家人の仕事の都合があって今なお自粛状態が続いており、その反動で本とCDを買いまくっている。なるほど、これは、という発見がいろいろあるのだけど、それはどこかで記録を残すとして、今日は今現在なおもめているアメリカ大統領選挙について。
別にトランプが好きな訳でもない(嫌いな訳でもない)。が、バイデンは勘弁して欲しいと思っていた。いや、それは正確ではない。
リベラルな人たちが、自分たちではマジョリティになれない、でも党としては勝ちたい、そう思って一番ネガティブが少ないと思われる「終わった人」*1を立てて選挙をすることがどうにも気持ち悪かった。まずは認知症の検査結果を出せ、何ならみんなの前で認知症検査を受けろ、というレベルの人間を出してどうするのと。
いかにもリベラルらしい話だ。彼らはかくあるべきという理想*2から話を始め、それを実現するための手段は大抵のことが許されると思っている。この手段を選ぶ事がないという傾向がなぜ年々高まっていいるのかというのは別に書くとして(ホントにちゃんと書けるのか?)、そういう訳で10代の時にはあれほど素敵だと思っていたリベラルという言葉が、いまは恥ずかしくてたまらない。それどころか「リベラル」は悪だとさえ思っている。
まさかリベラルが自分の中の悪を意味する言葉になる日が来るとは思いもしなかった。でもBLMがリベラルなのであれば、やはりリベラルは悪としか言いようがない。「理想」の為には暴動という手段が許されるのだというのは、すでにワタシの立つ世界とは断絶している。加えてBLMの話が恐ろしいのは、あれは突き詰めると「最低基準の人間に生まれなかったのは不公平だ」というところにたどりだろうからだ(いまはまだだけど、必ずそうなる)。なんとなれば、リベラルは「理想」の敷衍を止めるための思想や仕掛けを持っていない。というか、そのような歯止めを(この言葉は使いたくないが、そういうのを良識というのだ)否定していく歴史を重ねてきているからだ。*3
そういう訳で、アメリカの大統領選挙に重ね合わせて見ていたものは、
リベラルと自称する人たちを退けうるのか
- 事実や慣習や文化や(物理)法則など、
社会の連結材であった諸々よりも政治的な正しさ*4 やかくあるべきという「理想」が優先するという思想を押さえ込み得るのか
そう言うことだった。
もちろん社会の連結材にも期限切れはあるし、 手当ても必要なのは間違いない。でも、 かくあるべきという視座から物事を評価するのは、 やはり悪でしかない。
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ワタシはペシミスト(というのもあれだけど、物事の暗い面を見るような偏りを持って生まれたのは間違いない)なので、選挙不正の有無にかかわらずバイデンが大統領職を手に入れるのだろうと思っています。
メディアの総動員、そしてワタシはあったと思っている選挙不正、その他さまざまな事を使っての大統領職の獲得ですが、それはまさにリベラルそのものです。かくあるべき、から始めると途中の手段はどうでもよくなる、実にリベラルらしい有り様でした。
そしてそれがアメリカを覆い、そのうちに日本をも覆っていくのだろうと考えると、本当にぞっとします。
理想や理念を通してしか世界を見られない幼稚な人たちがマジョリティである社会、そのようなところに住んでいくのはとてもツラく苦しいことなのです、ワタシにとっては。
もし助かる道があるとしたら、誰かがリベラルの再定義をすることなのですが、いまそれが出来るモーメントを持った人(人たち)が存在するのかどうか。いないだろうな、むりだろうな。きっと行き着くところまで行くんだろうな。リベラルに対抗するために、より現実主義的なスタンスで臨んでいかなきゃならないんだろうな。でもオレはこれから老人になるだけなのに、そんな風に社会と付き合っていかなきゃならないのか、面倒くせえな。だったらさっさと死んじまった方がマシだな。気にくわねえ気持ちの悪い話を見聞きしながら毎日くさくさしてても仕方ねえからな。きっと台湾は中国に(武力)併合されちゃうしなあ。そしたら次は沖縄独立だしなあ。
そういう暗澹たる気持ちにさせてくれた2020年のアメリカ大統領選挙でした。