all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

場を提供するというのは大変なことなのだなあ。

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極めて親しい友人におめでたいことがあるらしく、その記念に最近の日本語処理というか漢字の扱いについてコンパクトな説明を試みようと思っているのだけど、始めてみると中々思惑通りに話が転がっていかない。
ということで、いつものごとく全然別の話題でstop gapを行うものである。


今回のbogus storyは(いつもbogusな話で申し訳ないが)、今月のある日に夕食をとろうと、某カレー店に入ったところがマイナス方向に強くインプレスされ、その悲しい気持ちを広くシェアしようと某食事系口コミサイトにアカウントを取り(バカ過ぎる...)、投稿をしたところから始まる。

最初の投稿はこんな感じ。

 

『すでにゾンビ』

某社による支援の結果、どうなったかを確かめるために家人と訪問。怖い物見たさということで。

もともと池田町のときから味の定まらない店であって、シェフ次第の味のブレを経営者がビシッと仕切れないという伝統のところであった。それはオーナーが変わっても引き継がれていたようで、西泉に引っ越した後も、何度も味の変遷があり、その度に苦笑していたものだった。
だから伝統の味がなくなるところを某社が救った、美談だ、とかいうネット上のデマゴギーにはあきれ果てるばかりだったのだけれど(君たち、あの味のブレをどうみてるの、とか)、その日は私も家人も荒れており、逆に今日なら大概のことは冷笑と共に我慢できるという気分が一致したため、訪れてみようかということになったのだった。

 

食べるのはいつもの定番、マサラキーマとチキンテッカ。私は生ビールをつけて。
マサラキーマの味はさらにぶれていて、インドカレーというよりは、インドカレーと某社のカレーの間をつなぐミッシングリンクのような味になり果てていた。もしかしたら計算ずくの味付けなのかもしれぬ、と思い更にゲンナリ。ようするに思い出もへったくれもあったものではない。
チキンテッカはもっと大変で、とてもタンドリーで調理したとは思えないマットな食感の鳥肉に眩暈がした。熱々でもないし。別途加熱したのを最後にタンドリーで仕上げたか、それとももっと不思議な調理をしたか。何しろ生ビールとほぼ同時にでてくるチキンテッカというのは、いままでのXXXXXXではあり得なかったことで、それ一つをとっても同じ店が生きながらえたのだとは思われない。

 

私と家人の印象は、某社が別ブランド展開をするためのネタ元として資本をぶっ込んだのだろうなということで一致。決して味を守りたかったりしたわけじゃ無いのは自明で、同じ看板でやるのが恥ずかしくなるくらい味が落ちてるのだから。
そのうちXXXXXXチェーンというのができるでしょう。そして善男善女は某社の気高い行いをこれまたネットで祭り上げるでしょう。

ダメになったお店は素直に倒れさせて上げるのが礼儀です。お店が倒れるというのは、基本的に味が落ちたからなんですから。暖簾だけ活用して商売をしようなんて人を、みんなで持ち上げてちゃだめです。その結果のゾンビ店、涙もでない悲しさでした。

 

 

その二日後、こんなメールがやって来た。

 

ご投稿いただきました口コミに関しまして、ご連絡させていただきました。

ご投稿いただいておりますところ、大変恐縮ではございますが、下記の口コミにつきましては、口コミガイドラインに該当しておりましたため、下書き状態へ変更させていただきました。
お手数をお掛けしますが、下記の内容をご確認いただき、口コミのご修正をお願い致します。

【ご確認いただきたい内容】
■店名:「XXXXXXX 西泉店」
■該当箇所:
「ダメになったお店は素直に倒れさせて上げるのが礼儀です。お店が倒れるというのは、基本的に味が落ちたからなんですから。暖簾だけ活用して商売をしようなんて人を、みんなで持ち上げてちゃだめです。その結果のゾンビ店、涙もでない悲しさでした。」

■該当ガイドライン
「6.個人への誹謗中傷、店舗への断定的批判、及び不適切な表現は禁止します。」
・XXXXは、お食事をした際の主観的な感想・意見を共有する口コミサイトのため、主観的な表現であっても、レストランの口コミサイトとして不適切な表現の記述はご遠慮いただいております。

 

悪口と、強めの悲しみは、表現しようとすると確かに似通ったところが出てくる。のではあるのだけど、基本的には悲しみを伝えようと思って書いたのだ、これは。
悪口に見えたのだとしたら、それはワタシの表現力の至らなさに依るものであって、批判は甘んじて受け、真摯に対応すべきだと思うのであるよ。
ということで、丹念に修正をしてみた。

 

『すでにゾンビ』

某社による支援の結果、どうなったかを確かめるために家人と訪問。怖い物見たさということで。

もともと池田町のときから味の定まらない店であって、シェフ次第の味のブレを経営者がビシッと仕切れないという伝統のところであった。それはオーナーが変わっても引き継がれていたようで、西泉に引っ越した後も、何度も味の変遷があり、その度に苦笑していたものだった。
だから伝統の味がなくなるところを某社が救った、美談だ、とかいうネット上のデマゴギーにはあきれ果てるばかりだったのだけれど(君たち、あの味のブレをどうみてるの、とか)、その日は私も家人も荒れており、逆に今日なら大概のことは冷笑と共に我慢できるという気分が一致したため、訪れてみようかということになったのだった。

20:30過ぎに入店するが、店内に他のお客さんはなし。すでに不吉な気配が漂う。

食べるのはいつもの定番、マサラキーマとチキンテッカ。私は生ビールをつけて。
マサラキーマの味はさらにぶれていて、インドカレーというよりは、インドカレーと某社のカレーの間をつなぐミッシングリンクのような味になり果てていた。もしかしたら計算ずくの味付けなのかもしれぬ、と思い更にゲンナリ。ようするに思い出もへったくれもあったものではない。
チキンテッカはもっと大変で、とてもタンドリーで調理したとは思えないマットな食感の鳥肉に眩暈がした。熱々でもないし。別途加熱したのを最後にタンドリーで仕上げたか、それとももっと不思議な調理をしたか。何しろ生ビールとほぼ同時にでてくるチキンテッカというのは、いままでのXXXXXXではあり得なかったことで、それ一つをとっても同じ店が生きながらえたのだとは思われない。ちなみにこのチキンテッカ、「伝説のチキンテッカ」と銘打って6P、1200円也となっている。これで1200円なんだ。そうか。

 

サービスも、某カレー店と同じスタイルで、メニューを見て追加を逡巡する余裕を与えない。カレー、チキンテッカを伝えたらそのまま下がろうとする。あわててビールを注文すると、間髪入れずに「以上ですね」と言い残して下がってしまった。あらら、サモサどうしようか迷っていたのだが。太らずに済んだとは言え、客単価1000円までの店じゃないんだから、回転率よりも満足度(引いては客単価)向上を狙ったサービスを考えればイイノニねえ、と人ごとながら心配になる。

 

私と家人の印象は、某社が別ブランド展開をするためのネタ元として資本をぶっ込んだのだろうなということで一致。決して味を守りたかったりしたわけじゃ無いのは自明で、同じ看板でやるのが恥ずかしくなるくらい味が落ちてるのだから。
そのうちXXXXXXチェーンというのができるでしょう。そして善男善女は某社の気高い行いをこれまたネットで祭り上げるでしょう。

 

と思ったら、11/22の某新聞朝刊に「学生の頃によく通った金沢市内の老舗インドカレー店...中略...おいしくて人気のあるカレーを残したい」、「将来は取得したカレー店を東京とパリ、ニューヨークでチェーン展開...中略...金沢のインドカレーを広めることができる」というインタビューが掲載されておりました。ああ、やっぱりね。でもね。

この店の全てを伝えるかもしれない、ステキなビールの写真を載せておきます。二杯頼んで、二杯ともこれでした。オペレーション も 極めて難しい状態です。

 

悲しさがより重層的に伝わるように、サービスの劣化にも触れてみた。また取得した某チェーン代表の、これまた悲しいインタビューも添えてみた。更にエヴィデンスがないと、悪口と見分けが付きにくいよね、ということで悲しみに満ちあふれた生ビールの写真も添えてみた。これは相当に悲しいよね。

これで決着が付くだろう。そう思っていたら、さらにメールが来たのだった。

 

【ご確認いただきたい内容】
 ■店名:「XXXXXX 西泉店」
 ■該当箇所:「すでにゾンビ」

 ...理由などは前回と同じ...

 

ああ、タイトルもですか、そうですか。

ちなみにこの口コミサイトの介入ポリシーは、以下のとおりらしいです。

 

XXXXは、お食事をした際の主観的な感想・意見を共有する口コミサイトのため、ユーザー様がお店を選ぶ際の参考になる・信頼できるサイトを維持することを目的とし、口コミにガイドラインを設けております。
また、ユーザー様の口コミが起因となり、ユーザー様とお店との間でトラブルが発生することは、弊社として本意ではなく、健全なコミュニティサイトとしてご利用いただくため、本ガイドラインの遵守にご協力いただきますようお願い致します。

 

内容は一切不介入だと思ってたんだけど、ガイドラインを設けて内容をある程度統制するように変わってたんだね。
いや、所詮は商業サイトだし、何らかのルールによってトラブルを回避しようとするのは極々自然なことだ。別に腹も立たないし、それどころか毎回修正依頼ポイントを絞って伝えてくる丁寧さには頭が下がる。嫌みじゃなくて、本心から。お店の方が自分の評判をウォッチしてて、そこから上がってきたシグナルに対して運営側が誠実に処理をしているのだろうな、という構図が良く判る。そこはホント、感心している。
でもね、『口コミが起因となり』は日本語としてどうかいな。『口コミに起因して』もしくは『口コミが原因となり』なら判るんだけど、むりに起因を使おうとして滑った感じ。自分のとこにチェックが回ってきたら絶対に朱を入れる。あ、また逸れた。

 

ともあれ、こちらも悲しいものは悲しいのであって、その悲しさが伝わらないという自分の能力に対する悲しさも加わって、都度の原稿の練り直しはいきおい真剣にならざるを得ず、最初はさらっと書いて済ませようとおもっていたものが、なんだかずいぶん長大な、しかも着込みのテクストになってしまったよ。最初は悲しいことを伝えたいだけだったのに、最終稿は悲しさの上着の下に鎧が透けて見えるね(着込みだ)。まずくなっちゃった、サビシイねえ、ということをさらっと書いて、しかも書かれた側は切られたことに気がつけない、そんな切れ味を養わなければと思うのだけど、中々むずかしくて、ついつい書きすぎて、それを補うためにまた構造を継ぎ足して、とゴシックになってしまう。ああ、アタシの人生のようだねえ。文は人なり

 

では、この一連のbogusなやり取りに関する記録の締めくくりに最終稿を載せときます。クドイよ?

 

『「伝説のチキンテッカ」、はあ、左様で。』

某社による支援の結果、どうなったかを確かめるために家人と訪問。怖い物見たさということで。

 

XXXXXXと私の付き合いは割合に長い。最初に行ったのは1983年だったと思う(1984年ということは無い筈)。高校生時分からの付き合いということだね。34年前か。まあ、年を取るわけだ。

 
もともと池田町のときから味の定まらない店であって、シェフ次第の味のブレを経営者がビシッと仕切れないという「伝統」のところであった。それはオーナーが変わっても引き継がれていたようで、西泉に引っ越した後も、何度も味の変遷があり、その度に苦笑していたものだった。
だから伝統の味がなくなるところを某社が救った、美談だ、とかいうネット上の評判にはあきれ果てるばかりだったのだけれど(※)、その日は私も家人も荒れており、逆に今日なら大概のことは冷笑と共に我慢できるという気分が一致したために、では訪れてみようかということになったのだった。
※今の味が好きならいいんだけど、伝統の味と来ちゃ捨て置けない。君たち、あの味のブレというか変遷を理解した上で「伝統の味」とか言ってるの?、と。


20:30過ぎに入店するが、店内に他のお客さんはなし。すでに不吉な気配が漂う。

 

食べるのはいつもの定番、マサラキーマとチキンテッカ。私は生ビールをつけて。
マサラキーマの味は昨年訪れた時よりさらにブレていて、インドカレーというよりは、インドカレーと某社のカレーの間をつなぐミッシングリンクのような味になり果てていた。もしかしたら計算ずくの味付けなのかもしれぬ、と思い更にゲンナリ。ようするに思い出もへったくれもあったものではない。
チキンテッカはもっと大変で、とてもタンドリーで調理したとは思えないマットな食感の鳥肉に眩暈がした。熱々でもないし。別途加熱したのを最後にタンドリーで仕上げたか、それとももっと不思議な調理をしたか。何しろ生ビールとほぼ同時にでてくるチキンテッカというのは、いままでのXXXXXXではあり得なかったことで、それ一つをとっても同じ店が生きながらえたのだとは思われない。ちなみにこのチキンテッカ、「伝説のチキンテッカ」と銘打って6P、1200円也となっている。これで1200円なんだ。そうか。

 

サービスも、某カレー店と同じスタイルで、メニューを見て追加を逡巡する余裕を与えない。カレー、チキンテッカを伝えたらそのまま下がろうとする。あわててビールを注文すると、間髪入れずに「以上ですね」と言い残して下がってしまった。あらら、サモサどうしようか迷っていたのだが。太らずに済んだとは言え、客単価1000円までの店じゃないんだから、回転率よりも満足度(引いては客単価)向上を狙ったサービスを考えればイイノニねえ、と人ごとながら心配になる。

 

私と家人の印象は、某社が別ブランド展開をするためのネタ元として資本をぶっ込んだのだろうなということで一致。決して味を守りたかったりしたわけじゃ無いのは自明で、同じ看板でやるのが恥ずかしくなるくらい味が落ちてるのだから。そのうちXXXXXXチェーンというのができるでしょう。そして善男善女は某社の気高い行いをこれまたネットで祭り上げるでしょう。まあ、そういうものです。商業行為はそれぞれがリスクをテイクしつつ、やりたいようにやれば良いのであって、そのこと自体はどうでもよろしい。個人的な感傷は別としてね。
ただ、この味も、サービスも、自分の基準だと料金に見合った価値はないなあ(※)、というのが結論です。
※上限値に達するまでは、食事の料金は価値との見合い(相対評価)ですよね。そして上限値の向こう側っていうのは、どんなにおいしくてもその金額は払えない(払いたくない)という領域。私個人のカレーにおける上限値は、コースじゃ無い限りはドリンク入れて5千円くらいなので、XXXXXXに対する評価は、完全に価値見合いの相対評価です。

 

この店の全てを伝えるかもしれない、運ばれてきた瞬間からこうなっている、ステキなビールの写真を載せておきます。二杯頼んで、二杯ともに写真のとおり。オペレーション も 極めて難しい状態です。

 

 
11/27追記

11/22の某新聞朝刊に「学生の頃によく通った金沢市内の老舗インドカレー店...中略...おいしくて人気のあるカレーを残したい」、「将来は取得したカレー店を東京とパリ、ニューヨークでチェーン展開...中略...金沢のインドカレーを広めることができる」というインタビューが掲載されておりました(記事の写真は撮影済み)。なるほど、1974年生まれだから、高校時の1990年から1993年、それかその次の学校に在学中の1993年から1995年(か、1996年)に池田町の店に良く通ったということなんだね。
でもその時のマサラキーマは、今と相当に趣が違ってたよね。現在のマサラキーマの味の方向性(あくまで方向性であって、同じ味だとは言わない)は、西泉に移転して、シェフも何回か変わった後のもので、当時の味は180度とは言わないけどずいぶんと違った方向のものだった。スパイス、油の使い方、汁気の状態から、それこそタマネギのみじん切りのサイズまで。もちろん大いにブレはあったのだけど、それでも”XXXXXXの”マサラキーマだった。ああ、サフランライスにはレーズンが乗っててほしいよね。
ホールの胡椒が入らなくなったのは何時のことだったか忘れてしまったけど(20世紀中はあったと思うのだけど)、あのときの90年代中頃のマサラキーマを食べさせてくれるなら、一杯1500円でいいよ。80年代のマサラキーマなら思い出料金込みで2000円越えでもOKだ。それはチキンテッカも同じ。あの肉厚に切った、香ばしくて表面がパリッとしていて、でもジューシーなチキンテッカが6Pもサーブされるなら、1500円でも2000円でも許す。

 
さて、資本が変わったXXXXXXは、これから価値のあるインドカレーを供するようになっていくのだろうか?それは「伝統の味がなくなるところを某社が救った、美談だ」とネット上で評していた人々に任せることにしよう。一般的なインドカレーの価格帯にある数多の店の中から、特に選んでXXXXXXをひいきしていくお客さんの中核層は、あのときにXXXXXXを称揚していた人達こそがふさわしい。あのときFacebookを賑わしたイイネの嵐は忘れません。伝統ってのは

 

> 歴史を通じて後代に伝えられ,受継がれていくもの

 

なのであって、単に歴史が長いのを伝統とは言わないのですぜ?

 

XXXXXXに関しては、アタシャ、思い出と共に暮らしていくことにします。あと千回の晩飯じゃないですが、残り少なくなってきた食事の機会は、別の店で使っていきます。