3/21 2025年2月、3月に読んだもの、観たもの、その他色々 その1
久しぶりだ。
帰ってきたぜ、hatena。
やっぱりSNSはオレには向かないぜ。
じゃ、日々のログを淡々と残す作業に戻っていきましょう。
リハビリ方々、最近読んだものや観たもの、その他色々についてのメモを。
犬狼伝説の最終版。紅い眼鏡のコミカライズ版を読みたくて購入。前回のリイシューを買いそびれていたのだ。
藤原カムイの手によるコミカライズだと、あの悪夢のような映画が、実は大変にシンプルな話であるかのようにみえてくる。もちろんそんな事はなくて、さんざん本編を観たが故に(見込んだが故に)情報が切り落とされた漫画版をみると錯視をしてしまうのだと思う。
その切り落とされた情報にこそ、本編の価値があるのだとも言えるのだが。
ちなみに巻末の三者鼎談において、押井守はコミカライズ版の最後のカラーの使い方を褒めていたが、あれはどのくらい本気なのだろうか。
トランクの中いっぱいの紅い眼鏡、そして室戸文明の『まただ』という台詞、あれこそが紅い眼鏡を終わらない悪夢たらしめているのであって、その構造を放棄したコミカライズ版はその一点において、原作を完全に裏切っている。
押井守、そろそろ執着がなくなってきたのかもしれない。
(続きます)
2/21 再開を誓う
1年以上ほったらかしにしてました。
その間にも様々イベントが...。
- 40年前からの知り合いに30年振りにお会いして食事を共にするという幸運に恵まれる。
- amazonのレビューの何かがマズかったらしくレビュー権限が剥奪され今までのレビューがすべて消されてしまった(いや、判っているのです。国家社会種主義という訳語はおかしい、国民社会主義とすべきだという奇妙な主張を行う本に対して、いやいやその時期のドイツならナツィオンは民族と訳すべきでしょうと書いたのが引っかかった模様。もしや著者自らアカバンのために努力したのか?もしそうなら、それはそれで胸熱だが)。
- 1/1の地震。うちは直撃の地域ではないのだが(それでも面倒な事になった)、同じ県内のことなので知り合いや、知り合いの知り合いくらいには本当に大変な事になった人が繋がってくる。何ともいえない。出来る限りのことはしたいが、直接貢献できるスキルがない凡人にいま出来るのは義援金だけという状況。
- コロナの後遺症で半年くらいあたまが悪くて難渋した。
書いてみるとチマチマしているな(地震は除く)。
なんだか色んなことがあったはずなのに、そして振り返ればくっきりと思い出せるとおもってたのに。
うーん、これを老化というのでしょうか。おそらくそうなのです。書き付けを残しておかないとマズイお年頃になってしまったのです。
そのような訳でblogの再開をしようと決意をした、ということを記録しておくものです。
事業計画の指導地獄(これはされるほうの地獄ではなくて、同時にいくつもの計画が入ってきてパラレルに指導する側の地獄)もボチボチ終わるので何とかしますとも。
思い出のない老後というのは洒落にならんですから。
12/中旬 故あって近くのホテルに泊まったときのメモ。
翌朝早く動かなきゃならない、しかも前夜から雪が降るらしい。では地元駅前のホテルに泊まりましょうという判断をしたときの記録。
さて、メモはこんな感じ。
----
エントランス、受付、廊下で感じる(感じさせようとしている)イメージと、部屋の実際には大きなギャップがあり、そこにがっくりきた。
羊頭狗肉、姿形のよいビジホ、ただし部屋が広いのは手柄というのが今回マジメに泊まってみての印象。
構え、設備(バンケットあるんだよね)、部屋の広さなどからビジホとは言いがたいものの、普通のホテルなのかと言われるとそれも困る。
おんなじような感じのホテルとしては目黒のプリンセスガーデンというのがある。あそこもまさにそんな感じ。こういうのってどう言えば良いんだろう。
プレミアムビジホ?しかしビジホにバンケットというのは...。
やっぱりカジュアルなのかね、ハイビジネスではないし、まさかアパーミドルの筈はないし。
以前に忘年会か何かで深夜まで延々と飲みが続く予定のときがあり、帰るのが面倒だと思って一回予約をとって泊まったことがある。そのときはそれほど悪い印象じゃなかったんだけど、はやり酔っ払いの評価はアカンらしい。今回泊まってみて、かなり違った結果になったのにびっくりした。まあ、これは自分の不正確さについてなんだけど。
もう少し細々と。
部屋の静粛性がとても低い。床が薄いのか、夜遅くまで、そして朝早くからどこかの部屋のどかどかと歩く音が切れ目なく入って来る。
スタッフは時々実際に泊まってみると宜しい。
ビジホではないのだから、このうるささは致命的。
致命的と言えばバスルームが持ち上がり型(一段高くなっているタイプ)なのも興ざめ。
これこそビジホの典型的な作りではないの。だから階上、階下の音がうるさいのだな。フラットにすると、下に下がる分床の高さが上がる。それをケチった結果、ホテルに一番必要な静粛性が失われてしまっているのだ。
塵も積もれば、ではないが確かに持ち上げにするかフラットにするかでワンフロア分は客室数が違ってくるだろう。
しかしそれはビジネスホテルの論理だ。
バスの設備も、言いたくはないけどショボイ。いまさら温水、冷水の蛇口が二つあるのってどうなのだろう。そこをケチらなければならなかったのかと不思議な気持ちに。
ベッドは悪くない。ここは素直に好印象。
ただしどうやっても常夜灯が消せないのは致命的。
浴衣がベッドの上におかれていたので*2、その帯で目隠しをしつつ寝た。その分眠りが浅く恨みが残る。アイマスクを売っていたら1000円でも買っただろう。ホテルは商機を逃している(イヤミ)。
スタッフはなんというか、もっとお高いホテルのつもりの雰囲気でちょっと困っちゃう。
昔ホリデーインだった時から、ここは偉そうなんだよね。何か勘違いしている。なんというか、今は大昔の学生時代に大阪でロイヤルに飛び込みで入ったときのあの冷たい目線を彷彿とさせるのだ。そうかね、わたしゃあのときと何も変わってないように見えるのかね、と逆上してしまいそうになる目つきだ。
今のホテルに建て替えて名前も変わったんだけどオーナーは変わらなかった筈で、してみるとこれはオーナーの好みなのか?ホテル建て替え後に一回オーナーチェンジをしてるけど、これは居抜きだった筈だから文化はめでたく継承されたんだろう。
それとも立派なホテルになるためには、スタッフにあの目つきが必要なのだろうか?
よくわからない。
あさ8時過ぎ、ベッドの上でニュースをチェックしていると廊下から金沢弁が聞こえてくる。賑やかを通り越してうるさい。
どうも清掃スタッフが楽しく語らいながら仕事をしているようだ。
うーむ、やはりスタッフは時々実際に泊まってみると宜しい。改善リストがすぐに山のようになるだろう。
まとめればこんな感じ。
やはり収益を狙って持ち上げ型のバスルームにしたときにホテルの骨格は決まってしまっていたのですね。最初のオーナーの風評からすると、そういうコスト優先の判断になったのだろうなと想像はしますが、しかし勿体ないことです。良い場所なのですがね。
そしてその骨格の上に、バー、バンケット、食事どころなんかが乗っかっているわけで、さてこれはなんだろうという気持ちになったりします。
そうですね、七尾駅のまん前に構えるくらいだとちょうど良かったのだろうとは思いますが、いまの場所だと役者不足は否めませんね。
12/上旬 久しぶりに外れホテル(ビジホ)だったので、怨嗟の記録。
大井町のヴィアインに泊まった時のメモ。
何しろ廊下の声が良く聞こえる。
客筋が悪いのか、12時近くになって団体の酔客が大声でやりとりしてるのがよくわかる。
壁や扉の防音機能がないんだから団体で予約がはいったら、部屋を分けてアサインするなどの智恵を使えばよいのだが、そういう事に対する想像力がない。
想像力がないといえばチェックイン待ちの大行列もそうだ。
22時ごろにチェックインしたのだが、4つ受付があいているにも関わらず20人近い行列ができている。つまり処理するスピードよりも到着する人数の方が多いのだ。
なぜ行列ができるのか、分析をする頭がないのだな。
そのような惨状に直面しているフロントスタッフの態度は慇懃無礼。すばらしい、実にJR-WEST的だ。運営会社は当然別資本なんだろうが、JR-WESTで出会う官僚的な「サービス」と同じ感じなのが面白い。そういう態度になるような要件やスタンスを、WESTは運営会社に対してインプットしているのだろうか。実に興味深い相似性だった。
ベッドはとても安い感じ。この底つき感は久しぶり。一泊当たりのコストをミニマムにするという事に全力を振り絞った結果、宿とは何なのかという本質が遠のいている。
これはアメニティについても同様。APAの爪のアカでも煎じて飲むがいい。
ここまで書いてなるほどと気がついた。これはJR-WESTと同じだ。旅客業とは何かを忘れて統制と経費削減に血道を上げるあの感じだ。ちゃんとJR-WESTの文化に揃えられているのだな。
結論。
ヴィアインはどこで泊まってもがっかりするのだが(だから最後まで空いているのだが)、それはこの大井町でも全く同じ。
JR系でもEASTがやっているメッツなんかはそんな事はないのであって、鉄道会社だからマズイという事ではないのだ。JR-WESTの何かがそうさせているのだなあと納得がいったのは収穫だが*1、だからといってこの「損をした気持ち」は消えることはないのであった。
12/25 (本当にメモ)「フーシェ」ってどう思われてるんだろう?
川島正次郎は「江戸前フーシェ」と呼ばれたそうで、なんとも言われぬ味わいがある。
江戸前+(ジョセフ)フーシェってのはちょっと思いつかない。時代なんだろうか。しかし渾名だったというのだから、それが人の口に上ったわけで、当時の常識の水準の高さが忍ばれる。
とはいえ、行跡をみるとあんまりフーシェぽくはない。
たとえば岐阜羽島に新幹線駅をつくらせた以外、今に名をとどめないところのない大野伴睦を総裁選で転ばせたのがこの川島正次郎なのだけど、その際に発したとされる言葉が
「要は勝つこと。負けた後に文句を言っても何の解決策にもなりませんよ」
だそうだ。
あんまりフーシェっぽくない。ホンモノのほうは、そういう時も(いや、そういう時こそ)韜晦したのではないか。
他にもフーシェと渾名された日本の政治家はいて、後藤田正晴は「日本のジョセフ・フーシェ」なんだそうだが、帝大出て役人になっといてフーシェもないものだと思うのは私だけか?*1
ツワイクの講談調のフーシェを丸呑みにする訳にもいかないが、生存と権力の(しかし裏口からの)追求が表裏一体であった時代に、なんらの制約もためらいもなく、ただ才能を発揮した人の名前を付けるには、日本の政治家二人はあまりにも小粒過ぎる。
いや、川島正次郎のほうはそれでも後世に悪名を残しているあたり、まだフーシェになぞらえられる資格をいくらか持っていたのだろう。
しかしこの日本の政治家二人とフーシェには決定的に異なるところがある。
それは晩年の没落だ。
フーシェは特異な人であったが、その名前が後世に残っているのは特異な時代と結びついて特異な輝きを放ったからなのであって、その時代が終わると同時に没落を迎えるというのはある種の必然としか言いようがない。
そのような特異性や一回性は、川島正次郎にも後藤田正晴にもありはしない。
気安くフーシェの名前を使わないでほしいと思うのです。
時代無くしてフーシェなしというか。
いや、しかし「江戸前フーシェ」のキャッチーさにはおそれいるのですがね。
9/1 「日本の人事部」、これは...。
日本の人事部とはココ。
面白そうな資料があったのでダウンロードボタンを押下したところ、
ご登録内容を確認次第、資料ダウンロードの可否をメールでご連絡いたします。
今しばらくお待ちください。
というアナウンス画面に遷移した。
おやおや、資格審査があるわけだ。
さてこの資格審査、「日本の人事部」に閉じて行われてるのなら何も問題無いのだが、これが資料の提供元であるSmartHRに一旦データが渡って行われているのだとすると、個人情報保護ポリシーの書きぶりはちょっと注意しなければならないだろう。
さて、実際にはどうなっているか?
プライバシーポリシーを見てみよう。
jinjibu.jpここには利用目的として以下が掲げられている。
会員が掲載企業へ問い合わせ、資料ダウンロード、またはセミナーの参加申込を行った際に、当該掲載企業に会員情報を提供するため
利用目的が「会員情報を提供するため」となっているのは根本的にセンス無いとは思うけど、今回気になるのはその手前だ。ダウンロードの申し込みではなくて、ダウンロードという行為自体が条件になる書き方をしている。
とすると、ダウンロードが拒否された場合はこの条に適合しないことになる。
さて、「日本の人事部」の行うダウンロード可否判断は社内に閉じているのだろうか、それとも当該掲載企業までつながっているのだろうか?
なんだか気持ち悪いなあ、ダウンロードさせてやらない、と言ってきたら、お便りして個人情報の扱いについて確認してみたくなってしまうではないか。
面倒なのでおそらくやらないけど、しかし気にはなるのだ。
とここまで書いて、もう一度ダウンロード画面を見直してみると、末尾にこんな注記がある。
※資料の不正利用防止のため、事務局によるご登録内容の事前確認がございます。1~2営業日中に確認を行い、資料ダウンロードの可否をメールでご連絡いたします。
※掲載企業及び取り扱い企業にあなたの会員情報が送信されます。あらかじめご了承ください。
これはまったくダメですな、第三者提供に関する告知の仕方をまったく理解してない。リーガル通したとは思えない文言である。
個人情報保護法が面倒なのは、個人情報に関しては契約自由の原則が適用されない(=了承したからOKなのではない)からであって、法の縛りに従って告知をせねばならんのだけど...。
ただ「日本の人事部」はPマークを取得している(!)ので、よって2年に一度更新があり、その際には文書審査、現地審査がある(そして結構面倒なのは、弊社もそれに対応しているからよくわかっている)。そのときに突っ込まれるとは思うのだが、しかし審査員もピンキリだと聞くしなあ...。
まあいいや、ダウンロードの審査というのは今まで見たことがなかったものだし個人情報保護法との相性が激悪なので、とてもとても驚いたということは記しておこう。
まあ、ありえないレベルだということで。
あ、そうだ、もう一つ本件に関して記したおかなければならない事があった。
それは「日本の人事部」的な、会員制情報提供サイトのマスクをかぶったWEBマーケティングサイト(以下、生け簀サイト)を運営するビジネスモデルに秋風が吹き始めているという予感だ。
ダウンロードの審査云々は、生け簀サイトから生成されるリードの質が低い(=せっかく入手したリードリストに対して手間暇を掛けても、そこからのコンバージョンが上がってこない)という事がばれ始め、少しでもリードの質を上げる必要に迫られた生け簀サイト側が導入した新機軸に見えて仕方がないのだ。
「不正利用」とは片腹痛しであって、そんなレベルのエサをそもそも撒いていないだろうに。
例えば電子カルテなどのように、
- ある程度以上の単価があって、
- しかも先進的な顧客はもう導入が一巡していて(それどころかリプレース合戦もアタリマエになっていて!)、
- ところがそこから落ちこぼれている未導入の中小の病院・施設があって、
- そんなところも国の施策によって電カルを入れなければならない圧力がかかっている
などというマーケット状況であるならいろいろとやりようがあるんだけど、「日本の人事部」を生け簀サイトとして使うタイプのビジネス(製品およびサービスの販売)は、結局のところ「会社向けコモディティー」の提供に他ならず、リードそれぞれの事情に食い込んだ「提案」なんかをしている余裕がない。単価も多寡が知れてるしね。
今現在、ビジネス向けのクラウドサービス(会計系のあそことあそことか、HR系のあそことかあそことか、CRM系のあそことか)は、だがしかし、生け簀サイトによるリードジェネレーションと、それを受けての電話を使ったリードナーチャリングで何とかしようとしている。
だから資料をダウンロードすると間髪入れずに電話がかかってきて、10分~15分くらいそれっぽい話をして、では何かありましたらよろしく、という無駄な時間が毎回発生していたのだ。*1
だってこっちは資料が欲しいだけなんだもの。
検討はゆっくりしたいんだもの。
テレアポのオペレーターがぞんざいなスクリプトベースでセールストークをしても、心に何も響かないんだもの。
プラスの評価はゼロに、ゼロの評価はマイナスになるだけなのよ、しかも自殺点で。
思うに「会社向けコモディティー」をWEBマーケティングと、それに続くテレアポ軍団で売ろうという発想がそもそも間違いなのだと思う。
「コモディティーに提案無し」なのであって、マルチチャネルで見込み顧客への接触を図るのはコモディティー販売のお約束だとしても、その際WEBマーケティングはブランド浸透にとどめるのが吉であって、そこでリードジェネレーションをしようと欲をかくのはどうかと思う。あれこれ見比べて買いたいのに、資料を引っ張っただけでグズグズ電話をされると買う気まで失せてしまうではないか。
そういや本当に「売る」店員さんはのべつ幕無しに声を掛けるなんてことはしないのだそうで、そころが「会社向けコモディティー」であるクラウドサービスを売っているところはその真逆をやっているのだ、揃いも揃って。
いや、本当に判っている会社はそんなことはしない。
SFAと言えばアレという某社はセールスはパートナー会社にまかせ、自身は情報発信とブランド向上に努めている。サイボウズだって、ファンの力をつかって情報を増幅発信する事に力を入れている。
いずれも手厚いリードナーチャリングで売るのではなくて、ブランド+製品のエクセレンスという王道と、製品に適した販売網で供給することの組み合わせで商売している。
しかし生け簀サイトを使っている会社はその真逆だ。
頭が悪いことに理由はないので、まだ使い続けている理由を考えていても仕方がない*2のだが、「コストに見合った成長」が得られないと観念する日はきっと来る。なんでこんなに販売費がかかってるの? と誰かが問う日が必ずやってくる。
そして今回発見された「日本の人事部」の施策、これこそ「なんでこんなに販売費が?」という問いが始まっているサインに見えて仕方がないのだ。いや、ご本人たちはこれでリードの質がアップして、と本気で思っているのかもしれないけど。
嫌気がさして生け簀を抜けるユーザーが出てくるのか、それとも(ちょっと信じがたいが)思惑通りリードの質が向上し生け簀サイトとしてより発展するのか、これからの動向が気になってきたのだった。
しかしなあ。
日経系やitmedia系のように、対象、商品の性質、サポートするWEBマーケティングの方法がすべてかけ算になっているものをフルラインナップな生け簀サイトと呼ぶとすると、「日本の総務部」は対極である。対象、商品の性質、サポートするWEBマーケティングの方法がすべて一通りという専業生け簀サイトは、やはりその集中(という名の局所最適)によって顧客の動向の変化に追従できず滅びていくのではないかと思うのだ。
フルラインナップな生け簀サイトであればポートフォリオ的にやっていけるのに対して、専業の生け簀サイトはいつも代替案なしの一本勝負しかできない(まあ、だからあんな愚策をやらざるを得なくなったのだと思うのだけど)。
しかも集中した事業環境というのが、コモディティを筋の悪い方法で売ること(WEBベースのリードジェネレーションと電話ベースのリードナーチャリング)なのだから...やはり潰れるか、身売りまでいくと思うんだけどな。
来年くらいには筋道が判るかな?
なんにせよウオッチ対象があるのは良いことであって、来年まで生きていこうという気持ちに1ポイントくらい加算されたのであった。善哉。
6/12 宿題をやった
やらなきゃと思いながら手を出しかねていたこと(宿題)を立て続けにシュートしたので記録を残す。
なるべく手短に。
1.Moonridersの新譜
まさか新譜が出ようとは。
あんまりありがたすぎて、4/20の発売日に入手したものの今日まで聴いていなかった。
いや、大丈夫だと思うんだけどね、でも、ほら万が一ということもあるし。
ようやく意を決して聴いたのが本日、6/12。
まったくの杞憂でした。誠にもうしわけない。最高です。
老いではなく成熟を。経験と蓄積に振り回されて焼き直しをしてしまうのではなく、経験と蓄積を使い回して新しいものを作り上げるということを。集大成として形をなしていこうとするのではなく、なお完成に向かわず広がっていこうとする様を。
そういう事を最初から最後まで突きつけてくる、ある意味おそろしいアルバムでした。
いや最高なんですが。
ファンでよかった。40年以上付き合い続けてて本当によかった。
よりにもよって、なぜPRTIMESの記事を使うか。
ここに出てるってことは、自力投げ込みじゃなくて@pressとかそういうプレス業者使ったんだろうな、それって面白いなと思ったことの備忘録として。
ともあれ、ついていきますどこまでもと思いを新たにしたのでした。
2.シンウルトラマン
これも5/13の公開からずっと寝かせっぱなしで、昨日ようやく観た。
ウルトラマンだと思わなければ最高に面白いというのが感想。SF映画として非常によくできてました。オチも暗いしね。
またウルトラマンという系に定義を与えるという試み(おそらく制作側の意図はこっちでしょう)としても出来がよい作品だったと思います。定義に対する証明も適切に与えられていたのではないかと。
----
もともとのウルトラマンは走りながら作られていたものであって(しかも、未踏領域の先頭走者なのであって)、一貫性とか作品としての主張なんてものがあるとは思っていないーこれがセブンになると大いに変わってくるのだけれど。
なので、ウルトラマンが好きという言説は眉に唾して聞かなければならないと思っている。みんな、それぞれの好みの点、せいぜいが線の話をしてくるからだ。ウルトラマンという「作品」を語るという人を見たことがない(金城哲夫というフィルターでウルトラマンを捕まえた気になるのも、やはりどうかと思うのだ)。散見される批判的な映画評はほぼこのパターンに終始している*1。
作品としての一貫性がないとは、言い換えれば活用可能な隙間が多いことでもあるのだけど、当の円谷がシリーズ化してしまったせいで(しかも「帰ってきた」など早期にリブート手法を取ってしまったために)、当のウルトラマン自体の隙間は放置されっぱなしで今日に至っているとみている。もちろんその隙間、もっとはっきり言えば混沌の故にすべての派生作品は成立しているんだけど、この土台のうえにさらに建物を建てていくのはやはり厳しい。
今後もウルトラワールドを続けていくなら、なぜ何かと合体した人間が巨大化して戦わなければならないのか、この問いが成立する基盤を用意する必要があったということだ。
そのような背景をもとに、既作を包含可能であり、かつ新しい作品を建設可能な土台をつくるという難題に挑んだのが本作だとみている。
----
と勝手に思っています、シンウルトラマン。
そこからスタートすれば、あのシナリオはおそらく必然。
話を詰め込みすぎという評をあちこちで見るけど、これ以上どうやって薄くすると言うのか、君たちはウルトラファイトが見たいだけなのではないか?なぜだか日本にウルトラマンがやってきて、アレコレあって別れがあって、そしてこのあと地球防衛軍が出来るという事に筋を通そうとすると、これ以上の答えはなかなか思いつかない。
特に日本でなければならない事について、間接的にだが説明がついたのはびっくりした*2。
またウルトラマンの最終回にある希望と、ウルトラセブンの極めて暗い世界観の断絶が本作でうまく整合されたのは何よりだと思っているーセブン派なので。
ウルトラマンの最終回の先にはウルトラセブンは来ないと子供のころからずっと思っていて、もしそうなるならその途中に悲惨なエピソードがなければならないのだけど、それをどうやってウルトラの力なしで凌ぐのかという神学上の問題に悩まされていたのだ。
しかしシンウルトラマンの終わりはそうではない、そのようなエピソードがなくともセブンの世界はやってくるのだ。かくて世界には一貫性と整合性がもたらされたのだ。
非常にめでたい。
もしや、シン帰ってきたウルトラマンやりたさの基礎工事ではないのか。そのような事まで思ってしまった本作だった。そしてそれが可能になる整理だったと思う。
あとは寿命だけだな(Moonridersとつながる話でもある)。
そして最後に。
「わたしのすきな」SF映画になったのは、必然なのか、それとも僥倖なのか。人間が描けない監督であった事が人物の書き割り感を増し、結果的に「あの」SF映画っぽさが出たのではという気がしています。
僥倖が7で必然が3くらいの感じですかね。
*1:セクハラというのも散見しますが、エロシーンに対してセクハラと言うのってよくわからない。(ボキャブラリーの貧困という意味で)バカなのか、(それが有効な言説だと思うという意味で)本当にバカなのか、それとも単にナイーブなのか(まあ、これもバカということなのですが)。誰から誰に対するハラスメントなの?映画があなたにハラスメントをしているということなの?やっぱりよく判らない。エロシーンがいやだというのは全然OKなんだが、こういう馬鹿な物言いは誰かにしつけて欲しいものだと思う。上野千鶴子先生?いやいや、あの人は目的の為には手段はすべて許されるというところに回帰してるので、そのような言説をすべて肯定するでしょうとも。革命の理念が否定された年寄りほどみにくいモノはないと思いますな。
*2:今日のお昼に北極のランチの持ち帰りを食べていたときに家人といつものごとくアレコレ話をし、当家では使わないUber Eatsの話からチップ制に話題がころがり、そもそもヨーロッパだとチップだけでくらす人が普通にいるよねという事につながり、そのチップの扱いを個人が勝手にするのか、一旦お店に集約するのか二派あるよねという話になったときに、お店に対する信用ってどうやって形成するのかね、いやそれ以前に境界線というのが双方が押し合って始めて定まるという国に住んでいる人と、四方を海に囲まれていて境界線が天然自然のものだという国に住んでいる人だと信用とか他人の意図に対する仮定の置き方ってきっとずいぶんちがうよね、とかなんとか。そこまで話をしたところで、やはり日本は地理的にナイーブになりやすいのか、そりゃビリヤードの手球に使いたくなるわな、と突然つながったのでした。ザラブもメフィラスも、日本国のことを徹頭徹尾手球としてみていたではないですか。便利なんでしょうね、そこそこに発言権があるナイーブな国は。