all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

8/9 「日本会議国会議員懇談会」

割としつこく見守っている新元号の周辺に関する雑感。

 

www.nikkei.com日経新聞記事より引用)

古屋圭司衆院議院運営委員長ら保守色の強い自民党議員は6日、菅義偉官房長官首相官邸で会談し、新元号の制定と発表は来年5月1日の新天皇の即位後とすべきだと要請した。政府は改元に伴う国民生活の混乱を最小限にするため、改元1カ月前の公表を想定し、各府省庁の情報システムの移行など準備を進めると決定している。政府と議員側の溝が改めて浮き彫りになった形だ。 

 

この記事によると、「古屋圭司衆院議院運営委員長ら保守色の強い自民党議員」が「新元号の制定と発表は来年5月1日の新天皇の即位後とすべきだと要請した」のですね。

はあ、社会が混乱するとか、しわ寄せで苦労する人が多数いるとか、そういうことよりも新天皇のことを考えろ、ということなのですね。

政府は政府で、既に「改元1カ月前の公表を想定し、各府省庁の情報システムの移行など準備を進めると決定している」と言っていて、これはこれで誰の利益を考えているのか全く判らないんだけど、保守色の強い自民党議員さんたちの発言は、その比では無いですな。

 

さて本件、どの範囲の人たちがこの意見を共有しているのかが気になるんだけど、今ひとつ判らない。

日経新聞、8/6のニュースサイト記事より引用)

 古屋氏は、超党派保守系議員でつくる議員連盟日本会議国会議員懇談会」の会長。同懇談会は、6月に新元号公表は来年5月1日を原則にすべきだとの見解をまとめている。古屋、菅両氏の会談には、山谷えり子・元国家公安委員長柴山昌彦自民党総裁特別補佐が同席した。

 

日本会議国会議員懇談会」、ここの総意としての申し入れだったりすると、これは壮絶に蒙い話になる。ちょっと検索してみよう。

日本会議国会議員懇談会 - Wikipedia

(そういえば、このまえジミーからどうしても今年も寄付を頼むよ、とメールが来たので、快く支援をしたばかりだった。Wikipediaへの寄付については、ありゃユニセフジャパンみたいなもので中間で相当に儲けてる、払うのは馬鹿のすることだ、などという意見をネットで散見するけど、そういうのってどうだろう?自分が助かったと思う分だけ感謝の寄進をするというのがそんなに馬鹿げたことなんだろうか。むしろ投げ銭をするこちらからすると、原価厨とか、他人が得をしたら負けと言いつのる人たちは、紅衛兵とかクメールルージュが破壊した後の社会の住人みたいだぜ。あ、また脱線した)

 

この組織、2015年9月時点では281名の大所帯で、この数の人たちが「下々の都合よりも天皇をたてることを優先する」と言っているのだとしたら、これはゆゆしき事態だ。民意の反映という言い方は大嫌いだが、しかし衆議院465名、参議院252名、計717名のうちの281名、すなわち39%の議員が一定数の日本国民に負担を掛けてでも天皇の権威を守ることを優先したいのだとして、それが国民の意見とどのくらい乖離しているのか、個人的にはすごく気になってしまう。残念ながら日本国における国民投票は、憲法改正の手続きの一部として法律が整備されているのみで、任意の事柄に対する賛否を問うための法律は存在しない(代議士に対する対抗力が、選挙での不信任しかないという緩い状態だ)。本件なんか、国民投票の練習にちょうどいいサイズの問題だと思うんだけどね。

でも、本件はホントに「日本会議国会議員懇談会」の総意としての申し入れなんだろうか。というのはWikipediaにある議員リストを見ると、菅義偉官房長官は同会の副会長であるし、安倍晋三内閣総理大臣は特別顧問だ。そして冒頭に書いたとおり、政府としては「改元1カ月前の公表を想定し、各府省庁の情報システムの移行など準備を進めると決定している」と言っている訳で、普通に考えると今回の件が同会の総意とは思えない。

 

まよったらクロスチェックだ。

 「古屋圭司衆院議院運営委員長 元号」で検索すると、8/6の申し入れに関する別の記事がすぐに見つかる。

www.sankei.com産経新聞より引用)

古屋圭司衆院議院運営委員長や山谷えり子自民党拉致問題対策本部長ら国会議員有志4人が6日、首相官邸菅義偉官房長官と面会し、来年の新元号について「新天皇による公布」とするよう口頭で申し入れた。

この記事では「日本会議国会議員懇談会」という言葉はついぞ出てこない。その代わりに日経では明らかにされていなかった申し入れの範囲や規模が、こちらの記事では「国会議員有志4人」と明記されている。

 

いったい「日本会議国会議員懇談会」は絡むのか、絡まないのか?

 

横方向で見えないときには、時間軸方向に探すのが定石だ。探してみれば、本件の一つ前の事象がこれまたすぐに発見される。

www.asahi.com

朝日新聞、7/19のニュースサイト記事より引用)

日本会議国会議員懇談会の皇室制度プロジェクト(座長=衛藤晟一首相補佐官)は19日、平成に代わる新たな元号について、事前公表に反対する方向で一致した。懇談会は6月に「新天皇即位時の公表が原則」とする見解をまとめたが、要求を強めた形だ。

 

安倍晋三首相に近い衛藤氏らは、国民生活に配慮して新元号を事前公表する方針の政府に対し、見直しを働きかける考えだ。

 

朝日の記事で「皇室制度プロジェクト」と明記されているとおり、これは同会のPTの意見なのであって、会としての意見表明とは書かれていない。

(ちなみに、政府は国民生活に配慮しているのだそうです。アレで、配慮。)

 

さらに時間を遡れば、6月には以下の事象がある。

this.kiji.is共同通信、6/5のニュースサイト記事より引用)

超党派保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」(会長・古屋圭司衆院議院運営委員長)は5日、国会内で総会を開き、新天皇即位に伴う新元号の公表は即位日である来年5月1日を原則にするべきだとの見解をまとめた。

 

ここでは明確に会としての見解であると記されている。

 

 

とすると、こういう流れなのだろうか。

  • 6月 総会で5月以降を見解としてまとめる。
  • 7月 プロジェクトとして「事前公表に反対する方向」で一致。
  • 8月 保守系議員(所属名乗らず)が政府に即位後公表を申し入れ。

一見するとアクションが大きくなっているようだが、実際にはその逆だ。6月には281名の声だったモノが、7月にはプロジェクトのサイズの声になり、8月には数名の議員の声になっている。どんどんと声を出す主体が小さくなっているではないか。決して「日本会議国会議員懇談会」のひいきがしたい訳じゃない。8/6がホントに「日本会議国会議員懇談会」としての申し入れなら、どこかはそういう記事を書くはずなのに、一社もそんなニュースを出してないのだ。とすれば、陰謀史観は脇に置いて、素直に有志議員団としての意見だったと見るべきだ。

 

実は6月の発表以降、ネットではフジャッケンナ(※)の大合唱が起きていた。これも探すとすぐ出てくる。それを見て恐れおののいた議員が、一人逃げ、二人逃げしていき、しがらみなのか、信念なのかは知らないけど、なんらかの理由で残った人々が政府に話をしに行ったのが8/6事象なのではないか。そのように思うにも、一応の根拠がある。

※ アレは打ち切りだったのかねえ。それとも作者が力尽きてゴメンナサイをしたのかねえ。

 

自民党は世評を気にしないという風説があるが、最近はその反対だと思う(まあね、田舎の自民党支部のアレはアレなんだけどね)。例えば 情報参謀という本がある(http://amzn.asia/d7PvPV3)。自民党が如何にネットの情報を気にしているのか、その結果としてどのような成功を手に入れたのかがよくわかる。今回のように、自民党の支持者と思われる層からアレだけ大声でディスられたら、血の気が引いた議員、党員は多かったのではないかしらん。

ではなぜ「一ヶ月前公表」という大馬鹿な話を政府は堅持しているのか、それはそこを着地点としなければならないカウンターパワーがあると見るべきなんだろう。つまり、政府はわがままな王様なのではなく、政治的に正しい判断をしているというモデルへの移行だ(決定の本質 - Wikipediaのような話だね)。たとえば、決定の背後にこんなアルゴリズムが考えられる。

 

天皇の権威の力(これは本当の意味での権威ではなくて、天皇には権威が無ければならないと思っている人々の力の総和)と、②改元に対応する人々の労力・コスト、その二つのベクトルが相殺されるポイントを探す。

 

その結果として出てきた解が「一ヶ月前」ならば、その解の是非を問うのでは無くて、②に対する国民の怨嗟に比すほどの①があることに愕然とすべきだ。ホントに? でも多分ホント。そういう構造があり得ることについて、一連のニュースは考えるチャンスを作ってくれたという事だ。

 

 

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ああ、いつものごとく曲がりくねった展開になってしまった。

今回は、気になったニュースを追っかけていたら、馬鹿げた話だと思って政府方針が、実は政治的なプロセスの結果として説明可能なのかも、と思えたというエントリでした。長過ぎだね。もっと短く書け。

 

しかし、構造として了解できたとして、「一ヶ月前公表」による影響がのめるのかというのは別だ。アタシ自身は現場を離れてはいるが、苦労をする人たちの事を考えると、やはり馬鹿げた話だとしか思われない。我々(Us)が②だとして、向こう側にいる、争うべき①の奴ら(Them)が誰なのかは知っておきたい。対立や争いは良いことだ。少なくとも無差別テロなんかより全然いい。

そして、今回みたいな様々な力のぶつかりあいとして特殊な解が出てくるときに、どんな力がどのように絡み合っているかを明らかにしていくのがジャーナリズムの仕事なのだと、なんとも牧歌的に信じているんだけど、現実はどうもそんな感じじゃない。

国民投票には法律が必要だけど、例えば全国会議員に質問を投げるのは別に法律も何も必要ない。ごまかしようの無い設問を作って(回答拒否が意見表明になってしまうような設問を作って)、すべての国会議員に問うてみるなどというのは、それこそ大新聞のジャーナリズムの仕事として十分に面白いと思うのだけど、ドコもやらない。議員一人一人の意見が判ってくれば、その背後の力も見えてくるのだけど。なんとも不思議なことだ。

 

こんなのが続くと、そのうち日本でもコレがはやるようになるのかも知れない。

上有政策下有对策

それはとても昏いことだ。

 

 

 

...なんだか床屋政談みたいになってしまった。明日からは、明るく、さらっと行きます。CTIとか、そんな話。