all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

明るいうちからビール

朝から諸々雑事。その後の予定も恙無く終わり(恙あってもいいのだが)、ちょっと早いが中央公園でビール。本日はオクトーバーフェストの初日なり。去年は君も一緒に来た。今年は私のみ。

 

さすがに金曜の16時過ぎは座席もまばら、行列も無し。それに去年も思ったのだが、全般に客筋が良くて、イライラすることがない。その辺りが肉フェスと違うとこ。ビールが安くないと言うのには良い側面もあるのだ。

あ、一つ訂正。青いスタッフTシャツを着て場内を回っているワカモノ諸氏はちとウザいな。それも空いてるが故の余裕と思えば腹も立たない。あ、でも音楽はファックだな。なんだこりゃ?ジャーマンメタルの方がまだしもよろしい。

 

一杯飲んだら、素直に帰宅。杯を重ねると、会いたくないあたりと遭遇するかも、などと言う訳では無くて、人あたりを恐れるが故。生きている人間のエネルギーがツライのだ。金沢城の周りをゆっくり歩いて家に帰ろう。君とよく一緒に歩いた道だ。家のそばにお城があるなんてちょっとないぜ、大きくなってどこに住んでもきっと思い出すし、誰にでも自慢できるぜ、と君によく言ったものだったが。間抜けな話である。

 

あ、ビールの話を書いてなかった。その貴重な一杯の名は、warsteiner(ヴァルシュタイナー)のプレミアムヴェラム。ピルスナーですな。味は、どうだろう、もっと切れてもいいのにと言う感じ。日があるうちのただ一杯、しかも夏の野外であればヴァイスを飲むべきであったか、と最後になって思いつく。いつも遅すぎるのだ。頭が悪いと言うのは悲しいものである、というのが今日の結論。

いつもの結論であるのだが。

8/22 極めて不調。

しかし8/20、8/21の極限までの不調に比べればいささかマシ。その分の埋め合わせか、不運が続く。Volumio2でFostexのHP-A4を鳴らすとと音切れがヒドイのだ。

仕方がないのでお蔵入りしていた古いDACを繋げるが...どう聞いても音の鮮度が下がる。とはいえ、安定して動いていた旧いVolumio1.55に戻したくはない。いまさら引き返す道などどこにも無いのだ。流転の果ての阿修羅王の気持ちである。
もちろん一日これをやっている訳にもいかない。俸禄をちょうだいしている以上は仕事をせねばならないのだ。DACの模様替え、というよりは配置換え(ウチにはUSBをソースとするDACが大小取り混ぜて7つある。何故あるかは、問うてはならない)を週末に行うことにして職場に赴く。それが何時だったかは、問うてはならない。


本日はアウトプットをする日とて諸々作文。脳の働きはそれほど悪からず。週末からこっち、酒気が抜けているためである。
ハイレベル会議が終わった遅い午後に、その会議に対するコメントのメモをまとめつつBlind Faithを聞く。


いままで一度も良いと思ったことが無かったのだが(では何故聞く?問うてはならない)、今日突如としてその良さに開眼する。「了解」が訪れたのである。グレイトフルデッドの長く奇妙な旅(https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B072Y97ZMG)を見始めている影響でもなかろうし、取り立てて理由になるものも思いつかない。ただただ突然、世界が回転したのであった。
そうなると気になってくるのが例のジャケット写真である。長らくあの飛行機をB-52だと思い込んでいて(なぜ?違うにもほどがある)、確認のために今日ようやくジャケットを詳細に眺めたところ、見たこともない飛行機であったことに気がつく。と同時に、あのロリ写真が苦手だったことにも。何たることか。直視しないにも程があると大いに恥じいる。
そこから仕事の休憩を兼ねて、いままでの不明のツケを清算すべくネットで詳細を調べ始める。しかし日本語のサイトにはほぼ記載がない。「アレは実はスペースシップで」などと根拠なく書き飛ばしているものがわずかにあるのみである。仕方がないので英語で探し始めると、すぐにen.wikipedia.orgの記事に結論が見つかる。

Blind Faith (Blind Faith album) - Wikipedia

 

当該箇所を引用する。

Album cover controversy
The release of the album provoked controversy because the cover featured a topless pubescent girl, holding what appears to be the hood ornament of a Chevrolet Bel Air, which some perceived as phallic.[4][5] The US record company issued it with an alternative cover showing a photograph of the band on the front as well as the original cover.

 

 

なんと、アレは飛行機では無くてシェブロレー(と書け、と片岡義男がどこかの雑誌に書いていた。それを読んだのは17、8だったと思うから、君とあんまり違わないころだ)の装飾だったのだ。
ornament of a Chevrolet Bel Air で画像検索をすると、確かにあの飛行機が画面に並ぶ。驚くべき事なり。

では、その車の装飾をもった女の子、Mariora Goschenはその後どうなったか。
名前をもとに順次追いかけた結果、たどりついたのがここ。

https://uk.linkedin.com/in/mariora-goschen-94712b10a

 Alternative Medicineとは、なるほどという感じでもあり、そうなのかという感じでもある。生きていれば、様々な変化が訪れるのだ。

※アルバムジャケットについては、

http://www.tonybarrell.com/cover-stories/

thetrickis.wordpress.comなどにも情報がある。

 

 

 

このあたりで休憩を終え、仕事を再開し、突発的豪雨をやり過ごしたのち帰宅。The ビッグオーAmazon Primeでみて、24時に就寝。
布団の中で、昼間の検索でなぜだか不吉な感じを受けていた理由に行き当たる。Chevrolet Bel AirのBel Airに引っかかっていたのだ。ある曲の歌詞にこういう一節があるのだ。

Bel-Air's okay if you dig the grave
But I want to live again

 

 「花嫁の正体見たり」というアルバムの二曲目、「行かせられない」という曲である。

Chevroletのモデル名である Bel Air が地名由来なのかは知らないが(布団の中でChevrolet Bel Air自体についても英語情報を検索してもみたが判らず)、Bel Airと聞くと墓が連想されるようになってしまっているのだ。ベルがなるとよだれを垂らす犬と何ら変わらない。驚くべきことでもあり、当然のことでもあり。そして入眠。


以上が、君のいない状況における標準的な生活。この調子で記憶と現実の境目をとかしながら、もはや変わることのない暮らしを、寿命が到来するまで続けるのだ。

 

差異を見出さない目

ボクも日本のことや日本人の集団のことをアレコレあげつらいますが、日本丸ごとNGというのはさすがにやらない。それって自分の認識力の分解能が低いと告白するのと同じだから。

 

と言う前振りを経て、おどろいたことそのもののリンクを。

www.from-estonia-with-love.net

 

生産性が低いところもあれば、高いところもある。旧態依然とした組織もあれば、生き残りのために変革に余念がない組織もある。

みんな同じじゃないよ。当たり前じゃないか。

「非効率・不合理を解決しようとせずに、根性で耐える。これこそが美徳!」などと言っても日本人以外はわかってくれないですからねえ。世界的にもずいぶん特殊な思想だなあと思います(笑) 

 などという締めくくりをみると、日本でいやなことやつらいことがあったのだろうなあと思う。でも、ひとくくりの日本人なんてどこにもいないし、変わらないものもない。

人間、損なことはしないのだ。いままでは根性で耐えるのが得だったからそうしてただけで、終身雇用も崩壊した(そして年金制度も崩壊しつつあって、終身で働くことが当たり前になろうとしている)時においては、自分のことだけを考えて暮らすのが得なのだし、そうなりつつある。

 

大丈夫、無駄なことをしている会社はつぶれて、そこそこの競争力を持ってる会社が残るというリセッションを経て、いろんな意味でごく普通の国になるよ。どのくらい悲鳴が上がるのかはわかんなけど(そしてすでに悲鳴を上げている人たちもいるけど)、そこに君が巻き込まれることは最早ないので、ボクとしてはどうでもよい。むしろつぶれる会社はもっと盛大につぶれてくれと思ってる。東芝とかもね。資本主義に反する会社は存続が許されるべきではないよ。

それでどうにもならなきゃ、国が破産するのであって、そのときには

日本人ってだめだなあ

 といえばいいと思うけどね。

ああ、つまり君に伝えたかったことはこうだ。十把一絡げに考えるのはやめよう、そういう癖がつくといろんなことを見落とすし、その結果としてトンデモナイこと言いだすことにもなりかねない。大きな傾向を気にすると同時に、その傾向の内部の差異にもつねに着目しよう。そして差異を無視したラベル張りは厳に慎もう。誤解されちゃうからね。それはとてもつまらないことだ。

文科省 1

社会の変革期が到来しつつあるという認識の故か(まあ、そうでしょ)、総務省経産省は相当にドラスティックな方針を出してきてるんだけど、その意識高い系官庁の一群にxxxxと言われていた厚労省も加わってきた。

www.mhlw.go.jp



医者主導の地域医療連携(に依拠する費用削減と質の向上の同時達成)はあきらめて(※)、

1. 情報集約は国主導
2. 事業集約は既存の医療プレーヤーが勝手にやれ(「地域医療連携推進法人」という仕掛けが用意された)

という二面作戦に切り替えた模様。
※医者をコントロールするのは面倒なので、補助金をばらまいて地域医療連携の戦国時代を作る(そしてどこかの方式が全国統一を果たす)というストーリーを考えてたみたいだけど、それがうまく機能しなかったので、いよいよブチ切れたとみる。誰がブチ切れたのかは謎だけど。

同時に高齢者への医療費を減らすべく、様々な観測気球があがりつつある。医療費で国が倒れるのはしゃれにナラヌという認識が、国民の間でも一般論となりつつある事に乗っかっての戦略変更だと思われる。
...なのであるが、xxxxと言われただけあって、「地域医療連携推進法人」はそのスタートから省令によってケチが付いているようだ。その辺りは以下の記事などに詳しい。

地域医療連携推進法人 相次ぐ“断念” 政省令に不満の声も | 国内ニュース | ニュース | ミクスOnline

 

(問題箇所の引用)
医療現場からは、具体的な運用を示した政省令への不満の声もあがっている。推進法人では、参加法人の代表者で構成される社員総会で決議を行うことになるが、“一社員一議決権”とされたことで、病院の規模や経営状況が加味されずに、参加医療法人が一律に同等となってしまうことで、リーダーシップを発揮することが難しくなる。加えて、推進法人内への出入りが自由であることや、余剰金の配当禁止なども一つのハードルとなっているという。

 

なるほど、法制度をせっかく整備してもこれじゃ使いようがない。総論はさておき、各論としては規制権益を守りたいということなのだろうか。
しかし、もちろん下には下がいるもので、xxxxと言われていた(上記の例だと、今もってxxxxも居る)厚労省にも、その下がいる。社会の変革期という認識も持たず、従来の(つまり先達の敷設した)路線を無批判に延伸し続けている官庁だ。文科省である。

ここ一年くらい、故有って各省庁の戦略(と、その背景になっている社会認識)をウォッチしてたんだけど、待てど暮らせど文科省からそのような戦略ペーパーは出てこない。何故出てこないかというと、個人が教育を受ける権利を機会および質(ここはアヤシイね)の観点から保証するのが自らの責務だという自己規定をしちゃってるからではないか、と思っていた。だから社会と個人の、教育を介した相互作用に関わる気が無いのだと。使い物にならないFラン大学にも補助金を出すのだと。(科学技術振興については、新しい価値の創出とかイノベーションとか言っちゃってるのだけど、これは内閣府のwillであって文科省が言ってる訳じゃ無いから)
おお、しかし、それは大いなる勘違い、over ratingだった。彼らは自己規定によって考える事を自制しているのではなく、考える能力がそもそも無いのではないかと思うに至った。

組織的天下りの件で引責辞任した、面従腹背がモットーと言って憚らない、xxxxな次官をトップにいただく組織だから、では無い。もっとシンプルな理由だ。(ああでも、国立大学を法人化して、そこに天下り、渡りをやってるのは結構xxxxだな。でもそれは悪辣さの証であって、無能の証ではないね)
彼らの作成する文章は、壊滅的にあいまいなのだ。


まずは、社会の変化とオーバーラップする部分である、リカレント教育について調べたときの驚きを共有して欲しい。

 

平成7年度我が国の文教施策[第2部 第2章 第3節 2]

 

ここで彼らは、

また、近年の技術革新の著しい進展や産業構造の変化などに対応して、学校での社会人再教育を行う リカレント教育 【用語解説】へのニーズが高まってきているが、特に職業人を対象として高等教育機関が実施する職業指向の教育(リカレント教育の中でも、このようなものはリフレッシュ教育と呼ばれる)の拡充について、大学等に寄せられる期待は大きい。

 

と記して、『リカレント教育の部分集合をリフレッシュ教育と呼ぶ』という主張を行っている。ところがリカレント教育の【用語解説】(同ページ内ある)を見ると、

リカレント教育
リカレント教育」とは、「学校教育」を、人々の生涯にわたって、分散させようとする理念であり、その本来の意味は、「職業上必要な知識・技術」を修得するために、フルタイムの就学と、フルタイムの就職を繰り返すことである(日本では、長期雇用の慣行から、本来の意味での「リカレント教育」が行われることはまれ)。我が国では、一般的に、「リカレント教育」を諸外国より広くとらえ、働きながら学ぶ場合、心の豊かさや生きがいのために学ぶ場合、学校以外の場で学ぶ場合もこれに含めている(この意味では成人の学習活動の全体に近い)。なお、「リフレッシュ教育」は、「リカレント教育」のうち、
1) 職業人を対象とした、
2) 職業志向の教育で、
3) 高等教育機関で実施されるもの
であり、むしろ諸外国での「リカレント教育」に近い概念である。

 

...大丈夫だろうか?(修辞的疑問文)
もちろんダメである。前川問題のときに、文科省は曖昧な文章を垂れ流して大学をいじめ抜いているという趣旨のポストをFBで目にしたのだが、これは曖昧のレベルにとどまるものではない。矛盾だ。それを省のWEBに載せるというのはxxxxにも程がある。

ちなみに何故このようなxxxxな記載が出てきたのかというと、一応の読み筋はある。もともと文科省としては『リフレッシュ教育』を進めようとしていたのだ。で、この『リフレッシュ教育』を導入した誰か(きっと偉い人なんだね)の体面を保つために、『リフレッシュ教育』は定義はさておき実体はリカレント教育とほぼ同じですよ、と無理矢理な説明を試みたのではないか。悲しいかな、能力が無いので整合性がある説明にはならず(※)、単に矛盾した文章が晒されるだけになっているのだけど。

※無理筋な行為だから変にがんばらずに自分達のやってきたことを改訂するのが得策なんだけど、その判断が出来ないのだね。本当の意味で能力が無いというのはそういうことだ。


最初は目を疑い(どこかにtypoがあって、その結果として文章に矛盾があるように見えているのでは無いか、とか)、熟考したのち大いに驚き、そして得心した。ああ、文科省って本当にxxxxなんだ。だから社会の変革期に、社会が要請する教育の有り様というものを構想することができないんだ。


もちろん、これは氷山の一角であって、そのような気持ちで文科省文章を読んでいくと、いろいろ面白いものにぶつかるのだが、長くなるので、次のポストに送ることにする。
しかし。

 

 

目的は何か

今朝(2017/08/09)の北國新聞の二面に『能登沖の違法操業取り締まり要請』という記事があり、それによると国会議員藤野保史を含む8人が、大和堆での北朝鮮の違法操業取り締まりを、水産庁海上保安庁に申し入れたとのこと。

 

日本共産党能登地区委員会 (@jcp_noto) on Twitter

 

↑こういうのもあるから、地区からの要請に応えて中央が動いたということかね。

さて、では申し入れをした側はどの程度の強度のつもりなのか、赤旗での扱いを見てみよう。

 

外国漁船の違法操業頻発/藤野議員 漁業者安心の対策を

 

なるほど、地区の要請にきちんと応える、都市部だけではなく農村部にもケアを怠らない責任ある態度、に見える(別記事によれば7/22には藤野議員は県漁連、同小木支所、能都町とも懇談…したとのこと)。しかし一点謎がある。これ、7/29の記事だし、申し入れは7/28なんだよね。

 

ここからふた通りの読み方ができる。

1.共産党は本件に対して強い熱意を持って当たっており、7/28に続き再度の申し入れを行った。

2.実は新聞にあるまじき事だが、7/28の行動が本日ようやく記事として掲載された。よく見れば、記事中にはWhenの情報が無いのであった。

 

ま、2.と見るべきかな。本ポストのタイトル『目的は何か』は、今更の鮮度の記事を、5w1hも壊れた状態で掲載することの意図に向けられています。

北國新聞は紙面に出ること自体が政治的意味を持つという地方紙の王道を行くものであるので(あ、貶してないよ。面白く購読させてもらってます)、毎朝の紙面チェックが楽しくて仕方がないのだけど、さて本件の着地点は奈辺に。

2017/06/20 役所には魑魅魍魎が出るんだなあ

他所の自治体だからバカだなーで済むけど、自分のところだったらリコール運動かも。築地再開発?ネタもこれから探すの?冒険主義的先送りだなあ。自分達でこれから再開発やって利益出せる根拠あるのかしら。出なかったら誰が責任取るのかしら。都民は不幸ね。
まあ今さらLRTとか言い出してる金沢も人のことは言えないのですが。自民党、市役所ともに盛り上がってて、そこにレガシーが欲しいソフバン卒業生メイヤーが暴走しそうという不吉な状況はげんなりする。だったら既存のバスの運用をスマート化する方が数万倍投資効果が高いでしょうが。って、いつもの様に話がずれた。
首長を直接選挙で選ぶというのは相当に危険な事かもしれないねえ。

 

2017/08/08追記

金沢経済同友会LRTやめれ、バス賢くすれ、と言ってる模様。某新聞にもそのような記事があった。さて、どうなることか。

でもバブルの時に、地下鉄を作ろうという声が大きくなったことがあって(そのときは横浜に居たので伝聞形ですが)、しかもよく聞けばその手の話は周期的に出てくるらしい。どこに怨霊が憑くのでしょうね?

 

2017/08/24追記

地方自治体って、首長の権限が強いから、役所が独自の意思を永続的に持っていることが見えにくくなっているけど、実際にはそれこそ面従腹背で、内向きの独自意思を延々と維持しているのを散見するよ。LRTの話が気持ち悪いのは、バブルの時からずっと引きずっている(燻っている)話だってことだ。その長きにわたって意思を保持し続ける主体として個人を想定するのは無理がある。つまり金沢市に群がる政治屋だけではなく、金沢市の中にも主戦派がいるのだろうな、と。リファーレ周辺の再開発も、新幹線効果で奇跡的に上がり目がでたけど、あれがなかったら新潟などと同じく廃墟になってたんだろう。あそこも金沢市が主体なんだよね。そういう自治体自体の意思にどうやって鎖をつけるか、それが首長と議会の仕事なんだけど、どうも金沢市はあかんね。いや、前任市長はそれでも立派だったとは思うんだけど、今回のは本当にハズレだ。

 

www.nikkei.com

2017/06/26

一週間悩んだけど、やっぱり思ったことの痕跡を残す事にする。

「合理は捨てろ」というのがとてもアレだ。手持ちの情報からたどり着けるところを全てだと思うな、ってのはその通りだけど、「合理は捨てろ」は無いな。だったら「判断を停止しろ」とでも言うべき。エポケーだ。もしかしたらグルジェフまで行くかもね。
でも人間は「合理」である事からは逃れられないのだ。無視する人は一杯いるけど。もちろんある人が合理だと思っていることが大外れだったり大間違いだったりする事は十分可能なのだけど、でもそれは「合理」が破綻したのではないよね。
宮沢章夫さんにいきどおっているのではなくて(言い方は別として、内容的にはそんなものかなと思う文章だし)、合理ということ(ことのは)がすごーく適当に扱われているのに悲しくなったという事だよ。アチコチで見かけるので、偶々目に付いたここに難癖を付けるものです。

休憩終了。

 

 

www.waseda.jp