all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

11/19 雑感もしくは命題設定

前にこういうエントリを残した。

septiembreokbj.hatenablog.com

組織というものの中に個人を超えた意志が住みつき、それが長きに渡って馬鹿げた影響を及ぼすことがある(みんな大好きな日本軍などは陸、海ともにソレの典型だ)。金沢市LRT問題も同型だよ、本当にbogusな話だねえ、というオドロキを残したかったのだ。チキンなので、築地移転への所感を残すついでに、ああそういえばという風体を装って金沢市のことを乗っけたのだけど、なに、ホントは金沢市に降りかかった都市交通のノロイのことをメインに書きたかったのだ。だって上掲のエントリ、表題の日付と作成日が合ってないでしょ?おお、なんというヘタレっぷり、そんな小細工を弄するとは。

いや、地方都市で暮らすというのは大変なのです。変なこと書きやがって、と刺されたりするのです。バラしてりゃ世話無いですが。

 

 

さてさて、とはいえ、予算を作ってLRTを敷設しようというのは役所だけで済む話ではないのも自明で、もちろん政治屋も動く。最近、いよいよ明確な事象が発生した。

 

自民党の県関係国会議員六人と谷本正憲知事ら県幹部が意見交換する県政懇談会が十八日、金沢市内のホテルで開かれた。

という出だしでその事象を伝えるのは中日新聞だ。

www.chunichi.co.jpここから一部記事を引用する。

次世代型路面電車(LRT)などを導入し、コンパクトシティー形成を目指す新交通システム構想について、馳浩衆院議員は北陸新幹線敦賀開業を見据えた人やモノの交流拡大などを背景に、検討再開に対する知事の見解をただした。

 知事はかつて金沢市と検討を重ね、市中心部での導入を断念した経緯を説明。金沢外環状道路山側幹線(山側環状)が全線開通した二〇〇六年以降、街中交通量が横ばい、増加している点を踏まえ「当時の状況と変化が出ているのかどうか、金沢市でもう一度精査していただく必要がある」と述べた。

 知事は「県政でもっと大きな問題は並行在来線の安定運営だ」と強調。敦賀開業でJRから経営分離されるため、「福井などとの調整や時間的制約もあり、まずはこれに全力を傾ける」と県の姿勢を明確化した。

 

11/19付けの北國新聞朝刊も同様の内容を伝える。

(以下、同紙27面より引用)

馳氏は金沢市が導入を検討してる新交通システムについて県と市による検討再開を求めた。谷本知事は2002年に「早期導入は困難」との結論が出たことを挙げ、「当時の結論を覆すだけの大きな状況の変化があるのか具体のデータで示す必要がある」と慎重な姿勢を示した。

 

本件報道に関しては中日新聞に軍配が上がる。要望を打ち返した事実を伝えるという点では同じだが、中日新聞は「データを調べるのは金沢市の仕事」、「県としてはJRから分離される在来線の引き受けの方が優先度が高い」と、主張の根拠を伝えているからだ。たしかにごもっとも。県と市では受け持ちが違う。特に石川県は大きな半島部を持ち、それも含め県内の格差解消が行政の大きな課題になっている所なのだ。県全体のバランスを取ることが、ガバナーにも、その僕たる県庁にも強く求められるのである。中日新聞の記事からは、そのような意志をもって県政運営に望んでいるという知事の態度が伝わってくる。

 

さて意外に知らない人が多くて驚くのだけど、半島振興法 - Wikipedia、こういう法律があるくらい半島というのは大変なのだ。そして、そういう地理的な条件によるハンデというのを県庁所在地の自治体の諸人は往々にして無視しがちだ。自分たちの土地が県庁所在地になったのは、そもそもが地理的な条件に恵まれていただけに過ぎないのに(※)、それを特別の寵愛を誰かから賜ったかのように誇り、振る舞う手合いが引きも切らないのだ。

※歴史というのは地理的な条件のうえに咲く花だという事を忘れてはならない。

 

まあようするに、そういうバカが県庁所在地には多く、ことあるごとにゲンナリさせられる。そして今回の事象、そのような一派のスポークスマンが利権を求めるべく行った発言に見えてしまうと、気持ち悪さは最早レッドゾーンである。こんな感じ。

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今回の事象は、山野氏を一度は市長の座から追い落とそうとし、

衆議院議員 馳浩 公式ページ - 平成26年8月31日 はせ日記 激動の8月だった。 振り返ってみたい。... | Facebook

 

それが叶わないと判った後には、県知事を目指すべきと言ってみたりした、

septiembreokbj.hatenablog.com

馳浩氏の複雑な行動の意図を明らかにするものであった。

そうか、国政に対して責任を持つ立場にありながら、一市町村の利権に手を突っ込む、そういう姿勢の人であったかね。中学校の時から総理大臣になると公言している人であったので(地元って恐ろしいね、みんな教えてくれる)、もうちょっと見栄も外聞もある人かなと思っていたのだけど、文教族は暗愚の系譜なんだな、ホントに。県知事を目指すべきと山野氏に新聞を通じてエールを送ったのも、単に党勢拡大が目的じゃなくて、もっと具体的な意図があったのだね。

 

ああ、馳浩氏といえば

blogos.comとか、

 

president.jp

「家族を大事にするのは当たり前のことなのだから、憲法に書いたって、特に悪いことは起きないだろう」という人

と揶揄されている一派の一人として社会的に認知されているのだけれども、そしてそれはザンネンな人だと思われているということなのだけど、それでもまだ決定的にダメとまでは言い切れないところがあった。(ホントかウソか)高見順が好きすぎて、という話はとてもじゃないがキライになれない。

でも今回の事象は、決定的にダメだなあ。

 

国のことでも無ければ、県全体のことでもない。足下の利権の代表としての発言としか思われないことを、すなわちある一市町村の利益のことを県政代表にあえて問うというのは、どうしようもなく時代遅れだし、致命的にずれている。

 

いや、ずれているのはこっちの方か。選挙で選ばれた人と一個人を比べれば、どちらがボリシェビキなのかは自明だもの。でもこういうのが続くと、自分がボリシェビキになる方法を真剣に考えてしまうなあ。

どうすれば自分をボリシェビキにできるのだろう。もしかしたら人生最後の命題はそれなのかも知れない。

 

いや、半ば本気で。