忙しくて、そして体調の問題で、ブログの更新を含めていろんな事が止まっているのだけど、三年目のはじまりの日が来てしまったので、碑を残していくことにする。
2017年の今日、16才のきみが目を覚まさない朝がきて、そこからいろんな事が変わってしまいました。
もちろん、わたしたちの気持ちにも、卵に火を通した様な、もとに戻らない変化がおきました*1。どうにかならないほうがどうかしているので、その事自体はそんなものなのですが、あまりどうにかなると生きていくことも難しくなります。
きみが向かえにくる日(それをわたしたちは寿命と呼んでいるのですが)より前に自分の都合でこの世を去るのはやめようという結論となったので、いくつかのルールを導入して日々を持ちこたえることにしました。
それはこんなルールです。
- 神の有無について
これは存在を認めない。
神とは確率の無慈悲さに耐えかねた人間の幻想と見なす。
何者かがいるのは構わないが、それが人間に興味を持っているというのはただの思い上がりだ。 - 魂の有無について
これは有りの方向で。
コミュニケートする方法の有無については何ともいえないが、声が聞こえるように集中していこう。わたしたちはいつもきみの事を思い出し、考えているようにしよう。 - 起きたことを受け入れよう
可能性として起きうることは、いつか、誰かの身の上にリアライズされる。出来事はそのように見ていこう。誰の意図も存在しないという事の無慈悲さを受け入れよう。
我々が後悔すべきことがあるなら、その日までに万全を尽くしたかどうかだけにしよう。 - そして待とう
きみが迎えに来る日まで、持ちこたえて待っていよう。
これらのルールに従って日々を処しています。ただし時間はある意味止まっちゃいました。どこに向かおうという目標も、プライベートではもう持てる気もしません。
だから時が満ちるか、何かに至るとか、そういうのは全て外部にお願いしています。
外部クロック、ちがうな、外部イベントで駆動される生活をわたしたちは送っている訳です。
いや、もしかしたら既にわたしたちは自分たちでクロックやイベントを持つことができず、きみが引き起こすクロックやイベントを供給してもらうことで日々を過ごしていたのかもしれません。なるほど、そうですね、きみは生まれてからずっと、わたしたちのクロックだったのです。
ところで今日、きみの親友がきみに会いに来てくれました。聞こえていたでしょうか。
彼は自分のやりたいことに絞りきって進路を定め、そのやりたい事を伸ばしてくれる大学に入ったとのことです。日曜日なのに学生服なのはどうしてなのと聞いたところ、大学に入った後のために追加のレッスンを受けてきたとのことでした。彼にとって大学に入るのはゴールではなくて、スタートなのです。すばらしいことです。きみの親友も大人になっていきます。
その彼は、高校在学中にきみと一緒に作品を作りたかったと言ってくれていました。きみは何を作りたかったのでしょうか。いろいろなことが聞けていません。だからわたしたちはきみのことを考え続けます。わたしたちや、まわりの人の記憶から。そして残されたきみの本棚や荷物から。
そして、向かえにきてくれたあとに答え合わせをさせてください。そのときまでには名探偵ばりの謎解きができるようになっておきます。なぜ判った!、というきみのあの叫び声が楽しみです。
ともあれ、きみの不在ですっかり縁遠くなってしまった世界の片隅で、わたしたちは一日一日をなんとかやり過ごしていきます。
では、また。
三度目の2017年の節分に。
父より。