all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

5/31 元号の合字について(不明を恥じる)... 6/4 一部訂正

septiembreokbj.hatenablog.com

において、以下のことを書いた。

でも、もっと笑っちゃうのが、いつか天皇が変わるのは自明なんだから元号組文字の領域ってリザーブを10文字(10世代分)くらい押さえておくという智恵は無かったのかね、ということだ。それとも元号が変わることを想定してアレコレやるというのは不敬な事なので避けたのかね?まさか? 

これが単にワタシのリサーチ不足であったことが判明したので以下懺悔申し上げるのが今回のエントリである(誰に? じゃ、とりあえず息子に)。

 

気がついたのは、会社で共有されたこのエントリがきっかけだ。

新元号(平成の次の元号)対応におけるMicrosoftのセミナー「新元号とマイクロソフト製品における対応」を受けてきました

ここに

日本マイクロソフトは、パートナー企業に対して以下のプログラムを準備中とのこと。

  • 仮の文字(U+32FF)によるフォント、更新された製品・コンポーネントを使用した検証環境のご提供(を現在検討している。)
  • プログラムの実施時期、形態については改めてご案内予定

 とある。

U+32FFが仮文字? ということは、すでにリザーブされている?

 

調べました。

するとこういう情報が見つかる。

(申請編)

http://www.unicode.org/L2/L2017/17429-sc2-n4577-japan-new-era.pdf

(予約編)

http://www.unicode.org/L2/L2018/18056-future-adds.pdf

※これの 7.Enclosed CJK Letters and Months。

 

おお、新元号用の組文字(Unicode用語だと合字なの?)用の領域が申請され、予約されているではないか。少なくともUnicode対応のプログラムであれば、次の元号の準備は始められるということだ。

プログラム中の定数をリテラルで書こうとすると、当面豆腐(※)になるが、準備が出来ないよりは全然ました。SJISで書かれたソースコードで、Unicodeを扱うプログラムを書いているなどという場合、定数はもちろんコードポイント(文字コード)にならざるを得ないので、そういう奴なら、そもそも問題にならないし(そんなソースコードがどこにあるのかというのは、ちょっと言えないなあ)。

 

※フォント中に、コードポイント(文字コード)に対応する字形がない状態を豆腐という。すでに国際語である状況については、Noto - Wikipediaを見よ。

 

ということで、懺悔の時間だ。

人のことをディスる前には、入念な、ホントに入念な調査が必要なのですが、それを怠って多くの人(って何人がここを読んでいるのかは秘密ですが)を不快にさせ、あきれさせた事をお詫びします。

年に数回パッチを書いたり、アーキテクチャレビューに参加する位の、半分どころかほぼほぼ上がっちゃったマネジメント層が技術的なことをアレコレ書くのは、まさに年寄りの冷や水だと痛感しました。

これからは、もっと丹念に裏取りをしてから書きますのでご寛恕のほどを。

ー懺悔終了ー

 

 

 

...まだ書くのか?

そうねえ、人はプログラマになるんじゃない、プログラマに生まれるんだ、という位だから、どこかで廃熱しないと死んじゃうのですよ。

プログラマに生まれたものにとって、マネジメント層であるということは(好悪は別として)F形態(フォックストロット)だと思うので、時々排熱したり、H形態(ホテル)に戻ってないと、死んでしまうのですよ。

 

ところで、「まつりごと」って何なんでしょうね?

家庭内では、ドラゴンの繁殖期のことなのかしら、という説が有力です。

(6/4訂正)

先週金曜に8話を見た(これを見るために最近Netfilxに入ってしまった...)。なんと、まつりごととはそういう事だったのか。自分たちの想像力の乏しさと、それを指摘してくれる作品の頼もしさに感じ入っております。

オープニングも、過去みたこともない変わり方をしたし、いつのまにか中盤は過ぎて、諸々のベールが引っぺがされる山場にかかっていたのだね。

ものごとには終わりがいつかやってくるけど、このままの勢いで走りきって、よい締めくくりを見せてもらいたいものです。

5/20 三つにわけてみる

彼に伝えたかったもののうち、ノウハウ・メソドロジに関する簡単なメモをぽつぽつと書いていくシリーズを始めます。その第一回として、周りの人をカラーリング(※)するときに使っているメソッドを書いてみます。

※カラーリング、すなわち色分けは、なんだか最近良くない言葉っぽい雰囲気ですが、クオークの色くらいの気分でみといてください。政治バイアスはない、はず。

  

では、そのメソッドを。

 

「次の三つの”私には無理”のうち、一番口にしたくないのは、どれ?

  1. 出来ない
  2. 知らない
  3. 判らない

この設問の答えが、1なら開発、2なら営業、3なら企画・マーケ 体質だね」

 

なんたるアバウト?でも、過去実績では結構精度が出てて、それぞれの部族(トライブ!!)でそれなりの人に上の質問をぶつけると、その通りの答えが返ってくる。

さあ、みんなもこの質問で周りを三つに分けてみよう!

 

 

 

補足1

 ちょっとだけ補足説明を。

上のメソッドの背景を変形して書き下ろします。

  1. 開発に求められるのは、求められたものを作りあげること
    (=期限までにアウトプットを出すこと)
  2. 営業に求められるのは、お客さんに情報を届けること・お客さんの情報をあまさず拾ってくること
    (拾ってくる方は理解されてるけど、情報を届ける方の重要性を判ってない人が意外に多い。自分ちの商品情報を連呼するだけなら今日日WEBで十分っすわ。商品を購入することを意味を、広いレンジで意味づけられる情報をお届けできない営業はただのゴミっすわ)
  3. 企画・マーケに求められるのは、論理的整合性がある作戦を建てること
    (自分でも判ってねえことを、べらべらしゃべるんじゃねえですよ、ってことです)

さらに「おできになる人(ハイパフォーマー)は一般に負けず嫌い」という定理(※)を適用すると、つじつまが見えてくるのではと思います。

※さて、これを定理と呼ぶとすると、その前提の公理はなんだろう?

 

補足2

まてよ、世の中は負けず嫌いぎらいだけじゃないぜ? とか、 世の中は開発と営業と企画・マーケだけで出来てるんじゃないぜ! などの突っ込みが聞こえてきそうです。

 

負けず嫌い問題については、所属トライブと負けず嫌いの関係はニュートラルであって、それぞれのトライブの負けず嫌いが、そのトライブにとって譲れないところを明確化してくれてると思うべきなのでは、と。そのような訳で、負けず嫌い指数によらず、トライブと回答の結びつきは安定なのだと思ってます。

想像してみましょう、開発なのに気にする事は「判ること」。判っても、(何かが)出来なきゃ無駄です。企画なのに評価ポイントは「知っていること」。知ってても、それが作戦の素晴らしさに結びつく保証は誰がしてくれるんでしょ。

そういうアンマッチな状況は望ましくないですよね。そういうのを回避するために、今回のメソッドは意外に役立つなあというのが、実践的感想です。

そもそもこの質問、お客さんのところで回収不能な手形を切ってくる営業をあぶり出すにはどうすれば良いか、と言うところから始まったのでした。出来ないというのが一番イヤだというやつを営業からパージしたかったのですね。出来る、出来ないはてめえが言うこっちゃねえっての。ありがたいことに、弊社からはそのような営業は消えました。Viva! 

 

あと、世の中は開発と営業と企画・マーケだけでは出来てませんよね。たしかにその通り。ファイナンスもいるし、GAやHRもいます。そしてそれらの雇用主である、経営層というのも存在します。ファイナンスについては現在考え中。だんだん見えてきつつある、かな。

GAとHRは...、どうしましょうね?彼らのエートスって、これからの世の中とうまく折り合っていけるのか、ワタシにはよくわかんないのです(ああ、婉曲な)。

そして経営層は、多分否定の質問でははかれないし、はかるべきではないと思ってます。このあたりは従業員から社員にクラスチェンジしたときに書くことにしましょう。

 

 

いやまてよ、世の中って会社だけなの?

 

はっ、はっ、はっ、そうかもね。少なくとも、今のワタシには他に熱量を注ぐところもないしねえ。

 

5/18 元号の国民離れ

元号の発表が来年4/1に決まった、という報道がされている。

二ヶ月でも絶望的にアレなのに、ついに一ヶ月まで縮んでしまった。

なぜアレなのかについてはこちらへどうぞ。

septiembreokbj.hatenablog.com

 

なぜそんな馬鹿なことが、と言えば

政府が新元号の公表時期について、改元1カ月前の4月1日を想定する背景には、天皇陛下への配慮がある。陛下の在位30年記念式典を開く19年2月24日以降とする方向で調整してきた。記念式典より前に発表すると「世の中の関心が新天皇に向かい、今の天皇陛下を軽んじることになりかねない」との懸念からだ。即位と新元号公表の時期が離れすぎないようにして祝賀ムードを高める狙いもある。 

なのだからだそうだ。(日経新聞記事より引用)

 

 

この恐るべき忖度により、元号を使用、利用する局面は、一年をかけてすさまじく縮減されることになる。我々が元号から離れていくのではない。元号が国民から離れていくので、仕方なく、その穴を埋めるだけなのだ。来年作業をするのは、ホントに西暦に変えようがないところだけだ。

そして、それでも不整合は残るだろう。

その事は政府もどうやら理解し始めているようだ。(以下、産経ニュースより引用)

連絡会議には全府省庁の官房長級が出席。改修するシステムは現金自動預払機(ATM)や納税関連などが念頭にある。府省庁間や官民の間でつながっているシステムの改修が間に合わない場合も、当事者同士で新元号に切り替える時期をすり合わせたり、「平成」と新元号を併用可能にしたりするなどの対策を調整することを確認した。

 運転免許証や納税証明書といった紙の証明書などについて、改元後に「平成」が表記されていても支障が出ない対策や周知方法を検討することも確認した。訂正印での修正や「平成」のままでも有効にすることなどを検討している。

 また、国民生活の混乱を避けるため、各府省庁が所管する法人のほか、民間企業や地方自治体に情報を提供するとともに、適切な対策をとるよう要請する。

 

さて、この時におそらく発生するであろう混乱ないし障害は、国民に「なんでやろ?なんでやねん?」という気持ちを生起させるだろう。そうなった際には、まちがいなく。

そして、その「なんでやろ」は、そもそも何故和暦を使わなければならないのだ、和暦が必須でなければならない規定(法律、法令)とはなんなのだ、という疑問に結実していくだろう。

というか、きっと、マスコミはそのような論陣を張ってくる。天皇制の外堀をうめる絶好のチャンスなんだから。最近は相当にゲンナリさせられてばかりの本邦マスコミだけど、基本は是々非々なので、ワタシもそのときは政府をディスる側に与するだろうな。政治が声を出しさえすれば、技術的問題が何とかなると思っているようなら、そんな政府はいらないぜ。いまの中国みたいな国には住みたくないぜ。

(ぜ、の連発をしてしまった)

 

 

結論を述べる。

天皇制を維持したいと思っている人は、今回の政府決定に多いに反発すべし。世の中の人が誰も困らない、円満な譲位を実現することの最大の妨げが、この新元号発表に関する恐るべき忖度だからである。

暴れるべし、ネトウヨ。一見倒錯的であるが、天皇に対する忖度を正すことが、君たちの益にもなり、ワレワレの益にもなるのだ。

 

...できれば今年10月くらいに発表してくれないですかね。そうするとIT屋に席をおくアタクシとしても、来年の譲位を心の底からお慶び申し上げることができるんですがねえ。

 

 

追記

元号のことを考えると、星新一を思い出す。

元号問題を解決するには、天皇の代と元号を分離し、2001年1月1日まで待って、元号を二宣(せんの字はあやしいな)にするしかない」という趣旨の事を、星新一のエッセーで読んだのは小学校のときだ。昔の事なので記憶の細部はあやしいが、大筋は間違っていないはず。解決が必要な理由については、単に西暦とのズレが不便だというのではなく、これからはコンピューターを使うようになるのだから面倒が増えるだろう、というような説明をしていたように思う。

多分70年代に入ってすぐのエッセーだと思うのだけど、そのとき、そのような事を想像できるというのは、本当にスゴイね。しかも、本気か冗談か定かではないテイストで書けるというのは。ha ha only seriousという奴だ。2018年から振り返ってみても、まことにsmartな人だと思う。

最相葉月の評伝が却って再評価を妨げてしまっているのが返す返す残念だ。ありゃ、最相葉月の自己投影がきつすぎる。

 

5/16 ボクらはみんな(tech企業で)生きている

(指摘対応版:5/17リリース)

なんかスゴいタイトルになっちゃってるのは、この記事のせいで腸がねじ切れてシヌルかと思って錯乱したため。
 

tkybpp.hatenablog.com 

これを「シリコンバレーから生まれた最高の文書」と評するのは、tech企業に光を求めて群がってくる数多の人々の、オイシイ部分を、オイシく使うことに振り切った、地獄の悪鬼のような人々だけだと思ってはいるのだけど、しかし余りにも馬鹿げ過ぎていて、もしやこれに騙されるpoorな人が(tech系にも、非tech系にも)出てくるかと思うとシヌほどツライ気持ちになるので、出張帰りの時間を投入してみることにする。
 
 
まずはこっからな(ああ、脱抑制モードになってしまう...)。

立派な価値観を書き記すことは簡単ですが、それらを実践するのは難しいことです。勇気の説明で「Netflix の価値観と食い違った行動には疑問を持つ」と言いました。私たちは従業員全員がお互いにこの価値観を実践できるように助け合って欲しい、そして、お互いが他の手本となる人物である責任を持って欲しいと思っています。これは途切れることの無い、意欲的なプロセスです。

 

相互監視の世界へようこそ。誰もが、自分以外の人間がNetflixの価値観から逸脱していないかをウォッチすることが求められる、仲間はずれ探しが無限に続くタノシい企業、それがNetflixだ。
しかしNetflixの価値観とは何か。
「本物の価値観」という仰々しいタイトルから始まる章が、Netflixの価値観を示している、のだそうだ。さあ、読んでみよう。
 

 

 
oops! これは、価値観ではない。これは、todoリストだ。もしコレが価値観なのだと言い張るのなら、正しくはこうあるべきだ。

 
「ワレワレは、これらのtodoリストを行うことを何より正しいことだと思う価値観こそを、本物の価値観とする」

 
すごいな、Netflixが何を成すかが価値ではないんだ。如何に成すかが価値なんだ。この文書の隅々まで探したけど、結局最後までNetflixが従業員と共に達成しようとしているゴールは書かれていなかった。

いや、確かにこの文書の冒頭に以下のような宣言がある。

エンターテインメントは、友情のように、人間が基本的に必要としているものです。エンターテインメントは私たちの感じ方を変え、私たちに共通点をもたらしてくれます。Netflix は、既存の会社と比べて、より安いコストかつより広範囲なよりよいエンターテインメントを提供します。私たちはあらゆる人を楽しませ、そして世界を笑顔にしたいと考えています。

さて、このコーポレートステートメント(長いな、以下CSで)と「本物の価値観」(こいつも長いな、以下RSoVで)の間にはどんな関係が成り立っているんだろう。このCSをブレイクダウンしていくと、このRSoVでなければならない理由が明らかになってくるんだろうか?しかし、どう読んでも、この極めて抽象的なCSからRSoVが導出される必然性は見えてこない。

一般的にCSは抽象的なものではあるのだけど、このCSが示すところに共感して、あまたある会社からNetflixを選んで参加しようという従業員はどれだけいるんだろう?それはもちろん反語表現であって、これに惹かれてNetflixを選ぼうと(別の言い方をすれば「主義に準じようと」)する奴ぁ、まず居ない。Netflixは冒頭のCSによって「我々は普通の会社です」と宣言しているだけなのであって、それはそれで別に当たり前のことだ。

考えなければならないのは、普通の会社が、しかしなぜだか普通を超えた関わり方を求めるRSoVを掲げる、そのあまりの問答無用の断言っぷりについてだ。RSoVと彼らが呼ぶところのtodoリストの消化自体の意義がどこかで説明されてしまっているように錯覚させられてしまいそうになるんだけど、しかしNetflixは「なぜ、このRSoVなのか」ということについては一切語っていない。唯々かくあるべしと繰り返すのみなんだ。
 
えええええええ?????? 自分で書いててシニソウになるよ。それって金儲けのために宗教やったり、集団をオーガナイズしたりする人たちの典型な行いじゃないの。

 
しかし、この文書は理由を語らないまま、RSoVに意義を感じた人々に対して数々のメリットを提示していく。

  • ドリームチームの素晴らしさ。
    (これはtech企業に勤める人々の、選良好みの自負心を恐ろしくくすぐる)
  • 自由。
  • そして報酬。

 
すばらしい。物事を深く考えない(考える前に立ち向かってしまう)、tech peopleの「オレツエー幻想」をどこまでもくすぐる、良く出来た構造だ。

と、同時にJobsをくさすことも忘れない。

私たちは、CEOや他の最高幹部達が細部に深入りしたことによって製品又はサービスが驚くべきものになったという伝説には賛成しません。スティーブ・ジョブズの伝説は、彼のマイクロマネジメントがiPhoneを素晴らしい製品にしたというものです。他の人たちは新しい思い切った手段であると理解し、誇りを持って自分自身をナノマネージャーと呼びました。主要なネットワークとスタジオのトップは時々、コンテンツの創作過程において多くの意思決定を行います。私たちは、これらのトップダウンモデルを見習うことはしません。なぜなら、会社中の従業員が意思決定をした時に私たちは最も効果的かつ創造力に富むはずだと信じているからです。
 

  

まあJobsについては色々ある。しかしtech peopleを惑わし、束ねようとする、この文書においてJobsを貶す意図は、彼の成果云々を論難したいからではない。

  1. tech peopleが敵わない(※)理不尽なオトコはウチでは価値を認めないよ。
    ※tech peopleは常に理不尽には敵わない。軍人将棋のスパイのようなものだ(ふるいなー)。そもそも理不尽を内包するtech peopleというのは存在が矛盾しているしね。
  2. だから基準に達している君たちは、「本物の価値観」の中で理不尽な攻撃を受けることなく素晴らしい仕事をのびのびやる事ができるのだぜ?
  3. つまりココこそが君たちが求めている場所なのだよ。安心してオレツエーを高めてくれよ。それがお互いにとって良い事なんだ!!

 

そういうメッセージを言外に伝えようとしているのだと思われる。信じられない人は、こういう気持ちで全体をもう一度読み返してみよう。自ら能力に自信を持ちそれをフェアに認めてくれる人を求めているナイーブな人たち(tech people)を、自分が意図するビジネスのために120%使い切ろうとしているとしたら、こういう文書を書かないだろうか。
 

 
もちろん、アタシはこういうのを書かない。そういう方法でかき集められる人々でたどり着ける所など多寡が知れている事を、不幸な体験の積み重ねで知っているからだ(ああ、本当に不幸だね)。本当のパフォーマンスが見たいなら、パフォーマーがゴールの意味と価値を知っている事を知らなければならない。だからCS(これ自体はあって当たり前のことだ)と、パフォーマーの追うべきゴールが一貫性を持つには何が必要なのかということにフォーカスして構造を作るし、それを維持していくための枠組みのメンテナンスを大切にする。...そういうのって、たしかに宣伝しづらいかもしれないけどね。

 
Netflixは人々の生活を変えるかも知れないけど、世界を良くすることはない。いかにユーザーをつなぎ止めて、そこから金を吸い上げるか、それが彼らのゴールだ。つまり、普通の会社だ。何の問題もない。問題は、彼らがその事をこの文書で正直に語っていないことだ。

普通の会社として大もうけを目論んでる、その成果は参加したメンバーに対して能力と貢献に応じてちゃんと分配する、そう言えばいいじゃないか。Netflixはpayが高いことでも知られている。普通にハードワークをするにはいい会社なんだ。

でもNetflixはそんな事は言わない。その代わりに、オレツエー系のtech people、つまりマッチョな人々(ああ、言っちゃった...)の幻想をくすぐる事ばかり述べ立てている。 

 

アタシャ、tech系のオレツエーが嫌いだし、それにつけ込むゲス野郎はデエッキレエなんですよ。

それが、憤死しそうになった原因です。

 

と吐き出したところで、ちょっとだけ分析というか、見通しを。

(じゃあ、いままでのは? あれは単なる罵倒ですな)

 

こういう文書が「最高の」と言われちゃう状況が何を語っているかというと、IT系産業は最後の輝きを見せてんだなあということ。

ITが絡むビジネスの、優劣を決定づける極めて大事な資源の一つが「出来のよい人々」なのであって、それがみんな等しく手に入れられるなら、すべてのIT系ビジネスは、例えば初期の資本の量で決定されてしまうだろう(もちろんそんな単純じゃないけどね)。でも現実はそんな事になってない。その「出来のよい人々」、トップ10%(か、20%か)の人々の総数によって、成功できるIT系ビジネスの総量が規定されている。

 だから実際には、希少種である「出来のよい人々」を、一儲けが終わるまでつなぎ止めておくために、自分達の会社がいかに価値のあるところであるのかを、様々な方法で喧伝することになる。その流れで読まれるべきなのがこの文書であり、そしてこの文書は間接的に「成長の限界」を示している訳です。

Limit to growth! 懐かしいね。

そういうわけで、成長を続けようとする資本主義は、いずれtech peopleを不要とする仕掛けを強く希求することになります。なんとなれば、彼らこそが成長のくびきであるということを、普通の企業であるNetflixですらが逆説的に示しているからなのです。

 

 

追記

なぜIT企業、tech企業でマッチョな文化が支配的なのかというと、そもそもそういう人が作って、そういう人たちを引きつけて発展してきた業界だから、なのだと思っています。

 

どうだいオレのプログラム(や製品や、その他モロモロ)、スゲーだろ?

 

これが言いたいためだけに、この業界的な歴史的進歩の多くが成されてきたのです。

(例えばHackersという名著があるけど、読むと「オレスゲー」マインドが如実に伝わってきます。それはあのRMSからすらです)

最近はtech系企業での女性差別が色々取り上げられるようになってきたけど、これミソジニーというより、

「オレスゲーが言えない奴は、オレスゲーと言えるものを持ってないからだ。すなわちオレより下だ。何しろオレはオレスゲーを言えるのだから!」という発狂した、でも当人的には至ってマジメな、ロジックに基づくものなのではないか、と思ってます。

 

マチズモはtech peopleの生来のダークサイドなのだ、と言い換えてもOKです。もちろんダークサイドに落ちる人ばかりではないのだけど(流石に世の中は段々よくなっている)、でもそんなに簡単に払拭できる問題でもないのです。

 

で、なんで追記にそんなことを書いているかというと、このNetflix文書、オレツエーを肯定するという構造だと思っているので、逆にいうとこの文書を批評的に読む事によってtech peopleのオレツエーを解毒する道が見えるかもという可能性を感じないこともないかも知れないと言えないこともないだろうと言う気がする訳です。

 

...幻想かな。そうかもね。でもマチズモは、昇華されるべきだと思うのです。ここはワタシの趣味の問題かも知れませんが、でもマチズモを分解する行いが進まない間は、きっと世の中のもう半分の問題も同様に放置される事になるからです。

なんだか壮大に遠いところまで来ちゃったので、本日はこれまで。

 

5/15 タノシイ出張の途上において

汚名を雪ぐことがなにより大事だ。いよいよの時は刺せばいい。
そういう前近代の価値観が自分の中にあるのを知っているので、他人との距離や自分の振るまいが相手に与える刺激には非常に気を遣う。刀のさやがぶつかると斬り合いになっちゃうので、そういうアクシデントでのタマのやりとりを避けるべく武士は左側通行だった、というのと同型の話である(しかしアレ本当なのですかね?)。
だからというか、新幹線や特急に乗るのが非常に苦手だ。周囲にお構いなく、飛び乗るように椅子に座り、後ろに断る事無くシートを大きくリクライニングさせ、時折(人によってはひっきりなしに)椅子の上で体をガタガタさせる男性(年齢は万遍無いが、原則スーツ)が、この20年でとても増えたからだ。ウルサイなあ、下品なオッサンだなあ、と思ってられる余裕のあるときは良いのだけど、閾値をこえるレベルのが来ちゃうと、どうしよう、刺しちゃおうか、と思ったりするのが止められない。
 
いや、もちろん刺しませんよ?ナイフ持ってないし。
(先に離婚だの、辞職だのを済ませとかないと、関わりを持ったまま後に残される人が面倒なのは理解しているよ。それと同時に、それらも絶対的なくびきではなくて、損益計算の問題に過ぎないことも。その損益の費目に、honourとかshameが大きめのレバレッジとともに載ってくるところが前近代なのだね。近代ですらない)
 
ともあれ/しかし、自分の立ち居振る舞い一つで、殴られたり、(場合によっては)刺されたりという緊張感は、確実に世の中からなくなっちゃってきているのだなあ、と思う。というのは、いきなり刺すのも何だから、こちらの気持ちをまずは伝えようと、
「ドカドカうるせーんですけど?」
と、割と強めの口調と顔つきで伝えると、言われるまで自分が何をしていたか理解していなかった顔をして、相手は大体おとなしくなるからだ。決してワタシの柄の悪い外見にびびったのではなくて(とってもジェントルなのよ?)、自分一人しか居ない筈の私室から、突如外に連れ出されてびっくりしました的な感じなのだ。公共の場所と、自分の私室の差違が理解できない、他者を視野に入れない、そういうアレな人との遭遇率が、この20年で有意に向上している。つまり、世の中が変わってきた、ということなのだね。隣に座っている人のことすら想像できないような、publicがない人たちが世の中の一定数を占めるようになってしまってるのだね。
 
そういう訳で、前時代の遺物であり、そのうえ前近代的な価値観の尻尾が取れないワタクシにおいては、日々リスク(つまり予期せぬ事象による暴発で、家人に迷惑をかけるかも知れない可能性)が高まりつつある。実は避ける方法も知ってはいて、高速鉄道では平民席ではなく追加料金を払ってエクストラな席に座る、もしくは飛行機を使うかすれば、そういうのとの遭遇率がほぼゼロになるのだけど、新幹線のグリーンの差額を毎週自腹でというのもきつく(以前は回数券があったのに...)、飛行機はどうしても小松まで出るのがおっくうで二の足を踏んでしまう。致し方なく、外見の柄の悪さに磨きをかけ、アサーティブな発言をしたときの効果を高めることに邁進するのである。
 
つまり、出張なんか行きたくない、ということなのだね。
 
 
 
追記1
お金を払うと不愉快なことを免れる可能性が高まることについて、理由は色々考えられますが、何を書いても差別的というそしりをうける気がするので、まあやめときましょう。
でも、乗ってくる駅には特徴があることを付記するのはギリギリOKかな?金沢発の東京行き速達型に乗った場合、自覚の無い歩く引き籠もりのスーツメンは、金沢では比較的少なく、富山はめちゃ多く、長野はバラツキ有りという感じです(今日の隣の長野からのオッサンは酷いな。アサーションしました)。なぜなのでしょうか?これも思うところはありますが、差別的というそしり...。


追記2
ああ、もちろん女性にも特徴的な行動があります。女性を差別したりしませんよ。

集団(二人以上)になったとき、可能な限り道一杯に広がって歩くのはどういう事なのかいまだに理解できません。
ジェンダーによる抑圧が、公道において反動的に噴出するのでしょうか。
これも思うところはありますが、差別的...。

5/10 続、元号のこと (5/31訂正)

はてなからのアクセス来てますぜメールに促されて自分のブログを見に来てみれば、アレ3/7以来何も書いてなかったんだっけ?そうかもしれない。腰に神経痛が出て立てなくなったり(老後に備えたリフォームをしててよかった!)、アレで何か書けたらそれはそれでスゴイなあ、と思うくらいのアレになってみたり、と七転八倒の二ヶ月だったからね。

  

 

さて、見に来たついでに、ほったらかし(投げっぱなし)であった元号のことをちょっとだけ書いておこう。この二ヶ月の間にも更なる情報が投入され、だいたい話の帰結も見えたことだし。

 

まず新元号の発表は、来年の2月24日以降となることが確定したのですね。すると対応に要する時間は、最長で二ヶ月。

さて、二ヶ月でシステムに対して出来ることは何か。予め判っている修正箇所に対して新元号の文字列を入れることはもちろんOK(①)。しかし、だからと言ってそれでOKとならないのは当然で、動いているものに手を入れたら修正確認は必須(②)。今回のような場合、プログラム修正よりも確認の方がコストを食うだろう。うん、確かにそれだけでは二ヶ月かからないんじゃないかな。

自分でシステムを作るユーザーも希になった2018年においては、多分誰かが(ITやさんが)システムを作ったり、メンテしているのが普通だ。だから、新元号対応のためのプログラム修正を完了させたと業者が言ってくる時の事は考えておくべきだ。もちろん彼らは自分達で修正結果の確認を済ませている(だろう)。では、それを鵜呑みにする?まともな会社ならそんなことはしない。受入確認というのをやる。大まけにまけて、業者がやった修正確認の結果データをチェックするにとどめるかもしれないけど、なにしろ検収作業をするのが普通だ(③)。さらに時間が溶けていく。それでも、受入側の事前の準備がちゃんとしてれば、二ヶ月の枠でやりくりするのは十分可能だ。

 

では、リアルに向かってもう一ひねり。新元号を扱うそのシステム、元号処理自体は外部から調達したライブラリやミドルウェア(※)で行われていると考えてみよう。西暦/和暦の変換ルーチンなど、それぞれのシステムがロジックを抱えるなどというのは(車輪の再発明という意味で)馬鹿げている。普通のシステムなら、かなり当たり前の話だ。

ミドルウェアの説明を懇切丁寧にしようと思ったけど力尽きてしまったので、知らない人は各自ググってクダサイ。

ライブラリ/ミドルウェアの修正処理(①’)と確認(②’)が終わると、対応成ったライブラリ/ミドルウェアが、その利用者である実際のシステム側に配布される(④)。そこからがシステムの動作確認の始まりだ。

つまり①+②+③+④の期間で新元号対応ができる訳ではなくて、場合によっては①’+②’+④+①+②+③や、①’+②’+④+②+③の期間が必要になる可能性があるのだね。さて、これは二ヶ月の枠に収まるのだろうか?

 

もちろんこんなことが判らない程、お役人はバカな訳ではない(政治家はバカかもしれないけど)。判っていて、その事をほったらかしにしているのだと思われる。何故か。

実は新元号対応処理の仕事は、既にばりばりと発生していて、IT屋さんの忙しさに輪をかけている。なぜそんな事が可能かといえば、今発生している新元号対応というのは、和暦を使うのを辞めて全て西暦に倒すという仕事だからなのだ。なのです。

本来ならば有ったはずの時間的な余裕をバカな政治家達が無為にすり潰した結果として、和暦とお別れすることをワレワレ下々は決意しております。さようなら和暦、もう君を構っている暇は無いんだ。そんな感じの仕事がアチコチでうごめいている。

 

まとめればこう。

元号の対応は簡単で、二ヶ月もあれば十分、という政治家の馬鹿な発言は、お役人がレクをしないからだろうし、なぜしないかといえばこの期に元号離れを加速させようとする意図がお役人にあるからだろうと睨んでいます。

まあ、良いんじゃないでしょうか。こうやって、本邦固有の事情というのは少しずつ解消されていくのです。

 

ホントに? 多分ね。

 

 

追記

ほったらかしのブログのアクセスが動いたのは、TOTOの延長保証について述べたエントリが何故だから引っかかったからなのでした。

泡沫の世界だと、思わぬモノの擾乱を受けますな。ミクロの世界だと支配的な力が変わるというアレっぽい。

 

 

追記2

あ、テクニカルな話を書くって宣言してたんだった。ザックリ書いておく。

日本国政府が出来てからの元号は、㍾、㍽、㍼、㍻のように組文字表現の字形をもっている。これらの文字コードは扱いやすいように連続した領域に割り当てられてる。ところが、㍻の次に空き領域がないので(すでに別の文字が割り当てられているので)、新元号の組文字は全然別の文字コードに割り当てられることになる。まさかとは思うけど、元号組文字の文字コードの連続性に依存しているプログラムがあると、そこは単に定数を変えるだけでは済まないので面倒な事になる。頑張って直せよー。

でも、もっと笑っちゃうのが、いつか天皇が変わるのは自明なんだから元号組文字の領域ってリザーブを10文字(10世代分)くらい押さえておくという智恵は無かったのかね、ということだ。それとも元号が変わることを想定してアレコレやるというのは不敬な事なので避けたのかね?まさか?

 (5/31訂正)

上の打ち消し線のところ、事実誤認でございました。お詫びエントリをあげたので、詳しくはそちらを。

septiembreokbj.hatenablog.com

 

3/7 判りやすいというのは、例えば明快な指標が設定できるということだ。

tech.nikkeibp.co.jp

ブクマが貼れなかったので、自力で記録を残す。

大変に明晰な記事。EROI(Energy Return on Investment)という指標でエネルギー生産を評価すると、遠くない将来に危機が訪れるという事が判る(記事の中ではそこまで刺激的な言い方はしてないけど)。

こういうワクワクする記事を見てると、寿命はいつ尽きても構わないにしても、生きてればそれなりに面白いものが見られそうだという予感がするじゃないか。ありがたい事なり。そして、こういう明晰な予測というのを、自分も自分の分野で是非やりたいとも思う。すこし欲が出てきた。誠にありがたい事なり。

 

あ、新元号対応の面倒さを解説する記事は書き進めてますんで、明日の午前中には何とか。これが書けると、きっと棚ざらしになってる異体字も書けるんじゃないかな、とか何とか。