all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

朝日新聞は役に立つ

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なんだ、残念だな、このひと。
「戦争まで」を子供のために買って、自分でも読んだときの違和感がはっきりした。
資料を読むということにこだわるのは良いんだけど、資料の整合性をどう追っかけるかに汲々としてて実体には踏み踏み込まないとか、その時代に生きている人の気持ちを顧みない感じとか、逆に構造的な欠陥があることを暗示させつつ自らそれを語ることを避け続けるとか、歴史のパターンを追う余りに事象の固有性(一回性)を論じないとか。


書中では陰謀論のことをあげつらっているが、しかしこの本だって特定のバイアスがある。「(資料からみると)バカばっかりだ。もっと物が考えられなかったのか?」という、現在を高みにおいてそこから見下ろす視線だ。

 


ずーっと引っかかっていたことが、この朝日新聞の記事を読むことで形になった。なるほど、役に立つじゃないか朝日新聞
このインタビューも、事象の中に分け入らず、資料と資料の関係性の中に閉じて、安全に語れるところだけを語るという加藤氏の特質をうまくつかんでいる。

 

 

残念ながら本を子供に渡すことは敵わなかったが、夏に家に来てくれるという甥に渡すことにしよう。良い本だけど批判的に読んでほしい、というメッセージと共に。

宿題

日本の現美系ではinstallation artをインスタレーションと呼称している。
artはどこに行ってしまったの? という謎も中々に趣があるが、installationがインスタレーションと表記される謎の方がより妄想をかき立てる。
音的にはインストレイションの方が近いのに、かたくなにインスタレーション
世界のどこかではインスタレーションという発音をしているのだろうか?それとも最初はインスタレーションだったのが、時代とともに発音が変わり、正しい発音を今に伝えるのが日本だけになってしまったのか?
(でもinstallの名詞形だからねえ)

最初に偉い人がそう言ったからウチじゃあ代々そうなんだ、という退嬰的な事を現美系の人達がいうとも思えないので、きっと、もっと深い理由があるのだ。それが何なのか、ワタシには見当もつかないだけで。
そのような訳で、現美系の情報で インスタレーション の表記をみるたびに不思議な気持ちになる。21年前からずっと引っかかりっぱなし。真剣に答えを求めて来なかったからでもあり、質問を投げたその道の人達もあいまいな返事を微妙なトーンでしか返してくれなかったからでもある。
とはいえ、人生の宿題を潰していくと決めたからには、これについても何らかの調査を進めなければならない、のだ。


もしかしてインスタレーションの方が、カタカナ表記としてはもとの発音に近い?うーん、それは...。でもインスタレーションに聞こえる?本当に?
インスタレーション(ローマ字読み、art抜き)が指し示す概念は、installation artがポイントするものとは、微妙だが決定的に異なっているのだ。だから君の疑問は「installation artをインスタレーションと呼称している」という出発点からそもそもマチガッテイル。違うものを指す単語なのだから違っていて当然だ。物を知らないってのはカナシイことだねえ。とか何とか、貶されつつ啓蒙されたりするなどの爽快なオチに刺されるのが希望なのだけど。

 

民法改正がソフト屋さんにも影響するのですね。

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に関する備忘録。

 

 

562条で定義された追完請求権、完成を求めるという趣旨を汲めば、完成とは何なのかをガチガチに契約するのが先ずはリスク対策かなー。瑕疵というボウバクとしたものよりも(もしかしたら)扱いやすいかも。こんなの常識だろ、瑕疵に決まってんじゃん、という主張に対して抗弁できそうだし。ま、希望的観測ですが。
あとは564条にある、所定の要件を満たせば、という箇所。これから判例積み重ねていくんでよろしく的なところが不安。

もっとも対応の本丸にして一番悩むところは、瑕疵クレームのためにどこまで体制を敷くか(コストを払うか)ですね。次々と継続開発をくれるお客さんならまだいいんだけど、単発ものは苦しい。ライフサイクルが長そうな単発ものについては個別にリスク精査をするのが当面の話なのかな、中小企業としては。で、真面目な見積りをして、ダンピング業者にさらわれる、と。法律が変わったり、適用基準が厳しいなるたびに起きる、何年かに一回の風物詩的なヤツでもある、と。

こうして世界はまわって行くのですねえ。法改正に異議は無いですが、対応はやはり悩むのです。