all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

9/16 夏が終わって、54になって

2017年からこっち、夏は調子がよろしくない。

なんとなれば7月は息子の誕生日があり、歳を数えればダウナーにもなる。

続く8月は暑いところにもってきて、親族のみなさんのアテンドをする事が多く、特段の意趣はないものの、体力的にも、精神的にも疲れがたまる。

 

今年はそれに加えて固有の理由が(主にメンタル面での)引きこもりを加速した。会社の組織再編の結果、コーポレート部門の相当部分の責任がコチラにふってきたのだ。

しかも既設部署の長になるならまだしも、新組織でやれという。なんとミッション規定から...。新組織の立ち上げも色んなパターンがあるけど、ミッションの定義から考えるのはやはり大変だ。

無茶振りは中小企業の習いとはいえ、疲れない方がどうかしている。

 

 

そのようにして過ごした夏を振り返ってみると、プライベートな記憶だけが抜け落ちている事に気がついた。おそらく、そしてもはや、自分の身の回りのことを覚えていようという気がないのだ。

やる気がない理由は自分自身よく理解している積もりだが、禄を食んで暮らしている以上、『人間のふり』をし続けることは欠かせない。そして人間のふりをするには、記憶が必要だ。ブレードランナー(特に2049)を見よ。

 

 

そうして極めて実利的な目的から日記を再開する事を決めたのが昨日、9/15のことだ。

幸い9/16は誕生日であり、何かをリスタートするにはきりの良い日だといえる。

夏が終わって、54になったワタシは、覚える気が無い自分の身の回りのことを日記に押しつけて、次の冬に向かっていくのだ。