all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

お盆日記

最近の諸々の根源である、お盆とそれに続く休日の記録を残しておく。段々記憶も怪しくなってきており、何故ここにいるのかが判らなくなりかねないのである。つるかめつるかめ。

 

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8/14
本日、家人は仕事なり。よって次弟家族の来訪に備えての準備を一人で行い、汗みずくとなる。
午後一に次弟家族来訪。霊前に手を合わせた後、しばし歓談。甥、姪が順調に大きくなっていることに大いに安らぐ。彼らは友人宅訪問等で一旦出かけるということで、引き続き家の整理。その途中の休憩時にうとうとしていたところ、玄関から息子の「ただいま」という声を聞く。お盆の始まりなり。
夕刻、次弟家族が戻ったときに庭に見慣れぬネコがいるのを見つける。三毛模様だがほっそりとして頭も小さいシャムの姿なり。庭で悠々とつめを研ぎ、悠々と去って行く。次弟家族は、次弟の友人と食事をするということで再度出立。家人の帰りを待ちながら飲酒。期待するも、その後息子の声は聞こえず。
夜、家人も帰宅し、次弟家族の男子部も戻り、そろってしばし歓談(女子部はホテル)。階下の部屋を次弟家族の男子部に渡し、2/2の夜以来初めての自室での就寝。2/3の朝に家人の悲鳴で起こされたことを思い出しながら入眠。

8/15
朝はゆったりと。本日から家人も夏休みなれば。
午後、妹家族来訪。すこし遅れて長弟夫妻と母も来訪。しばし歓談。彼らはこれから墓参とのこと。本日もネコ来訪。庭の塀の上に2時間近く居座る。息子が呼んだのでは無いかと家人が言い始める。
夕刻、長弟夫妻、次弟家族、妹家族、母および我々二人が揃う。加えて221氏も。18:30から息子と縁の深い店で会食なり。14人で材木ルートのフラットバスに乗って店に向かう。
会食後、近江町市場でホテル組と分かれて徒歩で帰宅。途中、白鳥路を通り蛍を探すも見つからず。次弟のところの甥二人がラップでディスりあい、そこに妹のところの甥がさらに絡むのを聴き、感銘を受ける。と同時に胸が詰まる。
帰宅後は余と家人を除き近所の温泉に。それから、次弟、妹、221氏、我々でワインを色々あけて延長戦。221氏を送り出したあとは合宿。女子部は二階、男子部は一階で。

8/16
本日は長弟夫妻、次弟家族が帰る日であり、妹家族は母の家に移る日である。まずは合宿組の朝食の用意を行い、供する。甥、姪はよい食べっぷりである。その後はそれぞれ出立の準備。余と家人は、長弟夫妻をホテルに迎えに行く。我々兄弟および家人が卒業した小学校の建物が新築されることになり、このお盆の期間中、取り壊し前の旧校舎が一般公開されている。これを揃って見に行くのだ。
小学校の校舎は記憶通りのところもあり、その後の改築で変わっているところもあり。40余年前を思い出して懐かしむより、40余年前には夢にも思わなかったその後の人生の諸々についておもいを巡らす。波瀾万丈、驚くべき事の連続であった。
昼前に小学校前で散会。またお会いしましょう。余と家人は長弟夫妻を県立美術館まで送り、そこから昼食を求めるが金沢を一周する思わぬ長い旅となる。行きたい店がみなお盆で休んでいたのであった。善哉善哉。
帰宅後、庭にまたもネコの姿が。餌をやるべきか、そうせざるべきか、しばし煩悶。やるのだとしたら買わなければ。そのうちに妹から、母の家に移るのは明日として、本日も泊めて欲しい旨の入電。了承し準備を行う。
15時過ぎ、息子の中学校時代の友達が焼香に来てくださる。ありがたいことである。少し話をしたのち、家人が車でお送りする。別れ際に、本日はありがとうございました、どうぞ実りの多い人生をお送りください、と御礼を申し上げる。
夕刻、妹家族再訪。彼らはそこから昨日と同じ温泉へ。その後に夕食。近所で買い求めたドジョウの蒲焼きが好評であった。重畳なり。

8/17
北陸鉄道浅野川線に乗りたいという甥に、妹家族と母が付き添って出かけるとの事。家人が駅まで送る。その後は掃除と片付け。お盆なれば、本日も来客の予定あり。
午後三時半に弔問客。一時間ほど話し込む。色々なり。
ネコ、今日も姿を現す。餌を買わねばと決心する。
夕食はあまりものの片付け。生きている人が去った後はひっそりとしたものなり。
夜、布団の中でこれからどのように過ごすべきかについて、主に理論面から考える。HowはWhy/Whatの現れなり。Howのみの暮らしは余人は知らず、余には無理なものなり。

8/18
夏休みは昨日までとて、本日は出社。夜、BBQの予定について確認すべく某店へ。彼我共にやる気十分なり。
本日は庭の確認ができず、ネコの来否は不明。

8/19
午前、本日離沢する妹家族を送るために金沢駅へ。お土産物を求める観光客に当てられて座り込むことに。生きている人間の放射するエネルギーは恐ろしいモノなり。殊に方向性もなく、全方位に散乱している場合は更なり。
帰宅後は片付け。
本日、お盆の終了を宣言。結局息子の声を聞くことが出来たのは8/14の一度切りであるが、出ていく声を聞いていないのだからまだ家にいるのだと思う事にする。家人は一度も聞く事が出来なかった由。
本日はネコの来訪有り。


8/20
引き続き片付け。すでに来客の片付けではなく、我々の生活の片付けである。物への執着というよりは、整理に向かいあうまでの助走距離に関して口論。もちろん余が短く、家人が長い。すでに最重要事項は終わってしまっているのだから、どんな後悔であっても多寡が知れていると思い切ってくれれば良いのだが。余には判らぬ事なり。余はむしろ見通し無く道を歩くことを怖れるものなり。
その後自分の裁量の範囲でのゴミ出し、というよりゴミの認定処理を続ける。もしかしたら使うかも知れないという可能性の剪定が、ゴミの認定処理の中核である。苦しいのはその通り。しかし8月いっぱいには誰かが剪定をしなければならないのは間違いが無い。それは感情ではなくてFACTである。
そのうちにゴミの認定処理の毒が回ったか、墓(既に我が家は墓所なれば)の整理をめぐって口論をする墓守のごときが生者の集まりに顔を出すのは烏滸がましい事であるという想念が頭に固着して離れなくなる。結局BBQに行く事を得ず。申し訳無いと思うが、如何ともしがたし。生者の集まりに立ち入れるのは生者のみである。19時過ぎ電話が鳴るも、これに出る事も得ず。ただただ忝し。
なお本日ネコの来訪無し。以来8/29に至るまで、そのネコの姿を見たることなし。

 

かくのごとく、お盆とそれに続く休日を過ごせり。