all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

1/17 Intermezzo

決して更なる逃避ではなく、本当にIntermezzo。最近続いている、興味が無い人にはツライ話題の息抜きとしてのエントリ。というか、いつもの「不可思議な繋がりによる不思議な気持ち」が本日も発生したので(以後、この状況をIt makes me wonder、IMMWと記す)、忘れないうちに、その備忘録を。

 

会社でお昼を食べる

→食事のお供にWEBをブラウズする

→「出井さん」に関するタノシイまとめを発見する。

matome.naver.jp 

丹念に情報をひろってあり、その情報をしてストーリーを語らしめるという、まとめというよりはドキュメンタリーのようなポスト。労作という言葉だけでは済まされない、センスのある記事となっている。アタシには無理だけど、こういうのが書けるのはウラヤマシイ。

 

さて「出井さん」(いでいさん)である。「出井さん」といえばSONYを更地まで誘導する線路を敷設し(本人はクォンタムリープ(※)させるつもりだったらしいが)、あわやの所までおいつめた、それはそれでスゴイ人である。

※「出井さん」はクオンタムリープという言葉が好きらしく、後に作った経営コンサル会社の商号もこれ。ところでquantum leapという言葉のカタカナ表記は、2文字目を[オ/ォ/ア/ァ]のいずれにすべきか気になったりしませんか?勿論アタシは気になる方です。そこでググったところ、https://ideaisaac2.blogspot.jp/2010/03/kwontamu-or-kwantamu-for-quantum.htmlというBLOGを発見。適切な訳語があるのだからカタカナにするなんて考えた事無かったから始まる中々良いエントリだなと思い、周辺調査をすると、

https://ideaisaac2.blogspot.jp/2018/01/old-building-of-my-alma-mater-became.html

の内容から、ご出身が至ってご近所であることが判明。ヲヲ、IMMW。結論的には「クォンタム」で行こうと決めました。なお「出井さん」的には「クオンタム」です。

 

  

アタシが「出井さん」に注目するようになったきっかけは、1995年に出版された「ソニー自叙伝」という本への違和感にある。創業50周年記念の社内誌を一般向けに仕立て直したものなのだが、振り返っての自慢ばかりで、この先も同じ50年があるような気分に退廃の兆しを感じたのだ。最後の章には大賀、出井(ああ、ついに敬称略になってしまった)のメッセージがあるが、それとて成功者の驕り満載で、一回やけどして学習するのだろうなという感想しかなかった。いや、その前の社長就任時のメッセージ、「デジタル・ドリーム・キッズ」がすでに気持ち悪かったな。自分の中に「夢」も「子供」もいない人の言いそうなことで、そんなのがSONYのCEOになっちゃったのかと暗澹たる気持ちになったな。だから「出井さん」の事はずっと気にしていた。どうするのだろう、どうしていくのだろう、と。

結果は上掲のまとめサイトにあるとおりで、とても無残なことの連続だった。SONYは今も尚そのときの傷を抱えているのだろうけれど、少なくとも「どうやればSONYを潰せるか」というスタディに成功したはずで、最近の復調はその学習の成果に基づくモノなのではと思う(そう思いたい)。

 

そんな「出井さん」ネタにシミジミとしつつ、ゲンナリとしつつ昼食を終え、では気分転換に器楽曲でも聴きながら次の企画の構想でも練るかと、BGMの選択をした。選んだのは「Brahms, Johannes  :  3 Intermezzi  Op.117」。クリエイティブな午後に向けての間奏曲である。いいじゃないか。

曲の背景が知りたくなり、解説を検索してみる。もちろん見つかる。インターネットは偉大である。みんなが情報を乗せたくなる・発信したくなるという観点において。

ブラームス: Brahms, Johannes/3つの間奏曲| 3 Intermezzi ピアノ曲事典 | ピティナ・ピアノホームページ

ブラームス/Brahms,Johannes ピアノ曲事典 | ピティナ・ピアノホームページ

なるほど。

 

ところでこのサイト、ヘッダを見ると「PTNA(ピティナ) ピアノを弾く!聴く!学ぶ!」とある。ピアノに関する何らかの団体のようである。どんな趣旨の集まりなのだろうか、と[協会概要]のページに移動してみると…。

www.piano.or.jp

まったくもってIMMWな事である。そしてそれはとてもメデタイことなのである。なんとなれば、自分の想像力がこのようにIMMWを引き起こせるとは思えず(想像していない事が起きるからIMMWなのだ)、それは世界が自分の妄想だとはとても思えないという事に繋がり、つまるところ世界は自分と独立して存在しているのだと言う感覚をもたらしてくれているのだから。

そしてIMMWを容易に引き起こす場としても、インターネットは誠に偉大な存在である。Vivaインターネット。

 

Intermezzo、終了。

 

 

追記

実は「ソニー自叙伝」は駄本であるが故に、まだ本棚の中に納められている。成功の連続で50周年を迎えたとき、驕った人がどのくらい馬鹿な事を言い出すのかという得がたい記録として、「ソニー自叙伝」には未だに大いに価値があると思うのである。その価値を生かすために、まずは社業を大いに成功させて思い上がらなければ。