all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

12/19 ライブ二様;その2 King Crimson@本多の森ホール(旧石川厚生年金会館) 12/7

最近ためていた記録の整理の一環。11月、12月に行ったライブ二つのことを記す。

2つ目は12/7に本多の森ホール(旧石川厚生年金会館) であったKing Crimsonのライブ。

 

すでに多くの方がネット上でアレコレ書かれており資料的な事はいいだろうと、いつもどおり私的な記憶をぐだぐだと書き連ねていく。

 

 今回の座席はC列つまり前から三列目の、中央やや左よりのところ。前景に三人のドラムを配している最近のKing Crimsonだと、目の前にパット・マステロットがくることになる。

この素晴らしい席が取れたのは初動が早かったからで、それは今年の4/5まで遡る。東京帰りの新幹線の車中、特別先行予約の情報が回ってきたのだけどどうするね、というSMSを受け取ったワタクシは、料金いくらでもいいから何しろSS席を押さえて、とのお願いを数秒後には返しておりました。

もしポール・マカートニーさんのような値段だったらやだな、という恐れが脳裏をちらっとかすめたのだけど、すぐに返信が来て2万だと判明。何の問題も無い。むしろ安い位じゃないか。

 

ビッグネームのライブは一期一会。チケット代は賃香の前渡しだと思って気前よく払ってやんな」というのが2015年にDavid Bowieを送ってからの基本スタンスだ。2003年のRealityツアーを見送ったのを後悔しているうちに2015年の永別となってしまったが、あのとき逡巡した自分は未だに許せていない(特に、ライブDVDが発売され、そのクオリティの高さを見てしまったあとでは)。ましてや、同じ過ちを繰り返すなど。

そういう側に立ってしまえば、自宅から歩いて行けるところでライブが見られるというのは、交通費、宿泊費のエクストラがかからないということであって、そもそもマイナス3万円スタートなのだ。

 

2万円のチケット代?1万儲かったぜ、ということなのだね。

...いや、それはあまりにもバカが過ぎるとは思うよ。しかし金沢(というか巨大ではない地方都市)に住むというのはそういうことでもあるのだ。

 

 

そして10月の初旬。

関わりを持っている事業部の、とあるプロジェクトが不穏な進捗を示していることが明らかになる。エンドは11月末となっているのだけど、過去の経験からするとその日に終わる気がしない。さて、そのプロジェクトからスケジュール延長が申請されたとしよう。

それってKing Crimsonのライブ直撃コースでは?

 

過去、何度も仕事の割り込みでライブの邪魔をされ、怨が相当にたまっているワタクシの妖気アンテナは鋭敏だ。2008年(だよね?)のKeith Emmersonのライブ@CCレモンホールを客先と社内の担当のタッグに邪魔されたのは未だに怨み骨髄だし(その前のときの新宿厚生年金のはギリ見られたけど)。The Colllectorsのライブをやられた事もあった。そういやCarnationでも一回あったナ。アレ、Moonridersの20th@日比谷野音ってどうして行けなかったんだっけ? 等々。もし今回足を引っ張る奴がいたら、過去の一切合切までまとめて噴出しそうだ。

多分、それは誰も幸せにならない。何となれば、そいつは会社を辞めることになり、おそらくワタシも辞めるからだ。
方やプロジェクトの遅延に関する責任を、限界の向こう側まで詰められた結果として。方やプロジェクトの遅延に関する責任を、限界の向こう側まで詰めた結果として(何にもかもバカらしくなって)。

 

ま、そうなったらそうなっちゃうのだけど(※)、あまりにも不幸だよね。

※戦争は自動的に起きるのだ、ってのは『決定の本質』にもあったね

 

ということで、全面介入してでもライブへの直撃を回避することにする。

最初はPM的な部分の指導から始まり、だんだんとテクニカルな指導へと拡大し、そのうちに基本設計のアウトラインを決め、最後には最前線で構築を行って...。ベトナムにおけるアメリカの泥沼のことを馬鹿にできないな。ベトナムへの関与の度合いが深まっていくとき、ホワイトハウスでは同じようにげんなりしてたんだろうね。

 

septiembreokbj.hatenablog.comであるとか、

 

septiembreokbj.hatenablog.com

における「戒厳令」とか等は、この一連の軍事的エスカレーションを述べたものです。

 

 

とまあ、最悪の可能性を回避するという一点のために、本来なら横目で見ていれば良いプロジェクトに自ら介入し、いつものごとく over kill による carthaginian peace の実現を行い、当日は爽やかにライブに行くことを得たのでした。

ちなみにやはりというか何というか、当初完了予定日ではあまりにもリスクがあると判断、一週間の延長申請を(自ら)したのでした。危ういところでしたよ、ええ。地球消滅0002くらい。

 

 

 

そのようにして迎えた当日。

なんという事でしょう。本多の森ホールの客の入りは約半分。

「コンナ入リジャヤッテラレネーゼ!」的な演奏だったらどうしようと、チケットを取ってくれた友人共々ちょっとだけ動揺する。いや、そんな事は無いはずなんですケドネ...。

 

と思っているうちに「撮影や録音をしたらライブやめる、発覚した時点で即やめる。覚えとけよな?」という趣旨の場内アナウンスが流れ(いや、言い方はもっと丁寧でしたがね)、場内が暗くなり、そしてメンバー登場。

(以下、曲名は日本語表記で行きます。そういう気分なのです)

 

太陽と戦慄パート1から始まった第一部、途中20分の休憩を挟んでの第二部、そしてアンコールのスターレスまで、一切の手抜きなし。疑ってごめんなさい。

 

いや、信じてはいたんだけど、ほら、人間じゃん?いやになる事だってあるじゃん?心配になることだってあるじゃん?

 

ステージ前列に配された三人ドラムの向かって左、パット・マステロットのほぼ目の前の席は、ドラムの音がPA経由ではなくて直接聞こえるすごい場所だ。そのおかげか、ライブ映像では今ひとつ判らなかった三人ドラムの必然性が、とてもよく判った。役割分担が明確に分かれている、そしてどれもが曲のために必要だ。なるほど、こんな事を考えていたのか。

ムーンチャイルドのスタジオ盤では、シンバルを左右(のスピーカー)で鳴らすというtheステレオ的な、空間演出のパートがあるのだが、それを今回は三人ドラムの左右で交互にたたいていて、ここはわらった。なるほど。もちろんそのための三人ドラムじゃないんだけど、三人ドラムはステレオ効果エミュレーションも出来るのか。

その三人ドラムが最大限に発揮されたのがインディシプリンだった。三人のインタープレイがどこまでも続くなか、ギターが割って入ってくるあの解放の瞬間を渇望する自分と、もっとドラムだけを聴いていたいという自分、相反するものに分割されていく感じ。知りうる限りで過去最高の演奏だった。これが聴けただけでもう元が取れたと思う、この二ヶ月の泥沼的戦争指導の。

 

 

等々、などなど、他にも色々と書くべきことがあるのだけど、それを全て書き綴っていると一万字あってに足りないので、結論的所感を記して、この雑記をクローズすることにする。

 

はじめてクリムゾンを当たり前のバンドだと思った

別に特殊バンドと思ったこともないのだけど、でもコンセプト主導型のバンドだよなあと思ってはいた。大体フリップが毎度怪しげな事を言うしね。

(でもこれは良いな、ロバート・フリップ、「キング・クリムゾンの掟」を語る | Rocqt

 

でも今回のライブではそんな事は一切感じなかった。

良い曲を、良い演奏でやる、良いバンド。ただひたすらにソレだった。ようするに音楽にフォーカスしきった、当たり前の、でもスゴく良いバンドだったのだ。そんなクリムゾンがあり得るということを、長らくのファンで有りながら、ようやく理解したのだった。またそういう理解に導いてくれるライブだったのだ。

 

ありがとうクリムゾン。

また日本に来てくれよ(金沢は...まあアカンやろね)。絶対行くよ。

 

 

追記

ライブの最後に写真撮影が解禁になる。

周り中、スマホを取り出しステージの上を移しているのだが、しかし。

そのときステージの上では、トニー・レビンと、ロバート・フリップが客席にカメラを向けているのだった。

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ