おおよそ三十年も昔のことだ。
おごってくれるというお大尽がいらしたので、いそいそ築地の寿司屋にお供したことがある。
まずは切ってもらって冷酒を飲んで、いい加減酔いも回ってきたので握りを頼んだ。さて出てきた寿司をみてみれば、ここまでスゴいのはお目に掛かったことはないという花魁クラスのお女郎寿司だった。三貫から四貫分の縦長のネタに、十粒(は言い過ぎだけど、そのくらいにも見える小ささ)のシャリ。
そもそも握り寿司はネタとシャリのバランスあってのもので、だからネタがシャリを覆い隠すようなお女郎寿司*1ってのは品がない訳なんだけど、そのときのは品の善し悪しのレベルを軽く振りきっていた。
鮮度の良くないネタ、乾いたシャリ、いろんな寿司を食べたものだけど、でもオールタイムでワーストの寿司を挙げろと言われたら、その時の寿司だな。珍しい寿司だぜ、ということでお誘いいただいたお大尽には申し訳ないけど、あれはなかった。いや、たしかに珍しいのは間違いないんだけどね。そしてネタは悪くなかったんだけどね。
さて、そこからおおよそ三十年。その寿司屋*2はまだ健在だが、しかし、あの強烈なお女郎寿司はもう出していないようだ。どこで判ったかといえば、もちろんネットだ。ネットというのはすごいものだね。生きてるあいだは、生きてることの証明として、みんな情報をあげ続けるのだ*3。
わざわざ探したのは、あのすごいお女郎寿司を今食べてみたらどんな気持ちになるのだろうとふと思いついたからで、その結果として幻の味になっている事を知ったのだった。
店に行って、昔のあの握りはできるかい、と聞いてみる手も無いわけじゃ無いが、ご本人たちも隠したがってる過去だという可能性が大である。それもなんだかなあ。
かくしてまた一つ、虚実定かならぬ(確かめようもない)思い出が増えていくのである。なに、老人の暮らしというのはそのようなものナリ。