all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

6/23 おいしくないけど、それでも思い出の寿司

おおよそ三十年も昔のことだ。

おごってくれるというお大尽がいらしたので、いそいそ築地の寿司屋にお供したことがある。

 

まずは切ってもらって冷酒を飲んで、いい加減酔いも回ってきたので握りを頼んだ。さて出てきた寿司をみてみれば、ここまでスゴいのはお目に掛かったことはないという花魁クラスのお女郎寿司だった。三貫から四貫分の縦長のネタに、十粒(は言い過ぎだけど、そのくらいにも見える小ささ)のシャリ。

 

そもそも握り寿司はネタとシャリのバランスあってのもので、だからネタがシャリを覆い隠すようなお女郎寿司*1ってのは品がない訳なんだけど、そのときのは品の善し悪しのレベルを軽く振りきっていた。

 

鮮度の良くないネタ、乾いたシャリ、いろんな寿司を食べたものだけど、でもオールタイムでワーストの寿司を挙げろと言われたら、その時の寿司だな。珍しい寿司だぜ、ということでお誘いいただいたお大尽には申し訳ないけど、あれはなかった。いや、たしかに珍しいのは間違いないんだけどね。そしてネタは悪くなかったんだけどね。

 

 

 

 

さて、そこからおおよそ三十年。その寿司屋*2はまだ健在だが、しかし、あの強烈なお女郎寿司はもう出していないようだ。どこで判ったかといえば、もちろんネットだ。ネットというのはすごいものだね。生きてるあいだは、生きてることの証明として、みんな情報をあげ続けるのだ*3

 

わざわざ探したのは、あのすごいお女郎寿司を今食べてみたらどんな気持ちになるのだろうとふと思いついたからで、その結果として幻の味になっている事を知ったのだった。

店に行って、昔のあの握りはできるかい、と聞いてみる手も無いわけじゃ無いが、ご本人たちも隠したがってる過去だという可能性が大である。それもなんだかなあ。

 

かくしてまた一つ、虚実定かならぬ(確かめようもない)思い出が増えていくのである。なに、老人の暮らしというのはそのようなものナリ。

 

*1:諸説あるようですが、池波正太郎さんが書かれてた「裾を引きずった女郎のようなのでお女郎寿司」という由来に与するものです。あと関係ないけど、よく見ると池波正太郎さんと白井良明さんは顔の傾向が一緒ですな。

*2:町の名前+都市名+地名の一部という構成の店名です。もどかしいけどこれ以上はかけない。ま、自分があとで思い出せれば良いのだ。

*3:ということは更新が止まったり、そもそもURLが空き地になっているというのは、みまかられた証ということでもある

6/21 レムの『ゴーレム』

暗号通貨は先がない技術だと周りには言い続けてきました。
ちょっと考えれば判る事なんですが、そのちょっとを考えたくないのか、それとも極限に達するまでの期間に利ざやを抜くのが目的なのか、何しろ本質的には昏い話であるのですが、誰も、あんまりそういうことを言ませんでした。
でも、その弊害(というか暗号通貨の極限値がもたらす真の姿)がいよいよリアルになりつつあるので、エントリとして残しておくことにします。
 
 
まずは先がない技術だということの説明。
 
暗号通貨が破られないためには一つの大きな前提があります。それは
 
『誰も、他人を出し抜くほどの大きな計算パワーを手に入れることができない』
 
です。
Proof of workに報酬があるのは、その前提を成立させるために多くのプレイヤーが必要だからです。一山当てたい(利己的な動機を持つ、極めて人間らしい)人間が集まることで、誰もが他人を出し抜くことができない状況を作りだしていると見ることができます。これが本質です。すべてのプレイヤーが報酬を求めて利己的に活動をするが故に、加えてそれが人間の本質として安定的であるが故に、極めて安全な世界なのです。
 
そして、その活動に参加するための障壁はとても低いのです。
どこででも手に入る普通のコンピューターと、どこででも手に入るGPUがアリさえすれば、あとはマイニング用のソフトをダウンロードしてきて、電力を入れるだけ。それだけでマイナーの仲間入りです。電力がありさえすれば、貧乏な地域ほど(相対的な)実入りが大きい。やらないやつはどうかしているといえるでしょう。
だから、世界中でマイニングが始まりました。
 
 
 
ブロックチェーンすごい」とか「暗号通貨があれば世界が変わる」とか言ってるのは、車があれば世界が変わると言ってるのと同じことであって、車が用をなすには何が必要なのかという認識があんまり共有されていません。
 
では暗号通貨における油とは何か。それは利己的な動機に支えられて参入してくるマイナーであり、それを支える電力なのです。
 
 
さて、これは持続可能な行いなのでしょうか?
その答えはノーです。
電力がある限り、利益の追求を目的とするマイナーの参入も活動も止められません。
 
言い換えれば、それは文字通り世界が燃え尽きるまで止まりません。
 
 
では、最近見え始めてきた「リアルな弊害」の紹介を。
 

wired.jp

 

こういうのもあります。

 

www.gizmodo.jp

以下、記事から引用。

先日リリースされた中国政府の文書によると、中国の規制当局は仮想通貨のマイニングを「望ましくない」経済活動として禁止することを検討しているようです。

 

推計によると、世界中の仮想通貨マイニングのうち74%は中国で行なわれているとのこと。中国はさらに最も炭素量が集中している地域でもあります。Nature Sustainabilityの最近のレポートによると、仮想通貨マイニングは世界で300万から1500万トンの二酸化炭素を排出しているそうです。

 

 

いきなり極値に達する関数とか、途中から突如結果があばれる式とか、そういうものをを我々はすんなり理解することが難しいようです。複利計算ですら、人間の直感に反するようです。*1

だからという訳ではありませんが、暗号通貨の極限は見えにくいのかも知れません。


でもね。


「XXXXという性質を満たすことができるYYYYがあれば、あんなことも、こんなこともできる」という論は、別に非難されるべきではありません。

が、YYYYによって手に入るものの効用と、XXXXという性質を(持続的に)満たすということの間にはなんの脈絡もありません。効用とは独立して、XXXX自体の本質は問われるべきです。

 

さて、暗号通貨ってやっていけるんでしょうか?

 

 

そういう状況下でFacebookが相変わらず笑わせてくれます。

 

www.gizmodo.jp

 

Facebook、なぜ仮想通貨にするのかが理解出来ないという正当なツッコミの記事です。

以下は記事からの引用。
米GizmodoのMatt Novak:

FacebookはLibraを「powered by blockchain(ブロックチェーンで動く)」と表現しているんですが、結局のところLibraにどうしてブロックチェーン技術が使われているのかが謎なんです。Bitcoinのような暗号通貨とは異なり、Libraはリアルの資産に紐付いています。Libraはマイニングされませんし、生み出されるLibraにも上限(天井)はありません。ローンチ時点では分散化もされないようです。


Financial Times:

Facebookはグローバルな疑似バンキング・支払いネットワークを構築しようとしていると考えると、これをブロックチェーンを使って実現したいと思うはずはありません。資料の著者たち自身が指摘しているように、ブロックチェーンを使うと変動しやすくスケールしにくい通貨になることが示されているのです。中国のSNS向け巨大ペイメントサービス「WeChat Pay」(Facebookがグローバルレベルで競合しようと思っている相手)はブロックチェーンを用いていません。PayPalだって、Venmoだって使っていません。インターネットマネーは、ブロックチェーンを用いる必要なんてないのです。これがLibraが実際にはブロックチェーンマネーではないと思われる理由です。

 


米下院金融委員会のマキシン・ウオーターズ委員長 :

「過去のトラブルを考慮し、フェイスブックに対して、議会や規制当局が内容を精査し対応するまで暗号通貨(仮想通貨)の開発を停止することに合意するよう求める」

 

ウオーターズ委員長は同時に「仮想通貨マーケットには現在、投資家、消費者そして経済を強固に保護する規制の枠組みが欠けている」とも指摘した。そうしたなか、仮想通貨マーケットにフェイスブックが「問題」を抱えたまま参入してきたことを、「仮想通貨が引き起こすプライバシーや国家安全保障、サイバーセキュリティーに関連するリスクに規制当局が真剣になるべきだとのウエイク・アップ・コール(目覚まし)だと認識すべきだ」と主張し、仮想通貨規制そのものの必要性を強調した。

 

 

 

さすがというか、何というか。

暗号通貨を使うと言い張るFacebookの意図について、いろいろと想像したくなってきますね。

 

 

 

さて、あとはおまけ。

 

表題の『ゴーレム』は知性のありようについての一考察という小説です。レベルが異なる知性は隔絶されるしかないという絶望を語りつつ、しかしもしかしたら宇宙は知性に溢れているのかもしれない、という希望を残します。いや、でも通じることがないからやっぱり絶望なのか。

その小説を成立させている仕掛けは「知性の強大さは、その消費エネルギーではかられる」です。

マイニングで燃え上がっている地球は、離れてみていると知性が増加しているように見えるのかもしれません。

 

おお、そんなバカな。

 

 

 ゴーレムが載っている本はこちら。表題の虚数はどうでもよいのですが*2、ゴーレムは本当におすすめです。

 

 
 

*1:いろいろ言われてますが、地球温暖化に対する懐疑論もその類いかもしれません

*2:でも、レビューはプラスもマイナスも、表題作の虚数に集中している...。センスねえなあと心底思います。この本で語られるべきなのはゴーレムだけです。

6/19 オーディオあるある:さいごの燦めき

今回のアンプアップグレードのためにネットのあちこちをうろついていると、少なくない人が機材変更時にオカルト現象が発生すると書かれている。まとめればこんな話で、次に何を買うかが決まると、戦力外通告を受ける機材がそれまで聴かせなかったようないい音を奏ではじめるのだそうだ。

 

まさかね。

 

 

という話を、新アンプの注文(6/17 アンプ更新 - all things must pass)をしたあとの夕食で家人にしていた。オーナー側の機材への思い入れがそういう疑似体験を作り出すのかねえ、とかなんとか。

当家は基本的には音楽をかけっぱなしであって、居住まいを正して聴くこともあれば、リビングに隣接したキッチンで作業をするときのBGMにすることもある。だからその日、食卓で家人と向かい合っている時も音楽を流していた。

それを担当する機材は、JBL4319と、今度リビングオーディオの戦力外通告を受けるアンプ、A-S801だ。値段を考えると悪いアンプじゃないと思うのだけど、もう少し中域の張りと、低域の解像度が欲しくなったのだ。

 

まあ、オカルトだよね。そういって次の話題に変わろうとしたときに、曲がAztec Cameraのtrue colorsに変わった。

www.youtube.com

もう何百回も聴いた演奏だ。この曲を出した*1シンディ・ローパーはスゴいと思うけど、名演でいうならこっちだ。フィル・コリンズ?ご冗談でしょう。録音のHiFi度はアズカメ版より全然高いけど(そう、残念ながらActec Camera版は録音の質が低いのだ)、音がゴージャスだったら良いってもんじゃないんだぜ。お前が歌うとただの良い曲で、胸を締め付けられるようなエモーションの高まりが全然やってこないんだ。

 

 

そして、それがやってきた。

 

いままでの聴いたことのない深みと悲しみをたたえたtrue colorsがスピーカーから流れてきたのだ。なぜtrue colorosなのか、どうしてrainbowなのか。ああ、そうか、これはLGBTに向けての曲なんだ。間違いない、判らせられてしまった。

家人に、これLGBTに向けたメッセージだよ、33年もかけて、いまやっと判った、と告げてネットを調べれば、やはりその通りだった。Lであった姉に向けての曲であり、同時にゲイアンセムにも選ばれている曲だ。

 

どうです、音の解像度は敵わないかも知れないけど、音楽に向き合わせる力ならワタシも大したものでしょう?

 

確かに、そのとおり。おかげでtrue colorsと本当につながることができたよ。

 

さて、これは歌詞への理解が飽和点に達した時がたまたまアンプの切り替え期と一致したということなんだろうか。おそらく、そうだ。最後にいい音がするというフォークロアのバイアスのせいでスピーカーから出てくる音にいままで以上に耳をそばだてているところに、ついに歌詞の意味が立ち上がるタイミングが重なり、そしてシンディ・ローパーの姉がLであるというどこかで聞いていてもおかしくない知識が脳内から引っ張り出され、あたかも奇跡がおきたように思えているだけなのだ。おそらくはね。

 

しかしオーディオというのが、自分という最大の謎から各種の驚異の事象を引っ張り出す神器としてあるのであれば(音楽が判った気になる、通じたつもりになる、というのは、まさに『自分という自分にも謎である存在に発生する驚異の事象』ではないのか?)、自分と神器との関わりが高まるとき、そこに何らかを『発見』するのはしごく当然だとも言える。

つまりA-S801は、神器と言えるくらいにワタシにいままで寄り添ってきてくれたということなのだ。

ありがとう、A-S801。

 

 

 

 

新しいアンプが届く週末からは、寝室でJBL530CHを優しく鳴らす仕事をお願いする。引き続き宜しく頼むよ。

*1:今回調べたら、実は作詞、作曲は別の人で、そこにシンディー・ローパーが補作したのだそうだ。詳しくはこちら。トゥルー・カラーズ - Wikipedia

6/18 日本のソフトウェア開発の歴史にまつわる極私的な思い出

最近、こういう記事を見た。

 

tech.nikkeibp.co.jp

極めて親しい友人のやってるソフトも載っている。うむむ成る程ねえ、大変なんだねえ。

 

しかし平成ですら記事にしなきゃ誰も覚えてないような歴史になるのであれば、その一つ前の昭和のことなんて、もはや忘却の彼方じゃないか。ということで、本当に記憶が消え去ってしまうまえに、昭和のソフトウェア開発に関するきわめて私的な思い出を記しておくことにする。ワタシも気を抜くと、最初からC++でプログラムを書いていたような気がしてしまうくらいだ*1

 

さて。

 

 

1988年、最初に勤めた会社で最初に関わることになった仕事がこれの開発だった。

museum.ipsj.or.jp

新しいOSの立ち上げ期に関われるというのは、ソフトウェアエンジニアにとっては夢のようなことで、こればっかりは自分で作ると言い出さない限り、どうしても運任せになる。ざっくりフェルミ推計をすると(計算は略)、一回のエンジニア人生のうちでその当たりクジをひけるのは1/10000くらいの確率だろうか。あるOSのファーストバージョンに関わったよと言える人は、石を投げてもなかなか当たらないということだ。

 

ではその貴重な体験、当時ありがたがっていたかというとそうでもなくて、まずメインフレームとSystem/38(AS-400のルーツね)が野合したようなアーキテクチャにがっくりきてた。ええー、ダサいですよね?とか。どうせならシングルレベルストレージまでやっちゃいましょうよ、とか。

学校を出たての、生意気で、自分にやれないことはないと思い込んでるバカな若者の抱きそうな感想だ。別の部署ではΣ OSをやっていて、それがむちゃくちゃうらやましかったのも、今思えばまことに大馬鹿であって、穴があったら入りたいような話である。あのΣですよ、Σ。それがうらやましかったなんて、若さとバカさが空回りしているような人にしか抱けない感情だ。バカだなあオレ。

でもそのバカが我慢ができなかったのは、仕事のありようが西部戦線塹壕戦にも似た大規模消耗戦だった事だ。職業としてのソフトウェア開発は、『どうしてそんな愚かなことをやっているの?』というオドロキと絶望の連続から始まったのだった。

 

開発規模が大きくなるとき、その管理・運営の難しさは指数関数的に増大する。だから実施可能なサイズに分割して進めていくという考え方は素直に理解できた。それはアルゴリズムの問題だ。分割統治法は規模の大きなものに人間が立ち向かうときの一つの基本だもの*2。コミュニケーションパスが制限された、上意下達的な組織運営は息苦しくはあったけど、仕方がないと納得することはできた訳だ。

問題は、分割したにせよ膨大な開発要員(分割オーバーヘッドの対応を含むので実際ににはより多くの人員)を必要とし、しかもプログラマーの質が大いにばらついていた事にある。配属先の10人ほどのチームで*3、新人の自分からみてスゴいと尊敬できる人は一人だけ、まあまあコンピューターを体系立てて判ってるなという人がもう一人、あとは仕事の手順の反復精度が高い人が二三人、そして残りは...。おいおい、みんなボクより給料もらってるよね?新人はボクだけだよね?

ただでさえ泥沼の状況で(例えばプログラムが落ちたとき、メモリ管理が悪いのか、プロセス管理に問題があるのか、はたまた通信管理に不具合があるのか、それとも自分のプログラムがやっぱり悪いのかが、OS自体のコアダンプを取らないと判らないということが毎日欠かさずに発生する)、言語もまともに扱えないような諸先輩の後始末をするというのはまさに地獄で、なぜこんなの雇ってるのよ、と思われる人たちがゴロゴロしていた。その具合たるや船が七分に海が三分どころの騒ぎじゃなかったのだ。

 

なんで、こんなの雇ってるんだよ!かえって時間が取られるじゃないか! 

 

どうしてなんだろうねえ、なんでこんなことになるんだろうねえ。

月の残業が200時間を超える戦場に右も左も判らないまま放り込まれて、指揮官の号令に従って突撃を何ヶ月も繰り返すうちにある日突然停戦となるという理不尽な経験、それが会社員としての最初の仕事だった。しかも地獄である直接的な理由はハッキリしている。構成員のレベルが低すぎるのだ。

 

 

リスク管理も、プロジェクトマネジメントの各種技法も知られていない昭和の末期の大作戦だ。頭数がそろえばなにがしかの結果がでるものだと期待され、そしてそれを基礎においたスケジュールが構築されるのは避けがたいことだったのかもしれない。でもね、コンピューターって何なのか、ソフトウェアを作るというのはどういうことなのか、それも判らない兵隊を使って戦争をしようとしてたのは、やはりどうかしているとしか思えない。

いや、そうじゃないな。きっとあのとき戦争指導をしてた人たちは、プログラマーは歩兵みたいなもので、命令に従って塹壕を掘ったり、突撃したり、玉砕したりすればいいと思ってたんだろうな。そして、砲兵や機甲部隊とうまく連携させながら動かしていけば、戦争に勝てると思ってたんだろうな。

もちろんプログラマーは歩兵じゃない。もっとクリエイティブな仕事だ。でも、そんなあたりまえのことが、昭和の終わりにはまだ当たり前じゃなかったのだ。

今回のエントリは思い出を綴ることが目的なので、どうしてなの、という方向には行かない。そのときに自分がイライラしたり、がっかりしたことを書き起こしていくだけだ。でもこうやって記憶の扉をひらいてみると、相当に腹を立ててたんだな、ということがハッキリ判ったな。そうだ、ソフトウェアを作るということがゾンザイに扱われているということに腹を立てていたんだ。

 

 

結局どこかで大きな判断がされたらしく、追加のテストが必要だという意見を耳にすることがある状況で、しかしバージョン1の出荷を向かえることになった。

そのような訳で、88年の、つまり昭和の最後のクリスマスは、突然戦場から放り出された帰還兵のように、日常に適合できないまま街をうろうろしているうちに終わってしまった。4月から横浜に住んでいたというのに、こんな時どこに行くべきかも判らないままだったのだ。

そして年明け早々に昭和も終了した。

 

 

いまもソフトウェア産業の片隅で暮らしているのは、このときのルサンチマンがあるから、ではない。プログラマーこそがソフトウェア産業のすべての礎であり、そこから始める以外に答えがないと思い続けているし、それが当たり前になるのをこの目で見たいのだ。会社も変わり、職種も変わり、いまでは流れ流れて経営サイドの末席であるのだけれど、それでもプログラマーファーストでなければならないというのは変わらない。

いや、それともルサンチマンもあるのかな?

 

...

本日はスウィートな回想・追憶モードであった。であれば、最後にその大規模消耗戦のなかでも特に忘れがたい光景のことを記して締めくくりにしよう。

 

遅れに遅れたその新OS開発(ワタシが入社する前からすでに大炎上していたのだそうだ)、しかしいつかはどうにかしなければならない時がやってくる訳で、出荷に向けた品質確保の大攻勢(テスト&デバッグの総力戦)を行う事になった。そのこと自体は、まあそういうものだと思う。問題は、その大攻勢の開始に当たっての或る出来事だ。

多分10月の初旬だったと思う。おそらく月曜だったんじゃないかな。幸い、空は晴れていた。朝、戸塚のソフトウェア工場の屋上にVOSK関係者全員が集められ、(たしか)ソフトウェア工場長から出荷までもう一踏ん張り、ここを全員で乗り切ろう的な激励を受けた、のだと思う。

多分とか、おそらくとか、たしかとか、と思うとか、曖昧な表現が続くのには理由がある。このあとに続けて行われたことが文字通りあまりにも衝撃的で、記憶が錯乱してしまったのだ。

 

そのアリガタイ激励のあと、ソフトウェア工場の屋上にいた我々は、ラジオ体操を、全員でやったのだった。多分、第二まで。団結の儀式だったのか、それとも挨拶だけでは間が持たないと思ったのか、はたまた朝の集会とくればラジオ体操をやるのが日立というものだろう、という超越論的判断だったのか。ともあれ、10月のその朝、屋上に集まった数百人の我々は、大攻勢発起の大集会の締めくくりとして全員でラジオ体操をやったのだ。男女を問わず、年齢を問わず、所属会社を問わず、あるOSの開発に関わっている全員がそろって、ラジオ体操を至極大真面目にやったのだ*4

 

それまでの人生でもっとも非現実的光景だった。おそろしいことに、それは夢ではなかったのだ。

本当に開発が追い込まれると、日立では全員でラジオ体操をやるのだ

 

そこから30年あまり、幾つもの修羅場案件を乗り越えてきた人生であるのだけど、その度に『まだラジオ体操までは行ってないはずだ。全員集めてラジオ体操をやろうと思うほど、頭は煮えたってないはずだ。まだ大丈夫、最悪はこの先だ』と内心唱えてきたのは秘密だ。そして、全員集めてラジオ体操をやらなきゃならぬと思うようなヤマに出会わないまま現役を退きたいものだと、心の底から思うのだ。

 

*1:もちろんそんな事はなくて(アルバイトとはいえ)この業界にゲソをつけたのはZ80アセンブラからだ。間接アドレッシング(Cでいうところのポインタ)が理解できたときに、これで書けないプログラムは無くなったなと思ったのは、なんともかわいらしい事だった。CALL時のスタックへのレジスタ待避を全自動化するために(もしくは規約をもれなく徹底するために)コンパイラが存在するのだ、と無邪気な理解をしたのはそれから程なくしてだ。無邪気?そう十代の少年だったからね。

*2:分割統治法、英語だとdivide-and-conquer method、ところでconquerに対応する訳語は征服だ。だからdivide-and-conquer methodを直訳すると分割征服法となりそうなものなのだけど、なぜだか定訳は分割統治法。さて、この訳を定めた人たちの気分はどんなものだったのだろう。昔から気になっているのだ。

*3:いま気がついた、これ一個分隊だ。そう捉えれば、2チームで一つの課というのはまさに小隊構成だ。そうか課長は小隊長くらいか、まあここからが管理職だから士官なのだと言われればその通り。色んなところに軍隊の影響って残ってるのだなあ、と妙に納得してしまう。でも、だったら士官学校卒をいきなり課長にしてしまうという乱暴さが必要なのだとも思うのだけど。全ての人にチャンスが開かれている(ように見える)というのが高度経済成長を支えたのかもしれないけど、士官と下士官って役割も必要な教育も違うよねという常識をないがしろにしたことが、その後の日本の衰退を招いたのかしら、とか。

*4:なにしろ工場長が相対しているからね

6/17 アンプ更新

今やらないともうチャンスがないかも、ということで最後のオーディオ熱が高まったのは去年の夏。
シヌ死なぬは置いといても、耳が腐ってくるのはおそらく避けがたく、駄耳になったあとにハイエンド買ってもシャーナイと、(今後大もうけして、ごっついのを買う可能性を否定するものではないのですが)今買える範囲のなかでボチボチのを買って、少しでも音楽を聴こうと決心し、そして、JBL4319を手に入れた。
 
その時の浮かれっぷりはここに記した通り。

septiembreokbj.hatenablog.com

そして、子供のころに思った欲からも、最近のオーディオ地獄という執着からも、これで解放され、「老後」に専念できる準備がまた一つ整ったのも目出度い。欲や執着の整理をしていかないとね。透明になっていくんだ、オレ。

 

はっはっはっ。

最近、再生音にどうにも納得出来ない瞬間がでてきてしまいました。

うむむ、これは、アンプか!
 
 
ということで、打ち止めと言ったのはスピーカーで、アンプは次のが最後だ、と(みっともなくも)世界に再宣言をし、6月の某日、意中のアンプを確認するためにお台場のテクニクスショールームに赴いたのでした。
初芝ショールームというと課長島耕作のようなひとが居そうな気がしてしまうけど、もちろんそんな事はなく、親切極まりないナビゲートのもと、一時間フルに試聴をいたしました。
 
その時の狙いの機種はコレ。
 
そもそもテクニクスのアンプを選ぼうと思ったのは、最終出力段のPWMのところにGaN素子をぶっ込んでいるからで、なぜそれがうれしいかと言えば、1bit変調されたMHzオーダーの信号を変換するときにぶっ込む方形波がキレイになる(対してMOS-FETは波形の肩がガタガタで、これがデジアンは音が荒れる、と言われる原因になる)からであって、
「おおGaN素子よ、ACアダプターばかりかオーディオも救うのか!オレのことも救ってくれよ」
と思っていた訳です。
そして、デジタルアンプならアナログアンプほどの重量もないし老後も安心だね、とか思っていたわけです。
 
 
一時間の試聴の最後の20分は、SU-G700で聴いたのと同じソースを一桁価格の違うハイエンドのセットで聴き直し。よせばいいのに?まさに。でもメーカーとしてのコンセプトをどうしても確かめたかったのです。
そして、ハイエンドの音を聴きながらも頭を占めていたのは、SU-G700の高域の(かすかな)暴れ。スピーカーの所為もあるだろう、でももし、これがアンプ固有の問題だったとしたら...。
 
 
ショールームを出た瞬間から買うべきか、買わざるべきかを煩悶し続け、そして一週間ののち、何度も眺めたと思っていたWEB上のカタログについにある事を発見したのでした。
 
SU-G700の最終出力段は、MOS-FETのままだということを。
 
ハイエンドであるリファレンスクラスや、同じグランドクラスであっても価格が1.5倍するネットワークアンプはGaN素子を最終段につかってるんだけど、SU-G700はしらっとMOS-FETのままなのでした。Oh...。
なるほど、オーディオメーカーはこういう事の積み重ねで、ハイエンドから格落ちをする音を作っている訳なのですね。なるほど、なるほど。
 
こうして、GaN素子にミライを託すと思い込んでいたワタクシは、(勝手に)裏切られた感じとなったのでした。あの高域のかすれはGaN素子を使ってれば避けられる筈のものじゃないのか、どうしてケチるんだ、ハイエンドと聴感上の差がつけられなくなってしまうからあえてMOS-FETのままにしたのか、云々。
 
テクニクスにはテクニクスの都合があります。裏切る、裏切らないってアホか、という感じなのですが、判った瞬間そういう気持ちになってしまったのは事実です。そうしてテクニクスをあきらめることになったのでした。まあ、試聴の甲斐はあったということなんでしょう。
 
 
そうしてSU-G700への諦めがついたこの週末、ワタクシに反動が訪れました。転向といってもいいかも。人間は極端から極端に走るものなのです。
アナログアンプを買えば良いじゃないか、年を取ったときにその重たさに耐えかねるのだとしたら今のうちにキャスター付きのオーディオラックに乗せてしまえばいいじゃないか(そんなラックは家にない?だったらアンプと一緒に買えばいいじゃないか)。
そんな声が聞こえたと言います(ウソ)。しかし聞こえた気になってしまえば一瀉千里。重たさ故に除外していた同価格帯の他のアンプの情報を集めることに週末は費やされ、そして今日、最終的にこれをポチる仕儀と相成りました。
 
先に狙ったテクニクスのアンプの真逆の製品。超アナログであり、そして超重い。
今使ってるアンプが同じくyamahaのA-S801で、この傾向のままアレコレ強まったアンプというのはアリかなと(DENONのPMA-2500NEは前にアキヨドで聞いたけど、どうも低音の解像度が微妙な感じだったし、知り合いご推薦のアキュフェーズは、サイフがマジでシヌので...)。
 
これだとアナログ入力しかないから、DACを買い換えるチャンスもあるし、それどころかDACプリアンプというのを買って、今回入手するアンプのパワー部だけ使うという鬼ワザも可能!。...いや、ちょっとまて。
 
 
ともあれ、なんとなく沼が続きそうな予感をはらみつつ、今回は重たいアナログアンプに着地することになったのでした。
そして年をとってしまった場合、そして腰が言うことをきかなくなった場合への対応としてキャスター付きのオーディオラックも別途買い求めました。これでオーディオ関連に対する大型投資も最後となる筈です。
おそらく。
願わくば。
 
 
最近のオーディオ地獄という執着からも、これで解放され、「老後」に専念できる準備がまた一つ整ったのも目出度い。欲や執着の整理をしていかないとね。透明になっていくんだ、オレ。
(リプライズ)
 

6/9 あつぎひがし座第四十五回人形浄瑠璃自主公演

6/9に厚木市文化会館小ホールであった、あつぎひがし座第四十五回人形浄瑠璃自主公演を見てきた。去年の第四十四回公演に続いての二回目。

なぜ金沢から、といえば友人が演目の一つの浄瑠璃をやるから。竹本の名も付いて大したものでございますよ。

 

去年もそうなんだけど、高校生がやっているのを見るだけで目が潤んでくる。いや、べつに目に入ったゴミを取るために厚木まで遠征している訳じゃないんだけど、高校生の部活を見ると条件反射にそうなっちゃう。これはきっと死ぬまでそうだな。2016年の全国高等学校演劇大会の中部ブロック大会を三重まで見に行かなかった事を未だに後悔しているのと、後悔とは取り返しが付かない事に関する感情だということを理解してしまったからだろう、おそらく。

 

ともあれ、操られている人形に感嘆したり、手に汗を握ったりしながら、浄瑠璃をつかまえよう(何と言っても古語だから、気を抜くと判らなくなる)とする二時間強は、エンタテインメントとして受け止められるほどの下地はないワタクシにもinterestingな時間でありましたよ。

 

できたら来年も行きたいものですね。

 

5/9 目黒大鳥神社前朝日屋さん(棚卸し:2月の目黒)

書いてなかった期間にあったアレコレの備忘録。

 

二年前に息子と永別したのを筆頭に、過去を振り返ってみれば自分の2月にはお別れが多い。そういう事を思いながら権之助坂を下っていると、ふと当たり前の蕎麦が食べたくなった。偉そうな蕎麦ではなく、街場の、普通だけどしっかりとした真面目な蕎麦だ。そうなると行くところはこの辺りでは一店しかなくて、それは大鳥神社のちょっと手前、目黒通り沿いの朝日屋さんだ。

いつもは権之助坂を右手側から下るのだけど(その方が会社に近い)、朝日屋さんに行くなら普段は通らない左手側だ。幸い11時も過ぎている。急ぎの用もないので、会社に入る前に蕎麦をたぐっていく事にして、目黒川を過ぎた所の横断歩道を使って朝日屋さんの側に渡り歩くこと数分。

 

シャッターが閉まっている。

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