安倍総理のレガシーは何かということについてメディアが喧しい。
多くはダメだしであり、一部には褒めるところもあるのだが、その両者ともがなぜだか働き方改革のことを取り上げない。大いに不思議。
語ると長いので、その不思議さだけを記すにとどめる。
「国際的な競争力」を向上させるには、unpaid workに頼るという悪癖を根絶させなければならず*1、
また長らく同じ企業に勤め続けることによる長期的な利益というものが消失している以上、従来一般的であった勤務事情はunpaid workの強要に他ならず*2、
要するにバブル崩壊このかた、日本においては退嬰と倫理的堕落によって競争力を自ら減ずるということが一般的であり、それを食い止める動きが働き方改革なのだと解している。
もっと言えば、社員から労働者へ、という意識の変容を求めることが、日本国に暮らす全員の利益になるという考えに基づく施策だったと解しているのだが、それは勘違いなのだろうか。
あれを働き方改革と呼ぶのはある種のオブラートであって(...って、何年オブラートを使ってないだろう。若い人は見たことがないに違いない)、本質は労使の本義に立ち返れというオーダーだと思っている。その上にしか国の立ち直りはないよ、という。
きっとこのあとは解雇規制の緩和やそれとセットになるセーフティーネットの話、そして労働者の能力向上(リカレント教育など)の話が盛り上がってくるのだと予測するのだけど、それら一連の動きを後に振り返ってみれば、それらのすべての根本は働き方改革のときにすでに予告されていたと判るのではないか。
そのくらいインパクトがある施策が働き方改革だったのだと思っている。思っているのだけど、みなさまの取り上げ方はそうでもない。
うーん、不思議だ。
確かにあれを「お父さんと一緒に夕食が食べられるようにしよう」というレベルの話だと思っている人が少なからずいるのだが、だがしかし。