all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

4/12 永遠と

とある事をどうにも許せない自分に最近気がついた。

 

『延々と』と書きたいつもりで『永遠と』と書いている文章がどうにも我慢ならないのだ。どんなに立派な事が書かれていても、永遠とが出てきた時点でもう全部だめ。ゴミにしか見えなくなる。

 

誤用、俗読みがいつの間にか定着してしまうことがあるのは言語の常だが、こればっかりは許せない。どうしてだろうと考えてみると、文法的にアカンのが引っかかっているのだと気がついた。

『延々と』は副詞だけど、永遠は名詞・形容動詞ナリ活用なので『永遠+と』はあり得ない。そして、それが感覚的にでも気持ち悪くないというのがどうにもキモチワルイのだ。本当に気持ち悪くないのだろうか?それとも『永遠と』と書いてる人は、永遠に対して『エンエン』の音を当ててるのだろうか?

 

何にせよよくわからない。

 

もしかして突如気にならなくなる日が来るのかもしれないが、そうすると今度は何が許せなかったのかが判らなくなるに違いない。よってここにメモを残すものである。

 

 

追記

ということを他の人がどう思っているかをネットで調べてみたところ、変わっていくのは当たり前だから気にならない派と、文法としてあり得ない組み合わせへの違和感は許せない派に分かれていることが判明。

前者の急先鋒は『雰囲気』が『ふいんき』と読まれるのもすでにOKと言い出しており、『なぜか変換できない』という有名なフレーズを葬り去らんとする勢いにめまいがしたものの、音や字の順番違いが定着するというのは実は日本語の歴史のなかでは間々ある事であって、その最も有名な例が秋葉原。これらの順番違いが通ってしまう理由は、おそらく単語に閉じている(他のルールまで浸食しない)ということによる。異なった意味が通ってしまう・定着してしまうというのも同じで、品詞の別までは侵していないのだ。

そう考えると『永遠と』の不気味さが際だってくる。音、意味、文法の三つのレベル全てでviolationをする誤用というのはちょっと例がないのではないか。

もしコレが残るようなら、日本語は大転換期を向かえているという事になるのかも知れない。

...いやしかし、だがしかし。