all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

11/8,9 金沢、渋谷、軽井沢、金沢

二日酔いというよりは、まだアルコールが残っているまま目をさまし(蟹のノロイについては 11/7 蟹 - all things must pass に詳述)、7:48発のかがやきで東京へ。渋谷で打ち合わせ兼ランチ。それが終わってから軽井沢へ移動。合宿形式で行う、若手にアレコレ討論してもらう社内イベントのため。

 

行きの新幹線もそうだけど、標高940mの軽井沢駅が暖かすぎる。11月なのに何ということだろう。この世の終わりのことについては別途書くので、今日は事実のみ記す。

 

軽井沢での社内イベント、内容などは社外秘なので詳述しないが(できないが)、正解を求めたり、自分の考えている事を無批判に肯定したりする態度というのはどうしたものだろうねえ、と思った事は残しておく。真面目だし、熱心だし、それはもちろん素晴らしいのだけど、そのままだと対面する問題の性質によっては、局所最適に陥ったり、存在しない解の探索のうちに時間を消費し尽くしたりするよね。一般解なんか手に入らないと割り切る態度(※)、自分の考えですら何らかの前提なりフレームワークに制限されていると見切る態度、そういうものの重要性を語り続けているのだけど、中々羽化しない。

※求められる条件に対して妥当な答えで満足する、という適切な妥協を認める態度と言っても良いでしょう。

 

そういうのって、個人の能力の限界だから判らない人には何を言っても判らないよね、そういう事なのかもしれない。でも、その人の理解の回路に入り込めるメッセージが出せないという、こちらの伝える能力の問題なのだという可能性も大いにある。だからこちらも研鑽をつみつつ、気長に待とう。怒ったり、暴れたり、絶望したりしても、仕方が無いじゃないか。

 とはいえ、ちょっとめまいのする事があった。彼らは普通か否かというのを、自分と同じかどうかで判断するのだね。「普通」ということの定義を述べて、そこからの距離で測るということが出来ないのにはびっくりした。us and themを会社でもやりかねないな(いや、一部にはその傾向があって、しかも年齢とともに強化されてきているのだ。いやな事だけど事実として直視しなければならないな)。そこは注意していなければならないな。人間はすぐにus and themをやりたがるのだけど、それは滅びへの道だ。弊社では許さんよ。

 

それでも恙なく社内イベントを終えて、18:30ごろに金沢着。そこからオフィスにちょっと寄って後始末。それも20時には終わって、食事をせねばと思って片町方向に出るものの、何となく人に会う気になれず(※)、一人でぼちぼちやるために、竪町通り商店街にあるお好み焼きの店「しずる」に行く。ここは四人がけのテーブルが鉄板になっていて、そこで自分の好み、ペースでやれるのだ。息子がいたときに二人で何度か来た。

お好み焼きくらい手際よくやれないと、人生困るぜ」

そう言いながら焼き方を伝えたのを思い出す。そのときも、いまも、周りはカップルばかりだ。そういうシチュエーションで彼が困らないようにと思ってのレクチャーだったが、困る、困らないの手前の事だったなあ。

※多分、イベントを円満裡に完了させるために、脳内物質を振り絞ってファシリテートした為。車の運転以外、基本的にはやれない事はない(器用貧乏ともいう)のだけど、モノによっては脳内物質の燃費が異常に悪いという弱みがあって...。

 

なにしろ「しずる」は良い店で、おっさん一人で入っても親切極まりない対応だ。こういう感じの個人経営のお好み焼きの店はあちこちにあったものだけど、今では町中だとここだけになってしまった。長く続いてほしいものだ。

 

 

満足して店を出ると雨が降っていたので、しいのき迎賓館の前でバスを待って帰宅。なにもする気になれないので、風呂にさっと浸かって寝る。ちなみにこうやって入ったか、入らないかくらいで風呂を使うのを、当家では「引き出し昆布」と呼んでいる。

出ている出汁の、使いでは知らない。