all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

5/15 タノシイ出張の途上において

汚名を雪ぐことがなにより大事だ。いよいよの時は刺せばいい。
そういう前近代の価値観が自分の中にあるのを知っているので、他人との距離や自分の振るまいが相手に与える刺激には非常に気を遣う。刀のさやがぶつかると斬り合いになっちゃうので、そういうアクシデントでのタマのやりとりを避けるべく武士は左側通行だった、というのと同型の話である(しかしアレ本当なのですかね?)。
だからというか、新幹線や特急に乗るのが非常に苦手だ。周囲にお構いなく、飛び乗るように椅子に座り、後ろに断る事無くシートを大きくリクライニングさせ、時折(人によってはひっきりなしに)椅子の上で体をガタガタさせる男性(年齢は万遍無いが、原則スーツ)が、この20年でとても増えたからだ。ウルサイなあ、下品なオッサンだなあ、と思ってられる余裕のあるときは良いのだけど、閾値をこえるレベルのが来ちゃうと、どうしよう、刺しちゃおうか、と思ったりするのが止められない。
 
いや、もちろん刺しませんよ?ナイフ持ってないし。
(先に離婚だの、辞職だのを済ませとかないと、関わりを持ったまま後に残される人が面倒なのは理解しているよ。それと同時に、それらも絶対的なくびきではなくて、損益計算の問題に過ぎないことも。その損益の費目に、honourとかshameが大きめのレバレッジとともに載ってくるところが前近代なのだね。近代ですらない)
 
ともあれ/しかし、自分の立ち居振る舞い一つで、殴られたり、(場合によっては)刺されたりという緊張感は、確実に世の中からなくなっちゃってきているのだなあ、と思う。というのは、いきなり刺すのも何だから、こちらの気持ちをまずは伝えようと、
「ドカドカうるせーんですけど?」
と、割と強めの口調と顔つきで伝えると、言われるまで自分が何をしていたか理解していなかった顔をして、相手は大体おとなしくなるからだ。決してワタシの柄の悪い外見にびびったのではなくて(とってもジェントルなのよ?)、自分一人しか居ない筈の私室から、突如外に連れ出されてびっくりしました的な感じなのだ。公共の場所と、自分の私室の差違が理解できない、他者を視野に入れない、そういうアレな人との遭遇率が、この20年で有意に向上している。つまり、世の中が変わってきた、ということなのだね。隣に座っている人のことすら想像できないような、publicがない人たちが世の中の一定数を占めるようになってしまってるのだね。
 
そういう訳で、前時代の遺物であり、そのうえ前近代的な価値観の尻尾が取れないワタクシにおいては、日々リスク(つまり予期せぬ事象による暴発で、家人に迷惑をかけるかも知れない可能性)が高まりつつある。実は避ける方法も知ってはいて、高速鉄道では平民席ではなく追加料金を払ってエクストラな席に座る、もしくは飛行機を使うかすれば、そういうのとの遭遇率がほぼゼロになるのだけど、新幹線のグリーンの差額を毎週自腹でというのもきつく(以前は回数券があったのに...)、飛行機はどうしても小松まで出るのがおっくうで二の足を踏んでしまう。致し方なく、外見の柄の悪さに磨きをかけ、アサーティブな発言をしたときの効果を高めることに邁進するのである。
 
つまり、出張なんか行きたくない、ということなのだね。
 
 
 
追記1
お金を払うと不愉快なことを免れる可能性が高まることについて、理由は色々考えられますが、何を書いても差別的というそしりをうける気がするので、まあやめときましょう。
でも、乗ってくる駅には特徴があることを付記するのはギリギリOKかな?金沢発の東京行き速達型に乗った場合、自覚の無い歩く引き籠もりのスーツメンは、金沢では比較的少なく、富山はめちゃ多く、長野はバラツキ有りという感じです(今日の隣の長野からのオッサンは酷いな。アサーションしました)。なぜなのでしょうか?これも思うところはありますが、差別的というそしり...。


追記2
ああ、もちろん女性にも特徴的な行動があります。女性を差別したりしませんよ。

集団(二人以上)になったとき、可能な限り道一杯に広がって歩くのはどういう事なのかいまだに理解できません。
ジェンダーによる抑圧が、公道において反動的に噴出するのでしょうか。
これも思うところはありますが、差別的...。