いま進行中の本についての覚え書き。
読み切った時にはちゃんとまとめる予定だが、ちょっと理解できないところが多すぎるので、最後まで読み切れない乃至は読み切った時に何が何だか判らなくなっている恐れがあり、珍しいことだが途中のメモを取るものある。
読んでいるのはこれ。
本格的に読む前にざっくりつまみ読みをするんだけど、そこでまず引っかかってしまった。失敗した企業の事例にノキアが入ってて、この内容について大いに違和感があったからだ。
- 過度の楽観(これからのマーケットサイズではなくて、
その時点のシェアで自分たちの影響力を計ってしまった) - アプリのマーケットが誕生することの意味の把握ミス(ノキア自身がアプリマーケットを始めていて、それが却って彼らの目を曇らせた)
- すでに完成したOSを持っているのが自分たちだけである事の意味を見誤った(Symbian OSのプログラムは、普通のプログラマーには書けないんだけど、その事の意味がシリアスに判ってなかった…)
- 心理的な安全性があれば、質の高い意見を述べることが可能になるのか?
ゴミのような意見を気軽にいうことが出来る、民主的な職場ができあがるだけではないのか?
例えば、心理的な安全性を備えたノキアはグーグル、アップルの伸長を押さえる戦略を考えだし、そして実行することができたのか? - 決定的な瞬間に決定的な問いを発することと、ノイズを気軽にまき散らすことができること、その二つを分別するために何が必要なのか?
著者はそれを語るつもりがあるのか? - 心理的安全性とは直接操作可能な指標なのか?
そして、これが因果関係における因であることをどうやって証明したのか?
本書で示されているデータ、事例から言えるのは、成功している組織と心理的安全性の間に正の相関(強い、をつけてもよい)があるのみであって、心理的安全性の結果として成功が発生するいう裏付けは説明されていない-著者の信念意外は。*1
読み進めても読み進めても上記に対する答えはなく、むしろ謎が深まるばかりだ。
もしや、これが「リベラリズム」という事なのだろうか?
「リベラリズム」の教義を受け入れれば上記はすべて自明になるのだろうか?
...だとしたら本当に「リベラリズム」というのはXXXXなのだと思う。
いや、人間は可塑的であり、未来にむかってトランスフォーメーションを繰り返して行かなければならないという信念を持っているという意味において、ワタシは十分にリベラルな筈なんだけど、なんだろう、この折り合わない感じは。
もしや彼らは状況を整えると人間本来に備わっている悟性が発露されて、すべてがOKになるとでも思っているのだろうか。
もしそうだったら死ぬほどいやだなと思う。
以上をまとめると、2021/10/24時点の読書メモはこんな感じ。
「リベラリズム」の気持ち悪さを満喫しつつあります。欺瞞と偽善のすべてがつまったようなすばらしい本です。
おお、本当でしょうか。こんな本が売られているなんて。
Tipsとして役に立つことがいくら入っていようと、欺瞞と偽善が社会に流す害悪を消し去ることはできません。
おどろくべきことです、手間暇かけてあつめたそれなりの素材からこんなXXXXを作り出せるなんて。
さて、頑張って最後まで読んでみましょう...。
頑張る時点で負けてるのですがね。
*1:根拠のない確信を信念というのですよね。