all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

11/11 青タンス、来たれり

今回のエントリは、夏の終わりに買った 

jbl.harman-japan.co.jp

に関する(いつにも増してだらだらとした)メモランダム。

 

話は大昔に遡る。小学生から中学生になるころの話だ。橋場町の三叉路から一本入った通りにあった喫茶店のJBL4343(だったかな?)で、自分が持参した冨田勲の宇宙幻想-COSMOSというアルバムを聴かせてもらった事がある。そして、世界が大きく転回したのを覚えている。

はあ、ホントはこんな音が入っていたのですね。割れずに冒頭の低音が出るのですね。モーグで重ねたバッハは、こんな諸行無常の響きがするべきなのですね。僕もJBLのスピーカーを使ってみたいなあ、と子供心にも思いましたことよ。

 

とはいえ、その後の人生には山有り、谷有り、更に谷有りで、子供のころの衝撃を忘れて、

「高いオーディオで聴かなきゃ判らんない楽曲ってのは音楽の敗北だ。オレはミニコンポ以上のオーディオセットを断じて認めん」とまで言い切ってみたりするようになっていた(ホントに公言したことあったっけ? まあ、そういう気分だったのは間違いない)。

これは、Hi-Fiオーディオで例えばパンクを聴くのはかっこ悪いぜ、等に類することではなくて(※)、プログラマー的な資質が発現し、プログラマー的に考え、(過剰に)プログラマー的に振る舞った結果なのだろう、おそらく。

※そもそもパンク嫌いだし。ピストルズはある種のユーモア音楽としてよく出来てると思うけど、「反逆の」とか言い出す周辺には困っちゃう。それこそ、Destroyだぜ。

 

なんとなれば、ワタクシどもプログラマーイデア論が大好きで(※)、どこかにあるイデアの射影としての世界に住んでいるのだと、割合に真剣に信じている。ここを出発点として、音楽の再生も所詮イデアの射影じゃないの、という気分になっていた。プログラマー的な主張を煮詰めれば「再生音がローファイだとしても、イデアは変わんないのだから、ガタガタ言っては格好悪いのだぜ? と主張せねばならないのだ」と思っていたのだね。ああ、若かったなあ。バカであったなあ。

※異論は認める。ただし世界が射影だと思わない奴がいたら、そいつは只の「IT技術者」なのだと思うことにしているけど。

 

ちなみに譜面というイデアがはっきりとあるクラシック系の場合、面白いことに二派に分かれるようで、判ればいいというローファイ派(ミニコンポ派)と、ソース(演奏)を忠実に聴いてこそ音楽だというHi-Fi派の両方がいるそうだ。芸大出のお友達に聞いた話。

 

さて、Hi-Fi(指向)に還ってくるのは、2010年にiBasso Audio D12 HjというポータブルDACを買ったのがきっかけだ。iPodの容量が足りなくなって、仕事中に聴く音楽(※)をPCに蓄えるようになり、さすがにPCのヘッドフォン出力ではなあと手頃なUSBDACを買ったのが運の尽きだった。あまりにもiPodと再生音質が違い過ぎたのだ。

※弊社は仕事中のヘッドフォンがOKで、聴きたいモノを聴きたいように聴きながら仕事をすることが許されている。というか、誰かに許されなければならないとは、誰も思っていないというのが正しいかも。

 

同じイデア(ソース)から鳴る音なのに、どうしてこんなに違うのだろう?

 

当たり前だよね、違うにきまってるじゃない。ハードウェアリソースの制限も、設計方針も違うんだから再生音も違うよね。理屈ではその通り。でも、それが判らないくらいの根深い「教条主義」にとらわれていたんだね。目のうろこは落ちてみないと判らない。自己解体を継続的に繰り返しているつもりだったけど、まだこんな「開かずの間」があったなんて。

世界が写像に過ぎない事と、より良い音で鳴らすことによってイデア(ソース)に迫る事の徒労性(※)は、似ているようで全然違う。後者は徒労であるにせよ、その過程でワタシには官能がもたらされる。それこそが生きるということではないか(大げさな...)、エウレカ

※オーディオの徒労性は依然として認めていることに注意。

 

 

判ってしまえば一瀉千里。そうして機器類のアップグレード地獄が始まった。満足して、アラが見えて、不満になって、アップグレードを計画して...。まあ、確かに生きるということそのものだね、このループ。

septiembreokbj.hatenablog.comに記した

5.スピーカーのエンクロージャーに穴をあけてミッドレンジユニットを追加

も、そのループの一環だ。

 

そして今年の夏、ついに悟りが訪れた。

Q.シヌまでこんなの続けるの?いくら暇つぶしだからって、もうちょっと気の利いた時間とお金の使い方があるんじゃないの?特に、お金。

A.
そうですね、ワタシのしたかったことは「より良い音で鳴らすことによってイデア(ソース)に迫る」のであって、そこまでの道のりを楽しむことではないですよね。

 

そして、マキシマムのセットを買ってしまえば、「より良い」の追求は終わるのだということが突如了解されたのであった。

 

ではマキシマムのセットとは何か?家を建て直すのでなければ、現状の当家が制約となる。当家における範囲でのマキシマムと解すればよいのだ。そしてマキシマムに対する制約はもう一つある。ワタシの年齢である。

マキシマムが通時的に不変な性質だとすると(この5年におけるマキシマム、など時間的な区切りがないものとすると)、70歳を過ぎて一人でセッティング変更ができるようなサイズ、重さでなければならない。

確かにオーディオは青天井だけど、自分の、という限定子が付けば着地点があるのだね。ある意味先行きが見えたという事でもあるけど、妄執にとらわれずに済むとポジティブに受け止めることもできる。事実、今回のワタシはその立場をとって、「自分にとってのマキシマム」を選ぶことにしたのだった。

 

相変わらず、長いね。でも、あと少し。

 

そこまで来たとき、シヌまでに一度はブルーバッフルのJBLを部屋に置いてみたいと、子供心に思ったのが甦ってきた。特徴的なブルーバッフルのデザイン(※)、2ch(今は5chか)のピュアオーディオ板では「青タンス」と呼ばれ、団塊しか買わないと馬鹿にされているのは知っていたが、あちこちのレビューを眺めてみると、最近では見た目JBL、音はモダーンというモデルもあるらしい。

※なんとこのブルーバッフル、当時JBLの代理店だった山水の企画によるグラフィックデザインらしい。アメリカが、カリフォルニアが、と当時の雑誌で喧伝されていたが、何のことはない、日本発だったのだ。

 

ということで、秋葉のヨドバシに出かけ、ブルーバッフルの外観を持つ4307、4312SE、4429と、本機4319を聞き比べてみた。それが7月のことだ。結果は以下の如し。

  • 4307 : デザイン的にはJBLだけど、音はおもちゃ。見た目だけで満足な人向け。
  • 4312SE : デザイン的にはJBLだけど、音も同様に古くさい。特定のジャンルとの相性は良いのかも知れないが、音楽をオールラウンドに聴く人には難しい。ギターのカッティングなどもスピード感が無い。
  • 4429 : デザイン的にはこれが一番JBLで(ミッドレンジがホーンだし)、音も悪くない。4319とちょっと迷ったが、色付けがうるさいのと、スピードで4319に軍配があがった。あと、これの重量は、長生きしたときに問題を引き起こす。何しろ一人でやらなきゃならんのだ。
  • 4319 : デザイン的にはおおよそJBL(ミッドレンジがマグネシウムなのが見た目に幾分の違和感をもたらす)、音はモダーン。スピード、抜けが全域に渡って良好。ボーカルが幾分上品過ぎるきらいはあるが、ねっとりとしたボーカルで脳内をかき回されるのは好きでは無いので、これで良いことにする。重さも一個18Kg、寝たきりになってなきゃ何とかなる筈だ。

 

そうして4319と決め、それでも一ヶ月以上逡巡したのちに注文、ようやく家に届いたのが8月の終わりだ。

買って良かった。心底そう思う。

昔から知っている積もりのソースに次々と新しい発見が出てくる。作曲者やパフォーマーの意図だと思っていたことがひっくり返されるのも再三だ。Zeppelinの2010年代リマスターの意義も、ようやく判った。これからは4319をリファレンスにして音楽に向かい合っていくのだ。

そして、子供のころに思った欲からも、最近のオーディオ地獄という執着からも、これで解放され、「老後」に専念できる準備がまた一つ整ったのも目出度い。欲や執着の整理をしていかないとね。透明になっていくんだ、オレ。

 

 

 

 

 

と言いつつ、アンプとかDACは、もうワントライあるんじゃないかなあと思っている事も、そっと残しておこう。度し難し。