all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

5/16 ボクらはみんな(tech企業で)生きている

(指摘対応版:5/17リリース)

なんかスゴいタイトルになっちゃってるのは、この記事のせいで腸がねじ切れてシヌルかと思って錯乱したため。
 

tkybpp.hatenablog.com 

これを「シリコンバレーから生まれた最高の文書」と評するのは、tech企業に光を求めて群がってくる数多の人々の、オイシイ部分を、オイシく使うことに振り切った、地獄の悪鬼のような人々だけだと思ってはいるのだけど、しかし余りにも馬鹿げ過ぎていて、もしやこれに騙されるpoorな人が(tech系にも、非tech系にも)出てくるかと思うとシヌほどツライ気持ちになるので、出張帰りの時間を投入してみることにする。
 
 
まずはこっからな(ああ、脱抑制モードになってしまう...)。

立派な価値観を書き記すことは簡単ですが、それらを実践するのは難しいことです。勇気の説明で「Netflix の価値観と食い違った行動には疑問を持つ」と言いました。私たちは従業員全員がお互いにこの価値観を実践できるように助け合って欲しい、そして、お互いが他の手本となる人物である責任を持って欲しいと思っています。これは途切れることの無い、意欲的なプロセスです。

 

相互監視の世界へようこそ。誰もが、自分以外の人間がNetflixの価値観から逸脱していないかをウォッチすることが求められる、仲間はずれ探しが無限に続くタノシい企業、それがNetflixだ。
しかしNetflixの価値観とは何か。
「本物の価値観」という仰々しいタイトルから始まる章が、Netflixの価値観を示している、のだそうだ。さあ、読んでみよう。
 

 

 
oops! これは、価値観ではない。これは、todoリストだ。もしコレが価値観なのだと言い張るのなら、正しくはこうあるべきだ。

 
「ワレワレは、これらのtodoリストを行うことを何より正しいことだと思う価値観こそを、本物の価値観とする」

 
すごいな、Netflixが何を成すかが価値ではないんだ。如何に成すかが価値なんだ。この文書の隅々まで探したけど、結局最後までNetflixが従業員と共に達成しようとしているゴールは書かれていなかった。

いや、確かにこの文書の冒頭に以下のような宣言がある。

エンターテインメントは、友情のように、人間が基本的に必要としているものです。エンターテインメントは私たちの感じ方を変え、私たちに共通点をもたらしてくれます。Netflix は、既存の会社と比べて、より安いコストかつより広範囲なよりよいエンターテインメントを提供します。私たちはあらゆる人を楽しませ、そして世界を笑顔にしたいと考えています。

さて、このコーポレートステートメント(長いな、以下CSで)と「本物の価値観」(こいつも長いな、以下RSoVで)の間にはどんな関係が成り立っているんだろう。このCSをブレイクダウンしていくと、このRSoVでなければならない理由が明らかになってくるんだろうか?しかし、どう読んでも、この極めて抽象的なCSからRSoVが導出される必然性は見えてこない。

一般的にCSは抽象的なものではあるのだけど、このCSが示すところに共感して、あまたある会社からNetflixを選んで参加しようという従業員はどれだけいるんだろう?それはもちろん反語表現であって、これに惹かれてNetflixを選ぼうと(別の言い方をすれば「主義に準じようと」)する奴ぁ、まず居ない。Netflixは冒頭のCSによって「我々は普通の会社です」と宣言しているだけなのであって、それはそれで別に当たり前のことだ。

考えなければならないのは、普通の会社が、しかしなぜだか普通を超えた関わり方を求めるRSoVを掲げる、そのあまりの問答無用の断言っぷりについてだ。RSoVと彼らが呼ぶところのtodoリストの消化自体の意義がどこかで説明されてしまっているように錯覚させられてしまいそうになるんだけど、しかしNetflixは「なぜ、このRSoVなのか」ということについては一切語っていない。唯々かくあるべしと繰り返すのみなんだ。
 
えええええええ?????? 自分で書いててシニソウになるよ。それって金儲けのために宗教やったり、集団をオーガナイズしたりする人たちの典型な行いじゃないの。

 
しかし、この文書は理由を語らないまま、RSoVに意義を感じた人々に対して数々のメリットを提示していく。

  • ドリームチームの素晴らしさ。
    (これはtech企業に勤める人々の、選良好みの自負心を恐ろしくくすぐる)
  • 自由。
  • そして報酬。

 
すばらしい。物事を深く考えない(考える前に立ち向かってしまう)、tech peopleの「オレツエー幻想」をどこまでもくすぐる、良く出来た構造だ。

と、同時にJobsをくさすことも忘れない。

私たちは、CEOや他の最高幹部達が細部に深入りしたことによって製品又はサービスが驚くべきものになったという伝説には賛成しません。スティーブ・ジョブズの伝説は、彼のマイクロマネジメントがiPhoneを素晴らしい製品にしたというものです。他の人たちは新しい思い切った手段であると理解し、誇りを持って自分自身をナノマネージャーと呼びました。主要なネットワークとスタジオのトップは時々、コンテンツの創作過程において多くの意思決定を行います。私たちは、これらのトップダウンモデルを見習うことはしません。なぜなら、会社中の従業員が意思決定をした時に私たちは最も効果的かつ創造力に富むはずだと信じているからです。
 

  

まあJobsについては色々ある。しかしtech peopleを惑わし、束ねようとする、この文書においてJobsを貶す意図は、彼の成果云々を論難したいからではない。

  1. tech peopleが敵わない(※)理不尽なオトコはウチでは価値を認めないよ。
    ※tech peopleは常に理不尽には敵わない。軍人将棋のスパイのようなものだ(ふるいなー)。そもそも理不尽を内包するtech peopleというのは存在が矛盾しているしね。
  2. だから基準に達している君たちは、「本物の価値観」の中で理不尽な攻撃を受けることなく素晴らしい仕事をのびのびやる事ができるのだぜ?
  3. つまりココこそが君たちが求めている場所なのだよ。安心してオレツエーを高めてくれよ。それがお互いにとって良い事なんだ!!

 

そういうメッセージを言外に伝えようとしているのだと思われる。信じられない人は、こういう気持ちで全体をもう一度読み返してみよう。自ら能力に自信を持ちそれをフェアに認めてくれる人を求めているナイーブな人たち(tech people)を、自分が意図するビジネスのために120%使い切ろうとしているとしたら、こういう文書を書かないだろうか。
 

 
もちろん、アタシはこういうのを書かない。そういう方法でかき集められる人々でたどり着ける所など多寡が知れている事を、不幸な体験の積み重ねで知っているからだ(ああ、本当に不幸だね)。本当のパフォーマンスが見たいなら、パフォーマーがゴールの意味と価値を知っている事を知らなければならない。だからCS(これ自体はあって当たり前のことだ)と、パフォーマーの追うべきゴールが一貫性を持つには何が必要なのかということにフォーカスして構造を作るし、それを維持していくための枠組みのメンテナンスを大切にする。...そういうのって、たしかに宣伝しづらいかもしれないけどね。

 
Netflixは人々の生活を変えるかも知れないけど、世界を良くすることはない。いかにユーザーをつなぎ止めて、そこから金を吸い上げるか、それが彼らのゴールだ。つまり、普通の会社だ。何の問題もない。問題は、彼らがその事をこの文書で正直に語っていないことだ。

普通の会社として大もうけを目論んでる、その成果は参加したメンバーに対して能力と貢献に応じてちゃんと分配する、そう言えばいいじゃないか。Netflixはpayが高いことでも知られている。普通にハードワークをするにはいい会社なんだ。

でもNetflixはそんな事は言わない。その代わりに、オレツエー系のtech people、つまりマッチョな人々(ああ、言っちゃった...)の幻想をくすぐる事ばかり述べ立てている。 

 

アタシャ、tech系のオレツエーが嫌いだし、それにつけ込むゲス野郎はデエッキレエなんですよ。

それが、憤死しそうになった原因です。

 

と吐き出したところで、ちょっとだけ分析というか、見通しを。

(じゃあ、いままでのは? あれは単なる罵倒ですな)

 

こういう文書が「最高の」と言われちゃう状況が何を語っているかというと、IT系産業は最後の輝きを見せてんだなあということ。

ITが絡むビジネスの、優劣を決定づける極めて大事な資源の一つが「出来のよい人々」なのであって、それがみんな等しく手に入れられるなら、すべてのIT系ビジネスは、例えば初期の資本の量で決定されてしまうだろう(もちろんそんな単純じゃないけどね)。でも現実はそんな事になってない。その「出来のよい人々」、トップ10%(か、20%か)の人々の総数によって、成功できるIT系ビジネスの総量が規定されている。

 だから実際には、希少種である「出来のよい人々」を、一儲けが終わるまでつなぎ止めておくために、自分達の会社がいかに価値のあるところであるのかを、様々な方法で喧伝することになる。その流れで読まれるべきなのがこの文書であり、そしてこの文書は間接的に「成長の限界」を示している訳です。

Limit to growth! 懐かしいね。

そういうわけで、成長を続けようとする資本主義は、いずれtech peopleを不要とする仕掛けを強く希求することになります。なんとなれば、彼らこそが成長のくびきであるということを、普通の企業であるNetflixですらが逆説的に示しているからなのです。

 

 

追記

なぜIT企業、tech企業でマッチョな文化が支配的なのかというと、そもそもそういう人が作って、そういう人たちを引きつけて発展してきた業界だから、なのだと思っています。

 

どうだいオレのプログラム(や製品や、その他モロモロ)、スゲーだろ?

 

これが言いたいためだけに、この業界的な歴史的進歩の多くが成されてきたのです。

(例えばHackersという名著があるけど、読むと「オレスゲー」マインドが如実に伝わってきます。それはあのRMSからすらです)

最近はtech系企業での女性差別が色々取り上げられるようになってきたけど、これミソジニーというより、

「オレスゲーが言えない奴は、オレスゲーと言えるものを持ってないからだ。すなわちオレより下だ。何しろオレはオレスゲーを言えるのだから!」という発狂した、でも当人的には至ってマジメな、ロジックに基づくものなのではないか、と思ってます。

 

マチズモはtech peopleの生来のダークサイドなのだ、と言い換えてもOKです。もちろんダークサイドに落ちる人ばかりではないのだけど(流石に世の中は段々よくなっている)、でもそんなに簡単に払拭できる問題でもないのです。

 

で、なんで追記にそんなことを書いているかというと、このNetflix文書、オレツエーを肯定するという構造だと思っているので、逆にいうとこの文書を批評的に読む事によってtech peopleのオレツエーを解毒する道が見えるかもという可能性を感じないこともないかも知れないと言えないこともないだろうと言う気がする訳です。

 

...幻想かな。そうかもね。でもマチズモは、昇華されるべきだと思うのです。ここはワタシの趣味の問題かも知れませんが、でもマチズモを分解する行いが進まない間は、きっと世の中のもう半分の問題も同様に放置される事になるからです。

なんだか壮大に遠いところまで来ちゃったので、本日はこれまで。