septiembreokbj’s blog

記録と備忘録、および手掛かり。

つぎのこと

論の中核となるステップを、 だろう や 思われる で済ますマジカルな文章をよく目にするようになった。これはその一例。

gendai.ismedia.jp

先に述べたように、未婚で無業のまま40代になってしまった女性も少なくないのではないかと思われる。30代など、もう少し早い時期に、何らかの外部の支援とつながることができていれば、ボランティアから始めて仕事へ移行する、といったその人に合わせたゆっくりとしたペースで自立へのステップを踏めたかもしれない。
 

 

引用の部分が以後の論を進めるための重要なステップなんだけど、しかし根拠は提示されることなく 思われる を基礎においたまま以後の文章が続く。他の箇所では麗々しく統計グラフが提示されているにもかかわらずである。ボクのところにこういうビジネスレポートが上がって来たら、二秒で突っ返す。現実の話(まあビジネスもそうでしょう)をしようとしているのに、仮想戦記物をもって来られても困るので。仮想戦記?そう、仮想戦記。パーツ、パーツは本当にある(あった)事でも、ジョイントの部分に想像力が行使されていると、現実とは全然違う着地点を目指すことができる。それが仮想戦記の構造だとすると、上記URLの記事も、出来の悪い(主観的な希望に満ちた)ビジネスレポートも、(目的とする効用はさておき)仮想戦記とみなせるから。
さて、この社会問題における仮想戦記、どんな人が書いてるのだろうと著者プロフィールを確認すると、この人は甲南大学マネジメント創造学部教授なのだそうで、普通に考えると論理的な整合性がある文章を書く訓練を受け、そしてその能力を常日頃行使している筈なんだけど、これはどういうことなんだろう。gendai.ismedia.jpというサイトだから検証可能な論を述べなくてもよい、と思っているのかしら。ここから先は妄想になってしまうので、この記事が書かれた背景や意図については不可解なりとだけ述べておく(しかない)。
個別論をdisるのはここまでとして、このような文章をWEBで目にしない日が無いようになってしまったことについて、もう少しだけ書く(というか、そもそもそっちが本題)。


さて、眺める側面とスケールをちょっと変えてみよう。
現在ネットが使われるのはその利便性の故だが、それを満たすためには日々新しい情報がそこに流れ込んでくる必要がある。そのネットも揺籃期には情報を発信することに意義を持つ人達だけのものだった。忘れがちだが、発言の場所を確保するためにサービス料を払ってでも情報の発信をしたい人たちがいたのだ(もちろん今でも居るが、相対的な比率はスゴク小さくなった)。それが大きく変わったのは広告 - 正確には検索システムと連動し、ユーザーをターゲティングし、そこに適合した宣伝を流し込む広告システムの誕生からだ。これによって決定的に状況が変わってしまった。広告のネットワークが媒介することで、何らかの情報を投入する人は直接お金を払うことなくなんらかの御利益が得られるようになった。それがトモダチからのイイネのような社会的な評価なのか、それとも稿料なのか、アフィリエイトなのかは様々だが、ネットのエコシステムの中で、情報投入者は何らかの益を得られる仕組みが整った。その結果として、栄えるサービスは情報投入者を優遇し、情報投入者は出来には目をつぶってでも、新しい情報を作り続け、投げ込み続けている。情報発信にはリワードがあるようになったのだ。
等ということはここで力説するまでもなく、ちょっと考えればすぐにみんな判ることなのだけど、その先について想像をしてみる。
上記の前提から考えると、ネットはネットであるが故に情報が溜まり続け、そしてわたしたちの情報を生産する能力は有限であるが故に、その情報にはゴミや仮想戦記が混ざり続ける。それは逃れがたい事なのだし、現実に起きていることの構造なのでは無いかと思う。
問題はゴミがゴミとして扱われないことで(ゴミに振り回される人の魂に安らぎあれ)、それさえ除けば何の異議もないのだけど、もちろんそれは難しい事でゴミが大きな顔をして流通してたりする。

何をグダグダ述べているかというと、次の大きな変革の方向であり、次のお金儲けのヒント。当たるといいな...ではダメだね、当てに行かねば。新聞屋さんが最近ニュースの正確性についてアレコレ言い出してるけど(朝日新聞が人のこと言えるのかよ、とも思うが)、そういう範囲の小さい話ではなくて、信頼性とは何かという事の本質を保証する、もっと機械的なものを。
相当に大きな事柄を乱暴に書き散らかして唐突に終わるのはいつものことだけど、本稿もそのようにして終わる。備忘録(LOG)なので許されたい。