all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

10/24 「恐れのない組織」に関する読書メモ

いま進行中の本についての覚え書き。

読み切った時にはちゃんとまとめる予定だが、ちょっと理解できないところが多すぎるので、最後まで読み切れない乃至は読み切った時に何が何だか判らなくなっている恐れがあり、珍しいことだが途中のメモを取るものある。

 

読んでいるのはこれ。

www.amazon.co.jp

 

本格的に読む前にざっくりつまみ読みをするんだけど、そこでまず引っかかってしまった。失敗した企業の事例にノキアが入ってて、この内容について大いに違和感があったからだ。

ノキア心理的安全性が確保されてない組織だった事を疑うつもりはないんだけど、あの判断の鈍さはどちらかと言うとビジネススクール系の話、マーケティングであったり、MoTであったり、そういうとこでの失敗だという理解が一般的。
 
プログラマーとしてのわたしとしては、「凡俗が理解できないSymbian OS環境で10年世界を抑え込みたかったら、凡俗プログラマーがいなくても携帯電話会社の商売が成り立つ仕掛けを考えるべきだった」という理解をしている。数に勝る凡俗プログラマーを利用するグーグルやアップル(の戦略)が詰む大戦略を考案できなかったのがノキアの敗因だろうと。
そう考えてても誰も言えなかった、と本書の著者は思うのかも知れないけど、そこは微妙。
彼らの最後のあがきをそばで見てた立場からすると、何しろ彼らには戦略が無かった。ノキアにも奥の院があって、そこがすべての戦略を握りつぶしてた?
うーん、津波が来ることから全員が目をそらしてたのはおそらく間違いないんだろうけど、それが上への忖度によるかと言われるとそんな気がしなくて、
 
  • 過度の楽観(これからのマーケットサイズではなくて、その時点のシェアで自分たちの影響力を計ってしまった)
  • アプリのマーケットが誕生することの意味の把握ミス(ノキア自身がアプリマーケットを始めていて、それが却って彼らの目を曇らせた)
  • すでに完成したOSを持っているのが自分たちだけである事の意味を見誤った(Symbian OSのプログラムは、普通のプログラマーには書けないんだけど、その事の意味がシリアスに判ってなかった…)
 
と、どちらかと言うと思い上がりのほうが大きい気がするのですよ。
まあ、心理的安全性のなさがそれに拍車をかけたと言われれば別に否定はしないけど、(極論すると)忖度が横行して潰れたと言われても困るなあと思いました。
 
あ、あとね、まだ戦えると思われるタイミングでやる気を失くしちゃったようにしか見えないのが当時不思議だったし、そして今なお不思議。
これも心理的安全性で説明できるのか?
勝ったと思ってた試合をいきなりひっくり返された事による組織全体のショック症状かなー、と思わなくも無いのだけど、でもフィンランド人ってそんなナイーブか?
(それともそんな国民性がある?)
 
ともあれ、ノキアの失敗はそれだけで本が書ける題材のはずなんで、あんまりさらっと触れてほしくなかったなという気持ちになった。あの時の現場が、すべて心理的安全性で説明がつくとでも?
 
そして偏見(わたしから著者に対する偏見)。
著者近影や、本文中でのMe Too運動の称揚などを見ると、「リベラル」な人なんだろうなという印象。
 
 
そしてそれらを抱えたまま冒頭が読み始めてみると至るところに穴が。
あげつらうときりがないのだが、それらから抽象されることはこんなところだ。
  • 心理的な安全性があれば、質の高い意見を述べることが可能になるのか?
    ゴミのような意見を気軽にいうことが出来る、民主的な職場ができあがるだけではないのか?
    例えば、心理的な安全性を備えたノキアはグーグル、アップルの伸長を押さえる戦略を考えだし、そして実行することができたのか?
  • 決定的な瞬間に決定的な問いを発することと、ノイズを気軽にまき散らすことができること、その二つを分別するために何が必要なのか?
    著者はそれを語るつもりがあるのか?
  • 心理的安全性とは直接操作可能な指標なのか?
    そして、これが因果関係における因であることをどうやって証明したのか?
    本書で示されているデータ、事例から言えるのは、成功している組織と心理的安全性の間に正の相関(強い、をつけてもよい)があるのみであって、心理的安全性の結果として成功が発生するいう裏付けは説明されていない-著者の信念意外は。*1

読み進めても読み進めても上記に対する答えはなく、むしろ謎が深まるばかりだ。

もしや、これが「リベラリズム」という事なのだろうか?

リベラリズム」の教義を受け入れれば上記はすべて自明になるのだろうか?

...だとしたら本当に「リベラリズム」というのはXXXXなのだと思う。

 

いや、人間は可塑的であり、未来にむかってトランスフォーメーションを繰り返して行かなければならないという信念を持っているという意味において、ワタシは十分にリベラルな筈なんだけど、なんだろう、この折り合わない感じは。

もしや彼らは状況を整えると人間本来に備わっている悟性が発露されて、すべてがOKになるとでも思っているのだろうか。

もしそうだったら死ぬほどいやだなと思う。

 

以上をまとめると、2021/10/24時点の読書メモはこんな感じ。

リベラリズム」の気持ち悪さを満喫しつつあります。欺瞞と偽善のすべてがつまったようなすばらしい本です。

おお、本当でしょうか。こんな本が売られているなんて。

Tipsとして役に立つことがいくら入っていようと、欺瞞と偽善が社会に流す害悪を消し去ることはできません。

おどろくべきことです、手間暇かけてあつめたそれなりの素材からこんなXXXXを作り出せるなんて。

さて、頑張って最後まで読んでみましょう...。

頑張る時点で負けてるのですがね。

 

 

 
 

*1:根拠のない確信を信念というのですよね。