なぜだか、でも無いのだが、SFファンジン(マガジンではないよ)のNo.61が手元にあって、そこに夢枕獏さんの特別寄稿が掲載されている。
節分を入れ込んだ二つの句から始まり、除夜の鐘で結ばれる句まで、都合十六の句からなる、月の船と題されたその作品から、二つばかり引用させていただく。
節分や飼うておきたき鬼もあり
青き嘘つきたる唇の真紅
二番目の句を読み上げる時、我々つまり私と家人なら真紅にクリムゾンと音をつける。二月に我々の元を去ってしまった鬼が、king crimsonに真紅と漢字を当てていたからだ。月の船は、そのように十六の句のそれぞれが、我々の心持ちや息子の影に重なってくる作品だった。何度もなんども読み返して、いろんな事を思い出したり、想像したりして、挙句にやっぱり泣いた。
--------
何だかグダグダだね。 まとめよう。書き記しておきたかったことは、こうだ。
ボクは何を見ても息子/君に繋げちゃう。それは、世界の一部であった君と、君がいなくなってしまったあとものうのうと存在し続ける世界を紐づけて、君の「存在」を延長し続けるというのがボクの役割だから。
その紐付け先の物色、発掘には余念がないのだけど、新たにその依代になる作品を夢枕獏さんが書かれたよ、ということを残しておきたかったのだ。
追記
九相図の骨相のような気持ちになる日が来るかは判らないけど、無常はよく判った、ような気がする。可能性があることはいつか、どこかで必ず起きるという確率の暴力と、すべては必ず相を変えていくという無常。この二つで世界ができている。そして世界は人間を取り立てて必要とせず、人間がいなくても続いていく。
だからこそ、人間には世界の非人間性に向かい合うための力が必要だ。それが詩情であり、数学であり、そのほかの意味の構築物だ。そのような訳で、夢枕獏さんの作品に邂逅したのはまことにありがたい事だったのだ。