以前、IT系のバカモノども(※)の持ち上げっぷりに激怒してこういうエントリを書いたことがあります。
※馬鹿とは馬と鹿の区別がつかないということだから、玉と石の違いがわからないものどもをバカモノと呼ぶのは、まったくもって正当なことなのです。
そこでこうも記しました。
それって金儲けのために宗教やったり、集団をオーガナイズしたりする人たちの典型な行いじゃないの。
ワタクシとバカモノども、どちらが正鵠を射ていたのかはっきりしてきたので記録に残しておきます。
はい、すばらしい会社ですね。予想が見事に当たるのはウレシイモノです。たとえ、それがどんなに悲しい予想でも。
5/16のワタクシのエントリは、こういう予測で締めくくりました。
こういう文書が「最高の」と言われちゃう状況が何を語っているかというと、IT系産業は最後の輝きを見せてんだなあということ。
ITが絡むビジネスの、優劣を決定づける極めて大事な資源の一つが「出来のよい人々」なのであって、それがみんな等しく手に入れられるなら、すべてのIT系ビジネスは、例えば初期の資本の量で決定されてしまうだろう(もちろんそんな単純じゃないけどね)。でも現実はそんな事になってない。その「出来のよい人々」、トップ10%(か、20%か)の人々の総数によって、成功できるIT系ビジネスの総量が規定されている。
だから実際には、希少種である「出来のよい人々」を、一儲けが終わるまでつなぎ止めておくために、自分達の会社がいかに価値のあるところであるのかを、様々な方法で喧伝することになる。その流れで読まれるべきなのがこの文書であり、そしてこの文書は間接的に「成長の限界」を示している訳です。
Limit to growth! 懐かしいね。
そういうわけで、成長を続けようとする資本主義は、いずれtech peopleを不要とする仕掛けを強く希求することになります。なんとなれば、彼らこそが成長のくびきであるということを、普通の企業であるNetflixですらが逆説的に示しているからなのです。
まあそういうわけで、おそらく、これも当たるでしょう。まことに残念ながら。
そして、そういう世の中になる事を織り込みつつ、tech peopleは生き延びていくことを考えなければならないのです(ワタシ自身はtech peopleではなく、自負をもってプログラマーと名乗りますが同じことです)。
なんとなれば、おそらく我々の大多数は、職業の選択の結果としてそれを行っているのではなく、そう生まれついたが故にそれを行っているからです。であるので世の中が変わったとしても、我々自身の有り様はある意味変わりません(変えられません)。その事と、我々の有り様に適合する新たな働き方の探求が逃れがたい事を認めたうえで、これから訪れるであろう資本主義の次の段階をサバイブしていく事になるのでしょう。