2018年2月24日付けの北國新聞に「点検 金沢市当初予算案」という記事があり、家庭ゴミの有料化制度(ホントに日本語としてどうなのよ!)に関する続報があったので、メモランダムを残しておく。もちろん次の市長選の時に、現在のメイヤーに関する評価を他人に説明するためである。最近はこうして記録しておかないと、どうにもならないのだ(ちょっと前まではこのくらいのことはいくらでも諳んじることができたのだが。着実に救済が近づいているようで何よりではある)。
市民から徴収した手数料(※)をどう使うか、あんまりアホなことをすると制度が成り立たない危険性があるという事はすでに述べた通りだ。
※手数料という言い方を避ける為に、金沢市は「ごみ袋の販売収入」と言い張っているのが、それをすると税金の二重取り問題に踏み込むことになってしまう。そのゴミ袋がないとゴミが捨てられないのだから、手数料じゃないと言った瞬間に、印紙と同じ位置付けになってしまうからだ。よって何が何でも「ごみ袋の販売収入」は手数料の徴収方法に過ぎないという立て付けにせざるを得ないのだが、さて「ごみ袋の販売収入」という言説を弄することにどのような意義があるのだろうか?
さて本日の北國新聞の記事である。いろいろと刺激的なことが書かれている。
- 手数料収入4億4千万(見込み)の行き先は、全額「地域コミュニティ活性化基金」(以後、単に基金と記す)。
// おお、これは予想通りだね。しかし当たって嬉しくない予想ってどうだろう。 - このお金の使途は、やはり昨年のゴミ有料化の時には定まっていなくて、今年の予算案として初めて公表された。
// 信じられない事だ。お金の使い道を明らかにせずに、徴収制度だけを始めたのだね。他にこんな自治体があるのだろうか? - 山野市長は「地域コミュニティーがまちの核。しっかり市民に還元する」と語り、それぞれの事業に自ら太鼓判を押した、のだそうだ。
// 樋渡と同じテイストに見えて不安この上ない。どんな風に還元して欲しいか、聞いたのかしら?いつ?誰に?メイヤーになると自然に判るのかしら。金沢が武雄市のようになるのは何としても避けたい。
...これはだめかもわからんね。
さあ、もうちょっと細かくお金の使い道を見ていこう。一旦基金に入ったお金はこのように使われるそうです。
- 収入のうち約半分をゴミ袋の製造などの経費。
- 残りの2億154万円を基金の趣旨に沿った22事業に充てる。具体的には、
- 町会ホームページの作成支援
- 町会活動の補助
- 金沢学生のまち市民交流館に今秋開所する市民活動サポートセンターの運営費
- スマートフォンを活用した地域見守りネットワーク構築
- 複数のゼンリン感が協働する居場所づくりモデル事業
- and so on.
まず眩暈がするのが、一旦基金に入れたお金からゴミ袋製造をやるという立て付け。これ、基金が実施主体だとして、その剰余金ならどう使っても良いだろ、という論理構成を取るといってるのだよね。しかしこの基金は、ゴミ処理に関する基金じゃないよね?木に竹を接ぐ、という言葉があるけど、それよりもっとヒドイ。彼らがどのような事を考えているか判らないけど、こういうのを普通はマネーロンダリングという。
本当にそんな事を考えているのか?根拠無く物事を判断するのはもちろん宜しくない。金沢市のWEBから平成30年度の予算案を拾ってきて、誤解が無いか確認すべきだ。
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/4893/1/02ponchi_p.pdf
ここの4ページ目が、北國新聞が記事にしたソースだ。
読むと冒頭にこんな事が書いてある。
指定ごみ袋の販売収入の使途を明確にするため、収入の全額を地域コミュニティ活性化基金に積み立て、指定ごみ袋の製造・販売等に要する費用に充てるほか、地域コミュニティ活性化推進計画に基づく新規及び拡充事業に充当
oh...
地域コミュニティ活性化条例とはこんなものだった筈だ。
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/10913/6/29zyourei.pdf
ここにゴミの話を混ぜるのは、「みそもくそもいっしょにする」と言われる行為だ。そもそも戸別収集が当たり前になってきている中で、一旦コミュニティを介在させる意図は何か。大いに疑われて然るべき立て付けだ。というより、この予算案資料から見ると、判ってやっているのだな、金沢市は。コミュニティに資するというエクスキューズで、手数料を以下のことに使いたいのだな。
(地域コミュニティの醸成・充実)
- (新)×地域コミュニティICT活用促進事業費6,500 千円
- (新)×地域コミュニティ活性化事業費19,400 千円
- (新)×市民活動サポートセンター運営費19,932 千円
- (新)×地域コミュニティ運営体制支援事業費1,000 千円
- (新)×善隣館いこいの広場モデル事業費1,600 千円
- (新)要援護者ごみ出しサポート事業費35,000 千円
- (新)古紙集団回収リサイクル推進費30,000 千円
- (改)×コミュニティ活動推進用具購入等支援費4,800 千円
- (改)×旧町名復活事業費1,400 千円
- (改)×道路除雪機械等購入費補助1,100 千円
- (改)×消雪装置設置費補助5,000 千円
- 古紙回収保管庫設置費補助1,000 千円
- 古紙集団回収奨励金9,800 千円
- 資源回収奨励金18,000 千円
(市民協働の推進)
- (新)×福祉ボランティアマッチング事業費3,000 千円
- (新)×IoTを活用した認知症高齢者地域見守りネットワーク事業費10,000 千円
- (新)×かなざわコミュニティ防災士育成強化費1,780 千円
- (改)×協働のまちづくりチャレンジ事業費1,500 千円
- (改)×歩けるまちづくり推進費1,900 千円
- (改)×コミュニティ・スクール推進費18,648 千円
- (改)×地域連携家庭教育支援費7,980 千円
- ×緑豊かなまちづくり促進費2,200 千円
(新)とあるのは平成30年度からの事業、(改)とあるのは従来からの事業を何らかリフォームしたもの。×をつけているのは、ゴミ収集の手数料の使途として理解しがたいもの。×の項目を合算すると、少なくとも107740千円がゴミ処理と関係のないところに流れている。ほう、旧町名復活に使うの?私たちのゴミ処理手数料を?やりたい奴が自分でやれば良いことに人の金を使うのはどういう了見だろう。暴れていいと思うよ、金沢市民と、金沢に滞在する人々は。
ということで、ワタシも脱抑制モードでいきます。
まったくもって最悪。基金に入ったからといって何の為に集めたお金なのかという色が消える訳では無い。基金でゴミ袋を作れば、家庭ゴミ処理の実体が基金に移る訳では無い。これは明白な誤魔化しだ。岩手県の真摯な態度を見習ったらどうだろう。他の自治体のやっていることを研究したらどうだろう。金沢市のようなマネーロンダリングをやっている自治体が他にどのくらいあるというのか。
ということを筋道立て手問い詰めない市議会議員も、市民派団体も、役に立たないことでは同様だ。特にWEBで手柄話ばかりする共産党系、市民派系の市議は、能力がないのか、それとも実はやる気がないのか、どちらなのだ?
総務省に対しては金沢地裁判決(昭和41 年1 月28 日)を踏まえた制度の立て付けに対する見解を、環境省に対しては根拠法の趣旨と制度の整合性に対する見解を一旦は問うべきだろうと思うが、そういう事を期待してはいけないレベルなのか?それこれの外堀を埋めてから議論をしないと無駄で仕方がないだろうに、と思う。
これらの事業がもし、本当に、価値があるなら(投入したお金以上の価値をうむなら)、それらの事業の意義を正攻法で説明して予算を獲得すべき。
手数料収入にバランスさせるから、あるだけ使いたくなっちゃうのはよほどの阿呆でない限り自明。地域見守りも、居場所づくりも、ゴミ収集手数料のうえに咲くべき花なのか?そんな筈はないよね。ゴミ収集で集めたお金はゴミ処理に使うというのが普通の人の考えだよ。
もう一回、京都の資料を載せる。
http://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/cmsfiles/contents/0000000/179/24syunyunotukaimichi.pdf
これを見て、ああハズカシイ自治体に住んでいるなあと心の底から思いましたことですよ。
結論を記す。
どう考えても、金沢市は判ってやっている。使いたいことにお金を使うために、基金を使ってロンダリングをしている。バカにされるとはこういうことだ。次の選挙を見ていろよ、という気持ちになるよね。ならなきゃどうかしている。
ひとの褌でやろうとした事業に本当に意義があるなら、正々堂々と説明を尽くして予算を作れ。制度をまげてお金を捻出しようなんてのは、何十年も前のセンスだ。説明責任ってのは、原理原則と整合性がある事をやった後でのことだ。なんという政治的、行政的後進地域だろうか。いや、伝統がいまに息づいているというのはこういう事かもしれない。でもその伝統は「市民」というものの確立にぜんぜん寄与してないということですね。
もしかしたら、すでにシナリオが書かれていて、何らかの落としどころが用意されていたいりする?。例えば3000万くらいはゴミ処理本体に回すとか。それはそれでバカにした話だけど、そんな事にもならないだろう。北國新聞によれば、山野市長は、
「地域コミュニティーがまちの核。しっかり市民に還元する」と語り、それぞれの事業に自ら太鼓判を押した
のだそうだから。
市民に還元するとは、これを原資として、将来の負債を少しでも減らすこと、(処理場建設のような)わかりきった支出に備えて追加の負担を求めないことだ。その金はワレワレ市民一人ひとりの身銭だ。その重みが判らないメイヤーが金沢には居るのだとしたら、極めて不幸なことだ。
それが一連の追跡の結論で、どうしたらいいか少しずつでも考え始めなきゃならないようだ。そもそもこれから10年、20年、30年というスパンで見たときにどういう都市にしていこうかというビジョンがまったく見えてこないまま(何しろ現実認識すら表明してないんだから...)、細かいばらまきに汲々としている現状はすごく不幸。まあ、当家は30年もすればこの世から消え去るので、あとはみんな頑張ればいいと思うんだけど、それにしても人口減少社会に突入しているというのにのんびりしたものだと思うことであるよ。ねえ。
そしてもう一つ。3月の定例議会で市議がどのくらい突っ込むかも確認する。ここで突っ込まない奴は市民の敵として記憶に留める(市の負債を増やすのを黙認するものは、明確に市民の敵だ)。またそのときに筋の悪い論陣をはるものは無能として記録に留める。次の市民便りが楽しみである。
山野市長といえば避けて通れないのが、場外車券場の設置を巡る不透明な一連の話で、あのとき政治家としてのセンスの無さに愕然とした記憶があります。
詳しくは馳浩氏の記録でどうぞ。
衆議院議員 馳浩 公式ページ - 平成26年8月31日 はせ日記 激動の8月だった。 振り返ってみたい。... | Facebook
対抗候補をもうちょっとマジメに考えてから山野降ろしを仕掛ければいいのにねえ、というのが当時の当家内の論調。辞職させたら選挙があるに決まってるんだから、山野氏がもう一度選挙で信を問うと言い出したときに必ず勝てる(※)という候補を作ってから問題化を図るのが筋でしょうが、と。詰め切れる手順なしに王手を掛けるのはへぼ将棋の最たるもので、などと息子に語りながら夕食を取っていたのを思い出しますよ。
※浮動票に対して、判官贔屓をさせないという手が打てればあのときは勝てたはずで、そういう時のための「クリーンに見える人」の準備ができてなかったなあ、と。失礼だけどあのときの自民党候補は悪役感満載でした。よく言えば人の集まりとしての政党で、政党ありきの人ではないという事なのでしょうけど、それにしても自民党、無党派層へのリーチがホントにヘタだと思います。無党派層の利益ともエンゲージしてないし、人ごとながら心配になるレベルです。