10/8に輪島大士さんが亡くなったことを知る。70歳。
訃報に記された輪島大士さんの年譜を見れば、載っている事は当然ながら相撲に関わることばかりで、だから人生の後ろ半分である1985年以後については
年寄名跡が絡んだ金銭トラブルで廃業。以降はプロレスラーやタレント、アメリカンフットボールの社会人チーム監督などとして活動
と雑駁に記されるのみだ。
しかし記憶に残っている「輪島」の痕跡は、あまり相撲と関係がない。
金沢駅からほど近い六枚町交差点の角に「相撲茶屋 輪島」という大きな店を一時期構えていた。いまでこそ栄えているが、1980年ごろの金沢駅前は何もないところで、どうしてこんな寂れたところに、こんな大きな店を構えたのだろうと不思議に思っていた。そして案の定潰れた。
輪島というと、まず最初に思い出すのがこの店と、それが潰されたあとの更地のことで、つまり自分の中で輪島はある種の悲しみと分かちがたく結びついているのだ、アホやなあ、もったいないことしたなあ、と。
そして次はコレ。
CD音源としては「遠藤賢司バンド – 不滅の男 大実況録音盤」に納められている(89/10/9、渋谷クアトロでのライブ)。もう廃盤かなと思ったけど、まだAmazonで手に入るみたいだ。
これを1991年、出たばかりの時に買ってしまったのが運の尽きで、輪島のイメージに遠賢の妄想が重畳されてしまった。
いや、重畳ではないな。相撲茶屋の跡地を見たときの「アホやなあ、もったいないことしたなあ」という寂しさと、プロレスラーとなった輪島を歌う「輪島の瞳」はどこか通じるものがあったのだ。
才能と努力に裏打ちされた華やかな前半戦とは真逆の、寂しさと静かさが付きまとう後半戦(落魄とは言うまい)こそが、自分の中の輪島なのだ。
そうか、お亡くなりであるか。
とっちらかったままだが、日々の記録なので、まあそういう(不出来な)時もある。今回は、輪島大士さんの訃報に接して色々思い出したことをそのままごろんと残しておくことにする。
追記
輪島大士さんの訃報を聞いて「輪島の瞳」を思いだしたということは、あの人の訃報を聞けば、では「不滅の男」をやはり思い出すのだろうか。きっとそうだろうな。