all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

10/18

今一つスッキリしないので、今日も生存確認のエントリでお茶を濁す


今年の2月に某件で救急車に乗ってからというもの、街を走る救急車を見る度にDOAではありませんようにと思うようになった。DOAはdead on arrivalの略。ところがプロに聞くと、DOAとは言わずCPAというのだと。
CPAはCardioPulmonary Arrestの略で、心肺停止のこと。うむむ、そうきたか。

 

心肺停止 - Wikipedia

報道用語としての「心肺停止」と、「死亡」の境目

日本のマスメディア(メディア)では自然災害や事故に遭遇して死亡し、医師による死亡確認・宣告がまだ行われていない状態の人について「心肺停止」「心肺停止状態」と表現される[1][2][3]。

日本の医学界では、実際には死亡していても、心停止と呼吸停止のほかに脈拍停止と瞳孔散大(散瞳)を確認して医師が死亡を宣告しなければ法的に確定しないとされており、医師以外の者(救助要員や警察官・報道関係者など)は心停止・呼吸停止を判断することはできても、死亡を宣告することはできないことが理由である[1][2]。ただし例外として、救急隊が到着した時点で、既に死後硬直が始まっているか死斑が現れている、低体温であるなどいった状況から救急搬送する意味がもはやなくなっている場合、死亡判定がされることがある[3]。

事故・災害現場において、まだ救出できておらず、医師も近づけない状態にある遺体や、病院に運ばれている途中の遺体は、医師による死亡が未宣告であり「心肺停止」とされる。

日本国外のメディアでは、日本のメディアが「心肺停止」と報じていても、世界の報道では「死亡」「遺体」に該当する語が用いられることもある[1]。

 

 

と、あるとおり、日本では医師が診断しないと死んだことにならない。そりゃDOAとは言えないよなとおもう。思うんだけど、じゃあ医師が現れなければいつまでも不定な状態が続くのかというと、実はその通りで大規模災害の時なんかにそういうことがあらわになる。311のときも、御嶽山噴火のときもそうだった。
(ただし医者の問題だけではないよ、という貴重な情報を以下に発見した。たしかにこれは有りそうな話)

matome.naver.jp

 

さて、そのような状況に一石を投じる文書を仕事の途中で発見したので、ここに残しておきたい。

http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T170913G0020.pdf

 

背景を説明したサイトは、例えばここ。

medit.tech

 過疎と高齢化、地域医療の資源が枯渇しつつある地方において、医師が遠方にいるなどして死亡診断が遅れ、円滑な死亡診断書発行、埋仮想ができない恐れが増加している。そのため、それを回避するため住み慣れた地域から遠く離れた病院に入院したり、逆に医師のいる場所までの長距離輸送を余儀なくされるケースも出てきており、対応が望まれていた。

 

ナルホド。社会を維持するリソースの減少というのは、様々な影響を引き起こすのだなあと嘆じたことですよ。


いかん、次回こそ明るいネタを書こう。