all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

10/16 少年サンデー、もう読まないかもしれない

同紙連載中の『第九の波濤』、今回は20歳になったばかりの青年が死ぬという展開。

これが必要な話なのか?ちょっと理解できない。

サイコロ転がして話を作ってるのだろうか。

それとも編集がクソ?

 

連載がはじまったばかりの『よふかしのうた』や、どこまでダレるのか見届けたい『トニカクカワイイ』、その他いろいろ気になる漫画がある少年サンデーは、週の真ん中のちょうど息切れがしそうなところを助けてくれる素晴らしい奴だった。

そう、『だった』。

 

もしかしたらいつか戻ってくる日があるのかも知れないけど、少なくとも今現在はもう少年サンデーを読もうという気になれない。

大日本雄弁会講談社少年マガジン(少年?)を真面目に読まなくなったのは、どこを切っても編集者の仕掛け臭がするのについて行けなくなったからだが、もしかして今回の件もそういうことなのだろうか。あの編集長だからな。

でも、もういいや。こういうのに耐えられない奴は読まなくていい雑誌ということなのだろう。

 

今までありがとう、少年サンデー。そしてさようなら。

 

 

 

これですがれるのは、週刊少年チャンピオンと、あとは月刊フラワーズと、隔月のメロディだけだな。とりあえず明日はチャンピオンに助けてもらおう。

 

人間の勇気ということについて、10/14に石川県羽咋市で色々考えたことを書こうと思っていたのだけど、『第九の波濤』があまりにもヒドかったので、今日はその事を書き記しておく。勇気と正しい資質(The Right Stuff)については次回。

 

 

 

10/6 10年前を振り返ったら、F5がNginxを買収したというビッグニュースを半年も知らなかったことを知った

いまから十年前、会社の存亡に関わるようなとても厳しいプロジェクトがあった。

そのときに大いにしがらんだ要素の一つにLB(Load Balancer)がある。F5ネットワークスという会社のBig-IPというシリーズの機器だ。10年前を思い出し、そこからの横連想で、クラウド大流行の昨今はF5ネットワークスのような会社にどんなインパクトを与えているのだろうと気になって調べてみたら...。

 

 

なんと、F5ネットワークスはNginxを買っていた!

www.itmedia.co.jp

マジですか?

ja.wikipedia.org

にも、

2019年3月、Nginx, IncはF5ネットワークスに6億7000万米ドルで買収された。 

 とありますわ。感慨深い。

LBの世界では無敵と言われたF5ネットワークスだけど、ちゃんと商売の軸足をサービス(しかも包括的な)に広げているのですね。祖業にこだわることなく事業を発展させていこうとする意志は学ぶところが多いです。

 

まねできるかどうかはおいといて。

 

以下は、ワタクシの人生が10年前にどのようにF5ネットワークスと交差したかの思い出。書いとかないと忘れちゃうからね。

 

 

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9/23 北極

と言っても1958年8月3日に世界初の原子力潜水艦ノーチラス号が潜行通過した場所のことではない。金沢は石引にある老舗の洋食屋のことだ。

 

大学がお城の中にあったころ、石引は食べ物屋だらけで、しかも深夜まで飲み食いができた。街におなかをすかせた若人がうろうろしていたからだ。そのうちに怪しい力が働いて*1、大学は熊がでるようなところに引っ越してしまい、街から若人が消えてしまった*2。そして石引の凋落が始まった。

立て替えなったばかりの新店舗をわずか2,3年で捨てて森の里に引っ越してしまった第七餃子のようなクレバーな店はほとんど無く*3、学生相手の商売は来るはずのない春を待つうちに力を使い果たしてみんな消えていった。昔日を知るものにとって、今の石引は廃墟に等しい。

 

そんな通りにあって今なお商売を続けているのは、結局のところそもそも学生を相手にしていなかった店ばかりだ*4。その中の一つに北極がある。

いや、もはや有ったというべきなのかも知れない。

 

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北極店内の張り紙

このまえの土曜、昼食を取るために家人と一緒に訪れてみれば、入り口に上掲の挨拶が貼られていた。

 

数年前にご主人の体の調子が悪そうな時がありに、もしかしたらもう食べられないかと覚悟した事があった。幸いにも復調されて、いつも通りの味が楽しめるようになったときには、家人と共に大いに安心したものだ。ものに終わりはあるにせよ、まだ大丈夫だ、まだ行けるね、と。まさか駐車場が原因で商売が続けられなくなるなんて思いもしなかった。

もちろん駐車場がなくなれば立ち寄れる人が限界を割り込んでしまうという算盤はわかる。アタシがまさかと思ったのは、15台も停めれば一杯の駐車場をマンションだかなんだかに仕立て直そうと思った地権者のバカさ加減だ。周りをまとめて地上げでもしないとまともなマンションなんか建ちゃしないよ。それとも半チクなマンションだかアパートだかに住みたがる手合いを引きつける力が石引にまだ残ってると思うのかね。そんな見切りにアタシの北極が巻き込まれてしまうのかね。

 

 

北極ではハンバーグと魚フライがメインのBランチが定番の注文なのだけれども、センチメンタルな気分になって銀串とエビのフリッターがメインのAランチを頼んだ。銀串を出す店も、金沢じゃここだけになってしまっていた。そうか、銀串はもう金沢から消えるのか*5

食べている途中に女将さん(というか、正確には女将さんとマダムの中間の感じ。何とお呼びすればよいのか判んないので、ここでは女将さんと記しておく)がテーブルまで挨拶に来てくださった。掛ける言葉も見つからず、残念という気持ちと、10月からのテイクアウト用のメニューをいただきたい事だけをお伝えした。しかし、そのときの女将さんの表情にまだ力があった事は書き残しておかなければならない。まだだ、まだ終わらんよ、という力を感じたのだ*6

 

ともあれ、それでも節目に立ち会えたことはまだしもだった。その日のアタシはそういう気持ちであった事を記し、女将さんの表情に、大変な事に立ち向かう力を感じた事を残すモノ也。

 

 

追記

と、いくらか明るく締めくくろうと思ったら、追い打ちが。

賢坂辻の老舗、おでん&寿司の『まるよし』が本格的に閉めた模様。ショーウィンドウから店の名前が消えたのだ。ああ、ここも閉まっちまうのか。これで材木町のチューが無くなっちゃったら、ホントに真空地帯だ。

いや、まだ石引の『春甚』『うどん割烹 どんすき』と、賢坂辻の『すし捨て』があるな。何とか頼みますよ。ちょっとメシでもというところが近所から消えちゃうのは本当に、本当に困るのだ。

*1:文教族の元締めの某が、という話は当時の市民の常識でしたね。

*2:美大生は相変わらずいるものの、彼らの購買力はそもそも質、量共に極めて限定的だった

*3:あのときの見切りと、支店を作らないというポリシーには未だに敬服しております。なんだかんだ言って、第七は商売に見識があるなあと。

*4:キッチン杉の実はどうなのだと言われそうだが、実はあそこを支えているのは大学病院なのではと睨んでいる

*5:大阪洋食の流れもここまでかと思ったら泣けてきた。うそ。

*6:そうあって欲しいというコチラの欲かも知れないけれども、だとしても、そうあって欲しいのだから仕方がない。

9/18 SOMEONE'S WATCHING ME!

昨日、こういうエントリを書いた。

 

septiembreokbj.hatenablog.com

殴り書きで論旨ヘロヘロ、穴があったら入りたい類いだけど、それもまた人生なので放置しておく。ただし一番大事なことを書き忘れていたのはさすがに問題だ。

だから今日はその一番大事なことを記しておく。

 

 

ストリートビューに記録されていることが判ってからというもの、ワタシの背筋は伸びっぱなしだ。もし、だれかが、ワタシのことを見ていたら、と思ってしまうのだ。

いや、ここ数年筋トレの甲斐あって結構姿勢は良くなっていたのだけどね(そして、そのおかげでストリートビューの中のワタシも、みっともなくはなかったのだけどね)。

 

でも、誰かがどこかで見ているのだ、というオブセッションが頭にとりつくと、いままでよりも、さらに姿勢が良くなってしまうのだ。もしかしたら歩き方もエレガントになっているかも知れない。それどころか、公徳心すらいや増しているような気がする。

(いやいや、ワタシはすでに公徳心あふれる立派な市民として評判の人物だったのですよ?それが更に高潔になってしまう事ができるだなんて...)

 

 

中国では街角に監視カメラが大量に設置され、市民を見守り続けているという。そのカメラはセキュリティ向上だけではなく、市民の道徳的な力を向上させるためにあるのだという。なんというディストピア、なんというINGSOC、ワタシたちの国はそのような矯正装置と無縁であることを言祝ごうではないか。

 

と思っていた無邪気な自分にはもう戻れないなあと気がついたのが、ストリートビューデビューを知ってしまった事の最大の影響です。パノプティコンに住んでいるということを思い出させられたと言っても宜しい。

 

我々にスクランブル・スーツを!

紺のスーツやポロシャツの上に着るのかという難問に答えなければならないにせよ。

 

 

9/17 ストリートビューデビュー

先週のことだ。

目黒のオフィスに顔を出したら、みんなの態度が何だか変。どうしたことだろうとおもっていたら、向こうでの席のご近所のSさんがオフィス近傍のストリートビューを見せてくれた。

『これ、septiembreokbjさんですよね?』

『ヲヲ、これはアタシだね。ほら今日と同じ格好をしているでしょ?』

ディスプレイの中には、ワッフルハットをかぶり、今日と同じく紺のポロシャツとカーキのチノパンを身にまとった、顔にモザイクをかけられた男の歩く姿がうつっていた。つまりワタシは知らないうちにストリートビューのデビューを果たしていたのだった。

 

『ですよね。知り合いがストリートビューに出てるのって始めてだねってみんなで盛り上がってたんですよ』

なるほど、ワタシの知ってる範囲でもストリートビューに写ったことがある人はいない。そうか、確かにレアイベントだ。でもね。

 

 

6月から9月いっぱい、つまり学校で言うところの半袖シーズンは、原則として紺のポロシャツとカーキのチノパンしか着ないことにしている。と言うとスティーブ某のまねのように思われそうだが、そうじゃない。巷間いわれている『服を決めてしまえば選択のコストが下がり、より有意義なことに思考力を集中できる(決断力を無駄遣いしない)』を否定するわけではないけれど(それどころか、その効果は大いに認めるところだが)、それが第一義ではないのだ、自分の中では。

 

レブロンの創業者はいつも紺の無地スーツとプレスのきいた白いシャツ、そして臙脂のネクタイをしていた。彼はそうやって自分の印象を常に一定にコントロールしようとしていたのだ』、そんなことを大昔にどこかで読んで大いに感銘を受けた。十代と書いてバカとルビを振るべきだと思う。今なら偽りなくそう言える。君にはそれより前にやることがあるだろう?

ともあれ、そういうものだと思い込んでしまったからには、スーツは紺の無地しか着ないし、シャツも絶対に白であらねばならず、ネクタイはシチュエーションによって使い分けがあるにせよ、基本は臙脂になる。かくあるべきではないか。適切な服装をもってして、印象を常に一定にコントロールするのだ。

十代のときの刷り込みとは本当に恐ろしい。

 

更に時は流れておよそ十年前、そういった思想はついに半袖のシーズンに侵入するに至った。勤めている会社にはドレスコードはないし、幸か不幸か付き合っている範囲のお客さんもこちらの服装を基本的には気にしない。その環境における印象をコントロールするために紺のポロシャツとカーキのチノパンが選ばれ、半袖のシーズンは月曜から日曜までの週に七日、同じ装いをすることになったのだ。洗濯をして、洗い上がったものを干していると、やはりどうかしていると思うのだけど、しかしそういうモノなのだ。そうせねばならないのだ、ワタシの中では。

 

 

さてさて。

ストリートビューというのはある種の盗撮であって、だから顔やナンバープレートなど、そこに誰がいたのかを示す手がかりにはモザイクが掛けられる。適切な処置だ。しかしながら『同じ服しか着ない』人間の場合、どうやらモザイクは(少なくとも現行のモザイクポリシーは)意味がないのだった。成る程、意図にかかわらず振る舞いが結果を規定するのだね。いやむしろ『印象を常に一定にコントロールしたい』という欲望からすれば、モザイクを突き抜けて個人の識別に至った事は成功と捉えるべきなのだろう。まさかストリートビューに写っただけで、自分のいびつさ、偏りと向き合うことになろうとは。いかにものことではあった。

 

 

 

このエントリにはもちろんオチはなく、ましてや何の意味も、教訓もない。自分の偏りが思わぬ形で摘示されるというレアイベントの発生を、いつか行われるかもしれない内省のための手がかりとして保存するものである。

 

 

追記

そしておそらく楳図かずお先生にも同様のことがおきるのである。さて先生はどんな欲の故にその振る舞いをされているのだろうか。ここを調べるのは宿題だ。

9/16 夏が終わって、54になって

2017年からこっち、夏は調子がよろしくない。

なんとなれば7月は息子の誕生日があり、歳を数えればダウナーにもなる。

続く8月は暑いところにもってきて、親族のみなさんのアテンドをする事が多く、特段の意趣はないものの、体力的にも、精神的にも疲れがたまる。

 

今年はそれに加えて固有の理由が(主にメンタル面での)引きこもりを加速した。会社の組織再編の結果、コーポレート部門の相当部分の責任がコチラにふってきたのだ。

しかも既設部署の長になるならまだしも、新組織でやれという。なんとミッション規定から...。新組織の立ち上げも色んなパターンがあるけど、ミッションの定義から考えるのはやはり大変だ。

無茶振りは中小企業の習いとはいえ、疲れない方がどうかしている。

 

 

そのようにして過ごした夏を振り返ってみると、プライベートな記憶だけが抜け落ちている事に気がついた。おそらく、そしてもはや、自分の身の回りのことを覚えていようという気がないのだ。

やる気がない理由は自分自身よく理解している積もりだが、禄を食んで暮らしている以上、『人間のふり』をし続けることは欠かせない。そして人間のふりをするには、記憶が必要だ。ブレードランナー(特に2049)を見よ。

 

 

そうして極めて実利的な目的から日記を再開する事を決めたのが昨日、9/15のことだ。

幸い9/16は誕生日であり、何かをリスタートするにはきりの良い日だといえる。

夏が終わって、54になったワタシは、覚える気が無い自分の身の回りのことを日記に押しつけて、次の冬に向かっていくのだ。

 

6/30 ホテルとビジネスホテルの差

ってことをお考えになったことはございませんか?

 

バンケットができる、バーがある、がホテルの条件だってのは、まあその通りなんですが、バンケットができなくて、バーがなくても立派にホテルというところもございます。

(逆に、万年閉店のバーの残骸をおいてあるホテルってのは...)

 

その反対側であるビジネスホテルには朝食がないと言ってたのも昔の話。きょうびはどこでも朝飯『のようなもの』を出してきます。こんなソーセージのイミテーション、どこで見つけてきやがったというのを、旨そうに平らげて、しかも二度三度お代わりをしてるお客さんを見たりすると、ああデフレってのは本当に罪作りなことをしやがったんだなあ、と思うことも一再ではございません。ちょっとドリフトしましたな。

 

さて、いろんなものの境界があいまいになる昨今、宿泊業もその例に漏れず、ホテルは下方向に降りてくるし、ビジネスホテルは上方向に登ろうとするしで、何がなんだか判んなくなっております。

 

が、意外なところに明確な差があるんでございます。

 

 

などということを、今週の出張から戻ってきたあとのサパー*1で家人に聞いてみたところ、なんと即座にこちらの考えを言い当てやがりましたですヨ。

 

「ホテルとビジホの差?そりゃ、バスルームの段差でしょ」

 

ご明察。アタシの結論もそれでした。

ビジホは、バスルームの入り口に段差があります。水回りの配管分の持ち上げが必要だからなんですが、普通のホテルはその段差をよしとせず、客室床面(ってことは廊下を含めたフロア全面)の持ち上げでフラットにしてます。そこにコストを払うことを是とするか非とするか。

その辺りのところに自らの立ち位置が現れるのだというのが、延々と出張をし続けているものの結論でございます。

 

しかし延々と出張してコチラがようやく言語化できたことを、家人はさらっと押さえてきたのはオドロキです。っていうと上から目線にみえる?いやいや、様々な面において尊敬しているし、いつも敬意を払って接しているんだけど、しかしそういう差分把握を鮮やかにやるのはあまり得意ではないと思ってたので、それはスゴく意外。いや、少ないサンプル数から当たりを掴むのは得意と言えば得意だったか。

うむむ、ますますの尊敬を。

 

*1:疲れ果てての深夜の軽食でありますれば