all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

8/14 コトラーのマーケティングコンセプト(再読)

まとまった夏期休暇。読書とやり残しの仕事の片付けを半々で過ごす。

本日はそのやり残しの処理の一つ、ある計画に対するコメントの作成を。書き終えてメールしたあとに、そういえばと思って本棚から引っ張り出したのがこれ。

 

 

今回書いたコメントにかかる領域のところを読み直したら、まさに同じ視点のことが書かれていた。うむむと思い、ストーリーがない本向けの方法*1で再読をする。

 

読後の感想は、昔読んだ時の「ふーん、なるほど」ではなくて、「まさに!」。

 

 この本は、出てすぐのときに本屋で平積みになっているのを買ったように思う。浜松町の文教堂だったんじゃないかな。

当時は自社で開発・販売しているパッケージの部門に所属していたのだけど、そこのビジネス推進体制に大いに異議があり、これでは話にならぬ、ならば袂を分かつまでよと別部門に飛び出た頃だ。それで、手持ちにない、違った考え方をある程度の塊で仕入れるためにこの本を買った、筈だ。アーキテクトとしてのキャリアを諦めて(あんなのがビジネス推進をしてるんじゃ、安心してアーキテクチャの美しさを追求してられないぜ)、マネジメント方向に軸足を移そうとする中で、押さえの知識として興味をそそられたのだと思う。

 

当時の印象は「ふーん、なるほど」であると同時に、「えらく幅が広いなあ」だった。たとえば、どうしてリーディングなの?、とか。その違和感は追求されることなく、そのまま本棚を飾る一冊になった。

 

そこから17年。いろいろと知識を仕入れつづけながら、様々な修羅場に巻き込まれ、気がついたら事業推進について も 責任を持つようになっていた。うむむ、場合によっては17年前の自分(のような人)からの批判を受けそうなポジションであり、実際に批判を受けるかどうかは今後のお楽しみなのだけど、おそらくそうはならない気がしている。

一番大きいのは、Howを押しつけたりするのではなく(しかも慣習以外の理由の提示なく...)、何について考えるべきか、そしてそれは何故なのかを語れるからだ。と同時に、合意されたWhyとWhatの範囲を前提にするなら、Howはみなさんの得意な方法でどうぞと、権限委譲しているからだ。要するに練功功夫が練れてきたのだろうと思っている、まあ自画自賛だが。

 

コトラーマーケティングコンセプト」を17年ぶりに読んだ感想が「まさに!」だったのも、功夫が足りてきたからだろう。

17年前は、マーケはモノやコトを売るための技法の集まりだと勘違いしていた。今は、(モノやコトを介した)価値がお金と交換されていく状況を時間的、空間的な広がりを持ってモデリングする思想(の一種)がマーケティングだと捉えている。どこまでモデリングするかという広がりは、どの高さから価値とお金の交換を見つめているか次第で、だからこそマーケティングは製品開発にも、販売にも、実施する組織にも、そして最後には事業そのものにもつながっていく。なんとなれば、すべての事業は顧客*2に価値を提供し、その対価で前に進む(無限を志向する)運動体だからだ。

「まさに!」という気持ちはマーケティングに詳しくなったからではなくて、様々な角度・立ち位置から事業の推進に関わってきて(練功してきて)、事業を進めるにはどの範囲でものごとを考えなければならないかを人に伝える側になったこと、そしてその時の視座としてマーケティングが極めて有効だとすでに自身で納得していた事による。だから、そうなんだよ、オレもそう思ってたんだよ、という感想になったのだ。

 

とはいえ、それって17年前に真剣に勉強していれば(違和感を追求していれば)、回り道をせずに済んだのではないかという気もする。気もするのだが、それじゃだめなんだとも思う。経験を通じて時間をかけて「判っていく」ことが本質的に重要なのではないかと。いくら知識を仕入れても(そしてケーススタディで定着を図っても)、それでは知恵にならないんじゃないかと。

 

ともあれ、17年を経ての答え合わせはおおよそ良好だったと言えよう*3。夏期休暇の一日にふさわしい出来事であった。

 

 

追記

 

買った書店名を正確を記すために調べたところ、うむむという事実が発覚。

 

 

「文教堂」浜松町店さん、さようなら...|浜松町ニュース|浜松町STORY|文化放送&419&63683&http://www.joqr.co.jp/hama-story/PicsPlay_159401516336533.jpg

 

なんと2020/7/6に閉店されていたとは。

最近はほぼ新幹線だし、飛行機の時にも京急を使ってたので浜松町の具合には昏かったのだが、そうか閉店ですか。

 いろいろですなあ。

 

*1:と言ってもそんな特殊なことではなくて、おおよそ半分の地点から終わりまでを読み、そして今度は先頭から最初に読み始めたところまでを読む、という方法。もちろん理由(メリット)はあるが、それは今日のサブジェクトではない。

*2:ところで常々思っているのだけど、顧客という言葉は含意が曖昧すぎる。モノやコトを購入して現在利用している人に限定するのか、それとも将来購入してくれる可能性がある人までを含めるのか。セールスは前者を顧客、後者を見込み顧客と明確に言い分けるのだけど、マーケでは後者も顧客という言葉に含めるのが一般的だ。人(法人含む)に着目するセールスと、市場(マーケット)という総体の振る舞いに着目するマーケの違いと言えばそれまでなんだが、まあここが誤解・争いのもとになるのだよね。弊社ではセールスはマーケに従属するという組織アーキテクチャを取ることで落ち着いたけど、余所ではまだ並立体制のところが多いみたい。どうやって意思の統合を図っているのだろう?統合幕僚本部みたいなのがあって、ちゃんと作戦計画の整合性を管理しているのだろうか。もちろんそういう行き方も有りだが、リソースがない中小からするとリッチな事であるなあと思う。

*3:ああ、大昔この言い回しが爆発的にはやったのを思い出した。やばいな。寿命かもな。