけるラジニ・カーントの顔が悪鬼羅刹のごとくに見えたのは、極めて日本人的な感覚の故である。それに気がついたのは日本に戻って一月もした頃のことだ。

滞在の最終日にナショナルミュージアムに行って様々な神像を見たときに気がつくべきだった。インドの神様は鬼のような顔をして、悪を滅ぼすのだ。あれは復讐譚なのではなく、極めてインド的な勧善懲悪(というか、バランスの復元)であって、最後の顔がそれを物語っている。

いつもながら、繋がるまでに時間がかかる。そのかわらぬ鈍さに我ながら呆れるものナリ。

*1:株主総会やら、年度計画やら、組織再編やら(いや、これはまだ進行中だ...)の本業業務で忙殺されていた。ああ、ソフトウェア開発現場に逃避したい。

*2:ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%(2001年国勢調査)、だそうです

*3:つまり、あまたある説の一つに過ぎないということですな。

*4:最近は日本でもいよいよ国家において『かくあらねばならない』をちらほら見受けるようになってきましたが、それは社会において『かくあらねばならない』が減衰しつつあるからだと見ることができます。インドほど振り切った『そういうものなのだ』になるかは判らないけど、少なくとも社会の成員が共通の公(つまり『かくあらねばならない』)を持たなくなってきているのであれば、誰かが意志を担保しなければならぬということなんじゃないかな、と。

2/11 モンベルにおどろく。

インドの覚え書き最終回とか、目黒にあった異変とか、そう言うのを書いとかなきゃと思いつつグッタリしてたんだけど、あんまりすごい事があったので、それだけはスポットで残しておく。
モンベルのポイントカード勧誘の限りなくブラックに近い色合いに驚いてしまったのだ。



以下は、その顛末。

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2/6 sketch of india. 交通事情編(on the road)

気を抜くとあっというまに時間が経ってしまう。

1/25くらいにあげるつもりだった、初めてのインド(デリー旅行)で見聞きした範囲の交通事情の後編、気がつけば2/6だ。記憶がしっかりしている内にメモを残しておこうという一連の試みなんだから、さっさと書くべきなのは間違いない。のではあるのだけど、まあ力が入らない時期なのも確かだ。ううむ、2月ってのがカレンダーから消えるという手はないものだろうか。

 

 

さて、on the roadにおける交通事情だ。

路上におけるプレーヤーをまずは列挙しよう。


  1. 半分くらいスズキ*1。もうマジでスズキ。アルトK10、アルト800、その先代のマルチ800がジャカジャカ走ってる。スズキ以外も、大体排気量1000ccまでの小型車。時々中型のセダン、そしてベンツとか。大型SUVは希だった気がする。路線バス、スクールバスとバスももちろんいる。
    あと思い出してみると、トラックをあんまり見かけなかったように思う。気のせいなのか、ホントに走ってないのかは不明。いないはず無いんだけど、例えば山手通りにおけるトラックの発見率と有意差があるような気がする。
    とおもって探してみると2017年のだけどこういう記事も見つかる。

    www.afpbb.comやはり何らかの制限がかかってるのかしらね。



  2. バイク
    時間帯にもよるけど、路上面積の1.5~2割を締めるのがバイク。二ケツどころか三ケツが普通だけど、サイズは小さめで日本だと125ccくらいのバイクがもっぱら。250ccサイズを時折見かけて、それより大きいのはほぼ見ない。そして接触事故対策なのだろうか、ゴツいエンジンガードをつけれるバイクが結構いる。
    一番見かけたロゴは『HERO』。車のマジョリティがスズキだったのでもしやバイクも、と思ってたんだけど違う模様。しかしHERO、なんとなくインドの人々が好みそうな名前だなあと思う。


  3. リクシャー(オートリクシャー)
    そしてこれを忘れてはなりませぬ。

    ja.wikipedia.org昼夜問わずに路上の2,3割を締めるのが(オート)リクシャーといわれる三輪タクシー。
    人が集まるところの路肩にには、客待ちのリクシャーがつねにたむろしている。タクシーだからね。トラブルも楽しむ、という境地にまでは達せなかった初回訪問で、リクシャーも試せなかったのだけど、女子高生二人連れとかが価格交渉をしながら普通に乗ってるのも見たので、次回はトライしよう。
    等というソフト面はさておき、ハード面としてのリクシャーは遅い、ふらふら走る、人間や荷物がこぼれてきそう、という動くシケイン的な性質を有していてて、路上のカオス指数を向上させる重要なプレーヤーだ。

  4. その他
    自転車はその他の部門かな、いないわけじゃ無いけどまれだから。車種的にはトップチューブが水平の、ごっつい前三角がある商用車。勿論タイヤは700c。ブレーキもロッドブレーキじゃなかろうか(すれ近いざまの観察による)。
    一回だけロードレーサーに乗っている人を見たけど、イカつい防塵マスクをしての乗車だった。『この世界の有り様(よう)を全力で否定する』というパフォーミングアートなんじゃないかなと思う。というかそうであって欲しい。なぜそうまでして乗るの?同じ自転車のりとして理解できない。
    その他部門として欠かせないのは馬車(ポニーかな)。こちらを見たのは二回。ニューデリーの路上では馬車よりもロードレーサーのほうがマイノリティなのだ、少なくとも見て数えた範囲では。

 

さて、インドの方がウーベルと発音するところのuberの車窓から眺めたニューデリーの路上、そこで上記プレーヤーが入り乱れる様を箇条書きにしてみよう。

 

[全プレーヤー 共通の振る舞い]

  • 道路一杯のプレーヤーたちは、車間距離10~20cmのまま進んでいく。
    気持ちはわかる。隙間があくと、誰かが突っ込んでくるのだ。

[車、バイク、リクシャー 共通の振る舞い]

  • 右車線から左車線への移動も自由自在。
    というか、事前に曲がりたい方向の車線に寄っておくという事をしない。曲がりたいコーナーが見えてきてから、そこににじり寄っていく。
  • そもそも全員車線の間を漂うように走る。
    何が起きるか判らない路上では、直進に固執するのは無駄どころか危険なのかもしれない、と思わせるくらいに全ての車は左右に漂いつつ走っている。
    車線って何だろう、という根源的な問いが発生してしまった。
  • ラクション鳴らしまくり。
    にぎやかです。よかったですね。

[逆走について]

  • 歩道側の路肩でバイクが逆走するのはかなり当たり前。リクシャーもやるね。
  • 中央分離帯に目をやると、自転車が逆走していることも。(バイクも数件みた)
  • 交差点で車が逆走してくることもある。
  • 合流車線の入り口から車が出てきたときには思わずニッコリしてしまった。驚くと微笑むこともあるんだね。

 

スピードや物理的な挙動が異なる各プレーヤーが、ほこりっぽいだけではなく明確に汚れている空気に満ち満ちた、渋滞一歩手前のぎゅう詰めの路上を、上記の不思議な振る舞いを繰り広げながら進んでいく状況はすでに十分カオスなんだけど、実際はそれに輪をかけてカオスであって、何故かといえば信号というものが大きな交差点にしかないから。

そうです、横断歩道というものがほぼ存在しないのです。こんな重要なことなのに、事前情報のどこにも書いてなかったよ!(日本人的激憤)

 

インドに着いた最初の夜、宿のブロックから大通りを挟んだ向こうのショッピングモールに行こうとして、横断歩道を探し、そんなものは見当たらないという事に気がついた時のショックは相当なもの*2なのだけど、それでもレアな事象に違いない若しくは見落としがあったのだと思っていたのです、そのときは。まさかニューデリー中がほぼそんな状態だなんて。

 

ではインドの人々はどうしているかというと、カオスあふれる路上を当たり前の顔をして渡りたいように渡っていく*3。たとえそれが片側三車線であっても。人こそがインドの路上におけるカオスの最終要素なのだ。

 

不思議なのは、人と乗り物が入り乱れたカオスマキシマムな路上がそれほど阿鼻叫喚ではないということ。上海の路上における殺伐感*4なんかと比べると、その違いは際立っている。

もちろん最初は各プレーヤーの振る舞いにびっくりして、ありもしないブレーキを踏むべく足が突っ張ってばかりいたのだけど、段々とある種のルールというか原理原則の上に運行されているシステムなのだなあと思われてきた。

 

おそらく、その原理原則は以下の二つにに集約されるのではないか。

 

  1. 結局のところ、みんなやりたいことをやるのだ。自分も含めて。そういうものなのだ。
    だから、周りの他人が何をやろうとしているのかはギリギリまで見極めるし、何か隙があればこちらもやりたい事をやる。
  2. 事故は馬鹿げたことだ。誰も得をしない。
    正しい、正しくない以前に、事故は誰にとっても損な事なのだ。

 

 

この原則が共有され、適用されているとすれば、路上におけるカオスを見る目が大いに変わってくる。前提条件のもとでは十分に合理的でありうるからだ。

確かに彼らはギリギリまで粘るけど、最後は誰かが引く。自分の意思が通るかどうかを丹念に見極めようとしているし、無理なら事故っても損なので次の機会を狙う。二大原則の上で、お互いに腹の探り合いをしながら進む、超絶リアリスティックな路上文化*5と見ることができるじゃないか。

たしかに逆走とかどうなのよ、と思いはするのだけど、それは原則1に対する法の優越性をどうみるかの問題で、原則1を掲げるかどうかとは関係がない。日本人的には常に法が優越するとおもうのだけど、インディアン的にはまあボチボチで、ということなのだろう。それまで考えれば、やはり彼らは原則に対して合理的だ。

 

ラクションがうるさいのも、よく観察するとなるほどと思えてくる。

日本におけるクラクションの発するメッセージは、道交法の意図とは異なり、「何だコノヤロー」だ。もう少しひどい言い方をすれば「コロス」。これは上海でもそう思った。日本と上海はクラクションの量に差はあれど、意図としては事後的で、起きてしまったことに対する意見表明なのだ。

ところがデリーの路上では違う。あそこでのクラクションは、「ワタシがそことおるから、ワタシ、ワタシ、ワタシ」という自己主張のメッセージを発するためのものだ。意図としては事前的で、これから起きることのリスク低減をもくろんでいる*6のだ。つまり原則2の適用なのだ。

 

 

まとめます。

ニューデリーの路上は人と乗り物が織りなすカオスに見えるけれど、「そういうものなのだ」と現状を一先ず飲み込む力をベースとして、いくつかの原則を適用した結果なのであって、それは決して理解不能なものではない。ワタシはそこにリアリスティックな、そしてギリギリまでリアルを追求するが故に粘っこい、路上文化をみる。

 

翻って(特に最近の*7)日本では、「ワタシはルールを守っているのだから、ぶつかったあいつが悪い」という筋論、建前主義が跋扈しつつあるようだ。これは非常にイマジナリーな態度であって、なるほど一国の衰微というのはこういうところに現れるのかと思う。

 

 

ということで今回の旅行で一番気になった『「そういうものなのだ」と現状を一先ず飲み込む力』にふれたところで本エントリは終了。このリアリスティックな態度こそがインドの最大の特徴だ、という本旅行の結論を次回エントリでまとめてインド編は終了の予定。

 

 

追記

と、すごく合理性があるように書きましたが、ベンツとか、BMWとか、大型SUVに乗っている人は、そういう合理性の規の外側にいたことは付記しておく。

何らかの方法で現実との接触を断つことができるようになると、合理性を求めない動き方になっていくのだなあ、と以前から思っていたのだけど、そのサンプルをインドでも得ることができたのだった。

 

 

 

 

*1:正確にはマルチ・スズキ・インディア

ja.wikipedia.org

*2:そのときワタシの脳裏に浮かんだ言葉は『橋の無い川』でした...。

*3:ワタシも途中から慣れました。Feel, don't think、と自分におまじないをかけたりもしましたけど。

*4:こっちもタクシーからの路上観察ばかりだったけど、乗っているタクシーを含めてみんなでタマの取り合いをしているような感じだったよ。

*5:運転文化と言わずに路上文化としたのは人までが含まれるから。

*6:いや、上海でも事前的な意図でのクラクションは無くは無いんだけど、比率でいうとフジャッケンナ系の方が多かった記憶がある。対してデリーでは、事後におけるクラクションは圧倒的に少なかった。

*7:70年代にはまだ残滓があった大雑把さは、その後悪しきものとして石もて追われてしまいました。

2/3 三年目のはじまりにおいて

忙しくて、そして体調の問題で、ブログの更新を含めていろんな事が止まっているのだけど、三年目のはじまりの日が来てしまったので、碑を残していくことにする。

 

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1/24 sketch of india。交通事情編(メトロ)

初めてのインド(デリー旅行)で気になったことのアレコレを整理する試みの二回目は、見聞きした範囲の交通事情について。

 


2019年1月現在、デリーは空気が汚い都市in the worldの上位ランカーだ。「大気汚染 都市 ワースト」くらいでググるといろいろ出てくる。

www.google.com


夕暮れのインディラ・ガンジー国際空港にむけて降下する機内から見た、茶色いもやが大地一面を覆っている光景はなかなかのものだった。羽田便の場合はどちらかというと灰色の空気の底に降りていく感じなのだけど*1、デリーの場合はもっと空気に実体感がある。ボーディングブリッジを歩き出して、デリーの空気を吸い込んだ最初の感想は「あ、肺の奥まで何かが入ってくる」だったし。

 

その大気汚染、11月から1月がもっとも厳しいらしい。
車の増加とその結果である交通渋滞が引き起こす排気ガスの大量発生が基調をなすのはもちろんだとして、それに加えて舗装道路自体から出る粉塵、非舗装道路や路肩(ここも非舗装だ)から舞い上がる土埃、これらの実体感のある粒子が乾期の乾いた大気の中をいつまでも舞い続けている*2。さらにヒンドゥー教徒がお祭りに使う花火から出る煙がさらに追い打ちをかけるようだ。
花火?

https://www.mumbai.in.emb-japan.go.jp/jp/chiananzenjyouhou/anzenjyouhou/2015/10/2015.10.15.pdf

(同資料より引用)

デリーでは,例年,雨期が終わり気温の低下する10月頃から1月下旬頃まで,大気汚染が顕著となる傾向にあります。
特に,毎年10月下旬から11月上旬(2015年は11月11日の予定)に行われるヒンドゥー教の祝祭であるディワリ(Diwali
)前後に市内のいたる所で使用される大量の花火によって,大気汚染が助長されることが懸念されています。

 

なるほど、インド恐るべし。

 

ああと、大気汚染は枕であって、今回は交通事情編だ。

 


1.メトロ

なぜ大気汚染が枕になるかというと、交通渋滞の解消をもくろんで企画、建設されたのがメトロだから。

ja.wikipedia.org

ワタシが乗ったのは、オレンジラインを空港からNew Dehliまでと、イエローラインをニューデリーからSaketまでで、メトロのごく一部なんだけど、それでも日本の地下鉄との違いに驚くことになった*3


まず天井が高い。上掲のwikipediaのエントリにあるメトロの写真のとおりで、Saketなんていう住宅地の駅であっても同じく天井が広々しているのだ。そして通路の幅も本当に広い。複数の路線が乗り入れているNew Dehliなんか、ところどころに広場まである。

つまりデリーのメトロは、地下に巨大な空間を作っているのだ。これは何を意図した結果なのだろう。東京なんかにくらべて施工はしやすそうではあるけど(おそらく私権の整理も簡単なのだろうし)、だからと言って広くても狭くてもコストが同じということはありえない。うむむ、しかしその経緯を説明する資料はネットから見つけることはできなかった。
ということで、まずはその施設の有りようが謎として残ったのだった。とっても不思議なんだ。

 

次は料金の支払い方について。料金の支払い方はSuica/Pasmo的なデポジットカードと、毎回払いである*4トークンに分かれる。これまたwikipediaに情報がある通りなのだけど、そこから漏れている重要な情報がある。

  1. 乗り継ぎをする場合、トークンは人間がいる窓口で買う事になる。
  2. トールゲートはメトロのラインごとに存在する。そして乗り継ぎがOKなトークンがあるのではない。

 
窓口のお兄ちゃんからトークンを二枚渡されたときにその意味が理解できず、「こはいかにしつることぞや」と問うたところ、「これはオレンジライン用、こっちはイエローライン用なんだ。間違えないでね」と優しく説明されて、ここで初めてデリーメトロのトークンのシステムについて理解を得たのだった。昔の東京の地下鉄の*5、一つの切符で乗り継ぎ路線のトールゲートを出入りするイメージに引っ張られ過ぎていたのだね。でもこっちの方が考え方としては筋がいい(乗客の利便性は幾分落ちるかもしれないけど、インドの考え方のほうがシステムの堅牢性とか低コスト性を保証しやすい)。合理的な割り切りっぷりなんだ。

 

そして車両。これはホントに普通の地下鉄。冷房が効いているのがありがたい。
乗っている人たちも普通...な人もいれば、違う国だなと思うところもある。車両の連結部分あたりにいきなり座り込んじゃう人とかね。でもそれ以外はワタシたちがよく知っている地下鉄の光景で、かなりの人がスマフォで何事かを行っている。あ、電話をするのは全くもってOKらしく、何人もかなりの大きさで通話をしてましたよ。

日本に戻ってから、メトロ乗ったよという話をすると、まあ大変じゃなかった?と仰る方が少なからずいらしてこれまたびっくりさせられた。どうやら「列車の外まで人がぶら下がっているインド的な鉄道」のイメージが強すぎて、メトロもあの調子なのかと思われたらしい。
ソンナワケナイヤロー。

 

四、五分間隔で規則正しく運行されるデリーのメトロは、首都の公共共通機関にふさわしく、清潔で安全な乗り物でしたよ。
ただ、なんであんなに施設がroomyなのかは不明。それの調査は今後の課題ということで。そして前回述べたとおりセキュリティの厳しさについてはびっくりさせられたけど、それはメトロに限ったことではなかったし、それを必要としている社会の要請があり、そしておそらくそれを受け入れる(こともやむなしと思う)社会の伝統もあるのだとして、そこはあんまり気にしてもシャーナイと思う。
デリーを訪れるひとは、一度はメトロに乗るべきだと思いましたことですよ。


長くなったので、交通事情の本丸、つまり路上では何が繰り広げられているかについては次のエントリーで。

 

 

追記1

メトロができた結果、道路の渋滞がどうなったのかというのもネットでは見つけられなかった。都市計画の話として非常に興味があるのだけれど、だれかご存じないかしらん。

あと大気汚染。今回でも十分味わい深い空気だったのだけど、メトロ前はもっとひどかったということなのかしら。それとも変わってないということなのかしら。これも誰かご存じないかしらん。

 

 

追記2

あ、アレを語ってなかった、なぜ空港からタクシーではなく、メトロに乗ったのか

 

空港にはプリペイドタクシーというのがある。乗車前に窓口で行き先を告げて指示された料金を払うと、運転指示書と、そこまでの料金を支払った事を証する控え、計二葉の紙が渡される。それを乗り場に待っているプリペイドタクシーの運転手に渡すと目的地まで安全に(しかもコミュニケーション障壁に阻害されることなく)たどり着けるという仕掛けだ。
当初はこれを使うつもりだったのだけど、ネットで流れている情報に二派あって、あれは安心だ派と、いや最近は質の悪いのが増えてるからむしろ普通のタクシー使え派が、それぞれ自らの正しさを声高に主張する状況だった。どっちが2019年1月現在の実相に近いのだろう?日本を離れる前から、すでに不安な気持ちではあったのだ。

 

そしてこれはドコモ輝け*6な話なのだけど、ドコモの端末がサポートしているバンドはインドの3G/4Gとマッチしていないのだ。そのため、日本にいる間にアジア全域OKみたいなプリペイドSIMをアクティベートしておいて、インドに着いたときにはすぐに電話もインターネットもOKな状態するということができない*7。エマージェンシーコールもできない状態で、言葉も通じない(かもしれない)人と密室で 1 on 1 をするというのは、ワタシのリスクコントロールマインドと相容れない。安心ができる状態が確保できなければプリペイドタクシーに乗るのはやめよう、そんな気持ちが10時間のフライト中にどんどんと強くなってきていたのだ。

 

そして空港で。支払いを済ませて外の乗り場に向かうと、いるはずのプリペイドタクシーが全くいない。すでに19時を過ぎて暗くなってきていて、さすがのアタシも心細い。どうしようと立ち止まっていると、荷物を掴んで引っ張っていこうとする奴がでてくる(もちろん手は離させた)。

 

おお、これが噂の?

 

「オレはプリペイドに乗るのだ、もうチケットはあるのだ」と強めに言うと、「まさにそのプリペイドに案内するのだ」と男はいう。しかも案内する男自身は運転手ではなく、振り返ってすぐの、しかし停車場ではないところに止めてあった大きく車体がへこんだ車(プリペイドって書いてないぜ...)の運転手に向かって、プリペイドだってさ、みたいな事を叫んでいる。

 

まさに、これが噂の、旅行代理店にしか行かないタクシー?*8

 

0.5秒で決めました。

(根拠)

  • 損得勘定:プリペイドにすでに支払った400ルピー < 本件の危険性
  • 自分のスタイルとの整合性:人目のあるところでやり合う < 密室で 1 on 1 でやり合う

 

(結論)

  • 400ルピーを(ドブに)捨ててでもアタシはセキュアさを取る。少々迷おうが、人目に担保される状況で落ち着いて考えられる方法にする。すなわちメトロだ。

 


こう書くと、すごく決断力がある立派な人みたいだ!。
こんな事もあるかもしれないとPlanBとしてメトロの事を一応下調べしていたこと、そして自分のスタイルに合わない方法(密室 1 on 1)で負けたときのダメージ、それらを踏まえて勘案しての即断だったのだけど、タクシー停車場からメトロに向かって歩き出すとき、そしてメトロのトークン販売所までの長い地下道を歩いているとき、相当に不安な、落ち着かない気持ちになっていましたですよ*9

 

結局ホテルにきちんと入れたし、メトロも体験できたし、面倒な状況に合わずに済んだしで、インドに対してネガティブな気持ちを持たずに旅のスタートを切れたので「終わりよければ全て良し」かな。そしてその過程のいちいちで、ああオレってオレなんだなあと多々思ったのも面白かったし。


ともあれ、インドとのファーストコンタクトとして、また自分の「日本ぼけ」からの覚醒を促すある種のイニシエーションとして、ワタシは空港からメトロに乗ったのです。

 

 

追記2の追記

 

と、ここまで書いて財布に残しておいた金ドブのプリペイドタクシーのチケットを眺め直してみると...宛先にはSaketとしか書いてない。さて、このSaketというのは区相当の広さを持つある地域の名前だろうか、それとも駅の名前だろうか。

 

同じシステムで成田から目黒に向かうのを考えてみよう。目黒とだけ書かれたチケットを見て運転手はどこめがけて車を走らせるのだろう。目黒区、それとも目黒駅?。運転手がちょっとすごい人で駒場前あたりで「ここ、目黒区だから」と言ってワタシを下ろして去って行ったとき、ワタシは目黒駅にたどり着けるのだろうか?

 

無理だな。このチケットで「Saket」に向かったとして、降りたところが行きたい所であるような気がしない。プリペイドタクシーの最大のメリットは、言葉が通じなくてもなんとかなるところなのだが、しかしチケットに書かれている情報の粗さでは結局言葉が必要になるじゃないか。

 

さすがインドだ。危うかったぜ。

*1:みんな忘れてるかもしれないけど、東京も十分汚い。東京に住んでる人は、一度羽田着の便で空気の色が変わるのを体験してみるべきだ。自分がどんなところにいるのかが判ってショックを受けるから。

その上で元日にもう一度羽田着便に乗ってみると更に驚きがあるはずだ。元日の空気はきれいなのだ。

これの意味するところは、東京で日常的に行われている各種の活動が日々大気の汚れを更新しているということと、それは割合すぐに減少するということだ。

*2:一旦地面に落ちてきても、乾いているからまた舞い上がっていく

*3:セキュリティについては前回書いた通り。

*4:つまりは切符と同じセマンティクスだね。

*5:いまも?

*6:英語表記でどうぞ

*7:結局一日980円なりをドコモに払って、データ通信のみローミングするという方法でインターネット接続を確保したのだった。でもね、これがまた品質がひどくてね。これについては別稿で。

*8:インド タクシー 旅行代理店 の3ワードでググってみましょう

*9:すでにいるデリーに入っている先発隊は、ちょうどライブを見ている最中でアドヴァイスをもらえない状況であったし。

1/22 sketch of india. セキュリティ編

1/12-1/17のインド(というかデリー)旅行のスケッチを忘れないうちにもう少し残しておく。つまり、常ならざる事だなあと思ったアレコレのメモランダムであり、言い方を変えれば日本との差分ということになる。目からうろこがボロボロと落ちたのだ。

 

まずはセキュリティについて。

 

2008年にムンバイであった同時多発テロ事件からなのか、それともそれ以前からそうなのか、なにしろインドはセキュリティに関して相当に厳しい国だったのだ。

ja.wikipedia.org

 

インディラ・ガンジー国際空港からSaketの宿までメトロで向かったのは既に書いたとおり。

septiembreokbj.hatenablog.com

ところでそのエントリで書かなかったことがある。インドのメトロは改札の手前にセキュリティゲートがあり、ボディチェックをされるのだ*1。しかも、手荷物はX線検査装置(だと思う)を別途通すことになる。

パスポートや財布などが入った大事な鞄を一旦手放すことになったときには全身から冷や汗があふれたのだけど、幸いひったくりにあう事はなかった*2。そんな風に先ずは荷物の安全に気を取られてしまったけれども、すぐにセキュリティゲートに立っている治安要員(鉄道警察かな)が拳銃を持っている事の方が重大じゃないかという認識が追いかけてきた。相当に異世界なところに来てしまったのだ。しかもそのセキュリティゲートの向こうには長物*3を抱えたセキュリティ要員が巡回をしているじゃないか。

 

そのボディチェックと手荷物チェックは、インド旅行中の至るところで出会うことになる。

septiembreokbj.hatenablog.comの会場であるモダーンスクールのホール入り口で、そして後日訪れたモダーンスクールの学校正門で、*4

 

septiembreokbj.hatenablog.comで行ったSaketのSELECT CITYWALK(ショッピングモール)の敷地入り口で、

 

ランチを食べに行ったOh! Calcutta*5

www.speciality.co.inが入っているNehru PlaceのAmerican Plazaを囲む鉄柵のゲートで、

 

最終日に訪れた国立博物館

ja.wikipedia.orgの正門で、

 

そして出国の為に入ろうとしたインディラ・ガンジー国際空港ターミナル3建屋のエントランスで*6

 

 

この厳重なセキュリティ、単にテロがあったからだけではないだろうと睨んでいる。なんとなれば、Oh! Calcuttaが入っているAmerican Plazaや国立博物館、そしてモダーンスクール、それらを囲む鉄柵は相当に年期が入っており、昨日今日始めたことだとは思えないからだ。

それは住宅地においても同様で、宿があるSaketのDブロックは(そしてその隣のEブロックも)塀と鉄柵に囲まれていて、何カ所かのゲートからしか出入りができない。しかも23時を過ぎれば、開いているゲートは一カ所になってしまう。さらに、開いているゲートの全てには常に門番がついていて、夜ならばたき火をしているのだ!*7

つまり、柵で囲ってセキュアなゾーンを作るというのがそもそもインド的な考え方の基本であって、今の日本のようにべたっと何もかもかもがつながっているというのとは根本から違っていると見るのが妥当ではないか。そのベースの上に、テロ対策としてのチェック強化が追加されただけで、そもそもゲートを通るときに識別される・身構えるというのはインドでは当たり前だったのではなかろうか。

 

そういう目で眺めれば、デリーは大小様々な囲いで仕切られているのが判ってくる。ロードサイドのお店とオールドデリーを除けば、その囲いを細胞として街が構成されているように見えてくるじゃないか。

中と外を峻別する文化(というか生活様式)、それを地盤としたうえでのセキュリティのあり方。なるほど、そういう事なのだろうか。

 

次にインドに行くまでに、きちんと調べておかなければね。

 

 

 

*1:だからゲートは男女別になっている

*2:しかし周りを見渡せば、何者も信ぜず自分の身と資産は自分で守ると思っていそうなインドの人々も屈託なく荷物から手を離しているではないか。セキュリティゲートでひったくる、盗むというのはインドにおいてもNG度合いの高い行為なのかもしれない。何しろそこに治安要員がいるのだから、すぐに押さえ込まれてしまいそうではある。とはいえ、その辺りの事情を確認した訳ではないので思い込みは禁物なのだけど

*3:自動小銃

*4:ライブでステージに立った(タブラだから座った)チョウドリーさんに会いに行くという人にくっついて、モダーンスクールの中をうろうろするという貴重な機会を得ることができたのだった。これについては別項で記します。

*5:お店のWEBサイトを探そうとしていたら、懐かしの

en.wikipedia.orgに行き当たってしまい、しばし脱線して中を眺めていると...。なんとサム・シェパードが絡んでいることが判明!チャック・イエーガーがホントにあんなに格好良かったのかは疑わしいが、少なくともサム・シェパードが演じるイエーガーは最高にカッコいい。そうか、サム・シェパードはホントに色々と才能に恵まれてたんだな。R.I.P。

*6:勿論建屋内には、長物を持ったセキュリティ要員がうろうろしているのだった。

*7:到着初日の宿入りが遅れたのはこの囲いとゲートのせいで、それがマップではハッキリ表示されていないためにインド初心者は文字通り右往左往されられたのです。はっ!まさにセキュリティ?