all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

12/21 世界は素子で回っている

もちろん「もとこ」じゃない。

 

 

ここ二年、11月になると金沢のしいのき迎賓館にはTechnicsのハイエンドオーディオセットが持ち込まれ、プログレのアナログディスクを音源とした鑑賞会が開かれている。鑑賞会?まあ、そういう感じ。

石川県政記念 しいのき迎賓館 - ようこそ、おもてなしの空間へ。-

(2018年のイベント情報はWEB上にないみたい。なぜに?)


ここで驚くべきは、ハイエンドオーディオセットにもかかわらずパワーアンプがフルデジタル、つまりデジタル信号を入力して、PWMの最終出力段でアナログ化するという構成を取っているということ。そしてハイエンドと名乗るにふさわしい音を出していること(もちろん人によって好みはありますが)。
え、アナログディスクが音源なのに、パワーアンプはデジタル入力なの? と気がついた人は鋭い。ターンテーブルから出た信号は、フォノアンプでAD変換をされた上でコントロールアンプにデジタルで送られているのだ!*1

アナログ信者が憤死する構成だね。でもアンプまでトータルに考えるなら、これはアリのシステム設計だ。そして、その設計が当たりである証拠に、眼前のオーディオセットは素晴らしい音を奏でている。
なるほど、最近のデジタルアンプというのは本当にすごいのだなあ、最終出力段までフルデジタルの、DAC不要の世界が来たのだなあ。


という素朴な感想を持っていた、四日前までは。

 

 

 

見方が変わったのは、月曜の朝に届いたtech系ニュースサイトの記事サマリー紹介メールのせいだ。そこにはこんな見出しがあった。

 

┏━ EDN Japan 今週のオススメ記事 ━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥…………

【2016年12月公開記事プレイバック】

●窒化ガリウム、D級オーディオの音質と効率を向上
https://re.itmedia.jp/3Oi57HPR

 

二年前の記事の紹介なのだけど、Technicsのハイエンドオーディオセットにショックを受けていたワタシには引っかかるものがある。そこで、その記事に目を通してみると...。

ednjapan.com

以下、記事から引用。

シリコン(Si)によるMOSFET(以下、Si-MOSFET)は過去25年間にわたり、D級システム向けスイッチング・トランジスタとして選択されてきました。ただし、効率の高いアンプは作れますが、不完全なスイッチング、高いオン抵抗(内部抵抗)、非常に大きな蓄積電荷による歪みに悩まされてきました(図1参照)。

...中略...

 

もし非常に正確なスイッチング特性を備えたトランジスタ技術があったとすれば、PWM変調器から再生する小さなオーディオ信号の電力をほぼ完全に再生でき、フィードバック量を大きくする必要性を小さくする(または、完全になくす)ことができるはずです。

...中略...

 

こうしたD級システムに適した理想的なスイッチング・トランジスタが、窒化ガリウム(GaN)を用いたトランジスタであり現在、実用化が進みつつあるのです。

...中略...

 

しかも、この特性は、ヒートシンク(冷却器)なしで得られ、eGaNベースのアンプは、多くの既存システムの標準的なアンプの実装に直接接続することができます。

...中略...

 

他にもパナソニックが、2015年に、ハイエンドのオーディオマニア向けブランドのテクニクスで、eGaN技術を用いたアンプを製品化しました。

...中略...

 

高いPWMスイッチング周波数、低減したフィードバック量、より広帯域化が可能なeGaN FETベースのHD Audioシステムは、オーディオマニアが要求する暖かさや音質を満足するサウンド――、つまり、最高のリニアAB級システムでさえ達成したことのない地点に到達することができる素晴らしいオーディオ体験を生み出すことができます。

 

ああ、そうだったんだ。Technicsのアレは、古典的なオーディオ道の常套手段である物量投入の結果じゃなくて、新しいデバイスがもたらしたイノベーションの成果の一つだったんだ。
ただしTechnicsは「ハイエンドオーディオ」として成立させるために、そのGaN素子に投入するDC電流の精度を上げるための巨大な電源部を組み込んでいる。こういう物量による演出なかりせば、158万円也のプライシングは難しいだろうしね。

(その158万円の偉容はこちら)

jp.technics.com

そのページの冒頭の惹句を引用してみよう。

デジタル音声信号の理想的な伝送、増幅を追求した革新的パワーアンプ
独自のデジタル信号伝送インターフェースTechnics Digital Linkによって、
音声信号をスピーカー直前までフルデジタルで伝送・処理するとともに、
実際の音量調整をパワーアンプ側で行い、歪み・ノイズ・ジッターを徹底して排除。
さらに、GaN-FET Driverの採用による高速でロスの少ないスイッチング
スピーカー負荷適応処理LAPC(Load Adaptive Phase Calibration)により、
正確かつ、強力で超低ノイズの電力増幅を実現しました。

投入物量や新機軸(脚注でも触れた音量情報を別途送るプロプライエタリのデータフォーマット)が並ぶ中、そーっとGaN-FETという文字が入っているのが判る。

ここがイノベーティブなのだ*2

 

総額600万のTechnicsのシステム等はワタシの実生活にはあんまり交差しないけど、低消費電力、低発熱の高品質デジタルアンプが手に入るとなると、その応用範囲は広大だ。家庭も、車も、さまざまなポータブル機器も、およそ音響増幅があるところは、おそらくGaN素子によるデジタルアンプにおきかえらえる事になる。
もともとPWMによるD級アンプ(デジタルアンプ)は、理論的には筋がよい話だったのだ。それがいまだに全世界を征服していないのは、スイッチング素子の物理特性がその理想に応えられなかったからだ。

ワタシの常識はそのあたりで止まってたんだけど、GaN素子の登場でその構図が崩れていたのだね。うむむ、情報収集の感度が下がっているのかしら。とまれ二年前のニュースは、重要な情報を伝えてくれたのだった。

 

というだけでは、世界が劇的に変わる話にはならない。

この話には続きがある。今週の火曜の夜に友人と会食したとき、「デジタルアンプにイノベーションあったみたい。GaNアツイ」と伝えたところ、ワレもGaNに注目しておるという反応があった。さすが友人話が早いというか、現在はソフトウェアエンジニアであるのだけど、大学のタイトルはEEだったし、チップ屋さんに勤めてたこともあるしで、彼の方が土地勘がある話なのだな。

 

彼の話では、今ACアダプターがアツイのだそうだ。

www.amazon.co.jp

 彼はこれのニューズリリースをみて興奮したそうで、たしかにすごいスペック。GaNを使うことで、DC-DC変換部の効率が上がるということだね*3

 

電圧の変換効率が良くなるということは、世界中で無駄に発生している変換損としての熱が減少するということで、つまり世界が変わる話だ。そういう事を引き起こす素子の進化が進んでいるというのをまーったくフォローしそこねていたのは何ということだろう。

 

思想とか、物語とか、民族意識とか、歴史観とか、ソフトウェアとか、プロダクトとか、そのようなもので世界が回っている訳じゃないんだよね。 

そういう上部構造というのは、その下部構造に制約される。私たちがどのように立派なことを考えようとしても、インターネットを支えるコンピューターや、通信や、電力が供給されなければ、今の私たちはその活動を続けることができない。逆に、昔の知的活動がああいう形だったのは、結局それを支える下部構造による制約の結果なのだと思う。その下部構造であまねく使われている素子にイノベーションが起きれば、やはり世界は変わるのですよね*4

「世界は素子で回っている」のです。

 

バイスの動向を正しく見ずして世界線を占おうというのは、ソフトウェアエンジニアの奢りですなあ。おハズカシイ。これからは旧に倍してデバイス周りのウオッチを(も)進めて参りますとも。

 

言いたいことは大体終了。

 

反省も込めて真面目にGaNの状況を調べてみたので、そこで見つけた記事を最後に挙げておきます。

第2回:GaNの商用化が加速、SiCはやや足踏み (1/4) | 連載02 省エネを創り出すパワー半導体 | Telescope Magazine

第3回:始まる今後のロードマップ (3/4) | 連載02 省エネを創り出すパワー半導体 | Telescope Magazine

(引用)

じっくり立ち上がる

以上のような応用が定着すれば、GaNによる電源アダプタはパワー半導体の新たな市場を切り開くことになる。ただし、工業用半導体は時間のかかる市場であり、急速な市場の立ち上がりはありえない。

GaNを使ってスマホやパソコンの電源アダプタがプラグ程度の大きさになると、2-in-1タブレットやノートパソコンの持ち運びがもっと容易になる。しかも急速充電が可能となれば、大市場に成長する可能性がある。

しかしながらGaNプロセスを担当するTSMC社のようなファウンドリ企業は、GaN製造プロセスの開発が簡単ではないことを知っているだろう。このため、2017年に量産開始という目標を立てているものの、実際のラインの立ち上がりまでに一般には1年程度はかかる。GaNの製造が本格的に立ち上がるのは、2018年ごろ。トヨタがSiCをEVに搭載すると明言している2020年以降は、市場も拡大していくという予測もできそうだ。

 

2018年現在、ちょうどその立ち上がりを見ているところなのかな。

新しいパワートランジスタがどこまで世界を変えていくのか、とても楽しみです。

 

世界の行く末に少しは希望が持てるかも、そういう明るいネタとの久々の遭遇であったことですよ。

 

 

追記

とはいえ、ちょっとは昏いはなしも書いておこうかね。

eetimes.jp2013年の記事です。

(引用)

富士通とその子会社富士通セミコンダクター(FSL)は2013年11月28日、Transphorm(トランスフォーム)と窒化ガリウム(GaN)パワーデバイス事業を統合すると発表した。

...中略...

 

FSLのGaNパワーデバイス事業は2009年から事業化を目指し技術開発を進め、2011年からサンプル品の出荷を開始。ただ、量産には至っていなかった。GaNデバイスの製造は、FSLの会津若松工場6インチウエハーラインで実施しているが、同製造ラインは事業統合の対象に含まれず、今後もFSLが、新会社から製造受託する形で生産、運営する。

...中略...

 

富士通は、FSLの半導体事業の整理、再編を実施しており、スパンションにマイコン/アナログ半導体部門を売却(関連記事:Spansion、富士通のマイコン/アナログ事業買収を完了)した他、システムLSI部門は2014年春にもパナソニックのシステムLSI部門と事業統合する計画(関連記事:富士通、パナソニックとのLSI事業統合交渉「順調に進んでいる」)。FSLとしての事業はGaNパワーデバイス部門の切り離しにより、2014年春以降、不揮発性メモリ「FRAM」に関する事業と会津若松工場の運営のみを残すだけとなる見込みだ。

 

 

さて、FRAMとGaN、どっちの方が技術的に筋の良い、そして世界に対するインパクトの大きな素子だったのでしょうか。

富士通は昏い判断をしたのでは、という気がします。もちろん、量産に成功し、世界中にイノベーションを巻き起こす可能性を否定するものではないし、そうなったら面白いなとも思うのですが、でも今のところは裏目の判断だったとしか言いようがない状態です。

うーむ、こういうのはMoTの領域ですかね。誰か事例分析してくれるといいな。

*1:コントロールアンプがデジタルIN・デジタルOUT、パワーアンプもデジタルIN、とすると気になってこないだろうか。

そう、音量制御をどうするのかということだ。いままでのコントロールアンプの考え方だとボリュームに応じて電圧が変わる。でもデジタル信号の場合はそうはいかない。S/N比がボリュームに応じて下がるというのはあり得ないよね。小さな音の時には解像度が下がって、大きくするときれいに聞こえるだなんて。

というわけで、Technicsはこのアンプ間の転送フォーマットをデータ+音量情報の独自規格にしてしまった。相互接続性を取るか、音を取るか。相互接続性を捨ててでも音を取るのはハイエンドらしいと見ることもできるけど、どちらかというとパナの文化を感じる。このフォーマットをISO化するとかすれば、新しい概念のパワードスピーカーとかができそうだ。さて、そういうのをみんなで盛り上げていこうとパナが考えているかというと...。

歴史を見る限り昏いね。

と、ここまで書いてて気がついた。アナログ信号であっても小音量の場合は結局S/N比が下がってる訳じゃん(デジタルの場合の有効桁数減少という強烈なペナルティーが無いから見えにくいだけで)。

Play Loudは正しいということなのだなあ。

 

*2:Technics Digital Linkがもう一つのイノベーションになるかどうかは、彼らが仕様をオープンにするかどうかに掛かっている。さて、パナマインドは払拭できるのか?

 

*3:AC-DC変換直後は高圧DCなので、それを降圧するためにDC-DC変換を行う。そのときにPWMをするのだけど、そこがGaNの出番ということになる。

ロームが公開している情報サイトにその当たりの考え方がコンパクトにまとめられているので載せておこう。

micro.rohm.com

 

*4:なお、これは「モノヅクリ」云々のバカ言説とは一線を引いた話であることは強調しておきたく。

何となればモノヅクリとはプロダクトレベルの話であって、上部構造での事だからです。