川島正次郎は「江戸前フーシェ」と呼ばれたそうで、なんとも言われぬ味わいがある。
江戸前+(ジョセフ)フーシェってのはちょっと思いつかない。時代なんだろうか。しかし渾名だったというのだから、それが人の口に上ったわけで、当時の常識の水準の高さが忍ばれる。
とはいえ、行跡をみるとあんまりフーシェぽくはない。
たとえば岐阜羽島に新幹線駅をつくらせた以外、今に名をとどめないところのない大野伴睦を総裁選で転ばせたのがこの川島正次郎なのだけど、その際に発したとされる言葉が
「要は勝つこと。負けた後に文句を言っても何の解決策にもなりませんよ」
だそうだ。
あんまりフーシェっぽくない。ホンモノのほうは、そういう時も(いや、そういう時こそ)韜晦したのではないか。
他にもフーシェと渾名された日本の政治家はいて、後藤田正晴は「日本のジョセフ・フーシェ」なんだそうだが、帝大出て役人になっといてフーシェもないものだと思うのは私だけか?*1
ツワイクの講談調のフーシェを丸呑みにする訳にもいかないが、生存と権力の(しかし裏口からの)追求が表裏一体であった時代に、なんらの制約もためらいもなく、ただ才能を発揮した人の名前を付けるには、日本の政治家二人はあまりにも小粒過ぎる。
いや、川島正次郎のほうはそれでも後世に悪名を残しているあたり、まだフーシェになぞらえられる資格をいくらか持っていたのだろう。
しかしこの日本の政治家二人とフーシェには決定的に異なるところがある。
それは晩年の没落だ。
フーシェは特異な人であったが、その名前が後世に残っているのは特異な時代と結びついて特異な輝きを放ったからなのであって、その時代が終わると同時に没落を迎えるというのはある種の必然としか言いようがない。
そのような特異性や一回性は、川島正次郎にも後藤田正晴にもありはしない。
気安くフーシェの名前を使わないでほしいと思うのです。
時代無くしてフーシェなしというか。
いや、しかし「江戸前フーシェ」のキャッチーさにはおそれいるのですがね。