all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

9/23 北極

と言っても1958年8月3日に世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が潜行通過した場所のことではない。金沢は石引にある老舗の洋食屋のことだ。

 

大学がお城の中にあったころ、石引は食べ物屋だらけで、しかも深夜まで飲み食いができた。街におなかをすかせた若人がうろうろしていたからだ。そのうちに怪しい力が働いて*1、大学は熊がでるようなところに引っ越してしまい、街から若人が消えてしまった*2。そして石引の凋落が始まった。

立て替えなったばかりの新店舗をわずか2,3年で捨てて森の里に引っ越してしまった第七餃子のようなクレバーな店はほとんど無く*3、学生相手の商売は来るはずのない春を待つうちに力を使い果たしてみんな消えていった。昔日を知るものにとって、今の石引は廃墟に等しい。

 

そんな通りにあって今なお商売を続けているのは、結局のところそもそも学生を相手にしていなかった店ばかりだ*4。その中の一つに北極がある。

いや、もはや有ったというべきなのかも知れない。

 

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北極店内の張り紙

このまえの土曜、昼食を取るために家人と一緒に訪れてみれば、入り口に上掲の挨拶が貼られていた。

 

数年前にご主人の体の調子が悪そうな時がありに、もしかしたらもう食べられないかと覚悟した事があった。幸いにも復調されて、いつも通りの味が楽しめるようになったときには、家人と共に大いに安心したものだ。ものに終わりはあるにせよ、まだ大丈夫だ、まだ行けるね、と。まさか駐車場が原因で商売が続けられなくなるなんて思いもしなかった。

もちろん駐車場がなくなれば立ち寄れる人が限界を割り込んでしまうという算盤はわかる。アタシがまさかと思ったのは、15台も停めれば一杯の駐車場をマンションだかなんだかに仕立て直そうと思った地権者のバカさ加減だ。周りをまとめて地上げでもしないとまともなマンションなんか建ちゃしないよ。それとも半チクなマンションだかアパートだかに住みたがる手合いを引きつける力が石引にまだ残ってると思うのかね。そんな見切りにアタシの北極が巻き込まれてしまうのかね。

 

 

北極ではハンバーグと魚フライがメインのBランチが定番の注文なのだけれども、センチメンタルな気分になって銀串とエビのフリッターがメインのAランチを頼んだ。銀串を出す店も、金沢じゃここだけになってしまっていた。そうか、銀串はもう金沢から消えるのか*5

食べている途中に女将さん(というか、正確には女将さんとマダムの中間の感じ。何とお呼びすればよいのか判んないので、ここでは女将さんと記しておく)がテーブルまで挨拶に来てくださった。掛ける言葉も見つからず、残念という気持ちと、10月からのテイクアウト用のメニューをいただきたい事だけをお伝えした。しかし、そのときの女将さんの表情にまだ力があった事は書き残しておかなければならない。まだだ、まだ終わらんよ、という力を感じたのだ*6

 

ともあれ、それでも節目に立ち会えたことはまだしもだった。その日のアタシはそういう気持ちであった事を記し、女将さんの表情に、大変な事に立ち向かう力を感じた事を残すモノ也。

 

 

追記

と、いくらか明るく締めくくろうと思ったら、追い打ちが。

賢坂辻の老舗、おでん&寿司の『まるよし』が本格的に閉めた模様。ショーウィンドウから店の名前が消えたのだ。ああ、ここも閉まっちまうのか。これで材木町のチューが無くなっちゃったら、ホントに真空地帯だ。

いや、まだ石引の『春甚』『うどん割烹 どんすき』と、賢坂辻の『すし捨て』があるな。何とか頼みますよ。ちょっとメシでもというところが近所から消えちゃうのは本当に、本当に困るのだ。

*1:文教族の元締めの某が、という話は当時の市民の常識でしたね。

*2:美大生は相変わらずいるものの、彼らの購買力はそもそも質、量共に極めて限定的だった

*3:あのときの見切りと、支店を作らないというポリシーには未だに敬服しております。なんだかんだ言って、第七は商売に見識があるなあと。

*4:キッチン杉の実はどうなのだと言われそうだが、実はあそこを支えているのは大学病院なのではと睨んでいる

*5:大阪洋食の流れもここまでかと思ったら泣けてきた。うそ。

*6:そうあって欲しいというコチラの欲かも知れないけれども、だとしても、そうあって欲しいのだから仕方がない。