all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

2017/07/07

なかなか面白い。
石川県に住んでる人的な面白さとしては、これって気多大社とおんなじ手口じゃん、というところ。神社本庁、なんにも学習してやがらねえ、裁判になったろうに、とか。

金沢市に住んでいる人的な面白さとしては、最近美術館などによって賑わっているあたりにある神社の宮司が、神社本庁で偉くなったという事を自らお披露目していた事につながるところ。3,4年まえかな。某氏(隠しても無駄か)の演奏を聴きに行ったら社務所の方にそういう張り紙がしてあったのですよ。ふーん、わざわざ言わなくちゃいけないんだ、大変だね、とか。

さわりがあるから妄言もほどほどにだけど、別表神社に対してしめつけ、というよりは直轄化をはかろうとするルサンチマン神社本庁に横溢してるからかしらと思っちゃったよ。神社本庁とはいえ、中身はそれぞれ所属の神社がある人達(おお、医師会みたいだ...また危険なことを)。大きなところは憎かろうと。憎かろうというのが差し障りがあるなら、事情の衝突もあるだろうと。
人間的な、あまりに人間的な!! と勝手に合点して備忘録としては完了。

でもね、なぜその人(達)は、それをしなければならないのか、という事は常に考える必要があるのです。そうじゃないと起きている事象は意図の結果の作用なのか、それとも意図に関係の無い副次的ものなのかということの見極めが出来なくなっちゃう。本件はね、憎いのよ、というのを感じさせようという記事の故なのかも知れないけど、そういう感じに読めてしまった。なんたって気多大社の例を見てるからねえ(冒頭に戻る)。

 

diamond.jp

2017/07/09

だまされてはいけない、子供たちよ。君たちがなりたいのは、SE とはいわないのだ。
以下、日本国内限定の話。

engineerを名乗るための認証制度がグズグズの日本では、エンジニアとテクニシャンの違いも定かではなく、結果、安い方に揃えられちゃってるのが現状です。
しかもIT系自身がエンジニアの必要数を減らす事を仕事の中核においています。極論すると、産業としては、一部のコアベンダーと、あとは設備メンテをふくめたサービス業者になるでしょう。あ、あと、工事完成を保証するための、ファイナンスとPMに特化したSIer。これはのこるね。

そういう状況なので、自分の子供がそう言い出したら(もう言わないけどね)、上記の事をこんこんと諭します。どうしてもと言われたら、タイトル取ってからにして、と言います。

何を熱くなってんだ、というと、少年義勇兵募集のプロパガンダにしか見えないってことです。経営当事者(の末端)の目線からすると。
みなさまのところで、おれこの戦い(学校教育)がおわったらSEになるんだ、というセリフをきいたらxxフラグだと思ってください、ってことです。

 

jbpress.ismedia.jp

 

2017/07/12

論外。
ポジティブリストで運用される軍隊(ああ、自衛力でしたね)であることをどこにも語ってない。何かがあったときには、犯罪者になるか(これは二通りの道あり)、死ぬかしかない状況を放置しておいて、「みんな合憲だと思ってる」はないだろう。 話はうまいが実がない左翼の一典型。

 

business.nikkeibp.co.jp

2017/07/11

中国VPN問題とちがって、こっちはいきなりわらう話じゃ無いな。
エエッていうのと、多分この人は権力を取ることは無いだろうなというのと、この人の発言のお陰でやっと絵柄が見えて来たという3点についての備忘録。...何かスゴク長くなってしまった。
 
 
まずはエエッていうのから。「その他戦力」にヒトラーユーゲントを入れるの?正規軍じゃないという意味の「その他」なんだから、第三帝国ネタなら武装SSかSAを出すべき。ここはきっとネットの一部で話題になるポイントだね。あり得ん。もっと常識有るかと思ってた、この人。
 
 
権力を取ることは無いなというのは、3番目のポイントの絵柄が見えて来たってのと通じている部分もあるのだけど、まずは相変わらず背中から撃つのが好きだなあ、ということに大いに感銘を受けた。それとも意図せざる物言いなのかね、これは。もしそうなら、なおのこと権力からは遠いなあ。何しろ、後ろから撃つ奴と付き合って行きたいとは思わないな。そういうのを人望が無いという。
 
 
そして最大のポイントである、絵柄が見えた件。現在の自民党総裁の考えているところが漸く腑に落ちました。彼は憲法改正を行うこと自体が目的なんだね。そういう気持ちにワタシはなりました。だから、なるべく議論が発散しないような、まあその範囲ならとみんなが妥協しそうなところを狙って来てるのかな、と。
 
同じ敗戦国であるドイツは憲法改正を60回もやってるのに、日本国は0回。日々発展(※)し、刻々と様相が変わる歴史の渦中に身を置く存在に硬直した箇所があるのは弱み(他者につけ込まれる箇所)に他ならない、というのは現実主義者である彼(そう、彼の特長はお坊ちゃまでありつつ、リアリストである事なのです)の考えそうなことではあります。
※歴史が発展というとちょっとアレっぽいか。じゃ進化で。時間の増大と共に複雑度が増す様のことですね。
 
とすれば/であるので、本邦に横溢している日本国憲法は神聖にして侵すべからざるものであるという 空気 を除すために(はい、本邦では右から左まで、みんな空気がダイスキです)、アレ変えられますよ、という事実を残すことを彼は目論んだのだろう、今回の石破さんインタビューを通じてそのように思いましたですよ、ハイ。彼は議論がしたくないんじゃなくて、そこに本丸がない、そんな事よりも、さっさと揉めずに憲法改正だ、というのが何だか透けてきたな、と。うーん、彼っぽい。みんなは知らねど、ボクはスッキリした。
 
まあ確かに憲法改正がすべてダメ、というのは単なる思考停止だし、利敵行為に他ならないと思いますよ。だからと言って、ちゃんと議論はすべき。党内議論でも、国民的議論でも。それはもう、極めて当たり前の話で、石破さんの言ってることはある階層においては真。でも自民党総裁はそれとは異なる次元でのゲームを想定している様に読める。あんまり言いたく無いけど、そういう見通しが政治家のレベルなのであって、石破さんはどこまで行っても整合性の則を越えられないなあという気持ちになった。あー、ワイマール憲法を停止せよ、とか、決してそういう話をしてるのではないので誤解の無いように。でもね、公益を最大化するために何をすべきか、そのために何を妥協し、何を進めるべきか、という判断のレベルでいうと、石破さんは全然届いて無い。彼はいつも手続きの話を延々としてて、違う職業の方が向いていたんだろうなという気持ちになっちゃう。県庁職員とかね。
 
 
そして長々としたこの備忘録のオチは、安倍さんと対決する唯一の方法は、彼が政治家として非常に老獪かつレベルが高いことを素直に認めた上で、彼が思っている公益とは何かを率直に問うことだと思ったということ。なんという着地点。でも筋論ありきや、ポジションありきでは、多分彼とはすれ違うだけだよ。自民党内から彼の背中を刺そうと思っている人も、左の人も、彼の価値のコアを問うべき。
逃げるって?逃がさずに答えさせるための戦術を考えるのが政治家というものじゃないの。デモをいくらやっても何も変わらないよ。
 
 
という真っ当(?)な話ではなく与太話をちょっとだけ追記
石破さんのやっていることは議論の王道をやろうということでもあるけど、それは上手く進めないと発散して憲法改正にこぎ着けられないことになる。そうすると神話はますます強化され、日本は状況に合わせてトランスフォームする能力をいつまで経っても獲得できないことになる。さて、そこまで石破さんは考えてるのだろうか?議論を突き詰めていく中で、話が発散したとしたら、彼はそのときどんな顔をするのだろうか?
仕方ないね、なのか。それとも若しや、してやったり、だったりするのだろうか。まさか...。

 

2017/08/08 追記

ああ、やっぱり、という1ヶ月でした。完全終了です。

 

business.nikkeibp.co.jp

 

 

2017/07/13

言ってることは判んなくはない。判んなくは無いのだが、えび千両ちらしが悲しくなったのも、結局こういうことの結果なのだ。

 

東京と金沢を行き来する生活を二十年以上続けている間のどこかでえび千両ちらしがうまいということを知った。知ったからには家族に食べさせてたい。その頃は日によって有ったり無かったりするえび千両ちらしが、たまさか家族の人数分あったときは喜び勇んで買って帰ったものだ。最初に子供に食べさせたときのビックリした顔。それを見たさに何回か買って帰った。
それをしなくなったのは、出したときに嬉しい顔をしなくなったから。まあ、子供にも判ったんだね。変わっちゃったのが。そもそもご飯が違うもの。
 
食べ物屋さんは基本的にはスケールしない商売で、レシピがあろうが基本は一代、もしスケールするならそれはindustryだってのがウチ(当家と書いてウチと読む)の考え方です(老舗は、一代の連続と捉える教義)。新発田三新軒が食べ物屋さんからindustryに転身するところにちょうど出っくわしたのが我が身の不幸であって、新発田三新軒からすれば大きなお世話だ、商売繁盛文句有るかということだと思う。そりゃそうだ。でも思い出がいろいろある一個人としては、もう一度昔のが食べたいな、と切に思う。東京出荷用と現地用では味が違ったりしないかね。どこかに行くと、昔のままのアレを売ってたりしないかね。それを子供ともう一度一緒に食べたいと心底思う。
 
もちろんそんな事は不可能であって、エントロピーは増大する一方であって、宇宙が終わるときまで待ってもあり得ないのだけどね。いや、昔のえび千両ちらしを食べることはもしかしたら...。
ま、妄執ですな。世界は全てが繋がっているので、何をみても子供のことに繋がる。そうしてどんどんねじれていくのです。

 

toyokeizai.net

2017/04/17

気がつくとココ関連のネタが多いね、まあいいや。

いまも席を置く会社に入ったのが1992/11。その頃は金沢駅周辺、特に京町方向は弁当すらまともに買える状況ではなく、昼ご飯クエストとして金沢駅まで出かける事がままあった。最初は見かけなかったから登場したのは1993年とかの初夏くらいじゃないかなと思うが、そうしてこの弁当に出会った。価格はデビュー当時から1000円だったと記憶している。まだ若かったから量的には少し物足りなかったが、一般的な幕の内よりも派手目なお菜と、もっともらしい味付けと、ご飯自体の駅弁っぽいおいしさに引かれてちょくちょく買っていた。要するに愛用していた訳だ。

それから幾星霜、何度かの倦怠期を経つつも最近はまた接近期に入っていて、夕食の準備ができないときの選択肢として、これにサラダ(これもデリで買う訳ですが)を加えたものをボチボチ使ったりしていた。何しろ今のオフィスも金沢駅に近いので。
こっちはお酒を飲むのでご飯が余る、そこで食べ盛りの高校生にご飯をあらかじめ分けたりして。日によってはエビフライも差し出したりして。この弁当を介して、そういう時間も有ったりしたのだった。
ただ25年近く前に作ったフォーマットを、その当時と変わらない値段(今は税込み1050円)で提供してる訳で、もちろん無理がくる。すこしずつ部材のクオリティも下がり、製法が変わったものもある。加えて作る数も変わったのか、ご飯にコレじゃない感が漂う時もでくるようになっていた。正直、親のノスタルジーに付き合わせていた部分もあるかなと思う。どんな気分で彼は食べていたのか。まあ食卓をひっくり返すような事ではなかったと思うのだが。


という「思い出」の百万石弁当を、あの日以降初めて食べたので記録に残しておく。本日の昼食だったのだ。
気がつけば当時この店のトップエンド商品だったこの弁当は、おお、いつの間にかラインナップのボトムになっている(WEB上では確認出来ないが、金沢駅の直営店ではもっと高額な商品が並んでいる)。なんか昔の人が「幕の内弁当」に持っていた郷愁と同じ構造だけど、まあ、物の味は思い出と不可分なのですよ。

でもご飯のレベルは何とかしてよ、と思う。今日はハズレ。米の質の他に、冷まし方が悪いのかネエ。ガンバレ、大友楼。

 

百万石弁当:(株)大友楼

2017/04/03

今日から会社に行ってみる。午後からだけど。
そのまえに雑感。
他所で上がってた記事だけど、そこにコメントすると揉めそうなので、自分のところでひっそりと。

「誰かの役にたつ」というところは確かにお母さんのプライマリな発言としてあったのだとは思うけど、その言葉の裏まで追いかけられなかったのか、というのがこの記事のサビシイところ。
誰かの役になることを通じて、どんな形であっても子供が残っていくこと、つまり違った形ではあるけど生きていくことを望んだのでは、とワタシなどは思ってしまう。まあ死生観もそれぞれだから自己投影かも知れないけど、でも「役に立つ」ということにフォーカスしすぎているなという辛さはぬぐえない。あくまでも悲しみに向かいあう親の光景が主題なのであって、それから逸れないように丁寧にまとめて欲しかったな、という印象。下手をすると、臓器提供登録は良い事だ(いやそれは間違いないんだけど)という違った文脈の提灯記事になりかねないのがね、なんとも粗雑でね。
多分、
> 淳生は16歳で世の中の役に立っていない。大人になって、何かに貢献したいと思っていたに違いない。
という発言の並べ方に、記者の浅さを見てしまうのですよ。このままだと親が思っている子供の像にしかならない。それってつまり...。

っていうのを元の所にコメントすると大炎上だろうから、
自分のところでひっそりと、でもハッキリ書く。まとめればこうなる。
親は自分の子供には生きていて欲しいのだし、それが敵わない時には何らか形を変えてでも子供の存在が残っていて欲しいと思う。それが思い出なのか、他人の体の中なのかは様々だけど。その根本と、この記事のトーンは合わない。控えめに言っても、表層の発言をまとめたものだ。Newsとしての記事ではないのだから、もう少し丁寧に書かれるべきであった。(以下はホントに悪口なので略)

 

www.asahi.com