昨年を振り返ろうと(そのためのBLOGです)、去年のエントリを読み直していたら、7/11のところで既視感が...。
石破茂さんに関する所感をまとめたエントリが、今年の8月の政治状況(あれを政治状況というのはお寒いですが)にそのまんま適用可能な事に感心しました。
あ、自分に感心したのではなくて、何も変わらない石破茂さんにです。
去年のこのインタビューに愕然として、
ブツブツ所感を述べたエントリがコレです。
そして今年。
この8月においても、安倍晋三さんと石破茂さんは、遺恨の一点を除いて、政治的には全く交錯しないままそれぞれの論理を展開しています。挑戦者というものは、現在王者のところに上がっていって殴り合いするという一点において挑戦者たり得るのですが、そういうのがきっと全然判んない人なのでしょう。候補者としては平等とか思ってるのかな。勝ち負けという事が判んない人なのですね。
つまり、去年と全く変わっていません。何も準備をしていないということです。すなわち、1年分みんなからおいて行かれているということです。変わらないということは退歩なのです。
しかし石破茂さんは、正しいことには進歩も、退歩もない、とか言い出しそうで、それもげんなりします。そういう噛み合わなさに、周囲の人はイライラしてるんじゃないかと心配してしまいます。例えば安倍晋三さんとか。
ともあれ、米中角逐の熱い夏のなかで、そういうプアな政治状況をやってられる日本というのはアレです。
そういう時に脳裏に浮かぶのがこの一節。
そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
ただし、これは
政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
と続くのだけど。
うむむ。
夏は過ぎゆく。まだ暑いけどね。