all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2/11 モンベルにおどろく。

インドの覚え書き最終回とか、目黒にあった異変とか、そう言うのを書いとかなきゃと思いつつグッタリしてたんだけど、あんまりすごい事があったので、それだけはスポットで残しておく。
モンベルのポイントカード勧誘の限りなくブラックに近い色合いに驚いてしまったのだ。



以下は、その顛末。

続きを読む

2/6 sketch of india. 交通事情編(on the road)

気を抜くとあっというまに時間が経ってしまう。

1/25くらいにあげるつもりだった、初めてのインド(デリー旅行)で見聞きした範囲の交通事情の後編、気がつけば2/6だ。記憶がしっかりしている内にメモを残しておこうという一連の試みなんだから、さっさと書くべきなのは間違いない。のではあるのだけど、まあ力が入らない時期なのも確かだ。ううむ、2月ってのがカレンダーから消えるという手はないものだろうか。

 

 

さて、on the roadにおける交通事情だ。

路上におけるプレーヤーをまずは列挙しよう。


  1. 半分くらいスズキ*1。もうマジでスズキ。アルトK10、アルト800、その先代のマルチ800がジャカジャカ走ってる。スズキ以外も、大体排気量1000ccまでの小型車。時々中型のセダン、そしてベンツとか。大型SUVは希だった気がする。路線バス、スクールバスとバスももちろんいる。
    あと思い出してみると、トラックをあんまり見かけなかったように思う。気のせいなのか、ホントに走ってないのかは不明。いないはず無いんだけど、例えば山手通りにおけるトラックの発見率と有意差があるような気がする。
    とおもって探してみると2017年のだけどこういう記事も見つかる。

    www.afpbb.comやはり何らかの制限がかかってるのかしらね。



  2. バイク
    時間帯にもよるけど、路上面積の1.5~2割を締めるのがバイク。二ケツどころか三ケツが普通だけど、サイズは小さめで日本だと125ccくらいのバイクがもっぱら。250ccサイズを時折見かけて、それより大きいのはほぼ見ない。そして接触事故対策なのだろうか、ゴツいエンジンガードをつけれるバイクが結構いる。
    一番見かけたロゴは『HERO』。車のマジョリティがスズキだったのでもしやバイクも、と思ってたんだけど違う模様。しかしHERO、なんとなくインドの人々が好みそうな名前だなあと思う。


  3. リクシャー(オートリクシャー)
    そしてこれを忘れてはなりませぬ。

    ja.wikipedia.org昼夜問わずに路上の2,3割を締めるのが(オート)リクシャーといわれる三輪タクシー。
    人が集まるところの路肩にには、客待ちのリクシャーがつねにたむろしている。タクシーだからね。トラブルも楽しむ、という境地にまでは達せなかった初回訪問で、リクシャーも試せなかったのだけど、女子高生二人連れとかが価格交渉をしながら普通に乗ってるのも見たので、次回はトライしよう。
    等というソフト面はさておき、ハード面としてのリクシャーは遅い、ふらふら走る、人間や荷物がこぼれてきそう、という動くシケイン的な性質を有していてて、路上のカオス指数を向上させる重要なプレーヤーだ。

  4. その他
    自転車はその他の部門かな、いないわけじゃ無いけどまれだから。車種的にはトップチューブが水平の、ごっつい前三角がある商用車。勿論タイヤは700c。ブレーキもロッドブレーキじゃなかろうか(すれ近いざまの観察による)。
    一回だけロードレーサーに乗っている人を見たけど、イカつい防塵マスクをしての乗車だった。『この世界の有り様(よう)を全力で否定する』というパフォーミングアートなんじゃないかなと思う。というかそうであって欲しい。なぜそうまでして乗るの?同じ自転車のりとして理解できない。
    その他部門として欠かせないのは馬車(ポニーかな)。こちらを見たのは二回。ニューデリーの路上では馬車よりもロードレーサーのほうがマイノリティなのだ、少なくとも見て数えた範囲では。

 

さて、インドの方がウーベルと発音するところのuberの車窓から眺めたニューデリーの路上、そこで上記プレーヤーが入り乱れる様を箇条書きにしてみよう。

 

[全プレーヤー 共通の振る舞い]

  • 道路一杯のプレーヤーたちは、車間距離10~20cmのまま進んでいく。
    気持ちはわかる。隙間があくと、誰かが突っ込んでくるのだ。

[車、バイク、リクシャー 共通の振る舞い]

  • 右車線から左車線への移動も自由自在。
    というか、事前に曲がりたい方向の車線に寄っておくという事をしない。曲がりたいコーナーが見えてきてから、そこににじり寄っていく。
  • そもそも全員車線の間を漂うように走る。
    何が起きるか判らない路上では、直進に固執するのは無駄どころか危険なのかもしれない、と思わせるくらいに全ての車は左右に漂いつつ走っている。
    車線って何だろう、という根源的な問いが発生してしまった。
  • ラクション鳴らしまくり。
    にぎやかです。よかったですね。

[逆走について]

  • 歩道側の路肩でバイクが逆走するのはかなり当たり前。リクシャーもやるね。
  • 中央分離帯に目をやると、自転車が逆走していることも。(バイクも数件みた)
  • 交差点で車が逆走してくることもある。
  • 合流車線の入り口から車が出てきたときには思わずニッコリしてしまった。驚くと微笑むこともあるんだね。

 

スピードや物理的な挙動が異なる各プレーヤーが、ほこりっぽいだけではなく明確に汚れている空気に満ち満ちた、渋滞一歩手前のぎゅう詰めの路上を、上記の不思議な振る舞いを繰り広げながら進んでいく状況はすでに十分カオスなんだけど、実際はそれに輪をかけてカオスであって、何故かといえば信号というものが大きな交差点にしかないから。

そうです、横断歩道というものがほぼ存在しないのです。こんな重要なことなのに、事前情報のどこに書いてなかったよ!(日本人的激憤)

 

インドに着いた最初の夜、宿のブロックから大通りを挟んだ向こうのショッピングモールに行こうとして、横断歩道を探し、そんなものは見当たらないという事に気がついた時のショックは相当なもの*2なのだけど、それでもレアな事象に違いない若しくは見落としがあったのだと思っていたのです、そのときは。まさかニューデリー中がほぼそんな状態だなんて。

 

ではインドの人々はどうしているかというと、カオスあふれる路上を当たり前の顔をして渡りたいように渡っていく*3。たとえそれが片側三車線であっても。人こそがインドの路上におけるカオスの最終要素なのだ。

 

不思議なのは、人と乗り物が入り乱れたカオスマキシマムな路上がそれほど阿鼻叫喚ではないということ。上海の路上における殺伐感*4なんかと比べると、その違いは際立っている。

もちろん最初は各プレーヤーの振る舞いにびっくりして、ありもしないブレーキを踏むべく足が突っ張ってばかりいたのだけど、段々とある種のルールというか原理原則の上に運行されているシステムなのだなあと思われてきた。

 

おそらく、その原理原則は以下の二つにに集約されるのではないか。

 

  1. 結局のところ、みんなやりたいことをやるのだ。自分も含めて。そういうものなのだ。
    だから、周りの他人が何をやろうとしているのかはギリギリまで見極めるし、何か隙があればこちらもやりたい事をやる。
  2. 事故は馬鹿げたことだ。誰も得をしない。
    正しい、正しくない以前に、事故は誰にとっても損な事なのだ。

 

 

この原則が共有され、適用されているとすれば、路上におけるカオスを見る目が大いに変わってくる。前提条件のもとでは十分に合理的でありうるからだ。

確かに彼らはギリギリまで粘るけど、最後は誰かが引く。自分の意思が通るかどうかを丹念に見極めようとしているし、無理なら事故っても損なので次の機会を狙う。二大原則の上で、お互いに腹の探り合いをしながら進む、超絶リアリスティックな路上文化*5と見ることができるじゃないか。

たしかに逆走とかどうなのよ、と思いはするのだけど、それは原則1に対する法の優越性をどうみるかの問題で、原則1を掲げるかどうかとは関係がない。日本人的には常に法が優越するとおもうのだけど、インディアン的にはまあボチボチで、ということなのだろう。それまで考えれば、やはり彼らは原則に対して合理的だ。

 

ラクションがうるさいのも、よく観察するとなるほどと思えてくる。

日本におけるクラクションの発するメッセージは、道交法の意図とは異なり、「何だコノヤロー」だ。もう少しひどい言い方をすれば「コロス」。これは上海でもそう思った。日本と上海はクラクションの量に差はあれど、意図としては事後的で、起きてしまったことに対する意見表明なのだ。

ところがデリーの路上では違う。あそこでのクラクションは、「ワタシがそことおるから、ワタシ、ワタシ、ワタシ」という自己主張のメッセージを発するためのものだ。意図としては事前的で、これから起きることのリスク低減をもくろんでいる*6のだ。つまり原則2の適用なのだ。

 

 

まとめます。

ニューデリーの路上は人と乗り物が織りなすカオスに見えるけれど、「そういうものなのだ」と現状を一先ず飲み込む力をベースとして、いくつかの原則を適用した結果なのであって、それは決して理解不能なものではない。ワタシはそこにリアリスティックな、そしてギリギリまでリアルを追求するが故に粘っこい、路上文化をみる。

 

翻って(特に最近の*7)日本では、「ワタシはルールを守っているのだから、ぶつかったあいつが悪い」という筋論、建前主義が跋扈しつつあるようだ。これは非常にイマジナリーな態度であって、なるほど一国の衰微というのはこういうところに現れるのかと思う。

 

 

ということで今回の旅行で一番気になった『「そういうものなのだ」と現状を一先ず飲み込む力』にふれたところで本エントリは終了。このリアリスティックな態度こそがインドの最大の特徴だ、という本旅行の結論を次回エントリでまとめてインド編は終了の予定。

 

 

追記

と、すごく合理性があるように書きましたが、ベンツとか、BMWとか、大型SUVに乗っている人は、そういう合理性の規の外側にいたことは付記しておく。

何らかの方法で現実との接触を断つことができるようになると、合理性を求めない動き方になっていくのだなあ、と以前から思っていたのだけど、そのサンプルをインドでも得ることができたのだった。

 

 

 

 

*1:正確にはマルチ・スズキ・インディア

ja.wikipedia.org

*2:そのときワタシの脳裏に浮かんだ言葉は『橋の無い川』でした...。

*3:ワタシも途中から慣れました。Feel, don't think、と自分におまじないをかけたりもしましたけど。

*4:こっちもタクシーからの路上観察ばかりだったけど、乗っているタクシーを含めてみんなでタマの取り合いをしているような感じだったよ。

*5:運転文化と言わずに路上文化としたのは人までが含まれるから。

*6:いや、上海でも事前的な意図でのクラクションは無くは無いんだけど、比率でいうとフジャッケンナ系の方が多かった記憶がある。対してデリーでは、事後におけるクラクションは圧倒的に少なかった。

*7:70年代にはまだ残滓があった大雑把さは、その後悪しきものとして石もて追われてしまいました。

1/24 sketch of india。交通事情編(メトロ)

初めてのインド(デリー旅行)で気になったことのアレコレを整理する試みの二回目は、見聞きした範囲の交通事情について。

 


2019年1月現在、デリーは空気が汚い都市in the worldの上位ランカーだ。「大気汚染 都市 ワースト」くらいでググるといろいろ出てくる。

www.google.com


夕暮れのインディラ・ガンジー国際空港にむけて降下する機内から見た、茶色いもやが大地一面を覆っている光景はなかなかのものだった。小松-羽田便の場合はどちらかというと灰色の空気の底に降りていく感じなのだけど*1、デリーの場合はもっと空気に実体感がある。ボーディングブリッジを歩き出して、デリーの空気を吸い込んだ最初の感想は「あ、肺の奥まで何かが入ってくる」だったし。

 

その大気汚染、11月から1月がもっとも厳しいらしい。
車の増加とその結果である交通渋滞が引き起こす排気ガスの大量発生が基調をなすのはもちろんだとして、それに加えて舗装道路自体から出る粉塵、非舗装道路や路肩(ここも非舗装だ)から舞い上がる土埃、これらの実体感のある粒子が乾期の乾いた大気の中をいつまでも舞い続けている*2。さらにヒンドゥー教徒がお祭りに使う花火から出る煙がさらに追い打ちをかけるようだ。
花火?

https://www.mumbai.in.emb-japan.go.jp/jp/chiananzenjyouhou/anzenjyouhou/2015/10/2015.10.15.pdf

(同資料より引用)

デリーでは,例年,雨期が終わり気温の低下する10月頃から1月下旬頃まで,大気汚染が顕著となる傾向にあります。
特に,毎年10月下旬から11月上旬(2015年は11月11日の予定)に行われるヒンドゥー教の祝祭であるディワリ(Diwali
)前後に市内のいたる所で使用される大量の花火によって,大気汚染が助長されることが懸念されています。

 

なるほど、インド恐るべし。

 

ああと、大気汚染は枕であって、今回は交通事情編だ。

 


1.メトロ

なぜ大気汚染が枕になるかというと、交通渋滞の解消をもくろんで企画、建設されたのがメトロだから。

ja.wikipedia.org

ワタシが乗ったのは、オレンジラインを空港からNew Dehliまでと、イエローラインをニューデリーからSaketまでで、メトロのごく一部なんだけど、それでも日本の地下鉄との違いに驚くことになった*3


まず天井が高い。上掲のwikipediaのエントリにあるメトロの写真のとおりで、Saketなんていう住宅地の駅であっても同じく天井が広々しているのだ。そして通路の幅も本当に広い。複数の路線が乗り入れているNew Dehliなんか、ところどころに広場まである。

つまりデリーのメトロは、地下に巨大な空間を作っているのだ。これは何を意図した結果なのだろう。東京なんかにくらべて施工はしやすそうではあるけど(おそらく私権の整理も簡単なのだろうし)、だからと言って広くても狭くてもコストが同じということはありえない。うむむ、しかしその経緯を説明する資料はネットから見つけることはできなかった。
ということで、まずはその施設の有りようが謎として残ったのだった。とっても不思議なんだ。

 

次は料金の支払い方について。料金の支払い方はSuica/Pasmo的なデポジットカードと、毎回払いである*4トークンに分かれる。これまたwikipediaに情報がある通りなのだけど、そこから漏れている重要な情報がある。

  1. 乗り継ぎをする場合、トークンは人間がいる窓口で買う事になる。
  2. トールゲートはメトロのラインごとに存在する。そして乗り継ぎがOKなトークンがあるのではない。

 
窓口のお兄ちゃんからトークンを二枚渡されたときにその意味が理解できず、「こはいかにしつることぞや」と問うたところ、「これはオレンジライン用、こっちはイエローライン用なんだ。間違えないでね」と優しく説明されて、ここで初めてデリーメトロのトークンのシステムについて理解を得たのだった。昔の東京の地下鉄の*5、一つの切符で乗り継ぎ路線のトールゲートを出入りするイメージに引っ張られ過ぎていたのだね。でもこっちの方が考え方としては筋がいい(乗客の利便性は幾分落ちるかもしれないけど、インドの考え方のほうがシステムの堅牢性とか低コスト性を保証しやすい)。合理的な割り切りっぷりなんだ。

 

そして車両。これはホントに普通の地下鉄。冷房が効いているのがありがたい。
乗っている人たちも普通...な人もいれば、違う国だなと思うところもある。車両の連結部分あたりにいきなり座り込んじゃう人とかね。でもそれ以外はワタシたちがよく知っている地下鉄の光景で、かなりの人がスマフォで何事かを行っている。あ、電話をするのは全くもってOKらしく、何人もかなりの大きさで通話をしてましたよ。

日本に戻ってから、メトロ乗ったよという話をすると、まあ大変じゃなかった?と仰る方が少なからずいらしてこれまたびっくりさせられた。どうやら「列車の外まで人がぶら下がっているインド的な鉄道」のイメージが強すぎて、メトロもあの調子なのかと思われたらしい。
ソンナワケナイヤロー。

 

四、五分間隔で規則正しく運行されるデリーのメトロは、首都の公共共通機関にふさわしく、清潔で安全な乗り物でしたよ。
ただ、なんであんなに施設がroomyなのかは不明。それの調査は今後の課題ということで。そして前回述べたとおりセキュリティの厳しさについてはびっくりさせられたけど、それはメトロに限ったことではなかったし、それを必要としている社会の要請があり、そしておそらくそれを受け入れる(こともやむなしと思う)社会の伝統もあるのだとして、そこはあんまり気にしてもシャーナイと思う。
デリーを訪れるひとは、一度はメトロに乗るべきだと思いましたことですよ。


長くなったので、交通事情の本丸、つまり路上では何が繰り広げられているかについては次のエントリーで。

 

 

追記1

メトロができた結果、道路の渋滞がどうなったのかというのもネットでは見つけられなかった。都市計画の話として非常に興味があるのだけれど、だれかご存じないかしらん。

あと大気汚染。今回でも十分味わい深い空気だったのだけど、メトロ前はもっとひどかったということなのかしら。それとも変わってないということなのかしら。これも誰かご存じないかしらん。

 

 

追記2

あ、アレを語ってなかった、なぜ空港からタクシーではなく、メトロに乗ったのか

 

空港にはプリペイドタクシーというのがある。乗車前に窓口で行き先を告げて指示された料金を払うと、運転指示書と、そこまでの料金を支払った事を証する控え、計二葉の紙が渡される。それを乗り場に待っているプリペイドタクシーの運転手に渡すと目的地まで安全に(しかもコミュニケーション障壁に阻害されることなく)たどり着けるという仕掛けだ。
当初はこれを使うつもりだったのだけど、ネットで流れている情報に二派あって、あれは安心だ派と、いや最近は質の悪いのが増えてるからむしろ普通のタクシー使え派が、それぞれ自らの正しさを声高に主張する状況だった。どっちが2019年1月現在の実相に近いのだろう?日本を離れる前から、すでに不安な気持ちではあったのだ。

 

そしてこれはドコモ輝け*6な話なのだけど、ドコモの端末がサポートしているバンドはインドの3G/4Gとマッチしていないのだ。そのため、日本にいる間にアジア全域OKみたいなプリペイドSIMをアクティベートしておいて、インドに着いたときにはすぐに電話もインターネットもOKな状態するということができない*7。エマージェンシーコールもできない状態で、言葉も通じない(かもしれない)人と密室で 1 on 1 をするというのは、ワタシのリスクコントロールマインドと相容れない。安心ができる状態が確保できなければプリペイドタクシーに乗るのはやめよう、そんな気持ちが10時間のフライト中にどんどんと強くなってきていたのだ。

 

そして空港で。支払いを済ませて外の乗り場に向かうと、いるはずのプリペイドタクシーが全くいない。すでに19時を過ぎて暗くなってきていて、さすがのアタシも心細い。どうしようと立ち止まっていると、荷物を掴んで引っ張っていこうとする奴がでてくる(もちろん手は離させた)。

 

おお、これが噂の?

 

「オレはプリペイドに乗るのだ、もうチケットはあるのだ」と強めに言うと、「まさにそのプリペイドに案内するのだ」と男はいう。しかも案内する男自身は運転手ではなく、振り返ってすぐの、しかし停車場ではないところに止めてあった大きく車体がへこんだ車(プリペイドって書いてないぜ...)の運転手に向かって、プリペイドだってさ、みたいな事を叫んでいる。

 

まさに、これが噂の、旅行代理店にしか行かないタクシー?*8

 

0.5秒で決めました。

(根拠)

  • 損得勘定:プリペイドにすでに支払った400ルピー < 本件の危険性
  • 自分のスタイルとの整合性:人目のあるところでやり合う < 密室で 1 on 1 でやり合う

 

(結論)

  • 400ルピーを(ドブに)捨ててでもアタシはセキュアさを取る。少々迷おうが、人目に担保される状況で落ち着いて考えられる方法にする。すなわちメトロだ。

 


こう書くと、すごく決断力がある立派な人みたいだ!。
こんな事もあるかもしれないとPlanBとしてメトロの事を一応下調べしていたこと、そして自分のスタイルに合わない方法(密室 1 on 1)で負けたときのダメージ、それらを踏まえて勘案しての即断だったのだけど、タクシー停車場からメトロに向かって歩き出すとき、そしてメトロのトークン販売所までの長い地下道を歩いているとき、相当に不安な、落ち着かない気持ちになっていましたですよ*9

 

結局ホテルにきちんと入れたし、メトロも体験できたし、面倒な状況に合わずに済んだしで、インドに対してネガティブな気持ちを持たずに旅のスタートを切れたので「終わりよければ全て良し」かな。そしてその過程のいちいちで、ああオレってオレなんだなあと多々思ったのも面白かったし。


ともあれ、インドとのファーストコンタクトとして、また自分の「日本ぼけ」からの覚醒を促すある種のイニシエーションとして、ワタシは空港からメトロに乗ったのです。

 

 

追記2の追記

 

と、ここまで書いて財布に残しておいた金ドブのプリペイドタクシーのチケットを眺め直してみると...宛先にはSaketとしか書いてない。さて、このSaketというのは区相当の広さを持つある地域の名前だろうか、それとも駅の名前だろうか。

 

同じシステムで成田から目黒に向かうのを考えてみよう。目黒とだけ書かれたチケットを見て運転手はどこめがけて車を走らせるのだろう。目黒区、それとも目黒駅?。運転手がちょっとすごい人で駒場前あたりで「ここ、目黒区だから」と言ってワタシを下ろして去って行ったとき、ワタシは目黒駅にたどり着けるのだろうか?

 

無理だな。このチケットで「Saket」に向かったとして、降りたところが行きたい所であるような気がしない。プリペイドタクシーの最大のメリットは、言葉が通じなくてもなんとかなるところなのだが、しかしチケットに書かれている情報の粗さでは結局言葉が必要になるじゃないか。

 

さすがインドだ。危うかったぜ。

*1:みんな忘れてるかもしれないけど、東京も十分汚い。東京に住んでる人は、一度羽田着の便で空気の色が変わるのを体験してみるべきだ。自分がどんなところにいるのかが判ってショックを受けるから。

その上で元日にもう一度羽田着便に乗ってみると更に驚きがあるはずだ。元日の空気はきれいなのだ。

これの意味するところは、東京で日常的に行われている各種の活動が日々大気の汚れを更新しているということと、それは割合すぐに減少するということだ。

*2:一旦地面に落ちてきても、乾いているからまた舞い上がっていく

*3:セキュリティについては前回書いた通り。

*4:つまりは切符と同じセマンティクスだね。

*5:いまも?

*6:英語表記でどうぞ

*7:結局一日980円なりをドコモに払って、データ通信のみローミングするという方法でインターネット接続を確保したのだった。でもね、これがまた品質がひどくてね。これについては別稿で。

*8:インド タクシー 旅行代理店 の3ワードでググってみましょう

*9:すでにいるデリーに入っている先発隊は、ちょうどライブを見ている最中でアドヴァイスをもらえない状況であったし。

1/22 sketch of india. セキュリティ編

1/12-1/17のインド(というかデリー)旅行のスケッチを忘れないうちにもう少し残しておく。つまり、常ならざる事だなあと思ったアレコレのメモランダムであり、言い方を変えれば日本との差分ということになる。目からうろこがボロボロと落ちたのだ。

 

まずはセキュリティについて。

 

2008年にムンバイであった同時多発テロ事件からなのか、それともそれ以前からそうなのか、なにしろインドはセキュリティに関して相当に厳しい国だったのだ。

ja.wikipedia.org

 

インディラ・ガンジー国際空港からSaketの宿までメトロで向かったのは既に書いたとおり。

septiembreokbj.hatenablog.com

ところでそのエントリで書かなかったことがある。インドのメトロは改札の手前にセキュリティゲートがあり、ボディチェックをされるのだ*1。しかも、手荷物はX線検査装置(だと思う)を別途通すことになる。

パスポートや財布などが入った大事な鞄を一旦手放すことになったときには全身から冷や汗があふれたのだけど、幸いひったくりにあう事はなかった*2。そんな風に先ずは荷物の安全に気を取られてしまったけれども、すぐにセキュリティゲートに立っている治安要員(鉄道警察かな)が拳銃を持っている事の方が重大じゃないかという認識が追いかけてきた。相当に異世界なところに来てしまったのだ。しかもそのセキュリティゲートの向こうには長物*3を抱えたセキュリティ要員が巡回をしているじゃないか。

 

そのボディチェックと手荷物チェックは、インド旅行中の至るところで出会うことになる。

septiembreokbj.hatenablog.comの会場であるモダーンスクールのホール入り口で、そして後日訪れたモダーンスクールの学校正門で、*4

 

septiembreokbj.hatenablog.comで行ったSaketのSELECT CITYWALK(ショッピングモール)の敷地入り口で、

 

ランチを食べに行ったOh! Calcutta*5

www.speciality.co.inが入っているNehru PlaceのAmerican Plazaを囲む鉄柵のゲートで、

 

最終日に訪れた国立博物館

ja.wikipedia.orgの正門で、

 

そして出国の為に入ろうとしたインディラ・ガンジー国際空港ターミナル3建屋のエントランスで*6

 

 

この厳重なセキュリティ、単にテロがあったからだけではないだろうと睨んでいる。なんとなれば、Oh! Calcuttaが入っているAmerican Plazaや国立博物館、そしてモダーンスクール、それらを囲む鉄柵は相当に年期が入っており、昨日今日始めたことだとは思えないからだ。

それは住宅地においても同様で、宿があるSaketのDブロックは(そしてその隣のEブロックも)塀と鉄柵に囲まれていて、何カ所かのゲートからしか出入りができない。しかも23時を過ぎれば、開いているゲートは一カ所になってしまう。さらに、開いているゲートの全てには常に門番がついていて、夜ならばたき火をしているのだ!*7

つまり、柵で囲ってセキュアなゾーンを作るというのがそもそもインド的な考え方の基本であって、今の日本のようにべたっと何もかもかもがつながっているというのとは根本から違っていると見るのが妥当ではないか。そのベースの上に、テロ対策としてのチェック強化が追加されただけで、そもそもゲートを通るときに識別される・身構えるというのはインドでは当たり前だったのではなかろうか。

 

そういう目で眺めれば、デリーは大小様々な囲いで仕切られているのが判ってくる。ロードサイドのお店とオールドデリーを除けば、その囲いを細胞として街が構成されているように見えてくるじゃないか。

中と外を峻別する文化(というか生活様式)、それを地盤としたうえでのセキュリティのあり方。なるほど、そういう事なのだろうか。

 

次にインドに行くまでに、きちんと調べておかなければね。

 

 

 

*1:だからゲートは男女別になっている

*2:しかし周りを見渡せば、何者も信ぜず自分の身と資産は自分で守ると思っていそうなインドの人々も屈託なく荷物から手を離しているではないか。セキュリティゲートでひったくる、盗むというのはインドにおいてもNG度合いの高い行為なのかもしれない。何しろそこに治安要員がいるのだから、すぐに押さえ込まれてしまいそうではある。とはいえ、その辺りの事情を確認した訳ではないので思い込みは禁物なのだけど

*3:自動小銃

*4:ライブでステージに立った(タブラだから座った)チョウドリーさんに会いに行くという人にくっついて、モダーンスクールの中をうろうろするという貴重な機会を得ることができたのだった。これについては別項で記します。

*5:お店のWEBサイトを探そうとしていたら、懐かしの

en.wikipedia.orgに行き当たってしまい、しばし脱線して中を眺めていると...。なんとサム・シェパードが絡んでいることが判明!チャック・イエーガーがホントにあんなに格好良かったのかは疑わしいが、少なくともサム・シェパードが演じるイエーガーは最高にカッコいい。そうか、サム・シェパードはホントに色々と才能に恵まれてたんだな。R.I.P。

*6:勿論建屋内には、長物を持ったセキュリティ要員がうろうろしているのだった。

*7:到着初日の宿入りが遅れたのはこの囲いとゲートのせいで、それがマップではハッキリ表示されていないためにインド初心者は文字通り右往左往されられたのです。はっ!まさにセキュリティ?

1/16 鬼門はデリー空港

正式名称、インディラ・ガンジー国際空港、ここが今回の旅行でのワーストプレイスだった。

 

面倒なのがウロウロしてるので落ち着いて判断できず、結局メトロに乗ることになった入国時。

あれやこれやを乗り切って通関も済ませ、ラウンジに入る前のほっと一息抜いたタイミングに、免税店の押し売りに足を掴まれる*1出国時。

 

いやね、入国時はインド慣れさせるために敢えて殺菌、清潔化をしないという考えはあるかもしれない。ここでやられるようじゃその先は厳しいぜ、という一周まわった親切心と捉えてもいいかもしれない。

しかし出国時のはホントに分からない。残ってるルピーを全部吐き出せ、と言うのは別に変な話じゃない。でも、押し売りまがいの物売りをおいてるのを容認してると言うのはどういう理屈なのか。

 

でも少しの時間ではあるけどインドに触れてみた身としては、きっと理屈じゃないんだろうな、という気がするのも事実だ。色々あるのは当たり前だ、自分で考えな、当然だろ、という基本線があるのだろう。確かにそう考えないと、貧富の差も、民族の違いも、風土も、歴史もバラバラのインドをまとめていくことはできないのだと思う。全員を救って、平均値を作る事に汲々としてられないのだ。

 

ということで、イラッとしつつも、最後まで一貫してインドだったなあと言う思いでと共に帰途につきます。

 

インディラ・ガンジー国際空港でお土産を買おうという人は、免税店ゾーンはボッタだという事をお忘れなく(そこで買うかどうかはご判断次第)。普通の消え物のお土産なら、その裏の通りの本屋兼お土産物やがイイですぜ。なんと言ってもボッタ店の1/2から1/5の価格です。

買い比べてみた私がいうのだから本当ですよ?

(日本のお土産物の感覚で望んで)3000ルピーくらい無駄にしたのは、ここだけの秘密です。

 

*1:ほとんど詐欺まがいのディスカウント商法とか、よく通関あとのゾーンで商売させてるなと思う。理解しがたい

1/14 ラジニカーント 最新作PETTA を Saket の SELECT CITYWALK で見る

旅行の主たる目的を達したので、あとは流れのままに。

 

ということで、昼間は今逗留しているSaketという街のSELECT CITYWALKという超巨大ショッピングモールに繰り出すことにする。

en.m.wikipedia.org

 

ちなみにDehliとSaketの関係は、前者を東京都だとすると後者は区とみれば良いか。包含関係および面積対比だとそういう気分だろう(但し行政単位はアサインされてないと思う)。なので歩いて移動というのはない。ちょっと行こかとなっても基本はuberでの移動だ。

体験した範囲の交通事情のアレコレは稿を改めるけど、タクシー、ましてやリクシャーなどはネイティブと交渉できる人たちの乗り物であって、お互い拙い英語でやり取りをするならuberに限るとは現地で集合した「インド先輩」の友人の弁で、それについては100%同意。今のところ嫌な思いは一切なし(交通事情が怖いというのは別にして)。uber 以前にインドに来てた人は大変だったろうなと思いますですよ*1

 

ともあれ、そうしてuber を使ってにSELECT CITYWALKに赴いたのは午後の一時。フードコートで本物のミールスを食べ(味は本物、そして塩っぱさも本物…)、そのあと五時間お買い物クエストをモール内で繰り広げる。インドお買い物事情についてはこれまた別途書き残すとして、ここではインド的な接客(と言うか商品プッシュ)のうまさについては我々はもっと真剣に考えるべきだと思うとだけ記しておく*2

 

戦い済んで日が暮れて、こんなに買い物袋を持ったのは(バブル真っ盛り以来の)30年近くぶりだ、と年のバレる(いや、同行者には周知なんですが)感想を述べずにはいられないほどの袋を抱えて撤収。もちろんuberで。

 

そして拠点に戻ってからのおくつろぎタイムに、誰かが爆弾を投げ込んだのでした。せっかくのインドなんだから映画館で映画見たい、と。

拠点すぐそばの映画館ではRobot 2.0をやってる、これはクソ映画らしい、最後近くでラジニカーントがCGで(!)ちょっとだけ出てくるらしい、どうせラジニカーントを見るなら主演最新作がいいんじゃないか。そしてトレイラーをみんなで見る。

en.m.wikipedia.org

全く分からん。これは現物を観るしかないのではないか*3

そのようにして、買い物で壊れたワタクシ共は再びSELECT CITYWALKに赴くことにしたのだった。ラジニカーントの最新作、PETTAを観るために。もちろんuberで。

 

映画の開始は21:50。そして映画の尺は172分。前には他作のトレイラーも商品宣伝も入るだろうし、途中には休憩もある。終わったら一時過ぎるのか…。

気合いを入れて観るしかない。何しろヒンディーonly、英語字幕なし、feel, don’t think じゃなくてfeel and thinkを三時間やるのだから。

 

おお、なるほど、ふむふむ、ほほう、ええっ?、うぉぉ、ははーん、うーむ、いえー。

大体は了解。ストーリー上の枝葉に不明点はいくつかあれど、その大半はラジニカーントの魅力を120%伝えるための演出優先の結果だろうということで、あまり気にしても仕方がないかと思う。

のだけれども、仇を倒した後のどんでん返しのところがよくわかんないのだった。ここは台詞オリエンテッドなシーンだったので。それで戻ってwikipedia を見て、最後の展開を知ることができたのだけど、これって日本的な感覚からするとラジニカーントがブラック化したように見えてしまうのだけど、そこはインド的にはokなのだろうか。インド文化に詳しい人に聞かねばならない宿題が増えてしまった。

 

とはいえsuper star ラジニカーント(自分で名乗ってるのだから)、言葉がわかんなくてもすごく盛り上がる。英語でいいから字幕があればもっとよかった。どこかで字幕付きを再見しようと思う。

それから、義理と、血縁と、それに基づく復讐というのは物語の基本的な仕掛けなんだなあと再確認。復讐譚の魅力というのは確かに抗い難いところがある。

ただ、最近の日本では、義理と、血縁と、復讐の話が極端に減ってきている。これは豊かになった結果として新たな社会がステージに移行しつつあるということなのか、それとも根元的なモチーフを維持できないほど我々は薄くなりつつあるということなのか。

 

結局、日本のことを考えてしまっているのがおかしいね。

 

 

 

*1:空港からの移動にuberを使わなかったことについても別稿で言い訳します。

*2:攻守両面で参考になりました。授業料も払いましたとも。ええ、不満はございませんよ。でもね。

*3:wikipedia で見ると大筋わかっちゃいますな。誰も理性が働いてなかったのですな。バブル的買い物というのは人を馬鹿にするという証左ですな。