all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

1/27 雇用の流動化

ロシアの小話だと思うんだけど、森の中で男二人が追いかける熊から逃れるべく走っていて、その最中に一人が助かったと叫ぶという奴。知らない?

もう一人が、なぜだ、まだ熊は追いかけてきてるぜ、と走りながら問うと、助かったと叫んだ男が、だって俺と熊の間にお前がいるじゃないか、という奴。これを笑い話だと取れる人は、幸せな人だと思う。アタシは全然笑えない。本当にその通りだから。きっとアンディーグローブも笑わない、と思う。

 

そういう訳で、政府の働き方改革の成否如何に関わらず、労働側から選ばれる職場環境を提供するということは、自社が生き残る・発展するために非常に重要なポイントであるという事を常々社内で説いている。

他社と横並びで大丈夫と安心するんじゃ無くて、他社より前にうちが出て、うちが助かるようにすることが本質なのです。国内の労働力が減少する中で生き残るというのは、労働環境においても差異化を実現して、他社よりも魅力的になることなのです。

とかね。

 

  

その中で

www.nikkei.comのような話も始まり、またテレワークに関しても年内に実施促進を目的とした改訂指針を出してくる(調べたんだけどURL忘れた...)流れにあり、要するに会社に人を縛り付けるのではなく、貴重な資源である人にあわせて、会社は働ける環境を用意しなさいという情勢になってるのは間違い模様。

 

 

 

最近参考にさせてもらってるBLOGにも、そういう記事が載っていた。

www.financepensionrealestate.work

ですよねー、という感じ。

  

企業が人を抱え込むことが競争力の源泉であった時代は過ぎ、日本で産業構造の調整が進まない、イノベーションが起きないのは労働流動性が低いからだと言われている。中国に多いというゾンビ企業(大赤字なのに金がジャブジャブ回ってくるから倒れないという企業)になぞらえて言えば、日本は本来はフライトしているはずの人材が残っているために倒れないというゾンビ企業が多すぎる、と個人的には理解している。ブラック企業とはそういうものなのだよね。だから上記のBLOGの内容はホントにその通りだと思う。働いていても幸せになれない企業から逃げやすくする(逃げて構わないということに気づきやすくする)、それはゾンビを再殺するのに必要なことだ。

 

ただし実際に規制下で生存競争を繰り広げている企業サイドからすると、解雇規制の緩和というのがセットにならないと現実味がないのもホントである。従業員の解雇が厳しく制限されているのは、先進国中では日本に固有のことで、たとえばアメリカでは人件費は流動費として計上する(日本の場合は固定費...)。労働側が企業を選ぶ権利を充実させるのは当然として、企業にもそれに対抗する手段がないと、健全な状態にはならないだろうとも思うのだ。それに解雇規制の緩和による流動性の促進がないと、いつまで経っても欲しい席が空かない(※)、ということになりかねない。

※というのは労働者側の視点だね。企業側からすると、新しい席を用意できないという言い方になる。

企業が雇用にためらいを持つのは、景気が悪くなったときに調整が出来ないからだけではない(※1)。その人が本当に給与を払うに足るひとなのか、本当に何年にも渡って能力を維持してくれるのかということに確信が持てないのだ。勢い慎重にならざるを得ない。人は欲しい、でもアンマッチだったときにも、その人の定年まで給与を払い続けなければならないというのは何の罰ゲームなのだと思う(※2)。しかも出て行きたい人は出て行き(流動性の拡大)、定年はどんどんと延長され、きっと最後には公務員を除き定年が無くなるだろう。だとしたら、会社は一度人的な負のスパイラルに入ると、やり直しのチャンスが与えられないまま沈み続けることになってしまう。とてもじゃないけどやってられない。

※1 工場の様な設備産業(IT系でも派遣はそうだな)だと景気対応がメインなのかもしれないけど、出来る奴が何人いるかが勝負だというメインストリームのIT系だと、不況は実は才能を確保する良いチャンスだったりしたのだ。ただし、みんなが投げるときに仕込めというアパホテル的戦略が人口減少局面においても有効かというのは、今後の検証が必要。

 

※2 と書くと、人材の育成は企業の責務だ、などと言い出す奴が出てくるので困る。給与を仲立ちとした労働提供の契約にすぎないのだぜ。能力の開発は、労働側のマターだ。企業が育成をするのは、そうした方が都合が良いからに過ぎず、決して ねばならない 話ではないのだ。

もちろん教育のプログラムは用意している(その方が得だからね)。しかし水飲み場までつれていっても水を飲まない奴はどうすればいいの?特にIT系は毎年水を飲んでいないとすぐに干上がってしまう商売なのだが。

リカレント教育の今後を面白く見ているのも、能力開発は個人の問題だという原則に基づくものだからだ。ついにその事を口にしたな、という感じ。企業に社会の維持までを求めるという日本型の労働のあり方は、さまざまなところから無化されていくだろう。

 

 

まとめれば、産業構造の調整・発展のためにも、少子高齢化への対応のためにも、雇用の流動化が進むのは必須。決して資本家の搾取のためにではなく、労働者を幸福にし、同時に企業が生き残っていくために。

そのため今後の日本では、1.定年制の廃止、2.解雇規制の撤廃に向けた法整備や調整 も 進むと考える。公平性やセーフティーネットなしで解雇規制を外すと地獄がこの世に現れてしまうので、解雇条件や、その際の経済的な手当についても当然に法制化が進むだろう。EUの労働法などがメディアを賑わせ始めるのが、世論形成開始のフラグだと思う。

最近経産省リカレント教育についてアレコレ情報を発信してくるのも、同じコンテクストに思える。雇用が流動化し、労働者が新しい産業に直面したときに発生するインピーダンスミスマッチをどうするか、確かに何とかしなければならない問題だし、文科省は頼むに足らず、というのはすでに見えているし。

septiembreokbj.hatenablog.com

  

(補足)

日本には日本独自の慣習がある、そしてそれは得がたいものであって、日本の競争力の源泉であって(...Oh)、という声も まだ 耳にするけど、過去50年の歴史を振り返ってみれば(もっと長くてもいいけど)、結局のところ「日本の特殊性を放棄する」過程であることが見えてくる筈。特に労働慣行は日本の特殊性が未だに凝縮している典型的な分野で、だからこそこれから急激に 普通 に近づいていくのではないかと見ているのです。何しろ人口減少への対応は待ったなしなので。

そして、波乱が起きるときにはビジネスチャンスがあるだろう、とも期待してるのです。