all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2017/03/15

ここ1ヶ月、テレビはまったく付けない。するとあんまり静かすぎるので、居間のオーディオセットに(も)volumioの入ったラズパイを繋いで、nasに置いた曲を流しっぱなしにするようにしている。その日の夕食のときは、In Through the Out Doorが掛かっていた。
よく聞けば(なんと失礼な)、良いところがあるアルバムなんンだけど、どうにもAll my loveが苦手だった。最後にI'm gonna crawlが入ってるから良いようなものの、なぜあの曲を入れたのかが謎だった。ジョーンジーのストリングスアレンジのためなのか、とか。その日まではそう思っていた、不覚にも。

 

家人とふたり食事をしながら、そういえばロバートプラントも息子を亡くしててね、と話したところでAll my loveがかかり、いつもなら聞き流してしまうこの曲を、このときに限っては、なぜ愛のうたなのにこんなアレンジにしなければならないのだろう、どうしてholyな感じがするのだろう(前は、聖歌隊の指揮者になりたかったジョーンジーの趣味だと片付けていた)ということが引っ掛かって、歌詞の一番最後のI get a little bit lonely.の指し示すところがようやく府に落ちたのは、次の曲も終わって音楽が途切れたときだった。
これは、息子への曲だ。私には、わかる。私は、わかるようになってしまった。

歌詞を探して見てみるが、どうとでもとれる多義的な、象徴的なもの。ただ最後の一行が浮いている。訳詞はどれも直訳か、恋愛のうたとしての訳。そうじゃない、それでは辻褄が合わない。

ということで、答え合わせにwikipediaのIn Through the Out Door.の項をのぞく。やはりそうだった。息子を喪ったのが1977/7、アルバムの録音が行われたのは1978/11-1978/12。そこまでの約一年半のどこかでロバートプラントは、この曲にたどり着いたことになる。それは我々にとって慰めであり、光明なのだろう、と思う。ありがとう、ロバートプラント。今度最新作を買ってみるよ。

そういうふうに現実へのリンクや道の手掛かりを集めつつ、帰還を目論む今日この頃です。遠そうですが。