all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

9/28 1977から40年たちました。

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スゴイね、靴もスーツも。

あり得ないチンピラっぷりだね、ポール。なにその目つき。

 

散々お布施をしたのでさすがにこれは買わないけど、このジャケット写真は最高だ。

 

詳細はここ。

amass.jp

クリムゾンが40th anniversaryを出すのは判るけど、そうかジャムもそんな昔になっちゃったんだ。

 

9/28 Adobe Flush Playerによる人間の分別

本業バレするけど、大いに笑った(嗤った)ので記録として。

 

ITmedia Virtual EXPO (IT) というものがある。

ITmedia Virtual EXPO(IT)とは

いつでも、どこでも参加できる日本最大級のバーチャル展示会

秋のITmedia Virtual EXPO 2017(IT)は、今年で15回目を迎えるアイティメディア主催のバーチャル展示会です。

展示会場をインターネット上に再現したVirtual EXPOは、「いつでも」「どこでも」参加でき、来場者は会場内を移動しながら、出展企業のブースをめぐったり、動画や電子ファイルを閲覧/ダウンロードすることができます。

 

なのだそうだ。

 

詳細はここ。

ve.itmedia.co.jp

 

フーン、面白そうだねと思って登録を行うと、ビジネスパーソンとしての情報を少なからず求められる。まあイイか、物には対価が必要だよね、と申し込むと、そこには想像を絶する落とし穴が!!

 

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ナンダコレハ?!

いまさら Adobe Flush Playerが必要だというの?ITmediaなのに?

セキュリティ上の問題があるので使うなよ、という記事をじゃんじゃん載せてるITmediaなのに?

 

面白すぎる。いくら興味がある内容だからと言って、今更Adobe Flash Playerを入れた環境を作るものかよ。

...と書いててようやく気がついた。きっとこれは新手の情報取得スキーム(サギと言いたいのをぐっとこらえる)なのだ。良く見ればサイトにはAdobe Flash Playerが必要だという説明がある。それを良く読まない粗忽ものからまずはビジネスパーソン情報をぶっこ抜き、さらにログインの有無によって非常識なやつ(もしくは極めて物が分かってて、手間を惜しまないやつ)と、ヘタレの色分けまでする訳だ。注意書きを見落として情報供与に同意した上でログインをしなかったワタシは、粗忽者かつヘタレということである。そしてそういう情報がITmediaに蓄積されたのであった。

 

うーむ、今回もオチはナイ。無いのであるが、感慨はある。金と情報が交換可能になった世の中というのは、中々辛いものである事よ。自分の商売がそれに一役買っているというのもアレである。

 

追記

中国には個人情報の観念がないので、WEBサービス、モバイルサービスは他国と異なった展開を遂げつつあるという記事にかなり感心した。

...ブックマークするの忘れた。思い出したらエントリ書く。

ともあれ、ITmediaのごときチマチマした話が無い中国のIT屋さん、どんなマインドなのか一度コミュニケートしてみたい気がしてくるね。

 

9/26 要因と原因

原因とはcause、要因とはfactorの事なり、と学校ではそのように教わったし、こちらもそれで物事を整理してきた。

 

おお、だがしかし、

dictionary.goo.ne.jp

等を見ると、

物事がそうなった主要な原因。「事件の要因を探る」

 

と記されている。これは一体何だろう?

調べてみると、gooのバックエンドである大辞泉に限らずアチコチの辞書でそのように書かれている。何故なのか。ありがたいことに大辞林には言葉の来歴も記載されていた。

物事が生じた、主要な原因。 〔「改訂増補哲学字彙」(1884年)に英語 agent の訳語の一つとして載る〕

 

ほお、1884年ということは、渡来の概念や用語を一式日本語化した建国時の一連の活動の成果ということだね。あの時、様々な言葉が日本語化されたお陰で日本語による教育というのが成り立つようになった(正確には、辺境の島国の母国語であってもそこそこの競争力が成り立つ教育ができるようなった)のであり、とても有意義かつスゴイことであったと思うのだけど、しかし本件についてはどうだろうと思う。

 

というのは、問題解決という技法がいつまでたっても根付かないという問題において、factorとcauseの区別が付いてない人が多いというfactorが識別されるからで、今回要因のことをわざわざ辞書で引いたのも、諸君は要因と原因をどういう意味で使っておるのかね、と説明するためなのであった。そして驚愕した、と。ではfactorとcauseにはどんなラベル(言葉)を使えば良いのか。言葉が定まっていないものを考えることは、非常に面倒だからね。

一つには、原因==causeはそのままとして、因子==factorとして運用するというのがある。でもなんか因子っていやだな。何故だろう?今日は深入りしないけど、何かあるな。まあいいや。

もう一つにはそのままfactor、causeでやるという手だ。でもねえ、横文字入り混じり文って、思考が今一つ咀嚼されてない感じを受ける。これも個人的な偏見だけど。

やっぱり工学系では一般的な用法である、要因==factor、原因==causeで押し通したいのだけど、そうすると辞書との激突は避けられない。これもなあ。

 

結論は無い。JISでこの手の用語一式を定めてくれないかね、と半ば本気で思いつつ終了。

 

追記

最近だと課題という言葉の多義性というか、定義のばらつきに難渋した。これも定義がアレでねえ。まあ、こっちは多義性だからまだイイ。

Hatena Blogを眺めていたら、奇妙な文章に行き当たった。

 血統主義前近代的に見えて、実は極めて近代的なものだ。ドイツで「国民」を創生する過程で生まれた血統主義は近代化を通して日本に入り、さらに植民地を通じて韓国と北朝鮮に入ってきた。国民を定義するだけの意味でしかなかった血統主義を日・韓・朝の人々は頑なに信仰している。

この血統主義って出生地主義と対になる言葉なの?どうもそうは読めない。血統主義って信仰の対象にならないよね。血統を大事にすることを血統主義と言いたいのだろうか(他にも?な記述があるが、それを突っ込むのとレイシストとか論難されそうなので言わない。Viva不自由な言論)。こういうのって非常に気になる。

いくら自分が正しいと思っていても、辞書の定義とぶつかる要因の使い方が気になってしまうワタシとしては、他所様の文章においても、一般的な意味ではないタームの使い方には一々引っかかってしまう訳です。そういうのも差別主義者って言われちゃうんですかね。暮らしづらいことです。

9/22 エンドウ豆の上に寝たお姫さま

ご存じの方も多いと思うが、エンドウ豆の上に寝たお姫さま というお話がある。

エンドウ豆の上に寝たお姫さま - Wikipedia

 

割と顰蹙を買っているらしく、上掲wikipediaにも

本作品は刊行直後にはよい評価を得ることができなかった 

 

また、ある雑誌に載った批評では「品がないばかりでなく、高貴な女性はすべてこのように過敏であるという誤った印象を子どもに与えてしまう」と評された。 

 

とあるし、ドイツの人が書いた記事によれば今なおFuckな人の代名詞である模様。

ja.myecom.net

このエピソードから、どんな小さい豆でも邪魔に感じる人は「Eine Prinzessin auf der Erbse sein」と言われます。すなわち、どれだけ良いものがあっても文句ばっかり言っている人に対する呼び方です。 

 

 

 

なるほど。邪魔かどうかは主観だよね。エンドウ豆姫はたちの悪い主観の持ち主ということなんだ。でも邪魔ではなくて、違いとか、違和感というものならどうなのだろう。違いが判ってしまう人はみんなFuckerと呼ばれなくてはならないのかな?判ってても黙ってろということなのか、それとも判るということ自体が悪なのか、はたまた主張の仕方を問われてるのか(相手の気持ちを慮れ、と)。
主張の仕方を問題にしているなら判る。でもそれって、その口の利き方は無いダロ、という話であってエンドウ豆姫が引きあいに出される筋合いじゃない。なあ、そうだろ、ドイツの人よ。やはり判るということ自体に関わる問題が横たわっているとしか思えないのだ。でも繰り返すけど、判る、判ってしまう、ということは不可避なのであって、判んない人が何を言おうと、判ってしまった こと 自体は変わらないのだ。

 

こんな話がある。
二階のある部屋のフローリングが最近たわむ気がする。経年変化による範囲を超えて、もう少し余計に沈み込むような、踏み込んだ足にかける体重に応じて床にねじれが生じるような。家族の中で一人だけ、そんな違和感を覚えている男がいた。残りの家族は、古い家なんだからそんなものだ、とか、もう十年も前から同じ感じだ、等と言って、男の細かさ(細かさと繊細さは違うと思うのだが)故の錯覚にしようとする。男としては非常に心外で、なぜこれが判らないのかと繰り返し主張をするのだけれど、気のせい、気にしすぎと反論されてしまう。そのうちに家族が一人減り、老後の始末を前倒しに行うべく家の大規模リフォームを行うことになり、その機を捉えた男は二階の床下の確認をリフォームの一環に潜り込ませることにする。
果たせるかな、男が主張していた違和感には原因が存在した。梁にシロアリがついており、一旦床を全部落として総取っ替えを行わなければならない事が確認されたのだ。補修のために床が無くなり階下が丸見えになっている部屋を見つめて、男が思い出したことはエンドウ豆姫のことだった。判るんだから仕方ないじゃないか。

 

もちろん男はワタシの事であって、結局全ての床をめくることになり、その時点のシロアリ被害は局所的だということが確認できたのだけど、自分の違和感を棚上げにして、フローリングの床下確認を先送りにしていたらどうなっていたのか。何があったのか、考えるだに恐ろしい。

 

 

今日の結論は、こうだ。
伝え方は考えなきゃならないにせよ、判ってしまうのは仕方がないし、判ってしまうという事を持って非難されるのはお門違いだ。判ったことを伝えるのが文句に聞こえるってのはどうにも納得がいかない。エンドウ豆姫も大きなお世話だと思っているだろうし、ワタシも勿論そう思っている。

 

そしてエンドウ豆姫は、その理解者を得るところで話が終わっている。ワタシの場合は...ワタシの細やかさを諦念をもって受け入れるように、各員の一層の奮起を期待するという所かしらね。

9/21 日常生活から生ずるとりとめの無い雑感(仕事編)

仕事と家の大規模リフォーム、そしてリフォームに伴う不用品整理ならびに使用頻度の低い物のパッキングおよび宅内外への移動ですっかり時間が溶けてしまっていて、なんにも書けておりません。最近の仕事が作文ばっかりなのがクラッシュに輪を掛けてます。役所向けとか、次期中期計画向けとか、その他の面倒な作文ばっかりで、心安らぐファンシー(!!)なBLOGを書こうにも、作文をする力が全部吸い取られてしまってて、全く筆が進みません。...最近Apple Pencilなのでマジで筆の場合があるのです。

とはいえ、BLOG書かないとシンデンノカと言われそうなので、何かは書いときましょう。そうなるとネタは必然的に仕事かリフォーム関連ですな。ということで今回は仕事関連で「驚いたなあ、もう」というネタを。


最近の仕事の1つとして、自社のビジネスプロセス管理(Business Process Management)の各種規定の改訂というのがある。たたき上げの中小企業であるところの弊社においては、各ビジネス部門が長期どころか中期の視点も怪しいまま目先の事象に過剰反応してみたり、逆に評価して意志決定に反映すべき事柄をばっさりつかみ損ねていたり等々の問題が出ており(ま、標準的な中小企業ですね)、これから経営環境が厳しくなると予測される業種であるので、生き残りのための体質改善を図ろうとまずBPMの改訂作業を行うことになったのだった。
と言っても、いきなり怪しいセオリー(それってセオリーなの?形容矛盾だ)を適用しようとか、そんな冒険主義的(と書いてバカと読む。分析無しに特定のセオリーの適用を主張し始めるバカはどうにかなってしまえば良いのだ)な事をやるわけじゃない。今現在の計画の立て方や統制手順を紐解いてドキュメント化し(そう、アンドキュメンテッドな箇所があるのよ...)、実際の計画・統制の実施状況をまとめ(計画の実施状況じゃなくて、計画行為の実施状況ね)、現状発生している事業遂行上の問題の原因となる箇所を求め、それらを埋める方途を検討し、その方途に基づき実施する期末評価の手順説明資料を作成し...等々を、経営ってメタプログラミングかもなあと思いつつマジメにやる。で今回のネタである「驚いたなあ、もう」は、ビジネス部門の実際のオペレーションと、各種の計画と整合させるための統制の考え方をどうしようかねえというところに登場してくるのだった。


世の中にはOODAという考え方がある。

OODAループ - Wikipedia

 

大づかみに言えば、OODAとは機略戦という作戦術(作戦レベルの統制技法)の中核理論。弊社の社風はゆるーいのがウリなので、オペレーション(ってのは正に作戦ですな。「作戦」とは、戦略や戦術を実施すること=Operationです)の統制の一手法として社内展開してもいいなあと常々思っており、この機にどこかのビジネスユニットにやらせてみようかと考えたのが時空の裂け目を覗くきっかけだった。

OODAが如何に素晴らしいかを説くサイトは、すぐに幾つも見つかる。

 

www.fujitsu.com

dentsu-ho.com

あと、そういう大人に騙されている頭の弱い若人も。

 

studyhacker.net

これらに共通する論旨は「PDCAはもう古い。これからはOODAだ」。眩暈がする。上に書いた通りで、OODAは作戦術の一部をなす理論であって、戦略やその上位の計画の直接の理論ではないのだ。作戦術を最上位にして経営をするの?アタマ悪すぎ。何が悪いかというと、①これでセミナとかコンサルの商売ができる(だませる)と思っちゃうところであるし、②偉そうな人が言ってるから良いことなんだと信じちゃうところ。マジでアタマ悪い。電通の奴が書いてる変なKPIを設定してPDCAがダメなパターンって、頭を使ってないだけじゃない。OODAになったら頭を使うの?ツールが変わったら頭が良くなるの?そんな訳ないでしょ。
そこに第三のパターンが加わってくる。PDCAとOODAは使い分けをすべきとか言ってるサイトが結構みつかる。ちょっとひねって考えられるワタクシって感じが鼻についてゲンナリする。③場合に応じて使い分けるのが大事ですね、とかもっともらしく書いといて、その場合に関する説明が無いのばっかり。使い分けじゃなくて担当する階層が違うのだということが理解できてないのが丸わかり。アレ過ぎる。

 

等々、調べれば調べるほどOODAという言葉を使うのはやばすぎる(社内に要らぬ誤解をはびこらせてしまう)事が判り、クラーイ気持ちになっていたところに、件の時空の裂け目に出会ったのであった。
引っ張る?いやいや、そのくらいの価値がある物件なのだ。

 

iandco.jp

最初は①なのかな、と思った。でも良く見るとスゴイ事が書いてある。

実践で使われる光速OODAループ

lightspeed、だと?
これは異次元かも、とサイトを子細に眺めるとスゴイのがザクザク出てくる。

 

iandco.jp

第五世代OODAループ?
たしかに以下のサイトにあるように、F-35にはNew OODA Loopが載っているのだそうだ。

The F-35's New OODA Loop | U.S. Naval Institute

One of the primary design elements of the F-35 was executing a fifth-generation version of John Boyd’s well-known Observe-Orient-Decide-Act (OODA) loop. 2 This fifth-generation OODA loop uses information as its key attribute, while taking into account current technology and tactics, which have changed greatly since Boyd helped shape the design of the F-16 in the 1970s. Using this updated paradigm to shape the next generation of fighters yielded an F-35 designed around information flow, rather than dogfighting, as fourth-generation fighters such as the F-16 and F/A-18 were. 

 うん、うん、そうだね、そこにはウソはないね。
でもね、

第4世代から第5世代 経営戦略へ

今日の経営は、スピードと機動性を実現した第4世代OODAによる自律分散型の経営戦略から、第5世代OODAの概念に基づく環境変化への適応力を備えた経営戦略の遂行の段階に来ています。
第4世代 経営戦略:
第4世代経営戦略とは、スピードと機動性を重視した自律分散型の経営を遂行する戦略です。
第5世代 経営戦略:
第5世代の経営戦略の特徴は、敵を圧倒するスピードと想定外の事象が起きないような想定能力の強化です。気づきを得るように包括的なフレームワークで戦略を構築します。シチュエーションアウェアネス(SA、Situation Awareness)を完成させていきます。

 

 と、経営戦略の話にいきなり飛躍するのはどうなの?
機略戦を英文のwikipediaで見ると

Maneuver warfare - Wikipedia

Maneuver warfare, or manoeuvre warfare, is a military strategy

と書かれてるんだけど、その military strategy の定義はコレ。

Military strategy is a set of ideas implemented by military organizations to pursue desired strategic goals. 

military strategyとequivalentなのはせいぜい事業戦略で、経営戦略に釣り合うのはgrand strategyなんじゃないの?
そういう翻訳詐欺のようなことを交えつつ、このアイ&カンパニー・ジャパンさんはステキな記事を大量に書き散らかしている。マジで異次元。
どこまでがFACTでどこからが彼らのファンタジーなのかを識別しつつコンテンツを読み解いていくと、あっというまに時間が溶けてしまう、魔法過ぎるWEBサイト。「驚いたなあ、もう」である。こんなのを公開出来る強い心はどこに行ったら手に入るのだろう。

 

<今回のまとめ>
OODAループは大元の話は大変面白く(ジョン ボイドという発案者自身が非常に良い。ググルとすぐ出てくるから是非見てみよう)、うまく使うと良い事があるだろうとは思う。
でも、その周りを寄生虫や異次元からの使者が取り巻いているので、キーワードだけを投げると多くの人が道に迷うだろう。
であるので、読み解き方の資料とセットじゃないと、とてもじゃないけど社内展開できないな。
暇になったら、ちょっと考えてみようか。さて、暇って何だったっけ?

 

9/10 20周年あれこれ

快晴。ランダムに音楽をかけっぱなしにしながらガレージでエアロバイクなどを解体してたら、

 

世界は1分間に45回転で廻っている 'The World's spinning at 45 r.p.m.'
詞 ⁄ 曲 : 小西康陽

 

が流れてきて、手を止めてしばし聞き入る。

昔は思わなかったけど、これって現実のことじゃないよな、死ぬ間際か、死んじゃった後の、魂の安らぎの曲だよな。ソイレントグリーンで、安楽死をする老人が最後に見る夢(イメージ)のような。そこからランダムプレをとめて、その曲が入ったアルバムであるhappy end of the worldを一枚丸ごと聞き直す。エアロバイクのフライホイールをバラしつつ。

 

ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド - Wikipedia

 

おやまあ、発売からもう20年なのですね。当時もいろいろありつつ人生を過ごしていたなあと振り返ってみるものの、他人の人生を見るようにしか思えなくなっているのは、生殖活動をする時期が過ぎちゃったからでしょう。Viva老化。
そのころはラヴソングだと思ったものが、20年経つとアルバムのタイトルどおり、世界の終わりの幸福な一断面にしか見えなくなっているというのは、時空を超えた良い体験。小西さんはどんなつもりで名前を決めたのかわかんないけど、すごく腑に落ちてます。worldにendが付いたら、happyかどうかは問題じゃないということなんだな、と。

ところでPizzicato Fiveって、いまCDが手に入りにくいのですね。すごーくもてはやされて、そして顧みられなくなる感じって、ポップアート的で趣があるといえばその通りなんだけど、でもAmazonに残されているレビューが

 

hthttps://www.amazon.co.jp/dp/B071KZZXZMtps://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1Z9744OHN7THN/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0000070AA

 

だったりするのはやっぱり無残な感じ。なんだこりゃ。


同じ1997年発売で同様にお世話になったアルバム、OKコンピューターが、

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B071KZZXZM

 

と麗々しく20周年記念盤を出してんのを見たりすると、やはり寂しいものがあります。

大胆な引用が災いしてか、リイシューがしづらいのだ、パーフリもだけどなー、みたいな話を耳にしますが、なんとかクリアして是非網羅的に再カタログしてもらいたいものです。ボックスだとなお嬉しい。評価は棺を覆うて定まるものなので、鑑賞に耐える立派な墓を出して欲しいという気分ですね。


ちなみに個人的にhappy end of the worldで一番くるのはporno 3003。まさに愛のテーマ。そうか、20年か。

無常の一形態。

 

9/7 一つ賢くなる : 人工と人造の違い

こないだ行ったトクラスのショールームで、人工大理石とこちらが口にするたびに、応対してくれたショールームのおねえさん(PC絡みについては9/3を参照)がさりげなく、しかし明確な意思を持って、人造大理石と訂正をかぶせてきていた。正確さを追求するのは良い事なのだけど、その熱意の根源は何処なりしやと思わずにはいられない雰囲気があった。それこそ、今日になってもまだ引っかかっている位の。

 

いつまでも歯に物が挟まったような感じでいるのもなんなので、家を出る前にちょっと調べて見たところ、いきなり答えが見つかった。

人工大理石 - Wikipedia

 

すごい事が書いてある。人工大理石は大理石のように見えるだけのもの。人造大理石は大理石の特性を再現した、大理石に見えるもの。そうだったのかー。そりゃ全力でかぶせてくるわ。

「人工大理石だから、ここ熱い鍋とか置いても大丈夫なんですよね?」

「はい、人造大理石だから熱も安心ですよ」

こんな感じの会話が何度か繰り返されたのは、ワタシの無知ゆえです。すいません、そこはかぶせたくなっちゃいますよね。適当な説明しやがって、と後で突っ込まれるのも嫌でしょうし。

などと書くと、そこで人工と人造の違いを説明してくれても良いのではないか、という声が聞こえてきそうだけど、ワタシはそうは思わない。その手の知識説明をされると、バカにされたと思って逆ギレする奴もいるからだ(ああ、もちろんワタシは違いますが)。であるので、気がつく奴は後で調べろ、違和感を感じるくらいには過剰な正確さで説明してやるからよう、という態度は落とし所として大アリなのではないかと思う。

 

おかげで一つ賢くなったよ。

 

 

もちろん、全ての話に落ちはある。9/3と今回の二度にわたって賞揚したトクラスのおねえさんであるが、見積りを取ったユニットバスのモデルが9月いっぱいでディスコンになる事をその場では教えてくれなかったのだ。ついさっき、工務店さん経由でその情報を入手してちょっと愕然とした。すぐに発注を掛けるから良いんだけど、ボクが詳細見積りを貰ってからグルグルするタイプだったらちょっとやばかったかも。

(それでもトクラスのトータル評価は今の所大きくプラス。使ってみるのが楽しみである)