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記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

8/30 夏休みの読書感想文(2)

さすがに夏休み、吉田茂だけでは重すぎるので企業人向けエンターテイメントも読んだのだった。

  

 

That's Entertainment!

ページをめくるのももどかしいという感じで、一晩で読み切ってしまった。

 

事業部制という工場単位の独立採算制*1、そして外様の会社を競争させることで発生させるダイナミズム。それらを最初は直接に、途中からは間接に統治する松下幸之助というアンビバレンスをはらんだ「複雑な人」。その組織がこのままでは先がないという認識を持ったときに、彼は役員序列を26人飛ばして平取を社長にする。これはその時に社長にされてしまった山下俊彦の評伝。

もうむちゃくちゃ面白い。山下自身のエピソードは当然面白いのだが(つまらない奴の評伝を出されても困る)、同じくらいに面白いのが読み進めるごとに深まる松下への理解だ。そうか松下はそんな会社だったのか。

マニュファクチャラーだとの自覚があったのは驚きだった。マネシタ電器と言われてたのも気にしてたのか。この本には工場重視の姿勢を示す山下の言動が数多く載せられているが、それは松下全体で合意を持つ価値観の先鋭化であって、決して新たな価値観の導入ではない。昔からES(エンジニアリング サンプル)を出せば終わり、あとは工場や製造会社の仕事だというカルチャーのSONYと好対照だ。

松下幸之助がどういう人物であったのかが判ってくるのも面白い。彼はもはや親鸞日蓮のようなものであって、直弟子もきえ*2、本人に接したことのない弟子と、言葉だけが残っている。なるほど、こんな人であったのかというのが、譜代の番頭、娘婿、そして山下らとのやりとりから浮かび上がってくる。

 

そしてこの本が素晴らしいのは、例えば「ソニー自叙伝」のような提灯本と違って、このあとの凋落の原因を書いているところだ。と言っても、後継の中村体制にその責を求めるこの本の主張を肯定している訳ではない。マニュファクチャラーからの脱皮、もしくはマニュファクチャラーとは異なるカルチャーを松下に接ぎ木をできなかった帰結としての凋落だという傍証が散見される。そこにこの本の魅力がある。例えばこんな下りがある。

(同書P325より引用)

従来のフォン・ノイマン型のコンピューターは、原理的には一万八〇〇〇本の真空管をつないだ初期コンピューターから進化していない。ハード(半導体)が頼りないから、ソフトの側に負担がかかり、コンピューター・メーカーは膨大な数のシステム・エンジニアを抱えねばならない。メインフレームは、ソフトの巨大な構築物になってしまった。

ところが、半導体の集積度が革命的に高まったことで一変する。水野の言葉を引き写すなら「ソフトをハードに切り戻す」ことができるようになる。ソフトをICチップに落とし込む。そうなれば、これまでのソフトの巨大構築物は無用の長物と化すだろう。

 

 

前後の流れから、昭和60年ごろの発言と思われる。ハードがソフトを肩代わりするのはよい、しかしそうすると今度は高性能になったハードを使ってソフトは新たな機能や領域に挑戦していく。そうやってハードはソフトを、ソフトはハードを互いに牽引しつつ、だれも見たことがない領域にむけて発展していく。そんな事は80年代半ばであれば、判る人にはもう判っていた。大体1984年(昭和59年)には初代のマッキントッシュが発売されていたのだ。あれを見て、ソフトが貪欲にハードウェアを飲み込み続ける未来を想像できなかったのだとしたらどうかしている。

 

いま欲しいものをちゃんと(そして安く)作るかではなく、まだ誰も(自分すら)しらないものを作るための準備をどうするか、そのための構造をどう作るか。そういうカルチャーを作れなかった結果としての(コンサル依存型)中村革命なのだと思う。そして、ソフトウェアはどこまで行っても工場というものになじまないということを早い時期に見抜けなかったことも。

この本では中村革命下のスマホビジネスの軌跡を難じているが、それは最終局面であって、それ以前に「ソフトが判らない」という大問題があった。はっきりは書けないがガラケー時代のOS選定で右往左往した話を側聞している。

 

こういう記録がある。

lolipop-teru.ssl-lolipop.jp

これがパナソニックの話だとは言えないが、パナの携帯開発に巻き込まれた人の話だと「まあうちもそうだったよ」とのことだ。幸いその人はグループ会社の社員だったのだけど、深夜の会議やその結果としての家庭崩壊は当たり前にあったと聞いた。

 

いや、パナソニックをディスりたいという訳ではない。

目先のそろばんでプラズマ事業にオールインする(そして失敗する)のも、開発力が追従できず撤退を余儀なくされるハンドセット事業も、結局は「わたしたちのビジネスモデルを破壊する危機とは何なのか?」という問題認識を持つことが出来なかったからだろうと、本の外側の知識を持っているワタシはそう思う。プラズマの件は、破壊的なテクノロジが出てきているにも関わらず古いテクノロ*3固執した失敗。ハンドセットの件は、製品ではなく製品を作り出す土壌に競争力が求められるステージである事を理解できなかったことによる失敗*4

そこまで踏み込まず、良いところだけを書くというのは食い足りないところだし、それが評伝というものなのだろう。そのおかげで抜群に面白くはある。読み進めている間は。

ただし、これを経営指南書だと思って読むと大変なことになる。正確には、リーダー指南書としては今も通じるところ大なのだけど、今の時代に通じる経営かと言われるとそこにはビッグクエスチョンがつく、そういう感じ。

 

とはいえ面白かった。夏休みのリフレッシュメントとしてとても良かったことは記しておくべきだろう。

 

 

 

追記

 

あと、タイトルがとても良いというのも記録に残しておきたい。

本のタイトルの神様とは松下幸之助、ぼくとはこのとき社長になった山下俊彦。山下は社長退任後、「ぼくでも社長が務まった」という自叙伝をだしており、ぼくはそこから来ている。

 手に取るときにさまざま事を想像させ、読み終わってみればたしかにこう付けざるを得ないと納得させるタイトル。これを付けるセンスに感服。いいなあ、こういうセンス。正直うらやましい。

 

*1:GEなんかが言う事業部制とは違う訳だ。字面にだまされてはならない

*2:PHPは知らねど、ビジネス界に直弟子はもういない。

*3:先がないテクノロジだとは思って無かったんでしょうな。でもMooreの法則が効かないという時点で、将来性がないと思うべきだった筈。21世紀に入ってからの事なんだから...。

*4:逆にコモディティー化してしまえばパナのような会社はやりやすかったのかも知れないと思う。ここもSONYと対象的だ。彼らはコモディティーが本当に苦手で、だから自らの首を絞めかねない計画的陳腐化を行ったりもする。まあ自覚的なのだろう。